「文化祭まで、あと1週間ー!」



そう大きく声を張り上げたのは領。よくもまあまだそんな元気がある物だなあと他の二人は顔を見合わせてぐっだりしている。

───夏休み明けから1ヶ月。10月中旬の文化祭と、その次の日のb-station出演に向けて、私たちは毎日8時まで猛特訓していた。

通常の部活動が学校に残っていいのは7時半まで。つまり、7時半までは音楽準備室を使うことができるのだ。

時々スタジオを借りたり、領の家にいったり。とにかく時間をかけて、個人練習から合わせまで入念に何度も音を合わせていく。

新譜というだけあって、表現方法やピッチ、速度、全部いちから相談して合わせなきゃいけない。ひとつひとつの音符に意味があるんだ。



「それにしても、綾乃の歌詞いいなー」

「うん、ウチもこの曲イチバン好き」



領の言葉に怜が頷く。デートの後、徹夜で仕上げた歌詞はみんなに好評で、この1ヶ月の間にあった小さなライブでも観客からかなり大きな歓声をもらった。



「とりあえず今日はこれで終わりなー」

「もーヘトヘト、ラーメン食いにいかねー?綾乃」

「私は明日の予習があるから……」

「エライなホント」

「怜も見習ったら」

「それは無理」



もちろん、バンド活動をやるだけじゃない。今まで勉強していた時間を減らした分、短い時間の中で成績をキープする為に毎日の予習復習に気合いをいれている。私は案外短期集中型みたい。





「ハイ、綾乃」

「わ、ありがとー!」



帰り道。この後バイトに行くというふたりと別れて、怜と一緒に肩を並べた。怜が『そろそろ肉まん売ってそうじゃね?』と言うのでコンビニに寄る途中、『奢るからちょっと付き合って』と公園のベンチに座らされたのだった。



「もう売ってるんだね、肉まん」

「おでんや肉まんが一年間の中でイチバン売れるのって、売り始めの秋らしーよ」

「え、そうなんだ、冬だと思ってた」

「新鮮な物にはみんな食いつくからね」



怜が隣に腰掛ける。渡された熱々の袋を開くと、湯気の上った白い肉まんがひょっこり顔を覗かせた。

確かに、いつもは見ない商品が店頭に並んでいるのを見ると、つい欲しくなってしまうことと似ているのかも。スタバの新作に並ぶ女の子たちと同じ原理だ。

そのままぱくりとかぶりつくと、柔らかい生地に中から肉汁がぎゅっとあふれ出て、思わず目を細めてしまう。



「美味しいー」

「な、なんでかこの季節に食べる肉まんもウメーんだよなー」



怜も片手で肉まんにかぶりつく。



「それで、何か話だった?」

「ん?」

「怜、何か話したそうにしてるな、って」

「あー……」



思い返してみれば、怜と二人きりになること自体結構珍しいことだ。大体私たちはいつも4人でいるから。




「あの歌詞さ」

「うん?」



あの歌詞、つまりきっと私が初めて作詞した歌詞のことだろう。



「───領に向けて?」

「えっ」



びっくりして、思わず持っていた肉まんを落としそうになってしまった。反射的にぐっと力をいれたから、それはなんとか阻止できたんだけれど。



「あれ、完全に片思いの曲だろ。リアルだし、綾乃の気持ち出てる。いい歌詞だけどね」

「えっと……」

「領のこと、好きなんだろ?」

「……」



どうしよう。

素直に頷いていいんだろうか。

確かにあの歌詞を書いたとき、頭の中にはいつも領がいた。デートの日に気づいてしまったけれど、私はどうしようもなく、高城領という人間に惹かれてしまっているんだ。



「隠さなくていーって、悪いことなんかじゃないじゃん?」

「でも、」



はるとうたたねで私が歌を歌う理由は、"領が好きだから"じゃない。自分の意思で、3人と夢を見たいと思ってる。それを勘違いされたくなかった。



「わかってるよ、綾乃のこと、案外ウチ信用してんだからさ」

「怜……」

「綾乃は言いにくいかもしれないけど、同じオンナとして、頼ってくれよって話!……友だち、だろ?」



怜を見る。赤くなった頬を見て、少し照れているのがわかった。

友だち。今更な単語のような気もするけれど、言葉にするとその重みがしっかりと伝わってくる。女の子同士が当たり前にしているような恋の話。誰かにしたことなんてないから。



「うん……わたし、領が好き、だと思う、」





「やっと言った」

「ごめん、隠してて……」

「まあモロバレだったケドな」

「領には黙ってて欲しい……」

「んー、つーか告白とかしないの? 付き合いたいとか思わねー?」

「告白なんて……私じゃ釣り合わないよ」



そうだ、バンドに誘って貰って、こうして同じ時をたくさん過ごしているけど、これはほとんど奇跡みたいなもの。調子に乗るのはよくない。領のまわりには綺麗な女の子がたくさんいるんだし。



「バカだなー、領のこと、わかってるようで全然わかってねーな、綾乃」

「そう、かな」

「まあ、伝えるのも伝えないのも綾乃の自由だけどさ」

「うん、」

「伝えないで後悔だけはすんなよ?」



伝えないで後悔、か。

領への気持ちは明確なものじゃない。そもそも恋とか好きとか、そういう類いの気持ちを明確にしたことがないし、よくわからない。

けれど、何故だか目で追ってしまっている。何故だか領の笑顔をいつも思い出してしまう。心の底から、尊敬していて、カッコいいと思っている。一途にバンドやギターに向き合う姿勢、誰の前でもやさしく明るく振る舞う性格、全部、領のこと、尊敬しているんだ。



「うん、ありがとう、怜」



怜の方を見て微笑むと、「ま、なんでも相談してよ、ウチは綾乃の味方だからさ」と、屈託のない笑顔を向けてくれた。






「綾乃、そこちょっと音上がりしすぎ」

「ごめん、歌ってるとつい……」

「浩平は序盤のリズムが速くなりがちだからもっと性格にテンポとれるよう練習して、怜はのってくると周りの音聞こえなくなってる」

「ゴメン、気をつける」

「領も割と勝手に飛ばすから気をつけて」



みんな、今までないくらい真剣に合わせていく。合わないところは全部言い合って、その曲にベストな演奏方法を模索していく。



「ここはあくまで綾乃メインだから、目立たないで」

「ギターソロもうちょい派手でもいいと思う」

「ピッチ合ってない、チューニングして」

「指まわってないよそこ」

「もう一回合わすよ!」



何度も、何度も繰り返して、楽譜はメモ書きだらけで黒くなっていく。私も夏休みよりは長く歌えるようになってきたけれど、一日に気持ちよく歌える時間は3時間未満。それもこまめに休憩を挟みながらだ。

意見を言い合えること、ダメなところもいいところも一緒に乗り越えていけること、きっとこれが仲間っていうやつなんだろう。


───そして私は、その仲間の一員にいる。


今までじゃ、考えられなかった。




「──今のいいじゃん、合ってる」

「うん、サイコーに気持ちいい」



そうだ、思えば、私がここにいること、この人たちの中で一緒に音楽を作っていること。


「綾乃、高音の伸びもよくなったし低音もしっかり出てる」

「あー、本番楽しみ、」

「もう一回いこ!」



それこそ、奇跡、なんだよ。





文化祭前日、スタジオ練習と本番での体育館練習を終えると、もう時刻は20時をまわっていた。他の部活動や出し物をするグループも残っていて、その中にはいくつかバンドもあった。



「ついに明日、緊張する……」

「これだけ練習したんだからダイジョーブ! 綾乃、最初よりすっげえ上手くなったし!」




帰り道、怜が気を利かせたのか浩平と帰ると言い張ったので、領とふたりで歩く。暗い夜の道、月に照らされてうっすら2人の影が映る。



「ありがとう、嬉しい、」

「うん、お母さんには明日来て欲しいって言えた?」

「一応ね、部活の発表するから来て欲しいとは伝えたんだけど……」

「来てくれるといいね、お母さん」

「うん、」



一週間前くらい。毎日帰りが遅い私に、お母さんから『部活、忙しいの?』と問いかけられた。

普段ほとんど会話をしない中で、気にしてくれただけでも心臓が痛くなる。勇気を出して文化祭のチラシを渡して、『見に来て欲しい』ときちんと伝えた。

お母さんは一瞬黙って、『……あけとくわ』とひとこと言ってくれた。



「領が誘ってくれなかったら、こんなこともなかっただろうな、」

「全部綾乃が頑張ってるからだよ」

「ううん、本当に、奇跡みたいなことなんだ、今のこの状況も、」

「バーカ、綾乃。奇跡なんかじゃないよ。おれ、最初に綾乃の歌声を聞いたときから、『ああこの子、仲間になる子だ』って思ってたよ」

「何それ、運命ってこと?」

「そう。きっと必然ってこと」



領の、この白い歯を見せて笑う表情が好きだ。たぶん、誰よりもずっと。



───明日は本番、文化祭。