朝海が言うには。
私は軽音楽部のエース。
私は軽音楽部の部員でボーカルを担当している。
その軽音楽部で。
どうやら私はエースらしい。
朝海が言っていた。
私が特にエースと呼ばれるようになったのは。
今年の新入生歓迎のときに行ったライブのときのこと。
そのときに新入生たちの前で歌ったことがきっかけで。
私が歌っている姿が新入生たちの間で『かっこいい‼』となったらしい。
それ以降、私は新入生たちの憧れの存在となった。
とのこと。
エースというだけあって。
私が廊下を通るだけで。
生徒たちが私のことを憧れの眼差しで見ているらしい。
ということを朝海から聞いたけれど。
私はそんな感覚は全くなく、ピンとこない。
そんな私に、朝海はこうも言った。
『モテるエース女子とイケメン先生は罪だね~』と。
そのときの朝海の表情は、にんまりとしていた。
私は朝海に『もう、何言ってるの』と言った。
けれど朝海は『何照れちゃって可愛い~』と言って、さらににんまりとしていた。
でも。
違う。
朝海はそう言ったけれど。
私の人気と隼理くんの人気の意味は全く違うと思う。
私の場合は。
女子生徒たちは同性だから。
隼理くんが心配することは何もない。
でも隼理くんの場合は。
女子生徒たちは異性なわけで。
私にとっては、ものすごく心配なこと。
同性からの人気と。
異性からの人気。
それらは大きく異なる。
だから。
もし私に人気があるとしても。
隼理くんは全く心配する必要はない。
そう思うけれど。
隼理くんが私の人気をすごく心配してくれている。
それは、それだけ私のことを想ってくれているということでもある。
そう思うと、すごく嬉しい。
だけど、やっぱり隼理くんが心配する必要は全くない。
だから隼理くんに。
『人気という感覚は全くないけど、
もし仮にそうだとしても同性だから。
隼理くんが心配することは全くないよ』
と言った。
だけど隼理くんの心配は消えないみたいで。
『女子だろうが男子だろうが、
俺以外の人が必要以上に夕鶴に熱が入った感情を抱くのは嫌だ。
確かに男子はもっと嫌だけど』
そう言った隼理くんは少しふてくされている様子だった。
隼理くんは、ふてくされながら話を続ける。
『夕鶴は軽音楽部の絶対的エース。
夕鶴が大勢の生徒たちから注目されて人気が出て
モテていくことが俺はすごく心配。
夕鶴が他の誰かに取られてしまうんじゃないかって、
そう思うと……』と。
隼理くんはそう言って不安げな表情を見せた。
隼理くんが私のことで不安になっている。
隼理くんがそう思っていたなんて全く知らなかった。
だから隼理くんの気持ちを聞いたときは驚いた。
……でも。
それは、私も同じ気持ち。
隼理くんがあまりにも人気過ぎて。
いつか誰かに取られてしまうかもしれない。
そう思うと、心配が絶えない。
でも、まさか隼理くんも私と同じ不安を感じているとは……。
…………。
…………。
……って。
違うっ‼
やっぱり全然違う‼
私が不安に感じていることと。
隼理くんが不安に感じていること。
それらは全く違う‼
決して同じなものですか‼
人気があるとはいっても。
私の場合は同性から。
でも隼理くんは……‼
異性から人気があるわけでっ。
彼氏が異性から人気があるなんてっ。
やっぱり心配に決まっている‼
だから私が抱えている不安と。
隼理くんが抱えている不安。
それらは全く違う‼
全く違うんだよ‼ 隼理くん‼
隼理くんの彼女でいられること。
それは、ものすごく嬉しくて幸せなこと。
…………。
……だけど……。
それと同じくらいに。
ものすごく心配や不安も感じる。
本当は隼理くんと恋人同士になれただけで幸せを感じなければいけない。
こんなにも素敵な隼理くん。
そんな隼理くんと恋人同士になれたのだから。
それだけで満足しなければいけない。
…………。
……けれど……。
現実はそうもいかない。
やっぱり心配や不安の感情がつきまとう。
いくら振り払おうとしても。
どうしても。
それらの感情が消えることはない。
だって。
やっぱり心配で。
心配が募り不安になる。
あまりにも隼理くんが人気過ぎて。
いつか私のもとからいなくなってしまいそうで……。
…………。
……本当に。
本当に困ったものだ、人気過ぎるのも。
人気過ぎる隼理くんと恋人同士になってからの私の心の中は……。
嬉しい。
幸せ。
心配。
不安。
その他、いろいろな感情。
そんな感情たち。
目まぐるしいくらいの感情たち。
そんな感情たちが忙しく私の心の中を駆け回っている。
確かに隼理くんと恋人同士になる前も、そういう感情たちがなかったわけではない。
たぶん人並みくらいにあったと思う。
感情によって元気が出たり落ち込んだり。
そんな感情たちの繰り返し。
でも。
隼理くんと恋人同士になってからの私は。
そういう感情たちが。
もっともっと顔を出すようになってきて。
私の心の中を忙しくさせる。
隼理くんと恋人同士になってからの私は。
そんな感情たちに大忙しの日々を送るようになった。
季節は冬に入り、十二月の中旬。
今日は土曜日。
今、私は。
隼理くんが住んでいるマンションの部屋にいる。
これは、ほぼ毎週土曜日の習慣。
土曜日の朝から夕方まで。
隼理くんの部屋で過ごしている。
ただ今日は、いつもと違うことがある。
それは、初めて隼理くんの部屋に泊まっているということ。
今日から、ちょうど一週間前。
その日も隼理くんの部屋にいた。
そのとき隼理くんは。
『来週は土曜日の朝からじゃなくて、
金曜日の夕方から部屋に来てほしい』
と言ってくれた。
初めて隼理くんの部屋に泊まるのは。
すごく緊張してドキドキしている。
そして。
それと同時にわくわくもしている。
……ただ。
一つだけ罪悪感が。
それは……。
そのことを家族には内緒にしているということ。
家族には友達の家に泊まると言っている。
そのことは申し訳ないという気持ちになった。
隼理くんも、そのことに関しては。
私の家族に申し訳ないことをしていると気にしていた。
私の家族に申し訳ないと思う気持ち。
私と夜も一緒に過ごしたいという気持ち。
隼理くんは、それらの気持ちに挟まれ葛藤していた。
葛藤し続けた結果。
隼理くんは、私と一緒に夜も過ごすことを選んだ。
だけど……。
隼理くんは真面目な人。
そして誠実な人。
だから選んだ後も。
『本当に、この選択でよかったのだろうか。
でも、夕鶴と一緒に夜も過ごしたかったし』
と言って悩んでいた。
そんな隼理くんのことを見ていると気の毒だと思った。
でも。
それと同時に。
少しだけ嬉しい気持ちにもなった。
悩んでくれているということは。
私の家族にも誠実に向き合ってくれているということ。
そんな隼理くんに『私の家族のことも気遣ってくれて、ありがとう』と言った。
その後、私は隼理くんにぎゅっと抱きついた。
今日のことに戻る。
今は朝。
私はシングルベッドで隼理くんと一緒に寝ている。
すぐ隣で隼理くんが寝ている。
それは。
ものすごくドキドキする。
だけど。
それと同時に。
安心した気持ちにもなる。
隼理くんのやさしさに包まれているみたいで。
とても安心してほっとした気持ちになる。
……あっ。
そういえば。
今、何時だろう。
そう思った私は。
隼理くんを起こさないように。
ゆっくりと少しだけ身体を起こす。
そしてベッドの横の小さなテーブルに置いてあるスマホを手に取って時間を確認した。
もう、こんな時間。
そろそろ起き上がらなくては。
今日は、来週の金曜日に行われるクリスマスライブに向けて。
軽音楽部のバンドメンバーと打ち合わせがある。
昼前には隼理くんの部屋を出ないと間に合わない。
だから、そろそろ支度をしなくては。
そう思った私は、ベッドから出ることに。
隼理くんのことを起こさないように。
そっと起き上がろうと。
ゆっくりと身体を動かす。
身体の向きはスマホを取ったときに隼理くんに背を向けた状態になったから。
そのまま。
そのまま、ゆっくりと前進。
前進するときは。
身体を小刻みにジグザグと動かしながら。
そして隼理くんが目を覚ましていないかを確認もしながら。
ゆっくりゆっくりと隼理くんから少しずつ離れていく。
ベッドから出るまであと少し。
って……。
……‼
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
あまりにも突然のことで。
驚き過ぎて心臓がものすごい勢いで飛び跳ねた。
なぜなら。
私の後ろから。
隼理くんの両腕が。
スッと伸びてきて。
私の腰のあたりに。
そして、ぎゅっと巻き付くように絡められて。
身動きが取れない状態になっているから。
私の身体は、がっちりと固定されている。
隼理くんの腕によって。
やっぱり男の人だな。
隼理くんの腕の力。
とても力強い。
だけど。
それと同じくらい。
やさしさも感じる。
強くて優しい。
そんな隼理くんに包み込まれているような。
って。
今はそのことに浸っている場合ではないっ。
「しゅっ……隼理くん、起こしちゃった?」
早く起き上がって支度をしなければっ。
「……どこ行くの、夕鶴」
寝起きだからか。
隼理くんは少しぼーっとしたような声のトーンでそう言った。
……さすが隼理くん。
ぼーっとしたような声のトーンでも色っぽさを感じる。
って。
そういえばっ。
寝起きのわりには腕の力がすごいのではっ⁉
本当に今の今まで眠っていたの⁉ と思うくらい。
でも、眠っていたのは本当かな。
……だって……。
そのとき微かに隼理くんの寝息が聞こえて……。
って……。
隼理くんの寝息を思い出しただけで……っ。
すごくドキドキする……っ。
って。
違う、違うっ。
今はドキドキしている場合ではなくて……っ。
「そっ……そろそろ起き上がろうかなと思って」
起き上がって支度をすることを考えなくてはっ。
「……なんで?」
えっ⁉
なっ……なんでって。
隼理くんっ⁉
ちゃんと伝えたのにっ。
「ほらっ、隼理くんに言ってあったでしょっ。
今日は来週の金曜日にやるクリスマスライブに向けて
バンドメンバーと打ち合わせがあるから
昼前にはここを出ないといけないって」
「……あぁ~」
『あぁ~』って。
隼理く~ん?
「だから今から支度しないと」
「…………」
……ん?
「朝ごはんも作ったり、身支度したり」
「…………」
あっ……あの~。
「ねっ、だから……」
「…………」
……えっ?
なっ……なんで。
なんで、さっきから無言なのっ、隼理くんっ。
「……隼理くん……?」
「…………」
…………。
「隼理くーん」
「…………」
……⁉
えっ、うそっ、なんでっ。
なんでずっと無言なのっ、隼理くんっ。
今の私の身体は。
隼理くんに背を向けた状態になっている。
だから隼理くんの表情を確認することができないっ。
今、隼理くんがどんな表情をしているのか。
隼理くんに背を向けている私には全くわからないっ。
だから隼理くんが無言だと不安になってしまう。
今、隼理くんが何を考え、そして何を思っているのか。
それらのことが全くわからない状態になってしまっているからっ。
だからっ。
だから、お願いっ。
お願いだから何か話して、隼理くんっ。
「……ダメ」
私の願いが通じたのか。
やっと隼理くんの声がした。
のだけど……。
ダメ?
『ダメ』って何がダメなのだろう。
「えっ?」
私はそう思いながら声を出した、ら。
「きゃっ……‼」
しゅっ……隼理くんっ⁉
それは。
あまりにも突然のこと。
隼理くんがっ。
隼理くんの手が……っ。