内々に教会での誓約を済ませ、婚約公示も秒読みだろうということは社交界にも知れ渡っていたらしく、久しぶりに会った友人に祝福の言葉をもらう中で、ローゼリアは遅れてやってきた婚約者の姿を目に留めた。
 それから気を利かせた友人に追い立てられるように、タキシード姿のエリックのもとに行く。エリックはすぐにローゼリアに気がつき、頭を下げた。

「遅れてしまい、申し訳ございません」
「いいえ。問題ありません。お仕事、大変そうですね」
「ええまあ。ちょっと今、新しい販路を開拓している関係で、いろいろ調整しているところでして。――ダンスにお誘いしても?」
「喜んで」

 ちょうど、曲調がスローテンポのワルツに変わったところだ。フルートが春の風を呼び込み、バイオリンが芽吹く若葉を表現するように軽やかな音楽を奏でてている。手を繋ぎ、アイコンタクトで示し合わせ、同時にダンスの輪に入っていく。
 二人きりになったところで、エリックは申し訳なさそうに眉を下げた。

「姫様……いえ、ローゼリア様」
「今のわたくしに様付けは不要です、エリック様」
「立場が変わっても、あなたはわたくしにとって、生涯守りたい姫君であり、主君です。これだけは譲れません。それに、二人きりのときならば問題ないでしょう?」

 まるで許されるのがわかっているような確認に、ローゼリアは飼い犬に噛まれたような複雑な気持ちになった。

「もしかして、根に持っていますか?」
「何のことでしょう?」

 すっとぼけた様子で聞き返す婚約者の顔は晴れやかだ。

「……わたくしが、あなたとの婚姻に根回しをしたことについてです。あなたにはほとんど事後承諾のような扱いになってしまいましたから」
「私の姫様は優秀でいらっしゃる。それを見事、証明してくれましたからね。驚くなというほうが無理があります。ですが、主の成長は臣下として喜ばしく思っているのも本当ですよ」
「……本音は?」

 尋ねると、片手を外されて、くるくると回転させられる。と思ったら、背中に手を回されてぐっと抱き起こされた。離れていた距離が一気に縮まり、あやうく呼吸が止まりそうになった。
 その反応がおかしかったのか、エリックはふっと笑みを浮かべた。
 頬を膨らす隙すら作らせずに優雅にエスコートされるまま、会場をステップを踏みながら移動していく。他のダンス客とぶつからないように誘導されている中で、エリックがゆっくり口を開く。

「いつか、ローゼリア様をあっと驚かせてやりたいと思っています」
「……そうですか」
「こんなことを思う私は不敬でしょうか?」
「いいえ。前世の記憶がある以上、主従関係はそう簡単に変えられないということはわかりました。ですが、そのくらいなら許容範囲でしょう。だって、今のわたくしたちは婚約者なのですから」