───20XX年、東京。
道行く自動車のエンジン音と溢れかえる人々の騒音がやまない渋谷スクランブル交差点にて。一際大きなビル広告の映像が4人組バンドに切り替わる。
街を流れるその音楽に、ふと足を止めた。深くかぶっている帽子を少しだけ上にずらし、そのビル広告を目にとめる。
「ねえ、この曲知ってる?」
「ああ、あのバンドの?」
「知ってる知ってる!」
「あたし超好き! 確か、オリコン1位だよね?」
「最近人気だよねー、ライブ行ってみたい」
「バンド名なんだっけ?」
「えっと確か───」
流れる映像と音楽に、周りの数人も同じように足を止めてビルを見上げる。その音は曲は街中を魅了し、やがて日本中に衝撃をあたえることとなる。……そんな気がしている。
ふと、震えたケータイを見ると一件の新着メッセージ。領とマネージャーから鬼のようにメッセージが届いている。大学が長引いて、本番前のセッティングに遅れてしまっているんだった。こんなところで足を止めている場合じゃない。
帽子を元に戻して再び歩き出すと、さっき近くで話していた女子高生の会話の続きが耳に入った。
「───はるとうたたねじゃない? ひらがなで!」
◇
会場のテレビ局につくなり、マネージャーと領に小言を言われた。授業だって元から言っていたんだから、そんなに怒らなくても。
「はるとうたたねさん!もうすぐ本番です!スタジオ入ってください!」
楽屋までやってきた荒々しいスタッフの声とともに、私たちはスタジオへ向かう。領のギターで音合わせはしてもらった。喉の調子も悪くない。
「はえーなー、もう?」
「何言ってんだよ、怜。生放送なんだから遅れは許されないの!」
「それにしても、スケジュールハードすぎ」
「昨日も深夜までラジオゲスト出演だったもんなー」
こんな会話は、もう日常茶飯事だ。
私たちが「はるとうたたね」としてメジャーデビューしてもう1年が経つ。
あの日、文化祭の次の日出演したb-stationを経て武田さんに目をつけられた私たちは、日本一と言われるレコード会社と契約を結んだ。曲のテイストや歌詞のあり方、ビジュアルから売り方までデビュー前にしっかり仕込んで貰って、高校を卒業と共にメジャーデビュー。瞬く間に人気急上昇。
CMや歌番組出演の依頼。この春にはドラマの主題歌にも抜擢されている。
そして来月には、1stアルバム発売が決定。今はその準備と宣伝活動で大忙しだ。
◇
スタジオに着いてセッティングを済ませると、慌ただしくスタッフたちが定位置につきはじめる。もうすぐ本番、この空気にももう慣れた。
「あと1分でCM明けます!位置確認してください!」
全員の定位置を確認する。
中央奥に浩平のドラム。その右斜め前に怜のベース。左横に領のギター。
そして、ステージの中央、ボーカルの私。
ずっと変わらずにやってきた。
「───ねえ、領」
あと30秒というところで、隣にいる領に話しかける。周りは気づいていないくらいの小さな声だ。緊張をほぐすため、とでも思っていて欲しい。
「ん?」
「こんなことになるなんて、出会った頃の私たちは何にも知らなかったね」
「んー、おれはちょっと信じてたけどなー」
なにそれ、領らしいね。CM明け15秒前。私は静かに目を閉じる。
「でも、あの頃からずっと変わらないことがひとつ」
「……何?」
「───綾乃が好きなこと」
領の声と同時に、カウントするスタッフの声がスタジオに響く。それに合わせて、わたしはゆっくりと目を開く。
───3、2、1。
画面が変わる。空気が変わる。司会者がベストなタイミングで声をあげる。
「さあ次は、今人気急上昇中のバンド、はるとうたたねの登場です!」
打ち合わせ通り、その声と共にイントロ、浩平のドラムが始まる。
───曲が始まる。
私は大きく息を吸った。
こんなことになるなんて思いもしなかった。
歌を、音楽をこんなに好きになれるなんて思わなかった。
こんなに信じ合える人たちと出会えるなんて想像も出来なかった。
それを変えてくれた。
きみが、きみたちが私を変えてくれた。
───例えば、世界がもっと綺麗だったなら。
もっと、息を吐くことは楽だったと思う。笑うことは楽しい事だったと思う。ひとの優しさがきちんと感じれたと思う。
朝起きたとき窓から差し込む光が眩しく思えたかもしれないし、通学路で見るパンジーがかわいく見えたかもしれない。落ちていく夕日を綺麗だと感じて、光る星に微笑んで、今日もいい日だったと幸せな気持ちで眠りにつく夜が増えたかもしれない。
そんな風に捻くれた考えをして、毎日自分のことを恨んで、この世界のこと、ずっと嫌いだった。
───でも、あまりにも、このステージから見える景色は綺麗だ。
「───ありがとー!!」
領の声にワッと歓声があがった。その音で我に返る。これも学生時代からずっとかわらない。歌っているとき、いつも夢を見ているような気分で、ほとんど無意識の領域にいる。
見上げれば、泣きたくなるくらい綺麗な光景が広がっている。私たちの曲を聴いて、歓声をあげてくれるひとたち。
こんな景色を教えてくれた。こんな世界を教えてくれた。
「領、私も、あの頃からずっと、はるとうたたねと領のことが大好きだよ」
領はいつもの笑顔で笑った。汗だくで、熱くて、胸が苦しい。だけどこの達成感があるからこそ、歌うことをやめられない。やめたくない。
きっと、ずっと続いていく。
領、浩平、怜、の顔を順番に見て。アンコールの声が鳴り止まない会場をもう一度しっかりと隅まで見渡す。
ああ、綺麗だ。
───この景色が、世界でいちばん、きれいだ。
この景色を教えてくれたきみたちがいるこの世界は、きっとルイアームストロングが歌ったあの曲通りなんだろう。
『What a wonderful world』───この世界は素晴らしい!
【偏にきみと白い春 完】