将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

「アイシャ?」
「……」

 アイシャはうつむいてしまい、こちらの手を取ろうとしない。
 怖かったはずなのに。
 寂しかったはずなのに。

 それなのに、なぜか我慢をしていて……
 震えながらも、一人で耐えようとしてしまう。

「わたしは……悪い子だから。こんなわたし……助ける価値なんて、ないの……」

 アイシャは、どんな想いでその台詞を口にしたのか?
 どんな背景があって、そんな台詞を口にするに至ったのか?

 彼女の気持ちがわかるなんてこと、簡単には言えない。
 わからない。
 わからないのだけど……

 それでも。
 確かに言えることが一つ、ある。

「大丈夫だよ」
「あ……」

 アイシャをそっと抱きしめた。

 幸せになったらいけない、とか。
 助ける価値がない、とか。

 そんなことはないんだよ、と伝えるように抱きしめる。
 頭を撫でる。

「僕は、そんな風に思わないから」
「でも、わたし……」
「アイシャがなにを考えているのか、わからないよ。でも、それが絶対、っていうことはないと思うんだ。勘違いしているかもしれないし、思い込んでいるだけかもしれない。だって……そうじゃないと、寂しすぎるよ」
「で、でも……」

 アイシャは、まだ迷いを振り切れないらしく、僕から離れてしまう。
 それも仕方ないと思う。
 この子は、僕が思っている以上に、重いなにかを抱えているんだと思う。

 僕にできることは、一緒に背負うか……
 支えて、楽にしてあげること。

「すぐに気持ちを切り替えるなんて、そんな無茶は言わないよ。ただ、覚えておいてほしいんだ」
「なに……を?」
「僕がいるよ」
「……あ……」
「僕だけじゃなくて、ソフィアもいる。リコリスもいる。アイシャが辛い時、悲しい時、隣に寄り添い、支えるよ。それくらいのことはできるし、させてほしい」
「……うぅ……」
「だから、おいで?」

 手を差し出した。

 アイシャは僕の手を見て……それから、自分の手を見る。
 迷っているみたいだ。

 でも、拒絶から迷いまで進むことができたのだから、あと一歩かもしれない。
 その一歩を、無理矢理に誘うことはできない。
 こればかりは、アイシャが決めるしかない。

 そうでないと、きっと、どこかで心にしこりが残る。
 やがて、それは大きくなり、後々の問題に発展すると思う。

 だから……

 アイシャ、僕の手を取って。
 心の中で強く祈り、願う。

「……っ!」

 五分ほどの迷いの後、アイシャは、そっと手を伸ばしてきた。
 恐る恐るという感じで、すごくゆっくりだ。
 でも、急かすようなことはしない。
 心の中で応援しつつ、彼女の勇気を見守る。

 そして……

 そっと、アイシャの手が僕の手に触れた。
 迎え入れるように、小さな手を優しく握る。

「がんばったね」
「……よく、わからないの。でも……」

 アイシャは、泣いているような笑っているような、そんな顔で僕を見る。

「フェイトの手……温かいね」
「フェイト! アイシャ!」

 部屋を出て少ししたところで、ソフィアと合流することができた。

 僕とアイシャが手を繋いでいるところを見て、彼女はホッとしたような顔に。

「アイシャ、よかった、無事だったのですね……!」
「わぷっ」

 ぎゅうっと抱きつかれて、アイシャがあたふたと慌てる。
 ただ、イヤがっているという感じじゃなくて、どうしていいかわからなくて、照れているみたいだ。

「ごめんなさい、アイシャ……」
「どうして……謝るの?」
「怖い思いをさせてしまいました。不安にさせてしまいました。寂しがらせてしまいました。全部、私の責任です」
「僕達の、だよ」
「そうですね……はい。ごめんなさい、アイシャ」
「……ソフィアのせいじゃ、ないよ?」

 恐る恐るという感じで、アイシャがソフィアを抱き返した。
 小さな手が彼女の体に触れる。

「ん……ソフィアも温かいね」
「ふふ、私は基礎体温が高いので」
「えっと、その……」
「どうしたのですか?」
「……もっと、ぎゅうってしても……いい?」
「はい、もちろん」
「んっ」

 甘えるような感じで、アイシャがソフィアに抱きついた。
 アイシャは女の子だから、相手が女性だと、遠慮なく甘えることができるのかもしれない。

 猫耳がぴょこぴょこ。
 尻尾がフリフリと、うれしそうに揺れていた。

 これだけで、アイシャの心の負担を全部取り除けたなんて思わない。
 でも、多少は軽くすることができたはずだ。
 この調子で、いつか、アイシャの心からの笑顔を見ることができるように、がんばりたいと思う。

「アイシャ、抱っこしてもいいですか?」
「うん」
「では、失礼しますね」

 アイシャを抱っこするソフィア。
 その顔は、とてもうれしそうだ。

 ソフィア、かわいいものが大好きだからなあ。

「ところでソフィア、会場にいたドクトルの私兵は?」
「全員、斬ってきました。あ、殺してはいませんよ? ただ、今後の人生は、色々と諦めてもらわないといけませんが」

 恐ろしい……

 でも、こんなことをするドクトルに加担するような連中だ。
 後遺症が残ったとしても、同情する気にはなれない。

「ただ、地下の敵を一掃しただけです。地上からの援軍はあると思いますし、今のうちに逃げましょう」
「そうだね。アイシャは任せてもいいかな?」
「はい、任せてください。指一本、触れさせません」

 ソフィアがそう言うのなら、アイシャは絶対に安全だ。

 彼女が剣聖だからとか、そういうところは信頼するポイントじゃない。
 ソフィアは、世界で一番信頼できる幼馴染だ。
 その彼女が言うのだから、なにも問題はない。

「いきましょう」
「うん」

 僕は剣を抜いて、先頭に立つ。
 その後ろを、アイシャを抱っこしたソフィアが進む。

 会場へ戻った。
 すでに客は逃げた後らしく、誰もいない。

 いや。
 会場の端などに私兵が倒れていて、うめき声をこぼしていた。
 全員、ソフィアにやられたのだろう。

 見た感じ、敵はいない。
 ただ、どこかに隠れていないとも限らないし、地上からの増援と鉢合わせないとも限らない。
 ソフィアとアイシャを危険に晒すわけにはいかない。
 油断することなく、注意して進もう。

「……フェイト」
「うん、わかっているよ」

 もう少しで会場の外に出る……というところで、僕とソフィアは足を止めた。
 ピリピリと刺すような殺気がぶつけられている。

「そこにいるのは誰? 隠れているのはわかっているんだけど」
「……ちっ、勘の鋭いガキだ」

 姿を見せたのは、ファルツだ。
 それともう一人、黒尽くめの男がいる。

「ここまで好き勝手しておいて、そのまま逃げられると思っていたのか?」
「……それ、僕の台詞なんだけど」

 たくさんの人に酷いことをして。
 アイシャに酷いことをして。

 その悪事の片棒を担いだファルツを見逃すつもりなんてない。
 アイシャの安全が第一で、捕まっていた人達の安全が第二。
 それらを達成した今、心置きなく戦うことができる。

 ただ……

「……むう」

 黒尽くめの男から、イヤな気配しかしない。
 例えるなら、死神と対峙したような感じ。
 濃厚な死の気配をまとっている。

「あのガキを捕らえろ、下手に傷をつけるな。男と女は殺せ」
「わかった」

 用心棒、というところかな?
 それなりの実力者であることは間違いない。
 僕の力が通じるかどうか……

 なんて迷いを抱いていたら、ソフィアがアイシャをこちらに渡してきた。

「フェイト、アイシャを頼みます。あの男は、私が相手をします」
「……うん、了解」

 ソフィアがそういう判断をしたのなら、下手に出しゃばらない方がいい。
 アイシャを代わりにおんぶして、後は彼女に全部任せることにした。

「ソフィア、気をつけてね?」
「大丈夫です。私は、剣聖ですから」
「それでも、僕にとっては大事な女の子だから」
「……」
「ソフィアの顔、赤いね」
「し、仕方ないじゃないですか。フェイトからそんなことを言われたら、その、どうしても照れてしまいます」

 アイシャのツッコミに、ソフィアは照れ照れで答えた。
 かわいい。

「じゃあ、また後で」
「はい、また後で」

 再会の約束を交わして、その場を後にした。
 アイシャをおんぶしたフェイトが会場の外に出た。

「今は放っておけ」

 用心棒のどうする? というような視線を受けて、ファルツがそう答えた。
 その視線はソフィアから外れていない。

「あのガキの確保が最優先と言われているが……しかし、ここでコイツに背を向けるわけにはいかん。女だが、剣聖の称号を持つからな」
「女だから、というのは、今時遅れた考え方ですよ?」

 ソフィアは不敵に笑い、剣を抜いた。
 聖剣ではなくて、普段から愛用している剣だ。

 あなたごとき、これで十分。
 そんな挑発が込められているのだけど、しかし、用心棒は無反応。
 怒ることはなく構えて、与えられた任務を淡々とこなそうとする。

 ……厄介な相手ですね。

 ソフィアは心の中で苦い表情を作る。
 挑発に乗るような相手なら、簡単に倒せただろうが、そういうわけにはいかないらしい。

「殺せ」

 ファルツの命令と共に用心棒が動いた。
 蜃気楼のようにその姿が消えて、風のごとき速さで側面に回り込む。

 しかし、素早いだけでソフィアの目をごまかすことはできない。
 ソフィアは左足を軸にして、体を九十度回転。
 用心棒を真正面に捉える。

 剣を構えて、踏み込む。
 そのまま、人の目に視認できないほどの速度で突撃を……

「っ!?」

 しようとしたところで、ソフィアはゾクリとした悪寒を覚えた。
 このままだとまずい。

 直感に従い、突撃は中止。
 さらに後ろに跳んで逃げる。

 ピリッとした刺激が頬に走る。

 ソフィアは視線を前に向けたまま、指先で頬を拭う。
 いつのまに切れていたのか、血が流れていた。

「いったい、なにをしたのですか?」

 用心棒も剣を構えている。
 しかし、彼の間合いに入っていないし、遠距離攻撃をしかけられた覚えもない。

「俺の攻撃は不可視の斬撃……」
「不可視の?」
「今は、運良く避けられたみたいだが……果たして、幸運はいつまで続くかな?」

 用心棒は不敵に笑う。

 その様子を見て、ソフィアは違和感を覚えた。
 なにかがおかしい。
 そう思うものの、具体的な箇所を指摘することはできない。

 なんだろう?

 モヤモヤとした感を抱く。
 ただ、今はじっくりと考えている余裕はない。

 用心棒は急加速。
 風のように距離を詰めてきて、その手に持つ剣を横に薙ぐ。

 速い。
 並の冒険者なら、なにが起きたかわからずに死んでいるだろう。
 ベテランの冒険者でも回避することは難しく、ある程度の傷を負わされているだろう。

 しかし、ソフィアにとってはなんてことのない一撃だ。
 正確に剣筋を見極めて、体を安全な位置に逃がして回避。
 カウンターの一撃を……

「くっ……!?」

 再び悪寒を覚えた。

 カウンターの突きを中断。
 強引に体を捻り、横へ跳んだ。

 それが幸いした。
 さきほどまでソフィアが立っていた場所を、なにかが通り抜けるのをハッキリと感じた。

 ビシリ、と床に剣撃の跡が刻まれる。
 用心棒の言う不可視の斬撃が走り抜けたのだろう。

 確かに見えない。

 ソフィアは動揺することなく、冷静に事実を受け止めた。
 そして、攻撃は中止。
 回避に専念をして、分析を徹底する。

 用心棒が言うように、確かに剣は見えない。
 不可視の斬撃という言葉は正しい。

 しかし、見えないからといって、絶対無敵というわけではない。
 攻撃の予兆……
 空気を裂くわずかな感覚を察知することで、回避が可能。

 不可視の斬撃は特別速いわけではない。
 用心棒の剣速と同程度。
 また、攻撃範囲も変わらない。

 見えないというだけで、その他は、普通の剣となにも変わらないのですね。

 そう判断するソフィアではあるが、攻めていいものかどうか、判断に迷う。

 不可視の斬撃の効果範囲など、だいたいのところを推測することはできた。
 しかし、それが本当に正しいかどうか、それはまだ断定することはできない。
 ここぞというタイミングを狙うため、用心棒が出し惜しみしている可能性がある。
 あるいは、今は一段階目で、二段階目、三段階目の攻撃が残されているかもしれない。

 そう考えると、迂闊な行動に出るわけにはいかない。
 いかないのだけど……

「考えるだけ無駄ですね」

 慎重になることは必要ではあるが、時に、大胆に行動しないと勝てない戦いというものがある。
 今回がそのパターンだろう。

「そろそろ、私の番です」
「ほう」

 ソフィアの言葉を聞いて、用心棒は唇の端を吊り上げた。

 歪な笑み。
 その表情からは、自分が絶対的有利に立っているという自信が見えた。

 不可視の斬撃。
 今のところ、ソフィアは致命傷を受けていないが、それも時間の問題。
 この攻撃を避け続けることはできないし、見切ることなんて、もっと不可能。
 いずれ、不可視の斬撃の前に倒れる。

 そう信じる用心棒は、改めて攻撃に移る。

「お前の番は永遠に訪れない。ずっと、俺が主導権を握る」

 用心棒は自信たっぷりに言い、剣を斜めに振る。

 速度もキレも大したことはない。
 ソフィアは半身にして斬撃を回避。

 直後、頭の中で警報が鳴る。
 空気の流れに異常。
 左右からなにかが迫る。

 素早く視線を走らせるものの、やはり、なにも見えない。
 これもまた、用心棒の不可視の斬撃なのだろう。

 ただし、

「どうということはありませんね」

 手品の種を見抜いた今、なにも問題はない。

 体をひねり、右からの不可視の斬撃を回避。
 続けて、一歩後ろに下がることで、左からの不可視の斬撃を回避した。

「ば、バカな!? 貴様、今のどうやって……」

 必殺の攻撃を完全に見切られたことで、用心棒が動揺した。

 その様子がおかしくてたまらないというように、ソフィアが笑う。

「不可視の斬撃の正体は、じっと見つめないとわからないほどの極細のワイヤーですね?」
「くっ……」
「あなたは剣士ではなくて、糸使い。剣の攻撃は全てフェイクで、糸を操ることこそが本命。なかなかに手の込んだ仕掛けでしたが、種が割れてしまえば大したことはありませんね。所詮は、ただの手品です」
「バカを言うな……俺のワイヤーは、種が割れたからといって、簡単に避けられるようなものじゃない! この技術をみにつけるために、どれだけの年月と努力を費やしたことか……!!!」
「それは、おあいにくさまでした。ですが……私は、これでも剣聖を名乗っていますので。これくらいの手品にやられてしまうほど、脆くはありません」
「くっ、ううう……ぐあああああっ!!!」

 いつの間にか立場が逆転して、追いつめられていた。
 その事実を認めたくないというように、用心棒が獣のように叫ぶ。

 そして、やぶれかぶれの突撃。

 ワイヤーを巧みに操り、全面攻撃をしかける。
 前後左右、上からもワイヤーが迫る、避けることのできない多面攻撃。
 用心棒が持つ最大の必殺技だ。

 これを使い、仕留めてきた敵は数しれず。

 しかし、

「その手品はもう見切りました」
「なぁっ!?」

 避けようのない、多面攻撃。
 逃げるスペースは欠片もないはず。

 それなのに……

 魔法でも使ったかのように、ソフィアは全ての攻撃をかすり傷一つ負うことなく避けてみせた。

 ありえない、と用心棒が目を剥くが、これは紛れもない現実。
 障害をあっさりと乗り越えたソフィアは、用心棒に迫り、剣の腹を痛烈に叩きつける。

 ゴキィッ、と骨を数本まとめて砕く感触。
 その激痛に耐えられるわけがなく、用心棒は意識を手放した。

「ば、バカな……」

 大金を払い、雇った用心棒。
 その力は、自身が知る限り最強。

 それをあっさりと倒されてしまい、ファルツは愕然とした。

 こんなはずじゃなかった。
 邪魔者を排除して、ドクトルに対する覚えを良くする。
 そして、さらに上へ登り、いずれ、冒険者協会の全てを掌握する。

 そんな野望を思い描いていたのだけど……
 ガラガラと夢が崩れていく音が聞こえた。

「さて」

 ソフィアは剣を抜いたまま、ファルツに向き直る。

「ひぃ」

 ファルツは震えた。
 猛禽類と相対しているかのような恐怖。

 いや。
 猛禽類では収まらない。
 竜に睨まれているかのような、そんな圧倒的な絶望感。

 ソフィアはにっこりと笑う。
 ただし、目はまったく笑っていない。

「安心してください、殺しはしません。ただ、フェイトを巻き込み、傷つけようとしたことは許せませ。そしてなによりも……アイシャをひどい目に遭わせようとしたことは許せません。私、あの子のことをもっと知りたいと思っているみたいなので。そんなわけで……聞きたいことや証言してほしいこと、たくさんあるので、殺しはしません。ただ……命以外のものは、色々と諦めてくださいね?」

 ……その後、屋敷中にファルツの悲鳴が響いたとか。
「よし、一階に出た!」

 どこからともなくドクトルの私兵が湧いてきて、なかなか面倒だったのだけど……
 なんとか、一階まで戻ることに成功した。

 そこで、気がついた。

「この音は……」

 この屋敷を中心にして、戦争が繰り広げられていた。

 雄叫びや悲鳴。
 剣と剣がぶつかる音。
 魔法が炸裂する音。

 地下にいたから気づかなかったけど、地上はひどい有様だ。
 魔物の大群に飲み込まれたかのように、屋敷は荒れ果てている。
 それだけの激戦が繰り広げられているのだろう。

「クリフの援軍だよね? よかった、ちゃんと派遣してくれたんだ」

 今までの経験のせいか、もしかしたら……と疑うところがなかったわけじゃない。
 なので、クリフがきちんと約束を守り、ドクトルの不正を暴くために行動してくれたことをうれしく思う。

 できれば、ドクトルも捕まえて貢献したいのだけど……
 でも、ごめん。
 今はアイシャの安全を優先させてもらうよ。

「アイシャ、しっかり僕に掴まっていてね?」
「ん」

 ぎゅっと、小さな手が僕の背中を掴む。

 この手を、もう二度と離したりしない。

 そう誓い、僕達は、戦場と化した屋敷を駆ける。
 廊下をまっすぐに進み、いくらかの角を曲がる。

 ほどなくして玄関ホールに出た。
 あとは、正面ドアから外に出ればいいのだけど……

「やあ、待っていましたよ」

 最後の難関として、ドクトル・ブラスバンドが待ち構えていた。

 その手に持つのは、漆黒の剣。
 その身にまとうは、漆黒の鎧。

 完全武装で僕達の前に立ちはだかる。

「いやはや、やられてしまいましたよ。キミは、これほど大胆な決断はできないと見ていたのですが……やれやれ、私の人を見る目も衰えてしまいましたかな」
「僕が、あなたのような悪人に本気で協力するとでも?」
「私が悪人ならば、キミは協力しなかったでしょう。しかし、私はそこらの盗賊のような悪人ではない」
「……どういう意味?」

 一連の悪事には、ドクトルなりの信念がある、ということだろうか?

「私のしてきたことは、確かに悪事でしょう。しかし、私腹を肥やすために悪事をしてきたわけではないのです」
「なら、なんのために?」
「もちろん、人々の幸せを守るために、です」

 そう言うドクトルは、本気で言っているかのようだった。

「なんの力を持たない人々が幸せになるには、優れた統治者が導いてやらなければなりません。私には、その統治者たる資格がある! 優れた素質がある! 故に、人々の上に立ち、導いていく義務があるのです」
「……まさか、そのために必要なものを手に入れるために、悪事に手を染めた?」
「その通りです。世の中、綺麗事ばかりではやっていけませんからね。上に登るためには、金が必要なのですよ」
「そんな無茶苦茶な……人を幸せにするために、人を苦しめるなんて……」

 なんて矛盾。

 しかし、ドクトルは己のしていることになにも疑いを抱いていないようだ。
 絶対的に自分が正しいと、信じ込んでいる。

 この人は……ダメだ。
 価値観が独善すぎる。
 魔物と同じで話がまったく通じない。

「今回のことで、けっこうな痛手を受けましたが……しかし、まだ挽回は可能。目障りな動きをするクリフを含めて、反逆者を根絶やしにすればいい。そうすれば、私に逆らう愚か者は消える。おや? そう考えると、これはこれで良い機会なのかもしれませんね」
「……」
「そこで、改めて提案するのですが……今からでも遅くはありません。私の元につきませんか?」
「そんな提案、受け入れるとでも?」
「キミには才能がある。あの剣聖を超えるような、とてつもない才能が。殺してしまうには惜しい」
「……」
「そして、その娘を利用すれば、さらなる力を手に入れることができる」
「アイシャを?」
「強くなりたくありませんか? 誰にも負けることのない、絶対の力を手に入れたくありませんか? ならば、私の手を取るのです。さあ、一緒に……」
「断るよ」

 楽しそうにペラペラと喋るドクトルの言葉を遮り、即答した。

 片手で剣を構えて、片手でアイシャをしっかりと支える。

「あなたは、なにか勘違いしているみたいだけど……僕が欲しいのは力なんかじゃないよ」
「ふむ? ならば、なにが欲しいのですか? 金ですか? 女ですか? 名声ですか?」
「あなたには絶対にわからないものだよ。だから、あなたの仲間になるなんていうことは、絶対にない」

 言い放ち、剣の切っ先をドクトルに向けた。

 ドクトルは、無言でそれを見て……
 ややあって、ため息をこぼす。

「やれやれ……私に敵対するとは、なんて愚かな。見どころがあると思いましたが、それは力だけ。心は、とことん未熟のようですね」
「これで未熟って言われるのなら、未熟でいいよ。あなたのような、卑怯で汚い大人になんてならない」
「交渉決裂ですね」

 ドクトルの顔から笑みが消えた。

「存分に殺し合いをしよう……と言いたいところですが、その前に、その娘は背中から下ろした方がいいのでは?」
「その間に、アイシャをまたさらうつもり?」
「そうしたいところですが、あいにく、私の部下は外の相手で手一杯でしてね。ここにはいませんから、安心してください。ただ単に、巻き込んでしまうと私が困るのですよ」

 どうして、ドクトルはアイシャのことを気にかけるのだろう?
 純粋に心配している、なんてことは絶対にないだろう。

 奴隷として扱われていない。
 やけに待遇が良いなど、気になるところはある。

 ただ、それらの謎の解明は後回し。
 今はドクトルという壁を乗り越えることを考えよう。

「アイシャ、部屋の端に机が見えるよね? あそこに隠れてくれないかな?」
「うぅ……で、でも」
「大丈夫、怖がることはないよ。ちょっとだけ待ってて。そうしたら、僕が外に連れ出してあげるから」
「……うん」

 涙目になりながらも、アイシャは僕の背中から降りた。
 何度も振り返りつつも、部屋の端にある机の影に隠れる。

 ひょっこりと顔を出して、こちらを見る。
 すごく心配しているみたいだけど、でも、僕の言いつけを守り、動く様子はない。

 これなら、思う存分に戦える。

「さあ、覚悟してもらうよ!」
「……くっ、ははは、あはははははっ!!!」

 ドクトルが笑う。嗤う。嘲笑う。
 おかしくて仕方ないというかのように、表情を歪ませる。

 その顔は……
 さながら、悪魔のようだった。

「才能があるとはいえ、まだ雛鳥も同然。そのような小僧が、吠えてくれますね」

 ドクトルが剣を構えた。
 瞬間、強烈な圧が吹き荒れる。

「愚かにも私に逆らったこと……煉獄にて後悔するがいいっ!!!」
 ドクトルが力強く吠えた。
 同時に床を蹴り、突撃。

 速い!?

 視認できないというほどじゃないけど、気を抜けば見失ってしまいそうなほどだ。
 ソフィアに稽古をつけてもらっていなかったら、危なかったかもしれない。

「くっ!」

 避けることは難しい。
 雪水晶の剣を盾代わりにして、ドクトルの攻撃を受け止める。

 ギィンッ!!!

 耳に残るような高い音が響いた。
 それと同時に、手が痺れ、吹き飛ばされる。

 なんていう馬鹿力!
 なんとか防ぐことに成功したけれど、完全には無理。
 吹き飛ばされて、体勢も崩してしまう。
 剣を手放さなかったことは不幸中の幸いと見るべきか。

「もう終わりか!」
「そんなことっ!」

 即座に追撃に移るドクトルは、再び、超速の突撃を見せた。

 ただ、それは二度目。
 同じ動きを即座に繰り返すものだから、ある程度、予測することができた。

 横へ転がるようにして回避。
 続けて絨毯を掴み、おもいきりまくり上げる。

「むぅ!?」

 これは予想外だったらしく、絨毯の上に乗っていたドクトルがわずかにバランスを崩す。
 その隙に立ち上がり、剣を構え直す。

「ちょっとちょっと、フェイトってば劣勢じゃない。大丈夫?」

 今まで様子を見守っていたリコリスが、ようやく我に返った様子で、慌てて問いかけてきた。

「正食、あまり余裕はないかな……」
「あたしも、なにかしましょうか?」
「ううん。それよりも、リコリスはアイシャの近くにいてあげて。心細いだろうし……それに、いざという時はなんとかしてほしい」
「……ホントに大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「……信じたわよ。アイシャのことはあたしに任せて、フェイトは、さっさとアイツを倒しちゃいなさい!」

 ふわりと飛んで、リコリスはアイシャのところへ。

 そのタイミングで、ドクトルも体勢を立て直した。

「やりますねえ……高い身体能力だけではなくて、とっさの機転もすばらしい。頭の回転も早く、度胸もあり、応用力も高い。ははは、本当に惜しい。ここで殺してしまうのが、とても惜しいですよ」
「あなたの方こそ、そんなに強いなんて驚きだ」
「言っていませんでしたが、これでも、元Sランクの冒険者ですからね。あの剣聖ほどではありませんが、私もそれなりに活躍していたのですよ?」
「だからこそ、最後は自分で戦う……か」

 厄介な相手だ。

 ソフィアは、僕はSランク相当の実力があると言った。
 そして、ドクトルも元Sランク。

 実力は同じ……じゃない。
 僕は身体能力が優れているだけで、剣の技術、戦闘技術はまだまだ拙い。

 対するドクトルは、どちらの技術もかなり鍛えられている。
 条件次第では、ソフィアに匹敵するかもしれないほどの強者だ。

 身体能力は互角。
 技術は相手の方が上。
 冷静に状況を分析するのなら、ピンチかもしれない。

 それでも。

「今ならまだ、考え直す機会を与えてもいいですが……」
「何度でも言うよ。お断りだね!!!」

 今度はこちらから踏み込んだ。
 全体重を乗せるようにして、右足を前へ。
 そのまま体を傾けるようにして、深く低く駆ける。

 傾けた剣を、下から上へ。
 半円を描くように振り上げた。

「ほう、これはなかなか」

 ドクトルは感心したような声を漏らしつつ、僕の剣を冷静に受け止めてみせた。
 そのままカウンターに移ろうとするが、

「させない!」

 さらに連続で剣を叩き込む。
 技術なんてない、力任せのデタラメな剣技だ。

 それでも、威力だけはある。
 ドクトルは防御に専念せざるをえなくて、カウンターに移ることができない。

 体力はあるから、このまま攻撃を続けることは可能だ。
 この勢いで押し切り、勝つとまではいかないものの、ある程度のダメージを与えない。

 そんなことを思うのだけど……しかし、思い通りにならないのが現実というものだ。

「……はははっ」

 ドクトルが楽しそうに笑い、

「っ!?」

 瞬間、ものすごく嫌な予感がして、僕は攻撃を中断して大きく後ろへ跳んだ。

 なんだろう、今のは……?
 あのまま攻撃をしていたら、なにもわからないままやられてしまうかのような……
 そんな死の予感を覚えた。

「キミは、本当に素晴らしい力を持っているのですね。この私を相手に、持ちこたえるだけではなくて優位に立つとは」
「……負けを認めるのなら、おとなしく投降してくれないかな?」
「まさか。いつ私が負けを認めたと? 負けを認めるべきは、キミの方だ。さあ……最後の警告です。私に下りなさい。でなければ……殺す」
「くっ……」

 思わず背中が震えてしまうほどの濃厚な殺気が叩きつけられた。
 こんな殺気をまとうことができるなんて、コイツ、本当に人間か?

 でも、折れてやるわけにはいかない。
 僕だけじゃなくて、アイシャの運命がかかっているんだ。
 絶対に負けてやるものか。

 言葉を返さずに、代わりに剣を構えてみせた。

「やはり、そうなりますか……惜しいですが、仕方ありませんね。味方になるのなら心強いが、敵になるというのなら、キミはとても厄介な人間だ。ここで確実に殺しておくとしよう」
「できるとでも?」
「ええ、できますとも……この魔剣があればね」

 ドクトルは冷たく笑い、今までずっと腰に下げていた、もう一本の剣を抜いた。

 その刀身は、闇を凝縮させたかのように黒く。
 柄に埋め込まれた宝玉は、血のように赤い。

 そして、まとうオーラは死の匂いを濃厚に漂わせていた。

「魔剣ティルフィング……その力、その身を持って味わうがいい!!!」
 魔剣?
 ティルフィング?

 そんなもの聞いたことがない。
 名前からして、聖剣と似たようなものなのだろうか?

 よくわからないけど、警戒するに越したことはない。
 僕は剣をしっかりと構え直して、ドクトルの動きを注視する。

 注視していたのだけど……

「さあ、死になさい!」
「……え?」

 気がつけば、ドクトルが目の前に迫っていた。

 速いなんてものじゃない。
 時間を止められたかのように、気がつけば目の前にいて……
 彼の動きを目で追うことができない。

 ゴォッ! と斬撃が迫る。

 受け止め……ダメだ!
 そんなことをしたら死んでしまう。

「くぅっ!!!」

 僕は、咄嗟に予備の剣を抜いて、デタラメに、しかし全力で迎撃する。

 予想通りというか、持ちこたえられたのは一瞬だけ。
 予備の剣は負荷に耐えることができず、半ばからへし折れた。

 ただ、ドクトルの斬撃を一瞬ではあるけれど、遅らせることに成功。
 その一瞬で、僕は体を安全地帯に逃がした。

「このっ!」

 逃げに回っていたら、ドクトルを倒すことができない。
 それ以前に、ヤツの攻撃を止めないと。
 このまま一気にたたみかけられれば、そのまま押し切られてしまう。

 そう判断して、最後の予備の剣で斬りかかる。

「神王竜剣術・壱之太刀……」

 ありったけの力を込めて。
 今の自分にできる最大の技を叩き込む。

「破山っ!!!」

 殺してしまうかも、ということを考えている余裕はない。
 全力で挑まなければ、逆こちらが喰われてしまう。

 そんな死の予感があった。

 だから、全力を出したのだけど……

 ギィンッ!

 再び刀身が根本から折れて……
 それだけに終わらず、長年雨ざらしにしたかのように、ボロボロと崩れていく。

 いったい、なにが!?

 理解するよりも先に、ドクトルが動いた。
 口元に冷たい笑みを貼りつけつつ、魔剣と呼ぶ漆黒の剣を振る。

 一撃目は上体を逸らすことで回避。
 続く二撃目は、そのまま体を横に傾けて、倒れるようにして避ける。

 しかし、三撃目。
 こちらは体勢を完全に崩しているため、これ以上、体を逃がすことはできない。

 この剣でもダメだとしたら……!

 半ば祈るような思いで、雪水晶の剣を抜いて、ドクトルの魔剣を受け止めた。

 まるで巨岩を受け止めたかのよう。
 予想以上の圧に押し切られて、潰されてしまいそうだ。
 それでも踏みとどまり、全身の力を振り絞り対抗する。

「こっ……のぉおおおおお!!!」

 両足でおもいきり地面を蹴る。
 さらに上半身を前に倒すようにして、ドクトルの剣を押し返した。

 多大な負荷がかかっているはずなのに、雪水晶の剣はなんとか耐えてくれて……
 かろうじて、ドクトルの剣を弾き返すことに成功する。

「へぇ、なかなかやりますねえ。まさか、魔剣の力を弾き返すとは」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……その剣は、いったい?」
「ふふっ、おもしろいでしょう? 単に切れ味が鋭いだけではない。持ち主に絶大な力を与えてくれる、最強の剣なのですよ。そう、これこそが魔剣!」
「そんなものが……」

 なるほど、と納得する。
 ドクトルは元凄腕の冒険者というが、引退してそれなりの時間が経っているはず。
 日々、稽古をしていたとしても、これだけ戦えるのはおかしい。

 その魔剣が力を与えているのだとしたら、納得だ。

 とはいえ、そんなものがあるなんて、聞いたことがないんだけど……
 ソフィアが持つ聖剣でさえ、持ち主の能力を強化するなんてことはない。

「惜しむべきは、これでもまだ、本来の力を発揮していないところでしょうか」
「それだけの力がありながら、まだ不完全だって……?」

 恐ろしい。
 思わず体が震えてしまう。

 でも、それだけじゃなくて……
 なんとしても、ここでドクトルを止めないと、という気持ちが湧き上がる。

「フェイト、そんなヤツ、さっさとやっつけちゃえー!」

 リコリスの声援が飛んできた。
 不思議なもので、一人じゃないと思い、まだまだがんばろうという気持ちになる。

「ストレングス!」

 体が淡い光に包まれた。
 若干、体が軽くなったというか、力が湧いてくるというか……
 これはいったい?

「身体能力を強化する魔法をかけたわ! 大幅なパワーアップとはいえないんだけど、でも、ないよりはマシでしょ?」
「うん。ありがとう、リコリス」

 これならなんとかなるかもしれない。
 雪水晶の剣をしっかりと構える。

「準備は終わりましたか?」

 ドクトルは、万全の状態の僕を叩きのめしたいのだろう。
 わざわざこちらの体勢が整うのを待っていた。

 ニヤニヤとした笑みは、悪意に満ちている。

 負けてたまるものか。
 こんな男を野放しにしておけないし……
 なによりも、アイシャのために。

 彼女を自由にするため、今ここで、ドクトルの野望を打ち砕く!

「いくぞっ!」

 僕は気合を入れ直して、床を蹴る。
 さきほどよりも早く、鋭く踏み込む。
 二倍……いや、三倍くらいだろうか?

 それくらいの速度でドクトルに迫る。

「はぁっ!!!」

 剣を縦に振り下ろす。
 自分でも、これはかなりものだ、と思えるくらいの一撃。

 しかし、ドクトルには届かない。
 体を軽く動かすだけで、絶妙なタイミング、間合いで回避されてしまう。

 反撃は……ない。

 ドクトルはニヤニヤと笑うだけで、回避に専念していた。
 たぶん、バカにしているのだろう。
 お前の力なんてたいしたことはない、その剣が届くことはない。
 だから、諦めてしまえ。

 そんなところだと思う。

 でも、絶対に諦めてやるものか。
 その余裕、慢心が失敗だって教えてやる。

「ほらほら、どうしたのですか? 私を倒すのでは?」
「倒してみせるよ!」

 何度も何度も剣を振る。

 縦に。
 横に。
 斜めに。
 真正面に。

 ありとあらゆる角度から斬撃……時に、突きや薙ぎを織り交ぜて叩き込む。
 剣筋はデタラメなのだけど、手数は相当なものだと思う。
 これを防ぐことができる人物は、身近ではソフィアしか思い浮かばない。

 それなのに……届かない。
 ドクトルは全ての攻撃を防いでみせる。

「ふむ、悪くない」
「くっ」
「ただ、まだまだですね。その身体能力は恐ろしいとさえ思うが、しかし、技術がまるで伴っていない。なればこそ、この私と魔剣の力に届くことはない」
「……それはどうかな?」
「なに?」

 確かに、僕の技術は拙い。
 ソフィアは身体能力を褒めてくれたけど、剣技については、まだ合格をもらったことがない。

 だから、手数で攻めるしかない。
 がむしゃらに剣を振るうしかない。

 ただ、それだけで勝てるなんて勘違いはしていない。
 手数を増やしても足りないことはわかりきっていたことなので、一つ、罠にハメてやることにした。

 その罠というのは……

「なっ!?」

 ドクトルの驚きの声。
 壁面に設置された巨大な灯りが、ドクトルに向けて倒れてきた。

 僕は、ただ単にがむしゃらに剣を振っていたわけじゃない。
 数撃に一度の割合で、こっそりと壁面に設置された灯りを支える台を傷つけていた。

 そして、ドクトルをそちらへ誘導。
 タイミングを見計らい、台を破壊して奇襲へ導いた……というわけだ。

「この!」

 無論、こんなことで倒せるなんて思っていない。
 ドクトルは魔剣を振り、自分の体ほどもある巨大な灯りを粉々に砕いてみせた。

 なんていう威力。
 なんていう技量。
 素直に恐ろしいと思う。

 ただ……今は隙だらけだ!

「神王竜剣術・壱之太刀……破山っ!!!」

 今の僕が持つ、最大最強の技を叩き込む。

 ゴガァッ!!!

 強烈な破壊音。
 衝撃波が撒き散らされて、土煙が舞う。

 これならば……と思うのだけど、すぐにその考えを捨てた。
 ドクトルは、元凄腕冒険者。
 おまけに、魔剣という得体のしれない力を手に入れている。
 これで終わってくれるような簡単な相手じゃないだろう。

 僕は後ろへ跳んで距離を取る。
 剣を構えて、いつでも動けるように、ドクトルがいた場所を睨みつける。

「……」

 ほどなくして土煙が晴れて……
 無傷のドクトルが姿を見せた。

「うそぉ……」

 あれで終わりとは思っていなかったけど、それでも、多少のダメージは与えたはずと思っていた。
 思っていたんだけど……

 まさか、まったくの無傷だなんて。

 これは……やばい。
 ゾクリと背中が震える。

「……やってくれましたね」

 ドクトルの声には怒りが満ちていた。
 ダメージこそないものの、僕にしてやられたことで、プライドがひどく傷ついたらしい。

 こちらを睨みつけてくる。
 その瞳は殺気が乗せられていて、気の弱い人ならそれだけで失神してしまいそうだ。

「今のは危ないところでした。魔剣の力がなければ、私はキミにやられていたでしょう」
「……できれば、そのままやられてほしかったんだけど」
「それはできない相談ですねえ。しかし……惜しい、実に惜しい」

 ドクトルの怒気がさらに強くなる。

「キミならば、私の片腕となれたかもしれないのに……そんなキミを殺さないといけないなんて」
「くっ……!」
「この私に、一瞬でも恐怖を与えた罪は重いっ!!!」

 僕は勘違いしていた。

 ドクトルは……まだ本気を出していなかった。
 犬や猫を相手にするように、遊んでいただけだった。

 ドクトルの姿が消える。
 あまりの速さで、僕では視認することができない。

 なにもできないまま、なにもわからないまま、僕はドクトルの凶刃を受けて……

 ギィンッ!

「大丈夫ですか!?」

 死角外からの攻撃を、咄嗟に割り込んできたソフィアが受け止めた。
「ソフィア!」

 いつの間にかソフィアの姿が。
 いつ、どのタイミングで乱入してきたのか、まったくわからない。

 ただ一つ言えることは、彼女のおかげで命拾いしたということだ。

「ありがとう、助かったよ」
「いいえ。これくらい、なんてことはありません。それよりも……」

 ソフィアは剣を構えて、ドクトルを睨みつける。

「アイシャをひどい目に遭わせるだけではなくて、フェイトまで手にかけようとするなんて……許せませんね」

 ソフィアが駆けた。

 風よりも……いや、音よりも速い。
 その姿は幻のように消えて……
 次の瞬間、ドクトルの真横に移動していた。

 そして、剣聖による全力の一撃。

 しかし、敵もやる。
 ドクトルは魔剣を盾にして、ソフィアの一撃を受け止めた。
 やや反応が遅れていたが、それでも、直撃は避けられた。

 ゴ……ガァアアアッ!!!

 轟音と共にドクトルが吹き飛び、奥の壁に激突。
 クモの巣のように壁にヒビが入る。

「すご……」

 後ろでリコリスが小さくつぶやくのが聞こえた。
 ソフィアは、ちょっと自慢そうに胸を張る。

「もう大丈夫ですよ。あのような不届き者は、私が退治して……」
「いや……ソフィア、ダメだよ。まだ終わっていない」
「え?」

 ドクトルは体を起こして、軽く頭を横に振る。
 そして、小さな吐息。

「さすが剣聖ですね。今の一撃、なかなかに堪えましたよ」
「私の攻撃に耐えた……?」
「ソフィア、気をつけて。ドクトルは凄腕の冒険者っていうだけじゃなくて、魔剣っていう、恐ろしい力を手に入れている。その正体はよくわからないけど……ソフィアが持つ聖剣に匹敵する力がある、って言っていたよ」
「……なるほど。魔剣というのは初耳ですが、厄介な相手というのは理解しました」

 そう言うと、ソフィアは剣を収める。

 代わりに、聖剣エクスカリバーを抜いた。
 それは、剣聖ソフィア・アスカルトが本当の意味で本気を出すということ。

「フェイトは……」
「もちろん、僕も一緒に戦うよ」

 ソフィアの隣に並び、改めて雪水晶の剣を構える。

「ですが……」
「足手まといにならないように気をつけるから」
「……」
「一緒に戦おう?」
「……はい、わかりました。私の方こそ、お願いします」
「うん」

 僕は弱いかもしれない。
 ソフィアに比べたら、その力は取るに足らないのかもしれない。

 でも。

 一緒にいることで、サポートはできるはずだ。
 それは、現実的な力の問題だけじゃなくて……
 精神的な、心の問題のサポート。

 思い上がりでもなんでもない。
 あえて断言する。
 僕と一緒に戦うことで、ソフィアは、さらにパフォーマンスを上昇させることができるはずだ。

 それが、僕とソフィアの絆だ。

「二人でいきましょう」
「うん」

 ソフィアと一緒に床を蹴る。
 僕は右から
 ソフィアは左から。
 ドクトルを挟み込むようにして、突撃した。

「ふんっ、甘いですねぇ! 甘い甘い甘い!!!」

 ドクトルは魔剣を真横に構えて、僕とソフィアの同時攻撃を受け止めてみせた。
 僕はともかく、本気のソフィアの攻撃を受け止めるなんて……

 これは、思っていた以上の強敵かもしれない。
 厄介な相手という認識はあったけれど、まだまだ足りず……
 もっと上方修正した方がよさそうだ。

 一度、ソフィアと揃って距離をとる。

「ソフィア。ドクトルは、自分より上と考えた方がいいかもしれない」
「それほどの相手なのですか?」
「少なくとも、僕よりは圧倒的に上。あの魔剣がものすごく厄介で、とんでもない力をドクトルに与えているんだ」
「……わかりました。手加減抜き、本気でいきます」
「うん、がんばろう」

 作戦会議といえば、それくらい。
 細かい打ち合わせをしても、ドクトルほどの強者だとあまり意味がない。

 予想外の攻撃が飛んでくるだろうし、とっておきの切り札を隠しているはず。
 臨機応変に対応するしかないのだ。

「はぁあああ!!!」

 最初にソフィアが斬りかかる。
 剣聖の力を乗せて、さらに、聖剣エクスカリバーの痛烈な一撃だ。

 さすがに、これを避ける術はない。
 ドクトルは魔剣を横に構えて、ソフィアの攻撃を受け止めた。

 そのタイミングで僕はドクトルの横に回り込み、脚を斬りつける。

 ガッ!

 手が軽く痺れる。
 剣は鎧に弾かれてしまうが……
 それでも、ある程度の傷をつけることができた。

 致命傷でもないし深手でもない。
 軽傷。
 それでも、小さな痛みが動きを阻害することもある。

「フェイト、一緒に!」
「うん!」

 ソフィアがドクトルを吹き飛ばす。
 ソフィアは駆けて、追撃をしかける。
 僕もそれに合わせる。

「神王竜剣術……」
「壱之太刀……」

 同時に剣を繰り出す。

「「破山っ!!!」」