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真っ黄色のお弁当箱。
その中には少し焦げた黄色。

しょっぱく味付けしたたまご焼きを、お弁当箱とセットの同色の箸でつまみ上げた。




「なんでいるんだよ」




大きく開けた口にたまご焼きがゴールインする直前、うしろからやつれた声に制された。


はしごをよじ登ってきた木本くんが、げんなりとした顔でこちらをにらんでいた。給水塔エリアに立つと、お弁当を広げて座っているわたしを見下ろす形になる。この美の圧はむさ苦しくない。影ができてちょうどいい。




「さっひふりぃ」




さっきぶり。たまご焼きを放り込んだ口をもぐもぐ動かしながら手を振った。のほほんとしたあいさつは圧を無効化するのだ。木本くんは出鼻をくじかれたように拍子抜けする。


ショートホームルーム前は朝の涼しさを感じた屋上は、正午になると日が照ってあたたかい。透明だった光は、どこか黄色みを帯びているよう。ひなたぼっこするには持ってこいだ。

たまご焼きも光の効果で黄色がよりきれいに見える。気がする。うん、気がするだけ。焦げた部分はなかったことにならない。




「木本くんはたまご焼きはしょっぱい派? 甘い派?」


「なに世間話始めようとしてんだよ」


「え、だめ?」




首をかしげる。木本くんの顔のパーツが中心に寄った。反論しようとし、ペースに呑まれるのを恐れ、口を引き結ぶ。隣に腰を下ろした。隣といっても、距離はだいぶ開いているのだけれど。


木本くんの右手首にぶら下げられていたビニール袋から、本日のお昼ごはんが出てくる。カレーパンとチョコデニッシュとアメリカンドッグ。そして、紙パックのオレンジジュース。


おっ! つい歓喜が顔を出す。『オレンジ100%』と刷られた長方形を、木本くんに見せつけた。

実はわたしもここに来る前に買ってきたんだよね。一緒だ。おそろいだ。わーいわーい!

あからさまにテンションを上げてみたらうっとうしがられた。




「ここの購買って、アメリカンドッグまで売ってるんだ?」




ピーマンの肉ずめをよく噛んで飲み込んだあと、木本くんが手にしたアメリカンドッグを横目に世間話をかたくなに繰り広げていく。

一度や二度うっとうしく思われたって、そうそうへこたれませんよ。




「……売ってる、けど」




わたしはお弁当派だから、あんまり購買を利用したことがない。市販のお弁当やパンは見かけるけれど、アメリカンドッグまで売られていたとは。わりとメジャーなのか?


ふっくらとしたきつね色は、ほんのりとした甘みと香ばしさをまとっている。ケチャップのついたところを、がぶりと豪快に頬張った彼に釘付けになってしまった。


誰かが食べているとどうしてあんなにもおいしそうに見えてくるのだろう。最近アメリカンドッグを食べていなかったせいもあるかもしれない。

よし、今度買おう。今度と言わず、明日食べよう。決まり。




「けど、だから、あー……あのさあ」


「ん?」


「なんでおれはあんたとメシ食ってんだよ」




木本くんはあぐらをかいてる足に左ひじを置き、左手で頭を抱えた。一度飲み込んだ疑念を消し去るのは、存外難しかったらしい。

右手のアメリカンドッグが、頭の欠けた状態で垂れ下がっている。




「木本くんはここでひとりで食べてるのかなって思って」




そしたら、ビンゴ。

案の定、きみは来た。


だから、わたしも、ここに来たの。




「ひとりよりふたりで食べたほうがおいしいよ」




わたしはひと口でミニトマトを食べた。みずみずしい甘さが口の中に満ちていく。状況に思考が追いついていない木本くんの隣で、それはそれはおいしそうにほっぺを落とした。


青い空の下。解放的なひなた。見渡せる町並み。お弁当箱とパンとジュース。これだけ条件がそろうと、ピクニックをしている気分になる。こうやって隣合って駄弁ってるだけで、食感や味覚がやさしくなっていく。


木本くんくんはどう? そのアメリカンドッグ、いつもよりおいしく感じない?




「あんたこそ食べるヤツがいねぇんじゃねぇの」




刺々しく言ってすぐ、木本くんははっと口をつぐんだ。罪悪感のにじむ視線をさまよわせる。ゆらゆら揺れに揺れて、最終的にはポツンとたたずむ紙パックに着地した。

きれいな横顔が曇っていく様を見届け、ふ、と笑みを浮かべる。それに気づいて木本くんがこちらを一瞥した。




「いるよ? でも木本くんと食べたかったの」




至って平然としているわたしに、曇りが晴れていく。木本くんに向かってほほえめば、そっぽ向かれてしまった。



クラスメイトはわたしのことをわかってくれている。クラスは持ち上がりで、1,2年は名簿の入れ替えがない。必然的にわたしのクラス、2-6とは、かれこれ1年とちょっとの付き合いになる。


田中まひるが不良だといううわさを今朝まで知らなかったのは、クラスメイトがそういうレッテルを貼ってないからだ。



入学当初は、多少なりとも様子をうかがわれていた。


新しい環境に身を置いたら、そうなるのはおかしいことじゃない。わたしもそうだった。距離感を探り合ったり、一から関係を作り上げていったりする過程で、人を、環境を、知っていく。そうしていくうちに自然と自分のことも伝わっていた。

クラスが打ち解けていくのに、そう時間はかからなかった。



だから、ほんと、びっくりだよ。わたしが不良だなんてさ。他クラスではそんなふうにうわさされてたんだね。


自分のクラスから一歩出たら、こんなにも世界が変わってくる。


この屋上だってそう。
未知の世界のひとつだった。




「……なんで、おれなんだ」




怪訝そうな目だけが、わたしのほうに向き直す。いまだにうなだれたままのアメリカンドッグから真っ赤な汗がしたたり落ちてしまいそう。


きっと木本くんにとって、わたしの存在が未知だった。




「おれに、会いたかった、って……な、なんだよ」


「何って、そのまんまの意味だけど」




迷惑そうな、気恥ずかしそうな、何とも言えない顔つきに「は?」とでかでかと本音が貼り付いた。あ、その本音、朝にも聞いたやつ。


ポタリ。とうとう真っ赤な汗が地面を染めた。光の差す灰色に溶けていく。酸味のある匂いがたゆたう。それに気づく余裕がないほど木本くんは混乱していた。




「だから、なんで」




ようやっと出てきたのは、たどたどしい一言で。


なんで、とわたしは思わずオウム返ししてしまった。なんで。改めて聞かれると明確な答えをすぐに言語化できない。

こうやって話すのはもっと先のことだと思っていた。いや、今か今かと待ち焦がれてはいたのだけれど、期待半分、今日じゃないんだろうなとあきらめ半分くらいのモチベーションで、1年以上やってきていた。

うまく言葉が出てこないのはそのせい。……なのだろうか。


今日だけで進展がありすぎて、たぶん、わたしもそうとうぐちゃぐちゃになってる。




「えっと……あっ! そう、そのオレンジジュース!」


「は? これ?」


「そう! それ、わたしも好きだよって、伝えたかった」


「はあ?」


「あと……恩返し? みたいな?」


「疑問形かよ」


「いや本当に、会いたかった、ってことがすべてすぎて……うーん……」




あぁ、どうしよう。なんて言えばいいんだろう。


目についた長方形を示してみたけれど、結局はふりだしに戻ってきてしまう。わたしの中にある語彙が底をついた。

真っ直ぐに伝えるだけ伝えてみても、相手の反応がわるいのは明々白々だった。


今言ったこと、うそじゃない。ぜんぶ、ぜんぶ本当なのに、どうしてこうもうすっぺらく感じるんだろう。真っ直ぐなだけじゃだめみたい。


ただ、いちばんは、会いたかった。

その一言に尽きるのだ。




「とりあえず、木本くんと仲良くなりたい! です!」




距離を埋めるように顔を、ずいっと近づけ、全力で気持ちをぶつけた。

真っ直ぐなだけでは無力と等しいとしても、今のわたしにはこれくらいしかないから。当たってみないと砕けるかどうかなんてわかりっこない。


心臓がこれでもかってくらい熱くなる。その熱が彼にも伝わったのか、やや圧倒されていた。



会いたかった。

きみのことを、知りたかった。


ずっと、気になってた。



わたしが近づいた分、身を反らされた。徐々に木本くんは表情筋を歪ませていく。苦味をぐっと押しつぶし、わたしから顔ごと背けた。

今、彼の心臓は、ひどく冷え込んでいる気がした。




「仲良くとか、無理だから」




食べかけのアメリカンドッグを持ったまま、木本くんは立ち上がった。すらりと長い足が、まるで壁のように感じる。

また距離が開いてしまった。


鮮やかな日差しが真上から明暗を分けていく。木本くんの影に覆われたわたしは、真っ黒だ。




「言ってること意味不明だし、恩返しとか、おれ何もしてねぇし。だから、もう、来んな」




あからさまな、拒絶。


昼食を入れ直した袋を手首に下げ、わたしの横を通り過ぎていく。カサカサと袋の擦れる音が、いやに響く。

ギイギイと軋むはしごが静まると、木本くんの気配が消えた。


地面に並んだふたつの『オレンジ100%』の表面に水滴が浮かぶ。泣いているふうにさえ見えた。



来んなって言っておいて、木本くんが出て行っちゃうんだね。



黄色の箸でもうひとつのたまご焼きをつかんだ。ゆっくり口に運んでいく。舌の上に乗っけると、ほどよい塩味が染みていった。


だけど。
やっぱり。


さっきより、おいしくない。