「好きです、初めて見たときから気になってました」



───歌番組のリハーサル。楽屋から出たトイレへ続く人通りのない通路脇。

突然肩をたたかれたと思えば、テレビでよく見かけたことのある可愛らしい女の子が立っていた。と、状況を理解する前に言葉を紡がれた。



「……え、」

「えっと、いきなりで、ごめんなさい」

「人違いじゃないですか?」

「え! 違います! ……"はるとうたたね"の、ドラム、ですよね?」



はるとうたたね───自分が所属しているバンド名。パートはドラム。合ってる。間違ってない。


だけど俺は、この子と関わった記憶が一切ない。というか、今初めて話した。テレビではよく見かけるけれど。


……多分、今売り出し中の大人数アイドルグループのひとりだろう。顔を知っているということは、人気はトップの方。踊っているのは最前列。



「そうですけど、すみません、話したの、初めて、ですよね?」

「えっと、そうです、」

「……アイドルは恋愛禁止じゃなかった?」

「そう、なんですけど、」

「ていうか、こんなところで話してたら週刊誌とられますよ、気をつけた方がいい」

「あ、あの、でも!」

「……はい」

「好きなんです、高沢 浩平(タカザワ コウヘイ)さん、あなたに会いたくて、芸能界に入ったんです……!」








「はあ? それで、何も言わずに逃げ出したの?!」



本番終了後の楽屋にて。

リハーサル前にあったさっきの出来事を"はるとうたたね"のメンバーに話すと、想像以上に驚かれ、同時に罵られた。



「あっりえない、相手はあの平石 結衣(ヒライシ ユイ)ちゃんデショ? コーへー、あんた日本中の男に刺されるぞ」



ベーシストの怜が信じられないといった表情でこちらを指さす。女子なんだからもう少しおしとやかな話し方をしたらどうなんだ、と出会ったときから思っているけれど変わらない。それはそれで怜の個性でもある。


───ヒライシ ユイ。通称ユイユイ、というらしい。最近売り出し中の50人組アイドルグループで、トップ7にランクインする人気アイドルだ。最近は女優業にも励んでいるとかいないとか。



「……いや、喋ったことないし」

「関係ナイだろーが、せっかくのチャンス逃してバッカだなー」



人のことをとやかく言う前に、怜はその男口調を治したら、とは口に出さないでおく。



「なあ領、どう思う? ありえねーよなあー」

「えー? うーん、どーなのかねー、駆け出しバンドの俺らと売り出し中アイドルのあの子じゃ、週刊誌にすぐとられちゃいそうだけど」



まあ、いいんじゃない? 浩平次第でしょ、と。学生時代、というより出会った頃から変わらない笑顔でギターの高城 領(タカシロ リョウ)が言う。


「いや、つーか、付き合う気とかない」



本当に申し訳ないことをしたとは思うけれど。あの時、『好きです』と叫ばれた声が予想以上に大きかったので、周りを気にした俺はそのままくるりとその子に背を向けて楽屋へと一目散に逃げてしまったのだった。



「コーへーって本当に色恋沙汰ねーよなー」



怜がベースを拭いて大切にケースにしまいながらそんなことを言うけれど、こればかりは仕方がないだろう。



「浩平、顔カッコいーのにな」

「背も高いし」

「てかモテてるっしょ、よく告られてんじゃん」

「ファンもガチ恋してる人多そうだよねー」



昔からそうだ、俺の人生は基本的に"ツイてない"のだ。


それはもちろん、恋愛も例外ではなく。

自分で言うのもなんだけれど、見た目はそんなに悪い訳じゃないだろう。というか、幼い頃からなんとなく自分が異性に好意を持たれやすいことは知っていた。


けれど毎回、自分が好きな子は違う誰かを好きになる。


これはもう、ほとんどジンクス、決まったこと。いくら大勢に好意を持たれても、自分の好きになった人に振り向いてもらえなければ意味がない。



「ね、綾乃もそう思うっしょ?」



そう、例えば。



「ああ、うん、浩平はカッコいいと思うよ。領がいなかったら好きになってたと思う」




こういう風に、一番好きだと思った相手が、一番信頼している親友と付き合っている、とかね。




「おい綾乃ー!冗談でもそういうこと言うなー!この天然タラシが!」

「もー、浩平だからでしょ、他の人には言わないって。領うるさい」

「領、いちいち嫉妬すんのはカッコわりーぞ」



片桐 綾乃(カタギリ アヤノ)。はるとうたたねのボーカル。そして、───領の彼女。



「……俺も領がいなかったら綾乃と付き合ってるんだけどね」

「はあー? 浩平ものるなってー!」

「ハイハイ、領ウッセー」



怜が領を冷たくあしらうと、綾乃はくすくす笑っている。

冗談、だ。

もうずっと、学生時代からずっと、出会った頃からずっと、俺の好意は"冗談"、だ。

領と綾乃が付き合いだしたのは、はるとうたたねが4人組バンドになって半年後、文化祭のステージを終えた後、だった気がする。そこらへんは何度も聞いたけど、あんまりよく覚えていない。多分うまく聞くことができなかった。


誰かを好きになる、ということは、たぶん、誰かに好きになられることよりも、ずっと難しい。



「もう帰り支度おわった? わたし帰るよー」



口だけ達者に動かしている怜と領に綾乃が呆れた声で促す。明日も朝から大学なんだろう。俺もそうだ。


高校卒業と共にメジャーデビュー。1stシングルの売上げはそこそこだったものの、tiktikという短い動画配信のSNSで一躍有名になって、そこからは早かった。CMソングが決まって、歌番組が決まって、2ndシングルは1stシングルの倍売れて、PVの再生回数は月間で1位になった。

デビューして1年以上経った今でもその波は消えていない。ツアーライブも決まったし、1stアルバムは来月発売。領は明るいキャラとトーク力で、最近はバラエティにも呼ばれている。

そんな中で、綾乃は都内の有名私立大学に、俺は同じく都内の医大に進学して、このライブ活動と並行して大学生活を送っている。


二兎追うものは一兎をも得ず、ということわざがたまに頭をよぎるけれど、4人組バンドのうち2人が現役大学生、加えて二人とも名のある有名大学ともなれば、話題性は十分にあった。



「綾乃まって、今日おれ泊まってっていー?」

「ダメだよ、明日小テストあるから勉強しなきゃだし」

「えー、最近冷たい……かまって……」

「だからここでイチャついてんなって」



高校卒業してから一人暮らしを始めた綾乃の家に、領はよく行きたがっているけれど、その大半を断られているのが実情だ。

付き合っているくせにしっかりしている。綾乃のそういうところが、きっと惹かれるところなんだろう。



「じゃあ家まで送るから!ね!」

「はいはい、ありがとうねいつもー」

「んじゃ帰るぞー」



領と怜はギターとベースを抱えて、ガチャリと楽屋の扉を開けた瞬間。



「……あ」



思わずそう声がこぼれたのは、いつでも空気がうまく読めない領だ。


はるとうたたねの控室、楽屋の前、廊下の隅。3人の後ろからでも誰が立っているのかわかった。



「……ユイユイ?」

「あ、えっと、そうです」



さっきは長い黒髪をポニーテールに結んで、煌びやかな衣装を見に纏っていたけれど。今は帰る途中なのだろう、ストレートロングを真っ直ぐ下ろして、メンズサイズのキャップを深くかぶっている。服装はパーカーにジーンズと思いがけずボーイッシュだ。




「もしかして、浩平に用?」

「は、はい、すみませんいきなり……」



芸歴、とかそういうのはよくわからないけれど、初対面のアイドルにその言葉遣いはないだろ、怜。

心の中で睨みつつ、さてこの状況をどうしようかと口を尖らせた。




「とりあえずここだと目立つし、中入りなよ」



領がいつもの笑顔を振りまいてそう言うと、ユイユイとやらは「いいんですか?!」と目を輝かせている。歳はどのくらいだろう。同い年か、少し年下か、はたまたまさかの年上か。


帰るところを引き返して全員楽屋へと戻る。怜と領に押されてユイユイとやらも中へ。なんだこの状況は。



「ごめんねー、浩平って無口で冷たいとこあって! 仲良くなれば大丈夫なんだけどー」

「あ、はい、大丈夫です! というか、ファンなので……」

「カワイー。もしかしてコーコセイ?」

「えっと、今年卒業して、18です!」



俺が一言も話さないうちに話が進んでいく。領と怜は嬉しそうに雑談しているけれど、綾乃は明日のテストが気になって仕方ないんだろう。時計を何度も確認している。



「綾乃、帰る?」

「え、」



盛り上がっている3人の目を盗んで、こそりと綾乃に話しかける。こういうところ、気がつかえるのはこのメンバーで俺と綾乃だけだと思う。

というか、境遇が似ているからこそ、なんとなくわかるのだ。俺と綾乃は、よく似ている。



「でも、せっかく浩平のこと好きっていう子が来てくれてるし……」

「いーよあんなの、気にしないで」

「でも……」

「……それとも、気になる?」



溢れるなよ、と思うけれど。

揺さぶりをかけるように、時々こぼれ落ちてしまうものがある。それは我に帰った時にはもう遅い。



「そりゃあ気になるよ、浩平の彼女になるかもしれない子だもん」

「……まあね」



ほらね、大抵こうやって、揺さぶりをかけたこと、後悔する。




「でもさ、なんか……」

「え?」

「浩平に彼女ができたらちょっと寂しいかも、」




───これだから、相当タチが悪い。


溢れないようにしているのに、時々こぼしてしまう俺の気持ちには見向きもしないくせに、時々こうやって馬鹿みたいに期待させるようなことを言う。


わかっている。その『寂しい』が、仲間として、バンドメンバーとして、友達として、だということ。


わかっているからこそ、叶わないそれに、俺はもうずっと何年も囚われているのだろう。




「おいコーヘー、オマエ目当てに来てくれてんだから、こっちきて喋れって」



怜の声に顔をあげると、ユイユイとやらが真っ直ぐにこちらを射抜いていた。帽子を外すと顔の印象が随分と明るくなる。

人気アイドルなだけあって、本当に可愛らしい顔立ちをしていた。きっと、今までだって恋愛になんて苦労したことないだろう。



俺のことも、落とせると思ったんだろうか。




「……あ、あの、浩平さん、」

「……」

「さっきはいきなりごめんなさい、廊下で後ろ姿を見かけて、舞い上がっちゃって……、いきなりあんなこと、気持ち悪い、ですよね」

「別に、そんなことはないですけど」



いちいち返しが冷たいんだよ、と怜から冷たい言葉が飛んでくる。初対面相手に優しくできるほど、俺はできた人間じゃない。




「コーヘー、もうちょっと優しくできないのかよ? 少なくともはるうたとコーヘーのドラムのファンなんだぞ?」



怜の言葉に、それもそうか、とも思うけれど。



「……じゃあ、今度会う約束でもすればいいの?」



我ながら酷い言い方、だ。

だけど隣に座る綾乃の視線を、どこかでずっと、気にしている。最低だとは思う。というか俺は昔からずっと最低だった。



領のことも、綾乃のことも、同じくらい大切な存在なのに、どこかでずっと、いつかは、なんて、馬鹿げたことを考えていたりした。

そのいつか、が来てしまったら、いろんなことがもう、うまくいかなくなるのにな。



「おい浩平、そんな言い方……」

「あ、いいんです! 私がいきなり話しかけたし、ファンだから、浩平さんが初対面の人に冷たいなんてこと、わかってるので……」

「ごめんねユイユイ、ほんっとアイツ不器用な奴なんだよね、いい奴なんだけどさ」



領のフォローにも俺のこんな態度にもうまく対応して、18歳とは到底思えない。俺の方がずっと子供だな、と思う。


いい子、なんだろう。きっと、すごく。


憧れてくれているんだろう。そういう好意にずっと、目を向けないで生きてきたのは、やっぱりどこかでまだ、くるはずのない「いつか」を思い描いているからなのかもしれない。