学校からの帰り道、私は一人で歩いていた。
いつもはミキとイッチーと一緒なんだけど、今日は急いでるからと一人で学校をとび出した。
一人で帰りたかった。ダニーの言ったこと、じっくり考えてみたかった。
輪・・・。輪・・・。
知ってるよね、ダニーは言った。見たことあるよねって。
うん。私は答えた。
天使の輪。
きっと私が何度か見た白くって透き通っている輪のことなんだ。誰に聞いても変な顔された、私にしか見えない天使の輪。
今度見たらさ、触ってごらん。そして、腕を通してみてごらん。ダニーは言った。
もっと詳しく聞きたかった。触れても大丈夫なの? 腕に通せるほど大きくないような気がするよ。外せなくなったりしない?
でも、あの時、20分休みが終わるチャイムが鳴り、そのあと、他の子たちに囲まれたダニーと話す機会がないまま下校になって、ミキたちとぐずぐずしてるうちにダニーはいなくなってしまった。
それから一週間くらい、輪を探し続けた。だけど、輪らしきものは一向に現れなかった。思えばいったい何回見たことがあるってんだろう。これから先いつ現れるとも限らない。
私が輪、輪、輪でやきもきしてるってのに、ダニーはあっという間に人気者になった。これはどうやら変わった名前とカールした髪形だけのためじゃないらしい。
「かっわいいんだよねぇぇぇーーー」
ミキが言う。ミキの趣味はマッチョタイプより美青年、美青年というよりかわいい男の子なのだから、ダニーはぴったりだ。ミキは性格はがらっぱちだが、着るものはひらひらのフリル好きだ。
「あんたねえ、やめときなよ。性格と着るもの、まるっきり反対っての詐欺みたいなもんじゃない」
「えっ、じゃあ、性格がぶっとんでる子はコンサバな服着ちゃだめってわけ? 性格のいい子がちょっと悪っぽいカッコしちゃだめってわけ? それって性格による差別じゃん!」
ミキの言うのは確かに一理ある。私が着ていて落ち着くのは男の子でも女の子でも着れるようなやつ、要するにユニセックスのやつだ。でも時々、妖精の可愛い女の子が着るような白い透き通るようなレースの服の前で立ち止まったりする。
それってただきれいだから立ち止まって見てるのか、いつかは着てみたいなって気持ちがあって立ち止まってんのか、自分でもわからない。
眉毛きりり、目がしゃきり、すばしっこそうな男の子に見える私、性格もそれに近いのかな・・・。でもこんな私ふうの子がいて、ふととっても女の子っぽい服が着たくなったとする。そしたら着たっていいのだ。
とにかく人気者になったダニーだから、たいてい誰かがそばにいた。そこに私が「よお!」って声をかけるのも何だか唐突すぎた。
ダニーがもっとひっそりした転校生だったらよかったのに。目立たない静かなタイプで、休み時間に一人残されてしまった彼に、私が親切に話しかける振りをして、実は自分が聞きたいことを聞く。
ねえ、どこに行ったら輪が見えるのか教えてくれない?
そう、私は、自力で輪を見つけるのを諦めかけていた。ダニーがここだよって教えてくれれば、じっと目を凝らせば見えてくるかもしれない。
それからしばらくの間、ダニーと時々目が合った。お互い何か言いたそうに視線を交わしたりけど、どちらからも寄って話そうとはしなかった。
その日は開校記念日で休みの日だった。6丁目公園のベンチでブランコに乗ってると、ダニーがやって来た。
片方の足がちょっと内股なのは3才のときといっしょだ。
「オーイ!」
私は手を振った。
「その髪、誰の趣味?」
「誰のかな。はっきり覚えていないんだ。小さい頃からずっと長かったから、長いのが自然に感じるんだ」
「けっこういい感じ。それってお母さんの趣味かと思った」
「かもね。ほとんど覚えてないからね。ママのこと」
えっ? ダニーお母さんいなかったんだっけ?
そう言えば、ゴロさん以外の人が迎えに来たことあったかな? 何度かあったような気もするけど。
「お母さん、いないの?」
聞かなきゃいいのに聞いてしまった。
「うん」
それ以上言いたくなさそうなので話を変えようとした。と、ダニーが言った。
「よく覚えてないし、誰も教えてくれないんだ。けど僕が2歳くらいの写真でさ、髪染めてんのがあるんだ。ママも僕もかなり金髪に染めてんだ。ママはなんだかピッピみたいだって思った。その写真の中のママはさ」
「ピッピ?」
「うん。長靴下のピッピが大きくなったらこんな感じじゃないかなってそんな感じさ。口を凄く大きく開けて笑っててさ」
私は大人になったピッピってどんなのか考えてみた。でも思い浮かぶのは挿絵のピッピだけだった。
「きっと僕のこと外国の子みたいにしたかったんだろうな。名前だって、髪の毛だって。パパは染めたり好きじゃないから、もう染めたりはしない。でもさ、僕のこの天然の髪だけはさ、何だか切れなくてさ」
ダニーにとって長い髪は母親との唯一のつながりなのかもしれない。私が名前でパパとつながってるみたいに。
ダニーはとても可愛らしい目をしている。ゴロさんと同じで丸くてあざらしみたいでとっても可愛らしい。ゴロさんとダニーが似てるとは思えなかったけど、その目があざらしみたいに可愛いってとこは似ている。
ダニーは、肩まで垂れたその髪を手でくしゃくしゃとつまんだ。でもつまんだ瞬間にはもう他のことを考えてるようだった。
風を見てるの? フェルルって何? って聞きたかった。
今なら聞けるのに、なかなか話せなかったダニーに聞けるのに、なんだか聞いたら卑怯って気がした。自分で答えを出さなきゃって。風が見える子には風が見える子同士のルールってのかな、そんなのがある気がした。
5時の鐘が鳴るまで、一緒にブランコにのっていた。特に何も話さなかったけれど、一人じゃないって、こういうことを言うんだって思った。
帰り道、ダニーのママってどんな人だろうって考えた。ダニーは会いたいんだろうか。
私のママはダニーから見たら、どう映るのかな。
ダニーにはママがいない。
私にはパパがいない。
時々、ゴロさんと話していたママ。ママの銀髪が光っていた。ママは私が覚えてる限り、ずっと銀髪だ。
あのころ、あんなに欲しかったパパという存在が、今は特に欲しいとも思わない。それとも思わないようにしているだけかな。
あのとき、ママがいないダニーをパパがいるって理由だけで憎らしく思った自分。ダニーにママがいないことすら気づいてなかった。
コゲラ保育園にいた三才の自分とダニー。
何だか今でもどこかにいるようで、耳を澄ます。あのころのあの空間が今でもどこかにあったら、お客さんみたいにそっと行ってみたいと思う。
そんな空間、みんな自分に詰め込んでるのかもしれない。
ママが一度だけ、男友達を紹介した。二年前のことだ。
背が高くヒョロっとしてて、どこか動きがぎくしゃくした人だった。わたしとあまり目を合わせようとしない。「やあ、君がロコちゃんか」と言って頭を撫ではするんだけど、その目が泳いでいる。嫌いな食べ物をおいしいって言わなくちゃいけないときの苦しげな目だった。
今から思うと、その人、特にママの恋人ってわけじゃなかったと思う。ママは人助けが仕事だから、ママが助けた人の一人かもしれない。
何にしても私はその人が気に入らなかった。全てが気に入らなかった。襟足が伸びた髪も、ぺらぺら光沢のあるスーツも、ママに話しかけるとき、ねぇねぇと子供のように首を傾けるしぐさも。
三人で動物園に行った。「子供と行くところって動物園だよね」とママに話しかける男に、おまえが一人でいけーーーー! と叫びたくなった。でも、叫んでる自分を思い浮かべたら何だか笑えてきたのでやめておいた。
男は動物園で月並みに楽しそうで、月並みに優しく話しかけ、月並みに微笑んだ。月並みって言葉が教科書に出てきたばかりだった。私には男のすることすることすべて月並みに思えた。
「あの人どう思う?」
帰ってから、聞くママに、
「なんだか、背だけ高い子供みたい。それにすごく月並みだよね」
ママが笑い出した。ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ、て感じの男みたいな笑いだった。
「うん、月並みだよね、彼。それにやっぱ子供っぽい。ケンタロウの方が子供なのにずっと深みがあると思うんだよね」
ケンタロウ?というママに、私はどれだけ彼がルックスは今いちにしても、おもしろくて素晴らしい人間なのかを力説した。ママは笑って、私も夢中で話した。
そのあと、パパに会いたくなった。パパだったら、あの男より客観的に見てもっと冴えなくて、もっと月並みだったとしても、許せたと思う。
自分の親だから、子供だからって場合、めちゃめちゃ判断基準がきつくなるか、緩くなるかだ。きつい場合は緩くしようと、緩すぎる場合は少しはきつめにって努力したりするんだろうな。
とにかく私がママに対してめちゃめちゃ基準緩いように、パパに対してだってそうだって思った。立って息してたら、それだけで許せるような気もする。
ダニーの存在は私に深みを与えてくれる、そんな気がした。深みってのは複雑さ? 思考? 自分を振り返ること? 自分の存在や周りの人の存在を改めて考えること?
とりあえず、そう、とりあえず 輪を見つけなければ、と思った。