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うそつき、と言われれば、きっとそうなんだろう。
中学2年の夏は、一瞬で終わった。
新学期になり、学校生活もあわただしく過ぎていく。夏も秋も、平日も休日も、しょせんは名称が異なるだけの同類。あっという間に流れていく。気づいたらあと戻りできなくなっている。無慈悲だ。
夏休みが明けてからというもの、校内はお祭りムード一色だ。1学期は体育祭、そしてこの2学期は文化祭が一大イベント。休みボケをそのままに浮足立ち、授業に身が入らない生徒が続出していた。
「まひるちゃん! これどうしよう?」
「ん? どした?」
「明日までに決めないとなんだけど、これでいいのか心配で……」
ある日の昼休み。結月ちゃんが右手にお弁当、左手に1枚のプリントを持ち、わたしの席を訪れた。
プリントには、今朝のホームルームで決めた内容が記録されていた。準備に必要な物、役割分担、時間配分。それらはホームルームだけでは時間が足りず、最後まで決めきれずにいたが、紙の上にはしっかりと記されている。
ランチにする前に、プリントとにらめっこ。項目ごとに確認していく。人数とメンバーを調整した提案をすれば、なるほどなるほど、と結月ちゃんは早速シャーペンを走らせた。再度、ふたりで最終チェックする。
「うん、いいんじゃないかな!」
「まひるちゃんありがとう。助かったよお」
「結月ちゃん、がんばってるね」
「もっちろん! なんたって委員を任せられたんだもん。がんばらなくちゃ!」
そう言って細っこい二の腕を力ませる結月ちゃんは、わがクラス、2-Aの文化祭実行委員だ。つまり、文化祭のリーダーポジションになる。ホームルームでもテキパキと司会進行を努めていた。
進級とともにクラス替えをし、はじめはクラス全体にまとまりがなく、どことなくよそよそしかった。そんな2-Aを、学年イチ団結力あるクラスへと変えた立役者は、何を隠そう、結月ちゃんである。
元より、見た目と中身のかわいらしさに、人気を博していた。おっとりした中和剤で、ときおりあざとさが見え隠れしていたものの、どうも憎めない。何より努力家で、意外と意地っ張りなところが、愛嬌があって好感を持てた。
人気が顕著になったのは、体育祭でのこと。リレーのトップバッターだった結月ちゃんは、出鼻をくじかれ、転んでしまった。しかし、砂汚れの顔を微塵も気にすることなく、立ち上がったのだ。
あの勇姿には、男も女も関係なく心を打たれた。感動したし、惚れた。みんなが結月ちゃんを応援していた。結果はビリだったけれど、確固たる団結力が生まれた。おかげで応援部門ではぶっちぎりで優勝をもらった。
あの一件から、結月ちゃんは、クラス内外問わず人気者だ。よく頼られ、ちやほやされ、告白されている。結月ちゃんは誰に対しても平等にやさしかった。
文化祭実行委員になったのも、クラスメイトからの圧倒的な支持によるものだ。推薦形式で選出することになり、真っ先に名前が挙がったのだ。当の本人は謙虚な姿勢であった。みんなして怒涛の推しアピールをするものだから、そこまで言うならと、こそばゆそうに結月ちゃんが折れたのだ。
かくいうわたしは、愛されているなあ、とニマニマしながら傍観していた。
友だちとして鼻が高かった。自慢、と言うと、語弊があるかもしれない。1年生のころから仲よくしているわたしにとって、結月ちゃんはいちばんの友だちであり、かわいいかわいい妹のようだった。
「まひるちゃんがいてくれてよかったあ。ひとりじゃぜったい無理だったよ」
「もう。うれしいこと言ってくれるなあ!」
「だってほんとのことだもん」
にへらぁ、と人なつっこく笑う結月ちゃんに、周囲の男子がきゅんと胸をときめかしているのがわかった。罪な女だこと。このだらしのない笑顔を独り占めできる、この特等席が、さぞかしうらやましいことだろう。ゆずってあげないもんね。
お互いがお互いを認めていた。尊敬し、信頼し、補い合っていた。結月ちゃんがどれだけ人気になっても、遠くに感じることはない。近すぎるくらい近くにいた。「好き」と言わなくても、「好き」が返ってくるくらいに。
重たい印象のある髪色を、好きだと言ってくれた。こしの位置まで伸びた長髪を、似合うねと言ってくれた。もし、明るく染めてみたいんだと、ショートにも憧れがあるのだと話したら、結月ちゃんはきっと笑って言ってくれる。好きだよ、似合うよ、と。
「なになに? なんの話してるの?」
「文化祭のこと?」
「役割ってどうなったの~?」
机にお弁当を広げていると、クラスメイトの女子3人が加わった。プリントを見たら、3人ともわあっと盛り上がる。彼女たちにとってもなっとくのいくまとまり方になっていたようだ。わたしと結月ちゃんは顔を見合わせて、グッドサインを示した。
2-Aは、縁日のお店を出す。教室の限られた空間を駆使して、ボールすくい、輪投げ、射的などの遊びを提供する予定だ。わたあめや焼きそばなどの食べ物系の出店もやりたかったのだが、今年は屋台やカフェが多いため、やむなく範囲をしぼった。
偶然にも、ここにいる5人は同じ役割を担っている。衣装係だ。どういうふうに役割を進めていくか、わきあいあいと話し合っているうちに、自然と5人で昼食を摂る流れになった。
「浴衣どうする? みんなで着たいよね?」
「女子はともかく、男子たち持ってるかな~?」
「持ってなかったら、女子の貸してあげる?」
「わはは! それ最高!」
「でも、あたし、自分で着付けできないんだよね」
「わたしも。難しいよね」
「てか、できる人のほうが少なくない?」
まず直面する、着付け問題。縁日に浴衣はぜったい外せない。かと言って、わたしもひとりでは着られない。いつも着るときは、お母さんに手伝ってもらっている。そのお母さんでさえも、ネットと動画を活用してやっとだ。
着付けができる人がいたとしても、せいぜい1人や2人だろう。20名弱もいる女子全員の着付けをするには、荷が重すぎる。ネットや動画に頼るのは気が引けた。本番うまくいかなかった場合のことを考えてしまう。
やっぱりこういうのは、実際に目で見て、体験して、学んでくるのがいちばんなんじゃないかな。百聞は一見にしかず、と言うし。
「みんなで着付け教室に通う?」
商店街に、和服専門店がある。そこの女将さんは親しみ深く、気前がいい。登下校で店前を通るたびに、あいさつをして、世間話をしてくれる。もはや親戚のおばさんに近い存在になりつつある。
女将さんは和服の良さを伝えようと、毎月様々なキャンペーンを行っている。先月はお茶会、先々月は着付け教室だった。しかもどのキャンペーンもたいてい無料。太っ腹すぎる。
今月はまた別のキャンペーンを計画していると聞いた。だけれど、真剣に頼みこめばきっと、女将さんなら了承してくれると思う。お金はかからないし、女将さんはやさしいし、着付けのスキルも得られる。一石三鳥だ。これほど好条件はなかなかないだろう。
「着付け教室? それって、」
「まじ?」
「みんなで?」
「え~?」
……あれ?
女子3人は視線をちらちらと絡ませながら、揶揄するようにくすくす笑った。予想していた展開とちがう。みなぎっていた自信が、打ち砕かれていく。
何だろう、この感じ。味方だと思っていた人が、実は敵でした、みたいな。自分の言葉を、思いを、けちょんけちょんにされた気分。なんかやだな。
「みんなで着付け教室は、ちょっと、ねぇ?」
「お、お金がかからなそうなとこ、知ってるよ」
「タダでもさあ。みんなの都合が合うかわからなくない?」
「土日はみんな忙しいでしょ。そこまでガチ勢じゃないし」
「…………そ、っか」
まさかの全否定。付け足しの説明もさせてもらえない。いいアイデアだと思ったんだけどな。誰にも賛同されずに、自画自賛で終わってしまったみたいだ。
今までに感じたことのない痛みが、心臓に襲いかかる。チクチクとしたトゲのようなものが、何千も突き刺さっているようだった。心臓は痛い痛いと泣いているのに、凍りついてしまい、トゲを抜き取れない。
「あ! あの、じゃあさ!」
淡泊な雰囲気の中、結月ちゃんは大げさなくらい明るく声を上げた。
「いくつかグループに分かれるのはどうかな?」
「グループ?」
「着付けもそうだけど、ヘアアレンジとかメイクとかも必要だよね? だからいくつかグループを作って、それぞれが着付けやヘアメイクの方法を調べたり学んだりしてくるの。そうすれば少数に負担をかけなくて済むし、みんなで力を合わせていいものができると思うんだ!」
「それいいね! グループに分けたら、人数が少なくなって、予定合わせやすいし」
「さっすがリーダー!」
「ひとりひとりじゃなくて、みんなでってのがいいよね~」
「うちのクラス、団結力すごいしね!」
「わはは! それ自分で言っちゃう!?」
雰囲気がガラリと変わった。嘲笑めいた声は消え失せ、楽しそうに賛成の意を唱えている。わたしがあいづちのひとつも打てていないことに、気づきもしないで。
わたしだけが、なじめていない。うまく笑えない。疎外感を色濃く感じていた。心臓の痛みが激しくなっていく。
恥ずかしかった。おそろしかった。いたたまれなかった。
わたしの言葉ではだめなんだと、思わざるを得なかった。わたしが今、黒い感情を抱いていることさえも、まちがいなんだろう。きっとそうだ。でなければ、わたしは、サイテーな人間になってしまう。
「えっ、てかねぇ、見てみて! 結月のお弁当!」
「わ! かわい~~!」
「キャラ弁? うさぎがお月見してる!」
「もしかしてこれ、結月が作ったの?」
「う、うん。へたっぴなんだけど、作ってみたくなって。でもね、まひるちゃんのほうが」
「え~! すご~い!」
「全っ然へたじゃないよ!」
「こりゃモテるわけだわ。あたしも嫁にほしいもん」
女子3人の褒め殺しに、結月ちゃんは圧倒されて苦笑をもらす。うん、すごいよね、とわたしも合わせてうなずいた。この勢いを引き裂ける度胸は、とっくになくなっていた。
正面にある小さなお弁当箱で、1匹のうさぎが満月を見つめていた。対して、わたしの黄色い箱の中は、健康重視の緑と、残り物の茶色の詰め合わせ。まったくかわいくない。
わたしも自分で作った。料理は得意分野だ。でもそれを、今ここで言う気にはなれなかった。言わないほうがいい。言ってはいけない。自分で自分の心臓にトゲを継ぎ足した。
たけのこの炊き込みごはんをひと口ぶん、箸ですくい取った。愛想笑いをする口に放り捨てる。ひとりで食べてるわけじゃないのに、ひとりでいるように感じる。どうしてか、あんまりおいしく感じられなかった。
放課後は、結月ちゃんと帰るのが日課だ。特別な用事でもない限り、一緒に下校し、たまに寄り道をしている。1年生のころからずっとだ。今日で何回目になるのか、わたしにも結月ちゃんにも数え切れない。
その日は結月ちゃんが先輩に呼び出され、下校時間がいつもより少し遅くなった。呼び出した相手は、結月ちゃんと同じ、文化祭実行委員の委員長だった。おそらく告白だろうと見当がつく。結果は火を見るよりも明らかだった。
詮索はしない。話題にも出さない。結月ちゃんは聞いてほしいときに話す。そう、言わなくてもわかってる。
いつもどおりの様子で戻ってきた結月ちゃんと、商店街に立ち寄った。浴衣の下見だ。レディースの洋服を取り扱うお店のショーウィンドウに、浴衣を着たマネキンが立っている。
この地域では、数年に一度、近くの神社で秋祭りが催される。それが今年だった。夏祭りの時期が過ぎても、浴衣が並んでいるのはそのためだ。
夏祭りは予定があって行けなかったけど、秋祭りは結月ちゃんと行くつもり。夏休みのうちから約束していた。楽しみすぎて、浴衣を新調しようか悩んでいるところ。
「まひるちゃんは紺色が似合うと思うなあ。これとかどう?」
「わ……かわいい、ね」
「あたしはこっちのピンクで、おそろい!」
ガラスをへだて、マネキンの着こなす浴衣に夢中になる。右には、紺色。左には、ピンク色。ケースのいちばん隅っこには、橙色。どれも幾何学模様だが、帯や着こなし方がちがっていた。
3種類ともかわいらしく見えた。それと同じくらい、自分にはしっくりこない。
結月ちゃんはどれも似合っちゃうんだろうな。左のピンクはまさしく結月ちゃんにぴったり。でも……わたしが、紺色かあ。浴衣はすてきだけど、どうだろう。着せられている感じにならないかな。この中なら、紺色よりも橙色のそれのほうが、合っているような気がしなくもない。
「まひるちゃんはどう思う?」
「わたし、は……」
言おうとした。考えていたこと、包み隠さず、正直に。今までそうしてきた。そうやって“友だち”をやっていた。
たとえば。
正直に言ったとして、笑われたら?
ううん。結月ちゃんは笑ったりしない。否定しないで、抱きとめてくれる。
それは、結月ちゃんがやさしいから?
本当は傷ついていたかもしれない。否定されて消沈したわたしみたいに。その傷を知らなかっただけかもしれない。わたしの作り笑顔に誰も気づかなかったみたいに。
わたし。わたしは。
やさしく、なかった……?
「まひるちゃん?」
「っ、あ、えっと……」
「?」
「わ、わたし、も、おそろい、いいと思う」
「いいよね、おそろい!」
はしゃぐ結月ちゃんに、心底ほっとした。引っかかりを覚えたのどが、すっと楽になる。
やはり正しかったのだ。このうそは、ついてもいいうそだ。わたしも、結月ちゃんも、傷つけない。みんなにやさしいうそ。たとえ、そこに、自分の思いなど添えていなくとも。
「まひるちゃんは髪が長いだから、いろいろアレンジできそう。見なくてもわかる。ぜっっったいに浴衣姿きれい!」
「……そう、かな?」
「そうだよー! あたしも伸ばそうかなあ。あ、今からじゃ間に合わないか」
わたしは髪が長いほうがいい。こっちのほうが似合っている。結月ちゃんが言うんだからまちがいない。髪の毛を切ろうと思っていた、なんて、明かす必要なんかない。きっときれいじゃなくなるから。わたしらしくないから。だから。
言葉をごくんと生唾とともに押し返した。結月ちゃんはボブの髪を指先でくるくるといじりながら、とぼけたようにほころぶ。
トゲが深くのめり込んでいく。それを見て見ぬふりをして、わたしも愛想よく頬をたるませた。