家庭環境が特別に悪かったわけではない。
事実私はお金に困ったことがあるわけでも、虐待で傷をつくったことがあるわけでもなかった。
また、親というものも自分と同じただの人間で、完璧にできていないということも分かっていた。
ただ、あまり家族に関心のない父と少し神経質な母は日ごろから折り合いが悪く、そんな二人と暮らす家は、私にとってけして居心地のいいものではなかった。
真夜中になると、決まって家中に二人の喧嘩をする声が響く。
それを聞くのが悲しく、そして恐ろしかった私は、いつも耳を塞ぎながら一人で絵本を読んでいた。
絵本の世界は色鮮やかで楽しく、いつだって私に希望を与えてくれる。
そして現実の恐怖から逃がし、私の心を守ってくれる。
そのころから、物語というものは私にとって、唯一の生きる糧だった。

両親が離婚したのは、私が中学生になってすぐのことだった。
真夜中に怒声が響くことはなくなり、私が心を痛めることもなくなったが、代わりに今まで父に向いていた母の関心が、すっかりと私に向くようになっていた。
それが一種の依存であったのを知ったのは、私がもう少し成長してからのことだ。

母はよく私に対して、もしくは周囲の人々に対しても、私を“迂闊な子”と称した。
生活の中で大きな問題にはならなかったにせよ、たしかに私は少しのことで気が逸れてしまったり、忘れ物が人よりも目立つ子供だったのだ。
他者に対しては謙遜の意味合いもあったのかもしれないが、その声に刺があるわけでも、私をわざと傷つけようとした意図があるわけでもない。
母は単にそこにある事実として、私を迂闊な子と呼んだだけにすぎなかった。
そんな迂闊な私を助けるためにと、母はいつしか私の一挙一動を否定し、自分の言うとおりに生きることを求めた。
「お母さんはあなたのためを思って言ってるの」と、今思えばあまりに洗脳じみた言葉を浴びせ続けながら、母は愛情という名の重い鎧で私の身も心も固めたのだ。

学校の中では浮いていて、家の中でも息苦しい。
そんな私が救いを求めたのは、やはり物語の世界だった。
小説は私を現実から連れ出し、私に生きる意味をもたらしてくれる。
そうして活字に溺れているうち、私はやがて、自分でも物語を紡いでみたいと思うようになった。
迂闊で出来損ないな私に、そんな大層なことなんてできないかもしれない。
けれど自分の中で蠢くもやもやとしたものを文字にして吐き出してしまえば、少しは楽になれるような気がしたのだ。
中学二年生の夏休み。
まるで一縷の望みをかけるように筆を取った私は、夢中で原稿用紙に言葉をぶつけた。
初めて行う小説の執筆というものは、ただただ楽しい行為だった。
悩んで綴ってまた悩んで、そのうちに世界が広がっていく。
まっさらな紙の上で、私はいつだって自由だった。
夏休みという時間のほとんどを捧げ、そしてついに出来上がったのが『かなしい共犯者』だ。
上手く書けたとは思わなかったが、自分一人で物事を成し遂げたという成功体験は、少なからず私の気持ちを前向きにさせた。
とある文芸雑誌の新人賞の記事を目にしたのは、ちょうどそのころのことだ。
それを見て、受賞やデビューを期待したわけではない。
ただ最終候補作にさえ引っかかれば、憧れの作家から講評がもらえるという特典が私の心を奪ったのだ。
講評をもらってそれを参考にすれば、次に書く小説ではもっと上手に世界を表現することができるかもしれない。
そんな中学生の無邪気な気持ちで応募した処女作が、まさか受賞につながるなんて思いもしなかったけれど。

「……夢か」

ハッと覚めた目で辺りを見回すと、そこにはいつもの寝室の景色が広がっていた。
ベッドからはみ出ていた腕で、落ちかけた掛け布団を引っ張りあげる。
どうやら昔の夢を見ていたらしい。
おそらく昨日の夜、久しぶりにデビュー作を読み返したせいだろうと、まぶたの裏に残った母の姿をかき消すように目元を擦る。
それから大きなあくびをして、いつものように二度寝はせずに、私は潔くベッドから下りた。