ふわふわとした気分のまま帰宅したローゼリアを待っていたのは、そわそわと落ち着かない様子で出迎えてくれた父親だった。
 お金は領民のために。それを家訓にしたヴェルディ子爵家は貧乏ではないが、贅沢な暮らしとはほど遠い、質素倹約を体現した生活を送っている。無駄な出費を嫌い、王都での社交も必要最低限のみ。それが当たり前だったから、よそはよそ、うちはうちと割り切って生きてきた。
 当然ながら、使用人の数も普通の家よりずっと少ない。
 自分でできることは自分でする。幼い頃から言われてきたローゼリアは身の回りのことは一通りできる。
 滅多にないが、お茶会や夜会を主催する際は臨時使用人を雇う。それで回ってきたのだ。何人もお世話係がいるような、お姫様のような生活なんて自分には縁もない。そう思ってきたが。

(信じられないけれど、わたくし、本当に前世ではお姫様だったのね……)

 不意に、先ほどの求婚の言葉を思い出し、ボンッと火を噴いたように顔が熱くなる。

「――ローゼリア?」
「は、はい」

 父親に目を合わすと、呆れたように目を細められた。
 紅茶を淹れたティーカップをソーサーに戻し、父親がテーブルにソーサーごと戻す。

「その顔は聞いていなかったね」
「ご、ごめんなさい」
「では、もう一度言うが……お前に婚約者ができた」

 寝耳に水の言葉に、さっきまで一喜一憂していたローゼリアから一切の表情が抜け落ちた。

「は……?」
「カレイド侯爵令息のレイモンド殿だ。お前も噂ぐらいは聞いているだろう?」

 それは社交界にデビューしている者なら、一度は聞く名前だ。
 二十歳になったレイモンドはデビュタントを済ませたばかりの淑女だけでなく、未亡人のご婦人の心までとりこにする美貌の紳士だ。

「ちょっと待ってください。レイモンド・カレイド様ですよね? 彼なら女性に困る人ではないでしょうに、どうして……よりによってわたくしに……」
「そこなんだがな、私にもわからないんだ。接点はなかったと思うんだが」
「記憶が確かなら、一度話したことがあるかないか、ぐらいだったはずです」
「だがカレイド侯爵直々に頼まれて、うちが断る理由もない。顔合わせを兼ねて、来月、我が家にレイモンド殿が来るらしい」

 あくまで彼は鑑賞用だ。
 まかり間違っても、彼の妻の座を狙うなんて、おそろしい行動をしてはならない。そんなことをしては、余計な恨みを買うことは明白だからだ。

「…………我が家に拒否権は?」
「無論、ないに等しいな。向こうは名門侯爵家、うちはただの子爵家だし」
「ですよね……」

 遠目になったローゼリアは窓の外に視線を向けた。
 屋敷からよく抜け出す飼い猫がメイドに抱っこで連行されていくのを見つめながら、三日後に返事を言うことになっているエリックになんと説明すればいいか、脳内議題は早くも詰んだ。