【連作短編集】蔵の街☆ドーナツワゴン



集合は7時半だった。でもぼくは7時に来た。それは意気込みとういよりはほかの人に迷惑をかけたくないという気持ちからくるものだ。とちって低学年から笑われたらどうしよう、とか、モモネや俊平たちに無視されたらどうしようとか、そういうことに重心を置いていた。劇が成功するとか地域のひとに認められたいとか、そんな高尚な考えはない。室内にもかかわらず、はあ、とため息をつくと白い霧ができて、陽だまりに消えた。ぼくは席についてランドセルから台本を出した。かじかんだ指先でページをめくる。


“かんとく、ぼくも野球をやりたいんです!、こんなに背が低くてもチームに入れてもらえますか?、うわあうれしい!、ぼく精一杯頑張ります!”

“ごめんなさい、ぼくのせいで試合に負けちゃって”


お尻からひんやりした椅子の冷たさが伝わってくる。僕のせいで試合に負けた……ぼくのせいで劇が台無しになった……ぶるぶると身震いした。いやだ、やりたくない。失敗するに決まってる。

がらがらがら。教室の前の扉が開いた。やってきたのはモモネだった。黒板の上の時計はまだ7時20分だ。モモネが決めた集合時間より10分早い。


「お、おはよ……」
「おはよう! あいさつぐらいドモんないでよ。まだ来ないんだみんな。ったくもう。しょうがないからふたりで練習しよ」
「あ、うん……」


モモネは自分の机に白いランドセルを放り投げた。ばふん、と音を立てて形が歪む。たしかあのランドセルは3つ目だ。モモネの使い方が荒くて、毎年のように取り換えている。冬の日差しをあびた白いランドセルはさらに輝いた。


輝いたランドセルカバーをはずしてモモネは中から台本を取り出した。そして黒板の前にいき、顎をしゃくる。しょうがないから……その言葉がぼくの心にトゲをさす。ぼくがどんくさくて、もじもじしてて、なんにもできないから本当はぼくと練習したくないんだ。しょうがないからぼくと練習する。どうしてぼくが主人公に選ばれてしまったんだろう。こんな思いをするならやりたくなかったのに。

モモネの前にいくために、ぼくも台本をもってとぼとぼとと歩いた。ひとつひとつ違う床の模様を眺めながら。30センチ四方の正方形に切り取られた天然木が張り合わされている。明るいオークだったり、こげ茶にちかいいろだったり、ぎょろりとした目玉みたいな節があったり。

どうして同じ模様にならないんだろう。ぼくもみんなと同じ模様だったら、きっと、困らないのに。みなと同じようにどもらなかったら、こんなに惨めな思いはしなくてすむのに。


*-*-*

練習を開始して2週間。地元のひとにも公開されるお楽しみ会は明後日に控えていた。学校全体が浮足立っている。合奏や歌を披露する学年はそれぞれに着てくる服や髪形を考えてうきうきしている。新しいワンピースを買ってもらったとか、大きなリボンを買ってもらったとか。男の子ならアニメキャラのトレーナーを買ってもらったとか。壇上にあがった娘や息子や孫の晴れ姿を見たいという大人のエゴだ。キラキラした冬の空気がぼくをさらに落ち込ませる。

なんでそんなに楽しみなんだろう。失敗することとかみんな考えたりしないんだろうか。

練習も、佳境をむかえている。
    

朝練に参加するメインメンバーの空気もピリピリしていた。


「友則、もっと大きな声をだせよ!」
「ちょっとそこで噛まないでよ。もう」


ぼくがとちるたびに、みんなが一斉攻撃をしかける。そちこちから砲弾がとんできて、のろまなぼくはうまくかわすことはできない。


「ごめん……」
「ごめんじゃなくて。もういっかい。今度はおっきなこえでいってみて。叫ぶくらいに」
「あ、うん……」


「“ぼ、ぼくたちはぜったいに、負けないよ”」
「もっと大きな声で。おなかから声出すのよっ!」
「“ぼくたちはぜったいに負けないよ”」


モモネに怒鳴られながらぼくは声を出した。


「まあ、いいわ。つづき、ほら俊平でしょ」
「“なにが負けないだよ、お前のせいだろ」
「“足手まといなんだよ、お前は”」
「“つ、次はぜったい打つよ”」


……だいきくんはバットを手にするとバッターボックスに向かいました。相手チーム投手は、ふん、と鼻で笑いました。


どうせ空振りだろ。
負ける、負ける、負ける。
あはは。あはは。
派手な空振り。へたくそ。ちび。

足手まといなんだよ、消えろよ、だいき。


みんなの台詞がぼくを突き刺した。あまりにもぼくにあてはまる内容だ。そうか、みんな、最初からぼくにこの台詞をいいたくて、ぼくを主人公にしたんだ。ひどい、ひどい、ひどい。



「……だよ」
「友則?」
「ぼくには無理なんだっ!」
「友則くん?!」


ぼくは教室を飛び出した。全速力で廊下を駆け抜ける。階段を一段飛ばしで降り、昇降口に猛ダッシュした。靴に履き替えて、かかとを踏んだまま、校門から外に出た。



*-*-*

まっすぐに家に帰る心境じゃなかった。突きあたりは例幣使街道と呼ばれる古民家が並ぶ通りだ。黒と茶色ばかりの建物群は地味でなんの魅力があるのかぼくにはわからない。この先を右折すれば川岸に出る。カモたちを眺めてから帰ろう。


「ん?」


古ぼけた民家の合間から赤い日よけが見えた。ぼくはその日よけに向かって小走りした。1軒分の空き地には砂利が敷き詰められ、そこには深緑色の軽ワゴンが停まっていた。後部座席には窓ガラスと細長い板がついていて、中には腰の曲がった人がいた。ごん!と鈍い音がいして、車が震えた。同時に中から大人の男のうめき声が聞こえた。

車の向こう側から、その男の人が出てきた。ぼくは見上げた。すごく背の高い人だった。ぼくんちの冷蔵庫より大きい。でもやせっぽだ。車とおそろいの色をした深緑のシャツに黒いエプロンをしているから細くみえたのかもしれない。そのやせっぽの男の人は両手で頭を抱えていた。腰を曲げていたのは天井の低い車の中にいたからだと思った。


「あ、あたま、ぶつけたんですか?」
「ああ」
「だ、だいじょうぶ、です、か?」
「うん。そこの小学校の子?」
「はい」
「見かけない子だね、アッ!」


やせっぽのおにいさんは今度は足元にあった黒板の看板を蹴飛ばしてしまった。長い体をかがめてそれを再び車に立てかけた。


「“うずまきドーナッツ、1こ500えん、とってもおいしいよ、どれひとつとしておなじトッピングはありません” 。ふうん……」


ぼくは看板に書かれたチョークの文字を読み上げた。ドーナツの絵もチョークでカラフルに描かれている。いまにも飛び出しそうな躍動感のあるイラストで、ぼくはすごいと思った。


これが、願いのかなうドーナツ屋さん、か。でもお店の人はおっちょこちょいだし、いまいち信ぴょう性がない。女子たちが勝手にパワースポットにまつりあげた可能性もある。


「こ、ここのドーナツを、食べる、と、ね、願いがかなうって本当?」
「え? そんな噂があるの?」
「じょ、女子が言ってたから」
「だからかぁ。おとといくらいからこの車の前で柏手をうつお客さんが増えたんだよね」


なるほど、とお兄さんは柏手を打った。商売繁盛!商売繁盛!商売繁盛!と3回唱えた。空に向かってじゃない、車に向かってだ。それも自分の車じゃないか。やっぱりガセネタだ。


おにいさんはワゴン車の横に長机を広げると、そこにドーナツをならべ始めた。ぐるぐると渦を巻いたドーナツは直径15センチくらい、ふつうのドーナツの倍ぐらいの大きさだ。透明の袋に入れたドーナツたちが天板を埋めていく。おにいさんの背後をじっと見つめていたのが伝わったのか、彼は振り返ってぼくを見た。


「こっちにきて見てごらんよ」
「あ、う、うん」
「今日は特別に1個サービスしてあげよう」
「え、でも」
「いいから、いいから。おいで」
「う、うん!」


駆け寄ってぼくはそのドーナツたちをながめた。縦に4個、横に20個以上、ざっと計算して100近くはあった。ホワイトチョコの上にクッキークランチがまぶされたもの、いちごチョコの上にドライフルーツが散りばめられたもの、ミントチョコっぽいのや、キャラメルチョコ、粉糖だけのもの、とかいろいろあった。確かにどれひとつとして同じトッピングはない。ぼくの好きなアーモンドダイスのもあるし、ちょっと苦手な抹茶もある。

確かにどれひとつとして同じタイプはない。
でも行き当たりばったりなイメージはぬぐえない。だって、たとえばこれ。ちょっと得体のしれないものがあった。茶色の味噌漬けの大根を細かくダイス状にしたものがホワイトチョコの上に乗っている。


「お、おにいさん、こ、これはなに?」
「これ? ああ、これはかんぴょう煮。ほらさ、とちぎってかんぴょうでしょ」
「そ、そうかもしれないけど」
「壬生の知り合いの農家から直接仕入れてんだよね。味付けはうちの母ちゃんだけど」




ドーナツにかんぴょうなんてあんまりな組み合わせだ。すべて違った組み合わせにするのに無理してかんぴょうを取り入れたに違いない。そこまでしていろんなものを並べる必要があるんだろうか。売れそうないちごチョコをいくつもおいたほうがよっぽど効率的だとこどものぼくですら考えつくのに。


「ど、どうして、かんぴょう煮なんか、い、いれたの?」
「そりゃ、おいしいからに決まってるでしょ」
「お、おいしいの?」
「いちごのほうが人気があるかもしれない。いちごばかりを並べてお客さんの意識をいちごに集めてしまうのも一つの手だろう。でもそれじゃドーナツの可能性をつぶしてしまうんだと思うんだよね。ドーナツにあうのはいちごだけ、ってことじゃない。オレンジもレモンも梅も桃も、合う。キャラメルも塩も砂糖も味噌も醤油も合うんだ。その素敵な組み合わせを知らないって損だと思う。それをみんなに知ってほしいんだよ」
「まあ、うん……」
「人間だってそうじゃないか? クラスにはいろんな子がいる。いろんな子がいて、知り合って、何かを一緒に成し遂げて、いろんな子がいていい、って思えるんじゃないかな? ほら」


おにいさんはそう言って、かんぴょう煮のドーナツを袋から取り出した。それを手でちぎり、ぼくに差し出した。ぼくは指でつまんでそれを見つめた。ドーナツとチョコの甘い匂いのなかにほんのり醤油の匂いが混じる。本当においしいんだろうか……えいっ。ぼくは一思いに口に放り込んだ。




口のなかに最初に広がったのはチョコの甘さ。ホワイトチョコの優しい甘さ。そこにドーナツのサクサクした生地が混ざり込む。ドーナツってこんなにおいしかったっけ、まるでケーキみたいだった。そして次にやってきたのは醤油のしょっぱさと香ばしさだった。歯ごたえのあるかんぴょうがアクセントになる。

ああ、これ、すごい。こんな組み合わせもありなんだ。目から鱗っていうけど、ぼくは本当に驚いた。かんぴょうなんてのり巻きにしか使わないって思ってたから。


「……おいしい。すごくおいしい!」
「だろ?」
「お、おにいさんすごい」
「ほら、全部食えよ。食いかけじゃ商品にならないし」
「いいの? ありがとう」


袋ごと差し出された残りを受け取ってぼくはかぶりついた。はちみつピザを知ったときもそうだった。絶対に合わないと思っていたものが意外と合って、想像以上においしい。いろんな組み合わせを否定しちゃいけないんだ。
もぐもぐと口を動かしながら、そんなことを考えた。かんぴょうだからとお寿司の世界に閉じ込めていてはいけない。かんぴょうだからのり巻きしかないと決めつけちゃいけない。


「で、願いが叶うドーナツって、君は何か願いを叶えたかったのか?」
「うん。ぼ、ぼく、つっかえちゃうんだ。な、なのに、ぼく、劇の主人公にされちゃって、そ、その……」
「ふうん。でも、最初にあの看板の文字を読んだときはつっかえてなかったじゃんか」
「そ、そうだった?」
「ああ。だからきっと決まった文章のときにはつっかえないで読めるタイプなんじゃないの? しゃべるときは緊張してつい、どもっちゃう人っているじゃん? そういうひとこそ逆に文章に心が入ると思うんだけど」
「そう?」



「だから大丈夫だよ。落ち着いて、心を込めて、決められた文章を読み上げる。それは主人公じゃなくても脇役でもおなじことだし、劇をやる上ではいちばんたいせつなことなんじゃないの? 上手にしゃべろうとする前に、伝えたい気持ちを前面に出したらどう?」


伝えたいことを、前面に……。
そうか。ぼくは上手にしゃべろうとするあまり、伝えることを忘れていた。つっかえて他の子に指摘されるのが怖くてそっちにばかり神経を削りすぎていた。


「ほら、坊主。牛乳も飲んで行けよ。牛乳の生産量は北海道についで2位だ」
「栃木市が?」
「栃木県だけどな」
「ふうん」


瓶の牛乳を飲み干して、ぼくは最後にお礼を言って歩き出した。もちろん学校に戻るためだ。もどって劇の練習をする。あの物語で作者が言いたかったことは何だろう。先生の脚本が伝えたかったことは何だろう。