我が家に客がやって来た。
 この先には何もないってくらいの辺境だと言うのに、物好きな旅人が訪ねてきたのだ。

 彼は、茶色い帽子に茶色のマントを羽織り、顔には口元まで覆面をしていた。
 そして、わずかに覗ける目は黄色くて、瞳孔が横に長い。

 ……トカゲかな?

「はじめまして。村の方で勇者が住んでいると噂を聞いてやって来ました」

「あいつらいきなり漏らしやがったな」

 俺、激おこである。

「まあまあまあ。落ち着いてください勇者ショート」

「俺はもう勇者ではない。芋農家ショートだ」

「では落ち着いてください芋農家の人。あくまでワタクシが執拗に尋ねて酒を奢ったので、話したくて仕方なかった風の人間男性がポロッと漏らしたのです。その後の彼は村の人たちから袋叩きにあっていました。村を滅ぼす気かーって」

「なんと、そこまでの気概で俺の秘密を守ってくれているのか。慈悲深い俺は村を許そう……」

 俺は菩薩のような心になった。

「ということで、ワタクシ、興味があってやってまいりました。ああ、ワタクシはこういうもので」

 彼は背負っていたリュックから、一冊の本を差し出してきた。
 学者クー・クロロックと書いてある。
 書名は、『ツギナール王国の開拓地を巡って』とある。

「あっ、作家さん? 本を出してる人……!?」

 俺は恐縮した。
 本を出してる人なんて、プロじゃないか。
 ふおお、別世界の住人だ。

 日本でゴロゴロ転がりながら、電子書籍を買い漁っていた俺は作家へのリスペクトがあるのだ。
 SNSで作家本人にクソリプを送ってブロックされたりはしょっちゅうしてたがな。

「学者です。ぷはあ。ここは空気に湿気があっていいですねえ。ようやく顔の覆いを外せます」

 クロロックはそう言って、帽子を脱いだ。
 帽子と布が一体化していたようで、顔も顕になる。

「あっ、カエル!」

 後ろで見ていたカトリナが、驚いて声を漏らした。

「さよう。ワタクシは爬虫人という種族の亜種で、カエル人です。陸種の血を継いでいますので、地上を歩き回るのはお手の物ですね。ハジメーノ王国辺境に、家族だけで開拓に挑む亜人がいると聞いてやって来たのです」

「ほお、俺たちのことがそんなに話題に?」

 ちょっと嬉しそうなブルスト。

「亜人コミュニティがありまして。こちらで、あの丁字路村が亜人に対してフレンドリーになったという情報が共有されたのです。そのついでに、村のさらに先にある辺境で、オーガの親子が開拓をしていると」

「ああ、まあ俺らは街を追い出されてな。他に住むところがなくて開拓を始めたわけだが」

 初耳である。

「ブルスト、追い出されたというのは……?」

「ああ、俺ら亜人は魔王軍の手下だと思われてな。丁字路村から山を二つ越えたところにある、フシナル公国っていう小さい国だが……。今はなくなっちまったんだっけ」

「うん、一晩にして火事で燃え尽きちゃったって聞いてるね」

 ブルストとカトリナが遠い目をした。

「フシナル公国……。あれは痛ましい事件でしたね」

 クロロックもうんうんと頷いた。
 顔からは表情が全く読めない。

 ちなみにフシナル公国は国がまるごと魔王に寝返り、フシナル公爵が不死王を名乗ってハジメーノ王国を滅ぼそうとしたので、俺がまとめて焼き払った。
 デッドエンドインフェルノを、フシナル公国のために開発したなあ。
 広域炎魔法に不死殺しの属性をつけるのに苦労したっけ。

 だが、そんな些末な話は今語るべきことではない。
 ブルストとカトリナは苦労したのだなあ。

「では、畑を見せてください」

 いきなりクロロックがぶっこんできた。

「なぜ畑を……!」

「お答えしましょう芋農家の人」

「うむ」

「作物は開拓地の命だからですよ。ワタクシは本を出しているだけあって作物にも詳しい」

「なんと……!」

 これは心強いやつがやって来たのかもしれないな。
 俺はクロロックと、なぜかブルストとカトリナを連れて芋畑にやって来た。

「どうだ。自慢の芋畑だ」

「茎がひょろひょろですな」

「なにぃ……!?」

 突然厳しいことを言われた。
 こいつ、一体何を!?

「ワタクシの本を御覧ください。ここにワタクシが書いた芋畑のイラストがあります」

「あっ、絵、じょうず」

 カトリナが褒めた。
 クロロックが嬉しそうにコロコロと喉を鳴らす。
 カエルみたいだな。

「気を取り直して、ワタクシのイラストを御覧ください。茎が太いでしょう」

「ほんとだ。これに比べると俺が育てた芋の茎はモヤシだな」

「モヤシとは東国ナンデモックの作物ですね。よくご存知で。つまりそのモヤシの様に見えるというのは、栄養が足りていないのです。肥料は何をやっているのですか」

「肥料とはなんだね」

 俺が真顔で聞くと、クロロックが目を見開いた。
 瞳孔がまんまるになる。
 ポカーンと口が開き、喉がクエー、と鳴った。

 そのまま一分くらい経過する。
 やっとクロロックは我に返ったようだった。

「ワ、ワタクシが来て本当に良かった……。いいですか。見たところこの辺境の土地は、畑を作るのに適していません。肥料をやって土地を育てる必要があります」

「土地を育てる!? 未知の概念だ」

「お二方! よくぞこの芋農家の人に芋畑を任せましたね」

「ショートは俺らの中でも一番芋を育てるのが上手いんだぞ」

「そうそう。ショートは何でもできるもんね」

 ブルストもカトリナも嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
 だが、クロロックはまた瞳孔をまんまるにした後、今度は喉を膨らませてグロロロローと鳴いた。

「はっ、失礼しました。あまりのことにワタクシ、一瞬放心しておりました。あなたがた、よく辺境で生きてこられましたね……。ですがワタクシが来たからにはもう安心です。肥料を!! 肥料を! 作りましょう!」

 力強く、クロロックが訴えかけた。

「肥料……。それを使えば何か起きるのか……?」

 俺の言葉に、クロロックが力強く頷く。

「芋が太ります。やりましょう」

「よし、やろう」

「やりましょう」

 そういうことになったのだった。