高城領とメアドを交換した。

友達なんかいなかったし、親と連絡をとるのもほぼ業務連絡のみだから、私のケータイはいまだにガラケーだ。高城領もちょっとビックリしてた。

 カバンのポケットにしまってあったケータイは、ほとんど新品の状態。連絡先を登録するのも久々のことで戸惑ってしまって恥ずかしい。


「じゃあ、明日バンドのメンバー紹介すっから!放課後、明けといてなー!」

「うん、わかった」


 校門を出てそんな会話をしたあと、私たちはそれぞれ反対方向へ歩き出した。送るって言って聞かない高城領には、ちょっと1人で考えたいからとなるべく言葉を選んだ。断るっていうのも意外と気を遣うんだ。

 ひとりで歩くいつもの帰り道だけれど、吸う空気はなんだか違う。

 今日は、本当にいろんなことがあった。大袈裟かもしれないけれど、世界が変わっていくのを感じたっていうのかな。こんなこと、今時映画のヒロインだって言いやしないだろうけれど。

 多分きっと、思い返したときに今日という日がトクベツな日になるんだろう。何故だかそんな予感がしてるんだ。

 ……でも、まだ一つ残ってることがある。それは私にとって最大の難関だ。


「……よし」


 一度立ち止まって深呼吸をしたあと、覚悟を決めて再び歩き出す。吸い込んだ空気は、やっぱりいつもと違う味がした。




 家に着いたのはいつもより30分遅い時間だった。

 制服のままリビングに入ると、いい匂いが鼻をくすぐった。すくむ足をなんとか動かして、広いリビングの中を音もたてずに進む。

 無表情で夕飯の支度をしているお母さんは、私が部屋に入ったのに気づいたのか気づいてないのかさえわからない。今日はお父さんがいなくてよかったと心底思う。

 ジュージューと、フライパンの上で何かが焼ける音。漂う匂いに空腹を感じるけれど、緊張で今はそれどころじゃない。

 ……言わなきゃいけない。


「……お母さん」


 それは、本当に小さな声だったと思う。震えたそれに、なんて自分は弱い人間なんだろうと情けなくなってくる。聞こえたのかどうかわからなかったけれど、お母さんはゆっくり私に顔を向けた。

 面と向かってしゃべるのは、いつ以来なんだろう。

 夕食と朝食以外の時間、私はこのリビングという空間にいたことがない。だから、お母さんが料理をする姿を見るのだって、本当に久々のことで。

 お父さんが帰ってこないうちの家庭で、お母さんが毎日きちんと料理をしてくれているのが私のためだってこと、わかっていたけれど。目の前にすると、やっぱり胸が痛くなる。


「……どうしたの?」


 凍りついたような空気があたりを漂う。冷や汗が止まらない。ぎゅっと、服のすそをつかむ。高城領の言葉を思い出す。

───嘘ばかりついてるって言っていた。思ったことをもっと吐き出せばいいと、そう言ってくれた。


「……わたし、明日から部活やることになったから……帰りが少し、遅くなる」



 なんて言葉を返されるのか、怖くて顔があげられない私はまだまだ弱いと思う。


「……勉強の妨げになるんじゃないの?」

 
 冷たく、ひどく冷静な口調でそう言って、お母さんは再び夕飯の支度を始めた。唇をぎゅっと嚙みしめる。

 ダメだ。ここで終わったらいつもと同じじゃないか。諦めたら、ダメなんだ。


" 音が、曲が、音楽が。
誰かの心に伝える事だってできる "


「どうしても……やりたいの……!」


まっすぐまっすぐ前を向いて。今にも溢れそうな涙をぐっとこらえた。自分がこんなことを言うなんて、自分でも驚くくらいだ。

でも、高城領が、後ろで背中を押してくれている気がしたの。

 声を荒げた私にお母さんは一瞬こっちを見た。いつも無表情のお母さんが、少しだけ驚いた顔をして。


「……綾乃がそんなことを言うなんて珍しいわね。……好きなようにしなさい。けれど、勉強の邪魔になるようだったらやめなさいね」


いつもみたいにつめたい口調だった。でも、お母さんがわたしの名前を呼んだ。アヤノ。なんだかそれは、とっても特別名前に思えて。


「……ありがとう、お母さん……っ」


それしか言えなかった。今はまだ、それが私の精一杯だった。

 溢れそうになる涙をぐっとこらえてお母さんに背中を向けた。バタンと扉をしめて、廊下へ出る。急いで自分の部屋へかけあがりながら、高鳴る胸の鼓動が騒がしい。溢れ出そうなこの感情を、私はどうしたらいいだろう。




「……っ」


 部屋へ駆け込み、ズルズルとその場にしゃがみ込む。

 悲しいのかな、それはなんだか違う気がする。じゃあ嬉しいのかって聞かれると、それもなんだか違うく思えて。

 だけどね。たった一言だけだったけれど。

私はお母さんに向って、初めて自分の意見を言えた気がする。初めて、面と向かって言葉を話せた気がする。

そしてお母さんも、そんな私を見て驚いてた。当たり前だよね。いつも黙って『いい子』でいた娘が、いきなり反論してきたら驚くに決まってる。


 なんだか今日は、凄い日だ。いろんなことが変わっていく。それは私自身なのか、私の周りなのかはわからないけど。

ただひとつ、お母さんにはバンドのことを部活と言ってしまった。嘘になるけれど、バンドをやるなんてちょっと言いにくかったんだ。


 私、今日始めて自分になれたみたいだ。





「おはっよー!」


いつもながら、彼の声はよく通るなあと思う。姿が見えなくても、誰の声なのかわかってしまったところが少し悔しいけれど。


「おはよ」


 今日は私も、小さな声でそう返事をする。恥ずかしいから顔は下に向けたままだけれど。見なくてもわかる。彼はきっと今白い歯を見せて笑っているんだろう。

 朝、下駄箱、隣には高城領。


「おれ、昨日曲作りめっちゃはかどってさー! すげえいい感じなんだ!綾乃のおかげかなー?」


 教室に向かって歩き出す。昨日と合わせてこれで二回目。隣を歩くのは。

 いつものように笑いながら、ポケットに手をつっこむ。適度に着崩した制服と、ブレザーから覗くグレーのパーカーは領によく似合ってる。


「曲作れるって、すごいよね。私には絶対できないや」

「んー…おれの場合ほとんど趣味みたいなモノだけどね!でも、完成した時の達成感ハンパねーからやめらんないんだよなあ」


 好きなことを話すときのニンゲンってこんなにも嬉しそうな顔をするんだ。知らなかったなあ。高城領の横顔は、なんだか可愛かった。

 背が低くて目線の高さが合うって所も、きっと高城領が女子に人気の理由のひとつなんだろう。



「バンドの人、どんな人たち?」

「キャラ濃いけど中々いい奴らだよー!ぜってー2人とも綾乃のこと気に入るから安心してよ!」


 高城領のバンドメンバーは、彼を含めて3人いるらしい。なんでも、ボーカルだけが見つからなくてずっと探していたんだと。


「……そっか。よかった。
高城領が言うならきっとそうだね」


 高城領はフレンドリーで、私なんかに喋りかけてくれる変わり者。だけど多分、このひとはとても優しい。そう思う。

 でも、他の2人は私の全然知らない人らしい。まあ私が他人に興味があるわけもなく、クラスメイト以外のニンゲンを知るわけがないんだけれど。

 高城領が教えてくれたことと言えば、領と同じバンドに所属していて、同じ学年ということだけ。

……実のところ、私は昨日から大分緊張している。だって、友達がいない歴早3年。いやもっとか。人と関わるなんて、私には未知だ。

 というか、そういえば。領が返事を返してくれていないことに気がつく。


「? 高城領、どーしたの?」


 トナリを歩く高城領。私より少しだけ背が高いから、ちょっとだけ見上げるカタチになる。男子の中では、やっぱり小柄だ。

そんな高城領の横顔は、心なしかほんのり赤く染まっている。


「……もー! 綾乃がヘンなこというからだ」

「え? 私ヘンなこと言った?」

「……なんでもない。ていうか、いつまで高城領って呼ぶ気?!」

「いや、それは、」

「次そう呼んだら許さないからねー!領って呼ぶ練習でもしときなっ」


 高城領が少し不機嫌そうに教室内に消えていく。これまた自然と、クラスの中心グループは高城領を囲むのだ。

 ……領。そう呼んでいいよって何度も言ってくれるけれど、そう簡単にはいかないのが現実で。心の中では気軽に呼べても、いざ目の前にするとやっぱり違う。

 人の名前を呼ぶって、案外のこと難しい。






「…….はあ」


 今日も案の定、授業に集中できない。小太り担任のうざったい授業でも、真面目に聞いてるフリをするのが私なのに、昨日今日はどうかしている。


 自分の席から窓の外を眺める。


 昨日とはちょっと違った空の色が広がっている。そうか、毎日同じ青じゃないんだあって。人の気分が毎日違うように、空の色もきっと毎日違うんだろう。

 放課後。

 何が起こるだろう。私と、高城……領と、そのバンドメンバーたち。本来なら、関わるはずのなかった人たち。

 緊張と、不安と、ほんの少しの期待が混ざった変な気持ち。でも、ワクワクしてる。私の世界が変わることに、私は内心わくわくしているんだ。




______キーンコンカーンコン


 最後の授業の終わりのチャイムが鳴ると同時に、やっと終わった堅苦しい授業に生徒たちが騒ぎ出す。

 なんだか、今日は長かった。物凄く、時間が経つのが遅かった。

 窓の外の空を見る。流れる雲が、まるで私の背中を押しているみたいだ。


「綾乃ー!」


 教室のど真ん中の席。そこから声を張り上げて私を呼んだのは領だ。おかしいな、私。これが誰の声なのか、区別できるようになってしまった。


「はやく行こっ!
俺もう今日、一日がすんごく長くてさー」


 躊躇もなく私の席までやってきた領が、私が思っていたことと同じことを言う。なんだかそれがくすぐったい。

 私と領のコンビが珍しいのか、クラスの人たちがコソコソ何かを話し始める。それもそうだよね、だって領は学内イチの人気者だ。


「早くいこ! 綾乃!」


 領が、躊躇いなく私の手を引いた。重なる手。満面の笑みの領。昨日まで、周りにどう思われるのか気にしてばかりいた私だけれど。

これだけ何も気にしない領を見ていたら。……なんだか、周りを気にするの、馬鹿らしくなってきた。


「早いよ、領!」


 クラスの人が驚いて、私と領を目で追っている。その前を颯爽と通り過ぎていく。

 何コレ、すごい。

 領に手を引かれて走る廊下は、今までと全然違った。そう、まるで、世界が、変わったみたいに。




 廊下を駆け抜けて、階段を上る。領の脚は早くて、ついていくのに必死だった。

 突然領が止まるから、私は領の背中に思わずぶつかって。そしたら領は振り向いて、これまた満面の笑みで言った。


「着いたよ、綾乃」


〝音楽準備室〟と書かれたプレートが掛かった扉を、領が勢いよく開けた。

 ああ、領ってば、待ってよ。

 息整えたいし、走ったせいで髪はグシャグシャだし、なによりまだ、私の心の整理がついてないんだってば───。

 他の2人はどんな人だろうとか、上手くやっていけるんだろうかとか、私でいいんだろうかとか。考える暇もくれないなんて、領はバカヤロウだ。


「おまえら相変わらず来るのはえーなー」


 領が2人に話しかけている。トビラの後ろに隠れた私。ギュってつぶった目をゆっくりゆっくりあけて、一歩前へと踏み出した。



「コイツ、前から言ってた綾乃!今日から仲間だからヨロシクなー!」



領がそんな風にあたしの肩を持った。その力強さに、私もまっすぐ、まっすぐ、前を向こうと思った。

「……領、スキンシップ激しいんじゃない。緊張してるよ、その子」


 そう言いいながら、表情を変えずにこちらをじっと見つめる、黒髪の男の子。首から提げたヘッドホンに、色白だけどハッキリした顔立ち。寡黙そうな、クール属性というやつだろうか。でも、世間では確実にカッコいいって言われる類の人種だ。


「へーえ。これがウワサの綾乃チャンね」


 次に横から口を出したのは、なんていうか奇抜な見た目をした女の子。真っ黒なストレートロングに赤紫が混ざった髪の毛。ムラサキとピンクのネイルをした手で、ベースを持っている。多分ばっちり校則違反だろう。でもすごく、綺麗な子。

 ……なんか私、とんでもないところに来ちゃったかも。

 だって、私を除いてこの3人、容姿の整い方が半端じゃない。人目をひくってこういうことなんだ、って思い知らされる。やっぱり、私とは正反対の場所にいる人たち。

 領がいなかったら、関わる事すらなかったであろう人。



「まあまあ、とりあえず? 綾乃、自分で自己ショーカイできる?」



 領が私の顔を覗き込む。
どうしよう、私こんなの慣れてない。

 ……でも。2人の視線に、一回ぎゅっと目を瞑って、また開く。そして、コクリと頷いた。



「……えっと、か、片桐綾乃です……」


 緊張しすぎて声が上ずる。恥ずかしい。

 私って本当にこういうこと慣れてない。学級委員や生徒会、押し付けられて何度もやったことがあるけれど、そんな雑用係みたいなものとは全然違う。私って、実は人前苦手なんだ。こんな状態で、ボーカルなんてできるのか甚だ疑問だ。


「なに綾乃、そんだけっー?!」


 領が笑う。だけって。私はもっと焦る。何言えばいいかわかんないんだもん、しょうがないよ。今はこれが精一杯だ。

でも、そんなことすら言えるはずもなく。


「えっと、あの……」

「まあいいじゃん、キンチョーしてんでしょ。このキャラ濃いメンツ見たら誰でもそーなるわなー」


 ケラケラと笑いながら、言葉が出ない私にフォローを入れてくれたのは奇抜な格好の女の子だ。口調は男の子みたいだけれど。

でも、なんて優しく笑うひとなんだろう。


「じゃあ、次は俺らの紹介」



 女の子に続いて、黒髪くんがそう言って立ち上がる。手にはドラムスティックらしきものを持って。




「俺は、高沢 浩平(タカザワ コウヘイ)。 ドラム担当兼、ふたりのお世話役」

「はあっ?! お世話役ってなんだよコーヘー!」

「アンタらウルサ。アタシは、赤川 怜(アカガワ レイ)。ベース担当ね。ヨロシク」

「俺は、高城 領!ギター兼、作詞作曲、たまにボーカルもやります! ってことで綾乃、これからヨロシクッ!」



 3人が、私の目の前に立って笑ってる。私を見て、笑ってる。

どうしてだろう。胸がぎゅって熱くて、言葉が出ない。だって、ひとが、私に向かって、ヨロシクって手を差し伸べてくれている。

 小さな部屋に4人。息をする音が聞こえる距離だ。私がここにいる。だって、3人の目に私がちゃんと写っているから。



「よろしく、お願いします……」



 人と関わること。
今まで避けて通ってきた道。

 こんなふうに、誰かと笑い合える日が来るなんて思わなかった。



「てかさ、綾乃俺らのバンド名知らないよね?」


 領がコウヘイくんにじゃれながら、興奮気味にそう言う。知ってるわけがない。だってここは、私の未知の世界なんだから。



「……うん、知らない」

「よっしゃー!じゃ、教えてやる!俺らのバンド名はー」

「「はるとうたたね」」



 領が大きな口をあけて、今にもきっとその言葉を言おうとしたところに、他の2人が声をそろえてそう言った。

そして、ニヤリと笑う2人。領はポカンとして、それから怒り始めた。


「おっまっえっら!! 俺がいませっかく言おうと思ったのに! 横から口出すなアホー!」


 領がコウヘイくんに飛びつく。それに対して、「ばかみてー」って笑う赤川さん。



「ははっ」



そして、そんな " はるとうたたね " のメンバーをみて、私も自然と笑顔が溢れた。



「「「……」」」



わたしが声を出して笑ったからか、3人が動きを止めてこっちを見た。ビックリして笑いが止まってしまった。な、なに、その反応は。


「綾乃が笑った……」
「てか、笑うとチョーカワイイじゃん」
「バッカ言うな怜! 」


 コソコソと何か言っているのが耳に入るけど、もしかして私のことバカにしてる? なんて思ったけれど、3人は咳払いをひとつして私の方に向き直った。



「ってことでー改めて!」

「はるとうたたねへヨウコソ」




───はるとうたたね、spring nap───




私も今日から、ここの一員になるんだ。