◇◇
木本 朱里。
彼は、俗に言う、一匹狼だ。
見かける姿は、たいてい独り。話しかけても、ひとことふたこと返答して終わり。必要以上に関ろうとしない。だから友だちもいないし、作る気配すらない。単独行動を好んでいて、どこか冷めた面持ちをしている。
はじめこそ先輩後輩問わず多くの女子がアプローチをかけていたが、最近ではすっかり“みんなの目の保養”という認識が浸透してしまった。
2年生に進級しても誰ともつるまずに孤高に過ごす彼を、ひそかに鑑賞して、
「クールだね」
「かっこいいね」
と、はしゃぐ女子の姿は、さながらアイドルを応援するファンのよう。
無愛想な態度を、クールでかっこいい、と。
たしかに聞こえはいいけれど。
だけど。
ちがって見えるのは、わたしだけなのだろうか。
「まひるーんー」
慣れ親しんだチャイムとともに背中をどーんっと押された。上半身が前方にかたむく。みぞおちあたりに机が食い込み、痛みはないが若干苦しい。
みぞおちの感覚をさして気にもとめずに、上半身を立て直しながらこしを回す。右ひじをうしろの机につく。右うでをうしろの席の住人にわしづかみにされた。
「まひるん! テストどうだった!?」
うしろの席の住人は、見るからに焦っていた。
右うでを包む両手は小さく、真っ白で、か弱そう。なのに、握力は人一倍強い。きれいに磨かれた丸っこい爪には、わずかに赤みが帯びている。
みぞおちより、右うでのほうが苦しい。そのうえ、ぶんぶん振り回すものだから、神経への刺激が大きい。
荒ぶるな。落ち着きたまえ。
「ひよりん、まずはわたしの右うでを解放してあげて」
「あっ、ごめんごめん」
はっとして、小さな手が離される。空っぽになった手のひらの中に、指先がゆるやかにしまいこまれていく。右も左もぎゅうっと握りしめられると、「うぅ~~」とうなり声を上げた。
落ち着こうにも落ち着けないみたいだね。
先ほどのチャイムで午前の授業は終了。教室は一気ににぎやかになった。待ちに待った昼休みだというのに、空気がどんよりしているのはうしろの席だけ。
「テスト、むずかしくなかった!?」
「うーん、まあまあかな。ひっかけは多かったよね」
「え。まあまあ!? あれで!?」
どんどん落ち着きがなくなっている。ガーンという効果音がぴったりのリアクションをとったかと思ったら、今度はわかりやすくふてくされた。
握りこぶしを交互に振り、机の表面を殴る。ドンッドンッと太鼓を打ってるような勢いがある。しかし昼休みモードの教室では、虫の音も同然だ。
つい先ほど実施された、英語の小テスト。今回はリスニングではなくライティングだった。これまでの授業の復習のため、基礎的な文法問題、長文読解、英訳和訳が1枚のプリントにびっしり出題されていた。
簡単ではなかった、と思う。
長文読解と和訳の問題には数か所ひっかけがあった。この落とし穴にはまってほしいんだろうなあ、と教卓のほうを見やると、案の定先生がニヤニヤしていたっけ。
教室内にはわたしたち以外にも、小テストの話をしているクラスメイトが複数人いた。そのほとんどがひっかけ問題の答え合わせをしている。先生のしたり顔が目に浮かぶ。
「さすが優等生はちがうね……」
「優等生て」
たしかに真面目ですけど。
テストの結果だけで言えば、成績もいいほうですけど。
二階堂先生が聞いたら鼻で笑われそう。本物の優等生だったら、ことあるたびに先生に捕まったり叱られたりしないんじゃなかろうか。
学力に秀でてるいだけなら優等生じゃない。言うことも聞いてくれる、素直ないい子ちゃんじゃないと務まらない。今のわたしには不適合な配役だ。
「ひよりんはだめだったの?」
うしろの席の住人も、落とし穴にはまった一人らしい。
名前は、天童 晴依。
あだ名は、ひよりん。
中学生に間違われることのある童顔は、動物でたとえると、犬。犬種でいえば、ビジョン・フリーゼ。胸元まで伸びた明るい栗色の髪の毛が、ふわふわでくるくるなところも面影がある。
ちなみにヘアアレンジは毎日変えていて、今日は高めのツインテールだ。
本人いわく、ベビーフェイスと天然パーマがコンプレックスらしい。わたしにはかわいらしい特徴であり圧倒的長所としか思えない。
席が前後というありきたりな出会いだった。
入学式の日から、わたしは髪型と制服の着方を自己流にして登校していた。異彩を放っていた存在を、二階堂先生でなくとも前任の先生も留意していた。クラスメイトのほとんどが探り探りだった。
『そのヘアアレンジかわいいね!』
ひよりんだけだった。出会いがしらにわけへだてなく声をかけてくれたのは。
飼い犬みたいに人懐っこい笑顔を向けてくれた。
うれしかった。ちょっと泣きそうになったくらい。
それをきっかけにまたたく間に仲良くなった。わたしはまひるん、晴依はひよりん。あだ名をそろえてニコイチ感。わたしがクラスで浮かなかったのは、ひよりんのおかげもあるかもしれない。
「だめだった、かも……」
ドンドン叩いていた握りこぶしは、いつの間にか机にぴったりくっついていた。ひよりんのおでこも机に吸い寄せられ、一瞬にして突っ伏してしまう。
そうとうボロボロだったんだろう。そういえば小テスト中、うしろの席からはシャーペンの走る音はあまり聞こえてこなかった。
ひよりんは特に英語が苦手だ。
今回の小テストの結果が40点以下だった場合、先生から補習用の課題を言い渡される。そのことを前回の授業で忠告されていたため、ひよりんは今日の小テストを恐れていた。今朝なんて単語帳を読みながら登校してきたくらいだ。
「今日気合い入れてきたんでしょ?」
単語帳だけでもびっくりしたのに、勝負服を着てきたのだとも豪語された。いつもと心がまえがちがうのは明らかだった。
白いワイシャツではなく、小さなアルファベットがたくさん刺繍されたシャツ。遊び心のあるカジュアルめなその服は、ひよりんのお気に入りの一着だという。かわいいでしょう、と自慢げに見せびらかしていた。
あの満ちあふれていた自信は、今では影も形もない。心なしかシャツにしわが増えたような気さえしてくる。せっかくの気合いが見るも無惨に散っていった様を、こうもありありと目の当たりすることになるとは、今朝の時点ではまったく思いもしていなかった。
「……山を張ったところがほどんど出なかったの」
「あー……なるほどね。賭けに出ちゃったのね」
「だって、そうするしかなくて……」
「次は一緒に勉強しよ。わからないところは教えるから」
苦手ながらがんばったんだね。だからそんなにしょぼくれてるんだね。次回こそ報われるようにわたしもサポートするし、応援もするよ。
机に張り付いたツインテールの頭をよしよしとやさしく撫でてあげると、栗色の頭がようやく起き上がる。ひよりんの眉尻と目尻が、大きく垂れ下がる。今にも泣き出しそうだ。
「まひるんんん〜〜! らぶ〜〜!!」
「あはは。わたしもらぶだよひよりん」
机を越えて抱き着かれた。熱烈なラブコールがくすぐったくて、もう一度頭を撫でながら破顔する。ひよりんの暗かった表情も明るくほころぶ。
ちょっとは元気が出たようで安心した。さらにぎゅうっと抱きしめる力が増し、わたしの笑い声が教室に響く。
ついでに、わたしのおなかの虫が鳴く声も。
ごまかしきれない音だった。化け物の慟哭のような鳴きぐあいに、わたしとひよりんは顔を見合わせてぽかんとする。一拍置いて、同時にくすっと噴き出した。
「おなか空いたね、まひるん」
大きくうなずいておなかをさすれば、ひよりんはまた笑った。ひよりんの腕がほどかれ、わたしは立ち上がる。
「購買行こうよ」
「あれ? まひるん、今日はお弁当じゃないの?」
「うん。今日は購買の気分なの」
「へぇー、めずらしいね」
これまでずっとお弁当生活だった。購買を利用したことはあれど、文房具や飲み物がほとんどで、ちゃんとした昼食を買うのは初めてだ。
ずっと興味はあったものの、購買意欲とは比例しなかった。昨日の木本くんの影響で、わたしもアメリカンドッグを食べなければならない使命感に襲われなければ、今日もお弁当だっただろう。おそるべし、木本くん効果。
ひよりんはお弁当と購買の二刀流派。主食は持参して、おかずは購買で選んでいる。先週は、用意してきた太めのパスタを、購入したトマトスープに入れて食べていた。アレンジの仕方が食欲をそそるうえにおもしろい。
購買はすでににぎわっていた。教室ひとつぶんよりせまいスペースは、人でごった返している。制服に埋もれながらもスーツ姿もうごめいている。完全に出遅れた。
焼き立てのパンのにおい。揚げ物のレパートリーの豊富さ。カロリー控えめに作られた甘味の見栄えの良さ。ここまで混むのもうなずける。まだ食べてもいないのに早くもわたしの胃袋はつかまれかけている。
じゅるり。
空腹時にこれは……殺傷力が高すぎる!
「まひるん何食べる?」
「アメリカンドッグ!」
これだけは外せない。このために来たんだ。
この戦場のなか、アメリカンドッグを狩りに行ってやる! わたしのアメリカンドッグにかける思いは、そんじょそこらとはちがうんだ!
購買に来て、やる気スイッチがオンに切り替わった。メラメラと燃え上がる。ひよりんがやや引いている気がしないでもないが、気にしないでおく。 戦闘時には集中力を欠くのは禁物だ。
「アメリカンドッグ好きなんだ?」
「ううん、特別好きではないよ」
「え? そんなぎらついてて?」
ほら、たまにあるでしょ? 好物じゃないけど定期的に食べたくなるもの。それがまさにアメリカンドッグなのです。
今わたしがとてつもなくぎらついて見えるなら、それは木本くん効果に加えて腹ペコだからだろう。このおなかの虫が早く早くと高カロリーを求めてる。
「昨日木本くんが食べてたから、わたしも食べたくなって」
「へぇ〜??」
ひよりんの頬肉がふやけていく。はーん、ふーん、ほーん、と、は行を駆使したあいづちをしながら、じりじり近づいてくる。細い両うでがわたしのうでに巻きついた。横目にうかがうと、シャツの「H」の文字にピントが合って、反射的に目をそらした。
これから何を言おうとしているのか、エスパーじゃなくたってわかるよ。
「まひるんって〜、木本朱里のこと好きなの?」
「好きと言えば好き」
「ははっ! 素直ー!」
楽しそうな笑い声は、購買の活気のいい騒がしさに吸収されていく。わたしのおなかの虫もここでならたいして目立たない。
わたしが質問を察したように、ひよりんも返答を察していたんだろう。だってひよりん、今世紀最大にニマニマしてる。
校内で木本くんを見かけるたびに気にしていたことを、ひよりんが気づいたときも、今みたいに直球で尋ねられた。
昨日突然『屋上で食べない?』と誘ったときもそうだ。ついおとといまでは、ひよりんと教室で昼食をとっていたが、理由を話せば、十八番のは行のあいづち付きで遠慮されてしまった。
3人でごはんも楽しいのに。そうつぶやいたら、『2人だからい〜んじゃ〜ん』と意味深にほほえまれたっけ。
「まひるんのそういうとこ好きだなあ」
聞きたいことを聞いて、感情をそのまま表すひよりんもたいがい素直だと思う。わたしとはちがう素直さを持ってる。かわいいな、と思う。
取り繕わず、いつだって自然体なひよりんが、わたしも好き。
たぶん、わたしたちって素直同士だから、一緒にいて楽だし、楽しいんだろうね。
「アメリカンドッグはあそこだよ」
行列のできたレジの横にあるケースを指さした。その中にきつね色の表面が見える。あとふたつ残っていた。
あ、たった今、ひとつ売れてしまった。残るは、あとひとつ。
ラスイチをゲットするのはこのわたしだ!
気合いを入れてから人の波に突っ込んでいった。足を踏み入れると人口密度による熱気を浴びた。この戦がどれだけ大変なものなのかを痛感する。明日はいつもどおりお弁当にしようと、たった今決めた。
アメリカンドッグ以外はまたあとで選ぶとして、とりあえずは目先のものをゲットすることに専念しよう。二兎追うものは一兎も得ずっていうし。
レジの横のケースはセルフで機能しているらしい。ケースの中身はすべて揚げ物。アメリカンドッグのほかには、から揚げとメンチカツが残っていた。どれもおいしそうで、おなかがぎゅるると鳴る。しかもすべて90円という破格の値段。安い。買った。
最後のひとつを厚紙に包むと、油がじわりとにじんだ。ずっしりとした重みからほんのり甘い香りがただよう。瀕死なりかけの胃袋になぐりかかりにきてる。受けて立つまでもなく白旗を上げましょう。
今日はとことんカロリー高めのオンパレードでいく。そう決めたが早いか、目についたものを手に取っていた。
主食は、鶏の竜田揚げをはさんだライスバーガー。デザートは、ホイップクリームとカスタードクリームをふんだんに詰めこんだシュークリーム。
不健康なラインナップに満足感を得てしまう。
太ると思わなければ太らない。
今日の合言葉はこれで決まり。
ほくほく顔でレジの列の最後尾についた、そのときだった。
「朱里、てめぇ!」
怒号が廊下中を駆けめぐった。にぎわう空気感を一掃させ、あの購買がしんと静まる。
精神をまるごと持っていかれた。聞き覚えのある声だった。
だけど。
それよりも。
あの声は、たしかに。
――シュリ、って。
購買のすぐ横からだ。密度の濃かった人の波が引き寄せられていく。早くも人だかりができ始めていた。わたしの5人前に並んでいたひよりんも、とんかつのパック片手に列を抜け出す。
気づいたらわたしの足も向かっていた。
「いつまでそうやって無視するつもりだよ!」
野次馬をかき分け先頭に躍り出ると、中心には木本くんがいた。黒色のカーディガンがベストに様変わりしてる。
ひじあたりまで折られたワイシャツからのぞく、太いうで。それを力強くつかんで離さない、坊主頭の男の子。
あれほど叫び散らされても、木本くんは口を開こうとしない。青緑色の血管が浮き出た手をにらみつけ、離せ、と訴えている。つかむ手は弱まるどころか力んでいった。
坊主頭の男の子は、震えていた。
木本くんと対峙してる彼はきっと、野次馬がいることも、語気をどれだけ荒げているのかも気づいていない。
必死だった。木本くんに真っ向から、言葉を、思いを、届けようとしてるんだ。
「勝手に、やめんなよ。ぜんぶ捨ててんじゃねぇよ」
「…………」
「あれはおまえのせいじゃねぇって、何度言やわかんだ」
あぁ、そっか。木本くんにも友だちがいたんだ。
こんな状況だというのに安心してしまった。
ずっとひとりぼっちじゃなかった。一緒にごはんを食べる人がいた。そのすべてが過去形なことに、また、かなしくなる。
そっか……。木本くん、ぜんぶ捨てちゃったんだ。
「怖がってないで戻ってこいよ」
うでをつかんでいた手を下ろした代わりに、反対の手が木本くんの左胸に伸びた。その手には真っ白な入部届が握られている。ぺち、と二つ折りの紙がベストの上に当てられる。
『野球部』
いちばん上の欄だけ、ご丁寧に記入されていた。わたしのところからもはっきりと見えるくらい大きく、明瞭で、しかしお世辞にも上手とは言えない。
油性のマジックペンで書かれたようだった。一心不乱に強気な文字とは裏腹に、骨ばった手はやっぱり震えている。力をこめすぎて、紙の表面にくしゃりとしわが寄る。
「なあ、朱里」
「…………」
木本くんは入部届から視線を上げていく。ふと目が合った。
ぜったい、わたしと、目が合った。
アメリカンドッグの油が、手のひらの汗に混ざっていく。
黒い瞳はわたしを見つけたとたん、わかりやすく揺れ惑った。1秒も経たずに背を向けられる。坊主頭の男の子からも、一歩距離をとった。
届けても届けても、ひとことのお返しもない。
きみはまだ、一度だって届けようとしていない。
「朱里!」
大声で呼ばれても振り返るどころか遠のいていく。
距離が開くにつれ、野次馬はざわつき、気だるげな上履きの音をかき消した。
行き場を失った入部届は、くしゃくしゃに丸められ、うでごとだらんと垂れ下がる。坊主頭の男の子の背中も丸まっていった。
しだいに人だかりが散っていく。ぽつんと取り残された坊主頭の男の子が自分と重なる。わたしも動けずにいた。お昼ごはんは冷めてしまったかもしれない。
「追いかけなくていーの?」
この場にそぐわない、ふわふわなわたがしみたいな声音に、感傷まがいな情を吹き飛ばされた。
隣ではひよりんが首をかしげていた。ちゃっかりレジを済ましたあとだった。いつの間に、とつっこみたくなる。
その問いかけは、わたしになのか、それとも。
反射的に坊主頭の男の子が背中をぴんと張り、振り向いた。びっくり仰天!なんてテロップが見えるくらい、いい反応をしてくれるものだから、ひよりんがこらえきれずに噴き出してしまう。
「晴依、田中も……。い、いたのか」
「いたよーう。さっきまであたしたち以外にもたくさんいたよー」
「まじかよ……」
本当に、野次馬の存在には1ミリも気づいていなかったらしい。にぶいというか、集中しすぎていたというか。長所であり短所でもあるよね。
小野寺 朝也。
同じクラスで、ついでに言うとひよりんの隣の席の住人だ。英語の授業中、たびたびひよりんを助けてあげている。
本人はこっそりのつもりだけれど、実は周知の事実というやつで。苦労性でおせっかいなイイヤツだって、クラスのみんな思ってる。
思っているからこそ、おどろいたんだ。あの小野寺くんが、周りが見えなくなるほど感情的になっているだなんて何ごとだ、って。
駆けつけて、すぐ、なっとくした。小野寺くんはやっぱり、苦労性でおせっかいなイイヤツだった。木本くん用の入部届をわざわざ用意していたところなんか特にそう。
「朝也なら追いかけると思ってた」
「うん、わたしも」
「まひるんは追いかけないだろうなって思ってたよ」
「うん、コレ買ってないしね」
「あー、それもそうだねー」
アメリカンドッグとライスバーガーとシュークリームを抱えたまま追いかけたら、いくら安いといえど万引きになってしまう。犯罪、だめ、ぜったい。これから購買出禁とか笑えないし。
でも、たぶん、買ってたとしても、追いかけなかった。
追いかけなくても、どうせ会える。
会いに行く。
「朝也って、木本朱里と知り合いだったんだね。木本朱里が野球やってたってうわさ、本当だったんだ」
「あ、ああ。中学んとき、チームメイトだった、けど……」
小野寺くんはクラスで唯一の野球部員。朝練後はいつもショートホームルームが始まるぎりぎりに教室にやってくる。早朝から汗まみれになって忙しそうでも、表情はいつだって輝いていた。
木本くんもそんなころがあったのかな。あったんだろうな。
木本くんの坊主姿か。想像つかないなあ。というか、野球部だからって坊主なわけじゃないよね。うちの野球部は伝統というか、ジンクスのようなものに願かけして坊主を推奨してるんだとかどうとか。
「木本朱里って昔からあんなスカしてたの?」
「全っ然。あいつは……」
「ああっ、待って!」
あわてて耳をふさごうとするも、うでの中には高カロリーな昼食たちがいて、覆えてもせいぜい左耳のみ。これじゃあ右耳が無防備なままだ。不可抗力で聞こえてしまう。
はたから見たら奇行とも取れる行動に、ひよりんと小野寺くんはそろってふしぎそうにする。結果的に話をさえぎれたから、おーるおっけーだ。
「……? まひるん何してるの?」
「わたし、木本くんの話は、本人から直接聴きたいの」
話してくれるか、わからないけれど。
いつ聴けるのか、わからないけれど。
伝えたいし、聴かせてほしいの。
ふふふ、とひよりんはのどを転がしたような笑みをこぼした。栗色のツインテールをおどらせながら、下からわたしの目をのぞきこむ。必然的に仕組まれた上目遣いは史上最高にかわいい。
「まひるんてば、ほーんと、真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐだねえ」
きっと、わたしのこれも、長所でもあり、短所でもあるんだろう。
だけどひよりんにほめられたからいいの。どっちもならいいほうだと思っとく。わたしは今のわたしが史上最高に大好きで、友だちもそれを認めてくれているから、それでいいの。
それでも木本くんは、難儀だな、と吐き捨てるんだろう。そしたらわたしもまた、きみもでしょう、と苦笑してあげる。
ふふふ、えへへ、とピースフルな世界にひたっているなか、小野寺くんだけはいまだに知恵の輪をうまく解けないような小難しい顔をしている。何も事情を知らないのだから当然だ。
「田中、あいつと仲いいんだ?」
「ううん、今歩み寄ってるところ」
「歩み寄る?」
「そ。仲良くなりたいんだ」
もしかしたら、今もわたしは、ぎらついているのかもしれない。そう思うほどには好戦的に一笑した自覚がある。
仲良くなりたい人が、かたくなに壁を作るからいけないんだ。あきらめのわるいわたしには、逆効果であることを思い知らさなければいけない。突き進んで壁をぶち壊せるなら、ケンカのひとつやふたつくらいしてもいいとさえ思っている。ケンカするほど仲がいいってやつになれるかもしれないでしょ。
小野寺くんは意外だと言わんばかりに目を瞠った。思い出したように入部届を見つめる。
真新しかった用紙には、何重にも折り曲げられた線がくっきりとついていた。いちばん上に記入した自分の字を見返すと、口角を軽く持ち上げた。
「じゃあ、おれと一緒だ」
「そうだね、一緒だ。同志だね」
「あっちから来てくれたら、いちばんなんだけどな」
「歩み寄っても逃げてっちゃうしね」
「なんだか猫みたい」
ひよりんの発想はあながちまちがってない。たしかに、と、わたしと小野寺くんはうなずき合った。
木本くんの話題でこんなに盛り上がっていることを、当の本人は知るよしもない。それが少し、さびしい。