文化祭の準備は順調に進んでいった。着付け班、ヘアアレンジ班、メイク班に分かれた研究もはかどっている。日に日に校内はにぎわっていった。
文化祭当日が差し迫る。2週間前から放課後に残るようになった。結月ちゃんの呼びかけで、代わる代わる仲間が手を挙げる。毎日10人以上は集まった。主に男子は板を切ったり物を作ったりし、女子はポスターを描いたり色を塗ったりしている。
「みんな、秋祭り行く?」
わたしと結月ちゃんのほかに、部活に所属していない女子が5人集結した。机をくっつけて作業を始める。
そのうちの1人が、ペンの色を選びながら話題を切り出した。全員探り探りに様子をうかがっている。単に秋祭りの参加率を訊いているのではないことを察しているのだ。
文化祭の1週間前、つまり明日、秋祭りがある。そこに好きな人と行き、文化祭では恋人として回るのが、うちの中学では定番とうわさされていた。なんでも恋の叶うジンクスがあるんだとか。
それでこの探りよう。恋バナを主食とする乙女たちは、案の定きゃっきゃと餌にありついている。わたしも恋バナは好きだ。ただし自分の話はしない。というか、できないので、積極的に食いつけない。
たいてい、こういう話題はまず、人気者の結月ちゃんに矛先が向けられる。
「結月ちゃんとか、好きな人と行かないの?」
「あたしはまひるちゃんと行くよ。そもそも好きな人いないし……」
「ええ!? うそー!」
「あんなにモテモテなのに!?」
「男子、泣くよ? いや、すでに泣いてるよ」
「あたしも恋はしたいんだけど……」
「とりあえず付き合ってみるってのもありなんじゃない?」
「この前も告られたんでしょ!?」
みんなは作業をよそに、モテ女の恋愛事情に興味津々だった。男子も聞き耳を立てている。
たじろぐ結月ちゃんを差し置いて、タイムリーな告白速報に食いついた。
人気ゆえにうわさが出回るのも早いらしい。いつ、どこで、といった基本情報だけでなく、告白のセリフやそのときの状況もこと細かに知れ渡っていた。特に、告白した人が委員長と聞くと、傍聴者たちのテンションが爆上がりした。
結月ちゃんはほほえんでいたけれど、困っていた。声にしなくても、窮屈な思いが伝わってくる。助け船を出そうとした。が、身体がすくむ。
ここで作業しようと真面目ぶったら、空気を読んでいないと思われる。またくすくすと嗤われる。わたしを否定される。それがどうしようもなく怖かった。
「え! 文化祭実行委員の!?」
「結月、告られたの!? やばーい!!」
「めっちゃかっこいい人だよね! なのに断っちゃったの!?」
「もったいない! 付き合えばよかったのに!」
「お似合いだよね。美男美女でさ!」
「まひるもそう思わない!?」
「え……?」
突然、話を振られた。
爛々ランランとした双眼が、ぎょろりと一斉にわたしを貫く。心拍数がはね上がった。矛先がこっちに来るとは想定していなかった。頭が真っ白になり、戸惑い果てる。
結月ちゃんは懇願するように瞳を潤ませていた。とっさに手元へ視線をそらした。
「……う、ん。わたしも、思う」
言ってしまった。思ってもない言葉が、あふれる。止められない。
もう結月ちゃんの顔が見れない。
「その……お、お試しで付き合ったら、好きになるかもしれないし。そういう恋の形もあるって聞くし。うん。委員長みたいにかっこいい人、めったにいないよ」
「だよね! ほらほら、まひるもこう言ってるよ~?」
「期間限定の恋人ってのもドキドキしちゃうね」
「カレシが年上なのがいいんだよー!」
「いいや! 結月がカノジョなのが最高なのよ!」
「それな」
自分の思いとは正反対のうそ。最近はそれがやさしさだった。じゃあ、これは? これもやさしいうそだった? 誰のためのうそだったっけ? 自分じゃたしかめられなくなってしまった。
鉛筆の線をふちどり終える寸前、結月ちゃんは静かに黒ペンを置いた。なんてことない動作のはずが、いやに冷や汗をかく。
「……あたしね、付き合うなら自分が好きになった人とって、決めてるんだ」
「えー、そうなのー?」
「ロマンチストだねぇ」
「まあ、それがいちばんだよね」
「うん、だから、お試しとか期間限定とか、軽い気持ちで付き合いたくないんだ。あたしもちゃんと人を好きになりたいの」
結月ちゃんの表情が読めなかった。声色はひどくおだやかなようで、その実、危うげにも聞こえる。言わなくてもわかるほど近くにいたのに、今は、言葉を聞いても何もつかめない。
どうして。いつから。こんなに遠くなってしまったの。
ギ、と椅子の脚が摩擦を起こした。結月ちゃんが立ち上がり、わたしたちの頭を見下ろす。一時的に恋バナの活気がおとろえる。心臓にわるい静寂のできあがりだ。
「ペン、足りないね。あたし、取ってくる」
女子たちは「ありがと~」「助かる~」と口々に礼を告げ、すぐにまた恋バナに花を咲かせる。ひとりで教室を出て行く結月ちゃんの背中が、妙に悲しそうに見えた。
いてもたってもいられず、わたしも席を立つ。
これは、罪悪感? 後悔? 悲観?
何が、誰に、なぜ。
なぜ。
廊下へ飛び出した。吹奏楽部の演奏が反響していた。その音色をじゃまするように足音をけたたましく打ち鳴らしていく。階段に差しかかり、結月ちゃんの背中に追いついた。
「っ結月ちゃん!」
小枝のような細い足が、ぴたりと止まる。もう一度名前を呼べば、ゆっくり振り向く。睨まれた。つぶらな瞳を鋭利にとがらせ、涙をこぼさないよう必死に力をこめている。
そんな表情を、はじめて目の当たりにした。1年以上も一緒にいるのに、結月ちゃんにもそういう感情があり、それをわたしがぶつけられることになるなんて知るよしもなかった。
できることなら、知りたくなかった。その表情をさせているのが、わたしだと。
「……まひるちゃんも、ずっと、あんなふうに思ってたの?」
「っ、え……」
「あたし、勝手に、困っているときはまひるちゃんが助けてくれる気がしてた。思い上がりだったね」
「ちが……!」
反射的に声を張った。続きを用意していなくて黙りこむ。
ちがう。思い上がりじゃない。助けようとした。あんなこと、言うつもりじゃなかった。どれもこれも、言い訳に過ぎないね。
結月ちゃんはうす笑いを浮かべ、赤らんだ目を眇めた。
「ちがう? 何が?」
「そ、れは……」
「じゃあ教えてよ。まひるちゃんが何を思っているのか。本当のこと、聴かせて?」
「……あ……っ、」
本当のこと。思い。……そんなもの。
「…………」
「……なんで、何も言ってくれないの?」
「…………」
「まひるちゃんらしくないよ……!」
わたしらしさって、何。
今まで、わたし、どう生きてきた……?
「まひるちゃんが何を思ってるのか、全然わかんないよ!」
わたし……わたしだって、痛いんだよ。怖くて、苦しくて、上手に生きていけない。
だって、わたしの言葉は役に立たなくて、呼吸がしにくくなるだけ。結月ちゃんにやさしくするには、みんなに否定されずに済むには、どうするのが正しかったんだろう。
傷つきたくなくて。傷つけたくなくて。その場をやり過ごせるなら、空気を読むよ。本音だって捨てられる。息のしやすいほうへ逃げてしまいたかった。
「わ、わたし……」
「……味方になってくれるって、思ってたのに」
「っ、」
味方だよ!
今さらそう言ったって信じてもらえない。わたしに言う資格はない。かわいい妹のような友だちよりも、結局、自分がいちばんかわいかった。
わたしが、否定した。傷つけた。泣かせてしまった。こんなサイテーな人間が、大切な特等席に居座っていいわけない。
「うそつき」
結月ちゃんはふいと顔を背けた。自分で涙を拭い、階段を下りていく。遠ざかるうしろ姿を、追いかけられなかった。重力に縛りつけられたように、上履きは重たく床に貼りついていた。
涙ぐんだひとことが鼓膜に焼きつき、何度も何度も反すうされる。うそつき。ああ、そうかもしれない、と心の中で自嘲した。何も言い返せない。立っているのでやっとだった。