冷蔵庫から落ちた一枚の写真を前に、私は随分長い間すわっていた。写真の中のサチの手を見ながら、サチの掌が光を反射していた様子を思い出していた。

 あのとき、ここに幸ありの ここ とは、サチの掌ではないかと思った。幸せの予感とでもいうものをのせたサチの手。生れたときは誰でも特っている幸の予感…。大人になってもかつて自分が幸を握り締めていたという遠い記憶を残している者もれば、小さくなったベビー服のようにほおり投げてしまった者もいる。

 あのとき私には、失っていた幸の記憶がうっすらと蘇っていた。それは単に妊娠による体と精神の変化がもたらした気のせいだったのかもしれないが、その記憶は、突然出来た異物のように、私の精神、肉体に変化を起こさせた。攻撃性に敏感になり、それまで気づかなかった穏やかさに心惹かれ始めた。見えなかったものも見えてきた。もともと「幸」の培養に失敗した私だったから、「幸」は狂い咲きに似た現象を私の中に引き起こしたのかもしれない。デニスは単に「一種の狂気」だと言い、医者はホルモンの関係による感情の高ぶりだと言った。けれど私はそれ以上の何かであると信じたかった。体の中に一つの命を育み、育てていく、それが私の中の「幸」の記憶、「幸」への予感を蘇らせた…そんな希望に繋がる何かだと思いたかった。

 私の運転に攻撃性が戻り、妊娠中経験した不思議ともいえる感情は次第に姿を消した。

 私が健康を取り戻したのが嬉しいとデニスは優しく微笑み、私は作りかけのピザにチーズを振りながら、そうね、と答え…見た目には以前の二人に戻ったようだった。ビールは冷えてるかい?という彼に、バドとミラーがまだあったはずよ、と大きいだけが取り柄の冷減庫からビールを取り出す…。そんな具合に以前の日常を取り戻した私たちは給料日には映画を見に行き、そのあと行きつけのバーで一、二杯ジョッキでビールを飲み、デニスはバーテンダーのルーとダーティジョークを二、三交わす。デニスは新しいジョークを披露したあと決まったように私の方を向きウインクする。それは学生時代と同じいたずらっぽいボーイッシュな笑顔であり、少女漫画のヒーローのように目に星がいっぱいだ、と思ったかつてのデニスの瞳をほんの少しだけにしても彷彿させる。

 デニスの中の攻撃性に息をのむ思いをすることはもうない。テレビに向かって怒鳴っていたあの時のデニスは、ビデオゲームに熱中する少年ののりだったのだ、それだけのことだ、と思えてくる。次第に、あの時の私と今の私、どちらが狂気なのか分からなくなっていく。

 あの時の私は本来の私ではなかったのだ、そうも思えてくる。あの時のフィーリングは、虹のように少しずつ輝きを失っていき、気づいたときには心象風景というキャンバスにその輪郭さえ描くのが難しくなっていく…。輝きは期待を残さぬまま薄っぺらく私の中に貼りつき、姿を消していくのかもしれない。
 
 デパートのフォーマルウェアコーナーでの毎日は何気なく過ぎていく。毎日、何人もの人に愛想笑いをし、数人の客からはお小言をちょうだいする。大学に戻り、心理学の修士を取り、カウンセラーになりたいという夢は夢のままどんどん小さく小さく小さくなっていく。

 デニスは二人の仲がまだ少しだけ以前と違うと感じていたのか、フロリダ旅行を提案した。私たちはお揃いのサマーシャツを着て飛行機に乗り、SDカード五枚分写し、誰もが羨む日焼けとともに帰ってきたが、それでもデニスが寝ついたあと、一人天井を見つめていると、何かが以前とは違うと思えてくる。

 そんなとき、私はサチの手を思い出す。小さくて、それでいて陽の光を何の苦もなく掴み取ってしまいそうだったサチの手を思い出す。太陽が細胞分裂し、まぶしくって、サチの小さな手の存在が私を満たしていたあのひとときを思い出す。
 
 もうハリーと一緒にジャスミンティを飲むこともない。彼のぎこちなさ、要領の悪さを以前のように敬遠し始めている。彼は相変わらず数匹の魚と密集した植物の鉢と暮している。そういえば、魚は一匹死んだと聞いた。

 エリーから、最近一度電話があった。サムからはやはり連絡がないという。

「サムを憎むこともあるのよ。あんなやつ死ねばいい、サチに金だけ残して死ね!って思うこともあるの。…けどね…」
 
「うん…」
 
「けどね…サムがどこかで元気で暮してること祈ったりするのよ。ほんとにバカよね」
 
「…でもね…エリーみたいなバカがもっと増えればいいと思うよ。この世の中がエリーみたいな要領の悪いバカでいっぱいになって…そしたらサチにとって希望のもてる世界になるわ」

 エリーは何も言わなかった。けれど私にはエリーが見えた。あの大きな真っ黒な目、アザラシの赤ちゃんに似た目で、受話器を握っているだろうエリーが見えた。

 私は無力のまま、デニスへの愛情も確かでないまま宙ぶらりんで受話器を握り締めていた。受話器の向こうにはやはり絶望的に宙ぶらりんのエリーがいて、気のいいエリーがいて、宙ぶらりんの私を感じているに違いない。

 一体、何が正常で何が異常なのだろう、何か狂気で何か正気なのだろう。このまま私はデニスと二人で年をとっていくのだろうか。子供には恵まれるかもしれないし、恵まれないかもしれない。

 月日が経てば、エリーからの連絡も間遠になるだろう。エリーと過ごしたあの数日のことも次第に忘れていくのかもしれない。けれど、あの数日の自分を忘れたくはないと思う。サチの掌を見て感じた、あの不思議と懐かしく、穏やかな、「幸」の記憶を忘れたくないと思う。けれど、そのうち夏の日の立ち眩みに似た唐突さしか思い出せなくなるのかもしれない。

 私はそれが恐い。

 恐く、悲しい。