弁天橋を渡りきると観光客で賑わう弁財天仲見世通りに入る。
 江ノ島神社の参道で青銅の鳥居から朱の鳥居まで二〇〇メートルほどの緩やかな坂道だ。午前一一時になり、そこにある一件のしらす丼屋さんで少し早めにお昼のしらす丼を食べる。
 食べ終えた後はタコ煎餅だが、仲見世通りのお店は長蛇の列で望によれば登りきった所にもあるらしい。長く急な江ノ島神社の石段を息を切らしながら登って参拝し、辺津宮(へつみや)境内の銭洗池でみんなで「せーの!」と声を揃えて小銭を一斉に投げ入れたが全弾外れ。
「ああーっ! 五〇円も課金したのに!」
「冬花、スマホゲーじゃないんだから」
 大金を投げ入れて失敗し、嘆く冬花に望は苦笑する。
「風間さん、あれ僕たちも書こうか」
「う……うん」
 光は夏海とピンクの絵馬に名前を書き、縁結びの樹にかける。
「ぜぇ……ぜぇ……やっぱりここ登るのキツイって聞いてたけど、もう無理……」
 頂上に続く険しい石段を登り切ると一番後ろを歩いていた冬花はヘトヘトで、望も気にかけていたのか駆け寄る。
「大丈夫冬花? 少し休もうか?」
「うん、ここでタコ煎餅食べようか」
 冬花は汗だくになりながらも健気に微笑む。休憩も兼ねてみんなで広場の大道芸を見ながらタコ煎餅を食べてサムエル・コッキング苑に寄り道し、苑内にあるシーキャンドルの展望台にも上がった。
 夏海は屋外展望台で吹き付ける風にも負けず、鎌倉の方を指差して光に訊く。
「ねぇ、あそこからゴジラが上陸したんだよね?」
「うん、鎌倉を通って横浜から武蔵小杉駅まで来て――」
 光は好きなゴジラ映画のことを話し、饒舌になる。
 サムエル・コッキング苑を出ると江ノ島の裏側である稚児ヶ淵(ちごがふち)の岩屋橋を通って岩屋洞窟に入り、背の高い千秋には狭くて屈んで進み、後ろにいる春菜に注意を促す。
「気を付けてよ春菜、私もあなたも背高いから頭打ったり――」
「いたっ!」
「もう、言ってるそばからぶつけてどうするのよ」
 暗い洞窟の中、蝋燭(ろうそく)の明かりを持った千秋は楽しそうにクスクス笑った。


 岩屋洞窟を後にすると雪水冬花はみんなと稚児ヶ淵の岩場に降りる。望によると今日、海は時化(しけ)てるという。
 事実、激しい飛沫を上げながら海水が勢い良く岩場の奥まで流れ込んでくる。
 稚児ヶ淵~弁天橋まで一〇分足らずで行ける遊覧船「べんてん丸」も今日はお休みだ。それでも潮風は心地よく、太陽は眩しく、夏の空は青く、遠くには薄っすらと富士山が見える。
「わぁ……綺麗な眺め、いいなここ!」
 春菜はローファーと靴下を脱いで素足になると、千秋は微笑んで同じように素足になって夏海も後に続いて冬花に手を振りながら促す。
「冬花ちゃん! 早く早く!」
「うん! 待って夏海ちゃん!」
 冬花もローファーと靴下を脱いで岩場に置き、海水で濡れた岩肌を直に感じながら駆け寄る。しゃがんでみると足下の岩場の水溜まりには小さな魚が泳ぎ、隙間には小指の爪くらいのカニやフナムシ等の小さな生き物が顔を出している。
 冬花はフナムシを捕まえ、潰さないよう優しく手で包むとイタズラしようと微笑む。
「みんな、捕まえたよ!」
「えっ? なになに、魚?」
 春菜が歩み寄ってしゃがむと、冬花は春菜の足下でパッと手を開いてフナムシを逃がした。
「いやぁぁあああああ!!」
 目にも止まらぬ速さで激走すると春菜は絶叫、冬花は面白くてたまらず指差して爆笑し、千秋も愉快だと言わんばかりに大笑いして夏海も声を上げて笑い、春菜は堪らず文句を言う。
「笑うな! みんなだってゴキブリとかクモとか嫌いでしょ!」
「夏海、今の見た? 超面白かったでしょ?」
 千秋は春菜の文句もどこ吹く風と言わんばかりに言うと、夏海も頷く。
「うん、だってあんなに驚くんだもの」
「夏海も酷い!」
 春菜が半べそかきながら言うと大きな波が飛沫を上げて押し寄せ、岩場に海水が流れ込んで足首辺りまで浸かり、みんな高い声で叫ぶ。
「きゃあああ冷たい!」
 冬花は叫びながら慌てて立つがスカートの裾が濡れる。幸い裾の端だけだったが、一番波飛沫に近かった夏海はスカートの四分の一近くを濡らしてしまった。
「あっはははははは! 冷たい! ずぶ濡れ!」
 夏海は心の底から楽しそうに笑い、裾を絞る。あんないい顔、夏休み前には見せなかったね。冬花は自然と笑みが浮かぶ、もし光君にあんな笑顔を見せてるとしたらきっと世界で一番の幸せ者だ。
 千秋も同じ気持ちだったのか、スカートの裾が濡れてるのに気にもとめず楽しそうに笑う。
「ホント、でも夏海、今凄くいい顔してるよ」
「……みんながいてくれたから、みんなのおかげだから!」
 夏海は恥じる様子もなくみんなに微笑んで言うと、春菜は両手を腰にやって「うんうん」と感慨深そうに首を縦に降った。
「あたしは今の夏海が羨ましいよ。かっこよくて真っ直ぐな彼氏に、ちょっぴり変で、面倒で、駄目だけど、優しい友達に囲まれてね」
「誰が変で面倒で駄目な人よ! 春菜も人のこと言えないでしょ!」
「うん、あたしだってそうよ千秋、だから寄り添い合って生きてるんだって」
 千秋にジト目で言われても春菜は素直に受け止め、千秋や冬花と笑い合った。

 持参したタオルで足を拭いて稚児ヶ淵を後にし、急な石段を登りきった所にある甘味処で休憩する。江ノ島はアップダウンが激しく石段を登り切ってヘトヘトになる、ここで生活してる人たち大変だろうと甘味処の女将さんに訊いたが、曰く「この辺に住んでる人たちはみんな足腰が丈夫なのよ」だと言う。
 冬花はコケモモ・フロートを注文すると望がトイレに行ってる間、隣に座ってる夏海に提案する。
「ねぇねぇ夏海ちゃん、この後光君と恋人の丘に行ったら?」
「うん、冬花ちゃんもね」
「えっ? あたしも」
「うん大丈夫! ずっと仲良くしてるんだもの、如月君だってきっと同じ気持ちよ」
「……知ってたんだね」
「なんとなく……だけど」
 夏海は優しく冬花に諭す。答えを有耶無耶にしたままではいけないのはわかる。
 だけど、いざ伝えようとなると自分はともかく、望君を傷つけてしまいそうで怖い。夏海の向かいに座ってる光もジッと見つめながら背中を押す。
「僕も望から聞いたよ。だけど伝えた後でも無理に変わらなくていいと思う……少しずつ歩み寄っていけばいい……だから冬花、勇気を出して」
 光が初めて名前で呼んでくれた。冬花は嬉しくて勇気をくれた友達に頷く。
「ズルいよ光君、こんな時に名前で呼ぶなんて」
「どうしたの冬花、なにかいいことでもあったの?」
 そして折よくトイレから戻ってきた望は冬花の向かいに座る、冬花は少し見つめると微笑みながら頷く。
「うん! 光君と夏海ちゃんがね、背中を押してくれたの!」
 望は首を傾げながら向かいに座った。

 そして甘味処を出るとすぐ(りゅう)(れん)の鐘がある恋人の丘に続く森の道へと入る、少し歩くと先客のカップルが一緒に紐を握って鳴らしている。
「風間さん、僕たちも鳴らそうか」
「うん、鳴らそう!」
 光と夏海も幸せそうに笑みを交わす。この時間を満喫してる冬花は望の横顔を覗くと、羨ましそうとも寂しそうとも言えるような眼差しで二人を見つめていた。
「ねぇ望君、あたしたちも鳴らそうか」
「冬花……でも俺たち……付き合ってるわけじゃないし」
 望はあの時のことを思い出してるのか、その表情は複雑だ。
「望君、あの時は……ごめんね。傷つけちゃって」
「……何言ってるんだよ、冬花はなにも悪くない」
「どうしてあの時泣いちゃったのか? 昨日光君が嬉しすぎて泣いちゃった時、やっとわかったの……あの時嬉しすぎて嬉しすぎて、どうすればいいかわからなかったの。だからごめんね、好きって言ってくれたの本当は凄く嬉しかった!」
 呆気に取られた表情の望だが、次の瞬間には長年の荷が降りたかのように安堵の表情になる。
「冬花……謝らなくていいんだ、俺も冬花のことが好き。今までも……そしてこれからも、ずっと君と一緒に歩いていきたい」
「うん! あたしも、これからも望君と前を向いて歩いて行きたい!」
 冬花は望と晴れやかな笑みを交わすと、光と夏海が見守るような眼差しで見つめている。
 光は「お先にどうぞ」と視線で示すと冬花は望と手を取り合い、そして一緒に鐘を鳴らす。
 新しい一歩を踏み出したことを告げるかのように。