そして、次の日、昨日の拓海以上に顔を引き攣らせているのは私だった。

今は学校の昼休みだ。
そして、私の席の前の男の子に一言断りを入れて、椅子を後ろに向けて、お弁当を広げているのは、颯太君だ。

もう一度、確認する。
ここは、私のクラスの昼休みの教室だ。

それは三分前の事だった。

「あ!桃ちゃん、やっぱりこのクラスだった♡」
そう言っていきなり、教室に入ってきて三分後には、彼はこの違和感しかない状態を創り出した。

「さぁ、桃子ちゃん、食べよう?」
そう言って、王子さまのような微笑を浮かべて私に微笑みかける颯太君をみて、教室の隅から、廊下から「あぁ…」「キャー、いやぁー」という悲壮感溢れる声が聞こえる。
その声が益々私を硬直させた。

(わ…判るよ?流石に、こういうことに鈍い私でも、これは判るよ?今、私、この学校に無数にいる颯太君ファンを、…完全に敵に回してるよね…)

そして、ついさっきのさっきまで、私が友達として何の問題もなく交流を深めていた数人のクラスメイトの視線さえも恐ろしく痛く突き刺さっている…

そして、それ以上の視線を感じるのは私達から、3メートル程の距離をとり、この状況にどう反応していいか戸惑っている沙耶香と哲ちゃん。 そして茫然とこの状況を見守る晴人君に、鋭い目を見開いたままの一也君、その隣でどす黒いオーラーを発して固まっている拓海だった。

「お…王子?」

ぼそりと沙也加の声が聞こえた気がした。
今まで、昼食は皆と共にしていたから…

(お… 落ち着かない… とてもじゃないけれど… 落ち着かない…)

私は引き攣った顔で、颯太君に恐る恐る声をかけた。

「あ… あの、颯太くん… 皆、見てるし、私達、こんな風に二人で昼食とるような関係じゃ…ないはずだよね?」

私は精一杯颯太君にそう言った。
颯太君は涼しい顔で私ににっこりと微笑みかけた。

「うん… 昨日まではね。 でも、今日からそうなればいいじゃない?」

私はその自信溢れる態度にドン引きした。

(いなかったタイプだ……、少なくても今までの私の知る限りでは…)

「…え…でも、私達に、そんな理由っていうか、ない…よね? 」

私は引き攣りながら颯太君の顔を伺った。

「いやだな~、桃ちゃんは、本当に鈍いんだから…
そこは察してほしいな、好きじゃない女の子のところにこうして押しかけてくるほど、僕、女の子には不自由してないから♡」

その瞬間、教室と廊下のあちらこちらから騒めきと悲鳴が聞こえた。

私の頭は真っ白になった。
ちなみに私は恋愛という恋愛に免疫は皆無だ。

きっと、長きに渡る道場中心の生活が私をすっかり恋愛音痴にしてしまったに違いない。

その瞬間、カタンと椅子が激しく倒れる音と、クラス中が息を飲むような緊張感を感じた。
その瞬間、私たちの前を大きな影が覆った。

そこには、引き攣った顔の拓海の姿があった。

何故か、拓海の手には沙耶香の手首が握り締められていた。
その後ろには沙也加の彼氏であるはずの、哲ちゃんが同じく引き攣って拓海の突然の行動を凝視していた。

「梶原… お前、何の真似だ… ? 今すぐそこをどけ…
もこは… 桃子は、もう十年とは言わないくらい俺たちと一緒に昼飯食ってるんだよ…
勝手な真似してくれてんじゃねえよ… 」

拓海はそう低い声で言って、いつになく恐ろしい顔で颯太くんの顔を上から睨みつけた。
でも颯太君の顔は涼しい美貌を保ったままだった。

何度か感じたけど、颯太君って、相当、根性入ってるよね。
拓海のこの顔を無表情でかわせる人はきっと数少ないと思う。
そんな不機嫌さを隠さない拓海の顔をジッと受け止めた颯太君は、笑顔のまま口を開いた。

「う~ん… お前が何言いたいのか、僕、いまいち、よく判らないけどさ…、一之瀬ってこの学校に彼女いるんだよね…?」

そう言われた拓海は固まった。そのまま颯太くんは続ける。

「今さ、お前が、その手で、握り締めてるのってさ、確か、西条沙耶香さん? 君の彼女じゃなくって、後ろで引き攣ってこっち見てる、成瀬哲也くんの彼女って噂だよね…?」

そう飄々と言う、颯太君の言葉に拓海が固まった。

「………」

「もう…いいんじゃないか、と思うんだ。君らの幼馴染ごっこ?」

そう言って、颯太くんは、挑発するように薄褐色の瞳で拓海を見据えた。

「は…? そんな事はお前に指図されるようなことじゃ… 」

その瞬間、拓海の目が怒りで見開かれた。無いとは思うが、手さえ出かねないほどの緊張感が漂う。だけど、拓海が次の行動を起こそうとしたその瞬間、沙也加が動いた。
そして、拓海の手を拒絶するように振りほどいた。
そんな沙也加からの思わぬ行動に拓海の目は見開かれる。

「そうかもしれない… 」

沙耶香が小さな声でそう呟いて俯いた。

「さや…?」

拓海が信じられないというように沙耶香の顔を伺った。
その後ろで哲ちゃんもまた、そんな沙也加の行動に驚いたように目を見開いた。
晴人君と一也君は何故か、妙に静かに沙也加を見つめていた。

そんな中で、沙耶香が泣きそうな顔で、拓海を見上げた。

「だって、そうでしょう?私達、もう、子供じゃないんだよ?自分だけちゃっかり彼女作って、私は兎も角として、もこに、もこに、何の説明もしないで、今までの関係にだけ固執して、もこを縛りつけるなんて…、最低だよ。やっちゃいけないことだよ?もう拓海はそんなことさえも分からなくなっちゃたの??」

「さや……??」

拓海は何も言えずに驚愕した様子で絶句していた。
ただ、その顔がとても痛みを伴っている事だけは、長年付き合ってきた私達には皆判っていた。涙を浮かべて、拓海を睨みつけていた沙耶香は、顔を歪めて拓海から目を逸らして、そのまま、私の手首を掴んで私を立ち上がらせた。

「行こう… もこ。もう、誰の言う事も聞く必要ないよ。もこは、もこがしたいように生きていけばいい…、私は、もこが決めた道を応援するよ。いつだって……」

そう言って、沙耶香は私の手首を引っ張って、教室を駆け出した。

結局、私達二人は、その日、お弁当を持ってきそびれて、二人、ポケットから小銭を出し合って、購買でやきそばパンを一つずつ買って、二人で屋上でそれに齧り付いた。

何も言わなくても、「ははは、やっちゃったね、私、拓海、凹ませちゃった…」、そう言って、気まずそうに、それでも明るく微笑んでくれる沙耶香が、今はただ有り難かった。

「沙耶香… ごめんね。きっと、全部気付いてるよね。 ありがとう…」

私は、沙耶香には、今回の件や、拓海への割り切れない想いについて何一つ相談してはいない。 沙耶香に心配かけたくなかった。そしてそれ以上に、仲間の関係に亀裂などいれたくはなかったから。

沙耶香は、苦笑しながら、焼きそばパンを頬張った。

「いいよ… もこの気持ちなんて、お見通しだから…」そう言って私を受け止めてくれる。

「でも、もこ… わたし、いい加減な事言えないけど… きっと拓海は…」

そう言いかけて、沙耶香は黙った。

「駄目だよね… 私の予想なんかでいい加減な事言っちゃ… 」

そう自分を諭すように、小さく悲しそうに微笑んだ沙耶香はいつもの笑顔で私に微笑みかけてくれた。

「もこが選べばいいんだよ。 もこはちゃんと選べるよ?もこが決めた道を私は応援するから…、いつも言ってるじゃん?私は、同じ試合で同じコートに立っていない限り、一生もこの味方だよ…?」

その言葉に私は苦笑した。
その一部だけ限定された友情は、他の誰の言葉より、真実だと感じられるから。

「ありがとう、さや、私も、私も、同じ試合で同じコートに立っている時以外のさやの事、一番に応援してるよ 」

「うん……」

そう言って私たちは泣き笑いしながらやきそばパンを頬張った。


***********
【拓海視点】

その頃、俺達は、いなくなった桃子の机に座る梶原を見据えていた。

「お前… どういうつもりだ… 」

そう睨みをきかす俺に、梶原はさっきより、投げやりな皮肉な目を俺に向けていた。

「どういうつもりって… そういうつもりなんだけど…?そして、君にとやかく言われる筋合いもないと思っているんだけど…?一年生の可愛い彼女と「お試し期間中」の一之瀬くん?」

そう言って梶原は冷笑を浮かべた。その怜悧な瞳は明らかに俺を挑発している。
俺は、その言葉への反論が咄嗟には思いつかなくて、目の前の梶原を刺すような瞳で睨みつけた。手は出せないから、目で射殺せるなら、殺してやりたい。

(俺から、桃子を奪うやつは誰でも……)

後方で哲也の溜息が聞こえた。

「梶原… もう、戻れ。どうせあいつらは戻ってこないさ… 」

そんな哲也の言葉に、諦めたように溜息をついた梶原は立ち上がった。
そんな梶原に、哲也は俺の予想外の言葉をかけた。

「おい… お前、もこ… いや、九重の事、本気、なんだろうな? 」

そう問いかける、俺の親友、哲也の言葉に俺は信じられない思いで眉を寄せた。

「当然でしょ? じゃなきゃ…こんな目立つことする意味なんてないじゃないか?」

そう言って、梶原は冷めたような苦笑をして俺の方をチラッと見つめた。

「……そうか」

哲也は一言だけ、梶原に頷いて、自分の教室への帰りを促した。
もしかすると、奴の今日の目的はこの【宣戦布告】だったのかとすら思えて俺は心を乱された。

その後、俺はまるで通夜のような言葉のない中で、いつものメンバーと男だけの昼食を共にした。

哲也と、一也、晴人、皆、小学校の頃からの腐れ縁だ。
切れようはずもない、大切な道場の同朋だった。

「…で? そろそろ説明しろよ」

哲也がそう切り出した。

「だな… 俺も、そう思ってた」

晴人がそれに頷いた。

「いい加減、もこ、傷つけてんなら?殺すぞ…」

そう一也に刺すような瞳で睨まれた。

これだけ苦々しくこいつらに取り囲まれたからには、俺もそろそろ観念しなければならないのだろうか。

でも…

「すまない… お前達が言いたい事はなんとなく判る。でも、次の大会まで待ってくれ… 俺は俺なりに守ってやりたいものがあるんだ。例えそれが、期間限定だとしても… 」

俺はそう言って、厳しい目を向ける友人達に頭を下げた。
多分、俺がしている事で、今まで保ってきた俺達なりの調和を崩している。
今日の事で俺はそれを痛感していた。

「大会まで… そう言ったか? 俺は確かに聞いたからな…」

哲也はいつになく厳しい瞳で俺を見つめた。
こいつのこんな顔を見るのは初めてだった。

俺には痛いくらいに判っていた。

こいつらは、こいつらで、桃子のことを滅茶苦茶、大事に思っていて…
そして俺達の場所を、きっと俺と同様に愛して、守ろうとしている…