「……でも……」
そんな中でも。
「……頭では、わかっていても……」
なんとか。
「……耐えられない……」
隼理くんの言葉を聞くことができている。
……って。
隼理くん……?
今、耐えられないって、そう言った……?
「夕鶴が他の男に触れられていることが……」
そう言った隼理くんの表情は。
悲しげに見えて。
隼理くんの辛さが痛いくらいに伝わってきた。
そして。
そのまま隼理くんは私の唇に……。
今は。
苦しくなるくらいの激しいキスではなく。
やさしくとろけるような……。
それがまた色気を感じて……。
…………。
……あり過ぎる。
溢れ過ぎるくらいに。
色気が……。
艶のあるリップ音。
それが何度も繰り返されて。
その音が、だんだんと心地良くなってくる。
甘さ……。
色気……。
艶……。
それらが一気に押し寄せてきて……。
もう……。
止められない……止まらない……。
ここは保健室。
リスクがある場所だとわかっている。
だけど……。
それでも……。
……どうしよう……。
このままでは……。
利かなくなってしまう。
理性が……。
「夕鶴」
極上の快感に包まれていると。
突然、隼理くんの唇が離れた。
「ゆっくりでいい、起き上がれるか」
隼理くんの切り替えの早さ。
そのことに戸惑いを感じながら「うん」と頷いた。
「慌てなくていい、冷静に」
隼理くんはそう言いながら私の背中に手を添えて起き上がるのを手伝ってくれた。
「夕鶴、少しだけ髪と服が乱れている」
隼理くんはそう言うと。
髪と服の乱れを素早く直してくれた。
その直後。
戸が開く音がした。
戸を開けたのは麻川先生。
……間一髪。
隼理くんの素早い行動のおかげで私たちの……しているところを見られずに済んだ。
もし麻川先生に見られていたらと思うと……ゾッとした。
それにしても。
隼理くんは気付いたのかな。
誰かが保健室に向かってきていることを。
……私と熱いくらいの……キス……していたのに。
瞬時に人の気配を感じることができるなんて。
すごい察知能力。
それと。
すごく冷静。
直前まで私と……キス……していたのに。
何事もなかったかのように麻川先生に対応している。
気持ちの切り替えの早さ。
これは隼理くんの特技なの?
そう思っている間に。
隼理くんは麻川先生に一通りの話を終えていた。
隼理くんの車で家まで送ってもらう。
そのため駐車場へ向かうことに。
保健室を出るとき、足が思うように動かない私を隼理くんは負ぶってくれた。
そのとき思い出した。
部員たちに『今日は練習をすることができない』ということを伝えなければ。
そのことを話すと、麻川先生が「伝えておくね」と言ってくれた。
麻川先生にお礼を言って、私と隼理くんは駐車場へ向かった。
乗り慣れた車。
それに乗って隼理くんに家まで送ってもらった。
家に着くと。
隼理くんは、さっきのように負ぶってくれて。
そのまま私の部屋まで行った。
部屋に入ると。
隼理くんはベッドまで連れていってくれた。
そして、やさしくベッドに寝かせてくれた。
隼理くんにお礼を言うと、隼理くんは「いいよ、そんなこと」と、いつものようにやさしく言ってくれた。
そうだ。
明日は、いつものように隼理くんの部屋に行く予定だった。
けれど、この足では。
だから隼理くんに、そのことを伝えた。
隼理くんもわかってくれているみたいで。
「わかってる。明日はゆっくり休んだ方がいい」と言ってくれた。
「……だけど……」
その直後、隼理くんは寂しそうな表情をして。
「明日、夕鶴に会えない分、
今、充電しておきたい」と言って……。
そっと、やさしいキスを……。
……私……。
単純……なのかもしれない……。
あれだけ美輝さんのことで悩んでいるのに。
こうして隼理くんの温もりを感じると。
幸せな気持ちになってしまう。
まだ美輝さんのことが解決したわけではないのに……。
“トントン”
隼理くんの心地良いキスと美輝さんに関する悩みが混ぜこぜになっているとき。
私の部屋のドアをノックした音が聞こえた。
『姉ちゃん、帰ってるの?
開けていい?』
ドア越しから弟の悠悟の声が。
悠悟の声がして。
隼理くんはサッと自分の唇を私の唇から離した。
悠悟の声がして慌てている、私。
それに対して。
冷静な隼理くん。
私の様子を見て隼理くんは「落ち着いて」と耳元でやさしく囁いた。
隼理くんのやさしい声を聞いたら。
少しずつ落ち着いてきた。
「大丈夫」
隼理くんはそう言って、やさしく微笑みながら頷いた。
どこか余裕を感じる、隼理くん。
隼理くんは、とても頼りになる。
そんな隼理くんのことを見ていると安心する。
だから私も落ち着いて頷くことができた。
そして。
「あっ、えっと、いいよ入って」
少しだけ言葉を詰まらせてしまったけれど。
ドア越しの悠悟になんとか言うことができた。
私の呼びかけに悠悟はドアを開け部屋の中に入ってきた。
当然だけど。
悠悟は隼理くんのことを見て驚いた表情をしている。
そんな悠悟に隼理くんは素早く対応している。
隼理くんがなぜ私の部屋にいるのか。
その理由を簡潔に、そしてわかりやすく説明している。
麻川先生のときもそうだった。
突然、説明しなくてはいけなくなったとき。
隼理くんは冷静に対応することができる。
そんな隼理くんのことを見て。
ただただすごいと思った。
悠悟に一通り説明が終わって。
帰る隼理くんと隼理くんを玄関先まで送る悠悟が私の部屋を出ていく。
そのとき隼理くんは、もう一度「お大事に」と言ってくれた。
隼理くんと悠悟が部屋を出て行って。
部屋には私一人。
一人になると。
いろいろなことが頭の中に浮かんでくる。
……明日……。
隼理くんに会えないこと。
正直なところ。
少しだけほっとしてしまう。
こんなこと、本当は思ってはいけない……思いたくないのだけど……。
美輝さんの疑惑を抱いている限り。
隼理くんと会うことは。
辛いことでもあるから。
隼理くんの顔を見ると。
嫌でも。
どうしても思い出してしまう。
美輝さんのことを……。
だから。
隼理くんと会うことは。
幸せ。
と同じくらい。
辛い。
捻挫したことは痛くて辛い。
けれど。
今の私は。
足の痛みよりも。
心の痛みの方が、辛い。
……だけど。
こんなにも辛い気持ちになるのは……。
やっぱり。
やっぱり私は。
隼理くんのことが……好き……だから……。
どんなに辛くて苦しくても。
隼理くんのことが好きで好きでたまらない。
悲しいくらいに。
そう実感していた。
五月の中旬。
春の風は少しだけ初夏の香りを含み始めている。
今日は土曜日。
この日も、いつものように隼理くんの部屋にいる。
今は、ちょうど昼ご飯を食べ終わり、隼理くんと一緒にソファーに座ってテレビを観ている。
私以外に美輝さんという女性がいるのではという疑惑を抱いてから。
約一ヶ月が経った。
私は今だに。
隼理くんに確認することができていない。
……って……。
そんなこと確認できるわけがない。
確認して。
隼理くんが肯定してしまったとしたら。
美輝さんのことを……。
そんなことにでもなってしまったら……。
耐えることなんてできない。
それに。
私が美輝さんの存在に気付いているということを隼理くんが知ってしまうと。
それならと隼理くんから別れ話を切り出されてしまうかもしれない。
もし、そんなことになってしまったら……。
……ダメだ。
美輝さんのことを考えると。
いつもこうなってしまう。
それが真実とは決まっていないのに。
どうしても悪い方向へ考えてしまう。
……でも。
やっぱり隼理くん本人に確認することができない。
……私……。
臆病なのかな……。
「おっ、やっとか」
頭の中でいろいろな考えが駆け巡り。
悩み、落ち込んでいると。
隼理くんのスマホに着信が。
隼理くんは『待ってました』というような様子。
隼理くん、誰からの着信を待っていたのだろう。
「おう、待ってたよ、美輝」
……‼
今の……。
聞き間違い……?
……違う。
今、確かに……。
こう聞こえた。
『美輝』って。
なんで……。
なんで私がいるときに……。
そんなにも堂々と。
美輝さんからの着信を……。
しかも『待ってた』って……。
私がそばにいるのに……。
どうして。
どうしてそんなことが言えるの……?
「もう来てるのか。
わかった、すぐ開ける」
え……⁉
ちょっ……ちょっと待って‼
『すぐ開ける』って。
美輝さん、すぐそこまで来ているってこと⁉
なっ……なんで……っ。
なんで美輝さんが……っ。
隼理くんの部屋に来るの⁉
しかも私がいるのにっ。
って。
私がいないときでも絶対にダメッ。
……だけど……。
私がいるのに。
堂々と美輝さんを部屋に入れるということは……。
隼理くんは私に言うつもりなのだろうか。
『美輝と真剣に付き合っているから別れよう』と。
……嫌……。
隼理くんと別れるなんて……。
「隼理くん‼」
そう思ったら。
「お願い‼ 玄関のドアを開けないで‼」
とっさに隼理くんの腕を掴んでそう言っていた。
だけど。
いくらそんなことを言っても。
「どうした? 夕鶴」
別れ話を切り出されてしまうのなら。
「私と一緒にテレビ観てようっ」
遅かれ早かれ。
そう告げられてしまうのに……。
「夕鶴、俺もそうしたいけど、美輝が待ってるから」
ズキン……。
隼理くんのその言葉を聞いて。
胸の奥が何かに何回も突かれるように。
激しく痛み始めた。
『美輝が待っている』
その言葉は。
私にとって。
止めともいえる。
それくらい重みのある言葉だった。
その言葉を聞いたら。
一瞬で全身の力が抜け。
掴んでいる隼理くんの腕を力なく離した。
「ごめんな、夕鶴。
ちょっと待っててくれな」
隼理くんはそう言って玄関の方へ向かってしまった。
……なにを……。
一体何を待っていろというの……?
私に美輝さんを紹介することを……?
そして、その後、私に別れを告げることを……?
そんなこと……。
そんなこと待っているわけないじゃない。
……嫌だよ……。
隼理くんと別れるなんて……。
「夕鶴」
隼理くんが玄関から戻ってきた。
美輝さんを連れて。
そして私の名前を呼んでいる。
でも。
全身の力が抜け下を向いている私は顔を上げる元気もない。
「紹介するよ。幼なじみでもある親友の美輝」
幼なじみで親友……?
よく言うよ。
本当は恋人のくせに。
「はじめまして、佐合美輝といいます。
突然おじゃましてごめんね」
……?
今の声……。
美輝さん……?
声質は人それぞれかもしれない。
それにしても……。
そう思った私は。
思わず顔を上げて……。
…………。
…………。
「……夕鶴?」
あまりにも。
驚き過ぎて。
「どうした? 夕鶴」
隼理くんが声をかけていることはわかっているけれど。
「おーい、夕鶴~」
声が、出ない。
この人が……。
あの美輝さん……?
私の目に映っている美輝さん。
すごく美形で。
スタイルも抜群。
どう見ても、すごくモテるタイプ。
……だけど……。
それは……。
男子からではなく。
女子から。
美輝さんの容姿は。
中性的な感じ。
だから見ようによっては、どちらにも見える。
けれど。
美輝さんは―――。
「あっ、もしかして夕鶴ちゃん、
俺があまりにもイイ男だから見惚れてるんじゃない?」
「バカ、何言ってんだよ。
夕鶴、美輝の言うことなんか無視していいからな」
男の人だった―――。
思い込んでいた。
『美輝』という名前。
その人は絶対に女性だと。
そう思ってしまったから。
ずっとずっと辛くて悲しくて苦しくて。
こんなことなら、美輝さんの名前を知ったその日に隼理くんに確認すればよかったのかもしれない。
でも。
それは結果論。
美輝さんのことを直接見て男性と知るまでは。
やっぱり怖かったから。
隼理くんに美輝さんのことを確認することが。
良くない結果になったらどうしよう、とか。
そんなことばかり思っていたから。
だから。
本当に良かった。
美輝さんが男の人で―――。
* * *
「夕鶴、今日、美輝に来てもらったのは―――」
私と隼理くんと美輝さんはソファーに座っている。
テーブルにはオレンジジュースとコーヒー二つが置いてある。
オレンジジュースは私で、コーヒーは隼理くんと美輝さん。
飲み物を用意していた私がソファーに座った瞬間、隼理くんがそう話し始めた。
そのとき隼理くんは美輝さんから小さな箱を受け取る。
「これを持ってきてもらうため」
美輝さんから受け取った小さな箱。
それを私の前に置いた。
「これは……」
小さな箱には可愛らしいリボンが結ばれている。
「開けてみて」
隼理くんはやさしく微笑みながらそう言った。
私は「うん」と頷いて小さな箱を手に取った。
まずはリボンをほどいて。
箱の蓋を開けた。
箱の中に入っているのは。
可愛らしいケース。
「それ、開いてみて」
隼理くんの言葉に、もう一度「うん」と頷いて。
箱からケースを取り出し。
ケースの蓋を開いた。
「これ……っ」
ケースの中に入っているのは―――。
驚いた私は。
勢い良く顔を上げて隼理くんのことを見た。
いつものようにやさしい。
そんな笑顔で隼理くんは私のことを見ていた。
「夕鶴、十八日、誕生日だろ。
でも、その日は平日だし。
だから少し早いけど」
隼理くんからの。
誕生日プレゼント。
嬉しい。
ちゃんと覚えていてくれているなんて。
そのことが、ものすごく嬉しい。
「夕鶴、それを」
隼理くんはそう言って手を差し出した。
私は手にしている誕生日プレゼントを隼理くんに渡す。
「夕鶴、右手を」
隼理くんにそう言われて右手を隼理くんの前に。
そのあと隼理くんは私の右手の薬指に―――。
「きれい……」
私は感動して薬指を見つめた。
「ありがとう、隼理くん。
すごく嬉しい。大切にするね」
隼理くんがくれた誕生日プレゼント。
それは。
とても可愛くて美しい指輪。
「喜んでもらえて、すごく嬉しいよ」
隼理くんも嬉しそうにそう言った。
……あっ。
そういえば。
「ねぇ、隼理くん」
一つだけ不思議なことが。
「うん?」
隼理くんは。
「どうやって私の指のサイズ……」
知ることができたのだろう。
隼理くんに指のサイズを伝えたことはないのに。
「あぁ、それは、
寝てるとき」
「え……?」
「夕鶴が寝てるときに、
こっそりと右手薬指のサイズを測った」
そうだったんだ。
寝ている間に。
サイズを測っていた。
それは。
「全然気付かなかった」
寝ていたからとはいえ。
全く気付かなかったことに少しだけ驚いた。
「ドキドキした」
「え……?」
「夕鶴が気付いて目を覚ましてしまうかもしれない。
だから、ものすごくそ~っと測った」
私に気付かれないように。
そっとサイズを測ったのだなと思うと、なんだか微笑ましくなった。
そう思うと、もっともっと嬉しくなって。
隼理くんからもらった指輪を改めてじっと見つめた。