「で、綾乃はわかったの? デートとか恋とかいうやつを」

「う、うん……まあ、そこそこには」

「へえー、まあ確かに、この歌詞見る限りはケッコー成長してんじゃん?」

「うん、いいんじゃない」



夏休み明け、1日目。

ホームルームと課題チェック、それから新学期がはじまる簡易的な式を済ませて午前中のみの学校が終わった。久しぶりだからか、制服が堅苦しく感じる。

そのまま音楽準備室に移動すると、怜と浩平が先に待っていて開口一番に「で?歌詞かけたの?」と催促してきたのだった。

ちなみに人気者の領は、久しぶりに会ったクラスメイトたちに囲まれていて、しばらく抜け出せなさそうだった。



「昨日寝ないで書いたんだから」

「ふーん、いいじゃん」

「もう、誰のせいだと思ってるの!」

「まあまあ、怒んなって綾乃ー」



そう、実は昨日のデート、あの後すぐに怜から電話がかかってきて中断になったのだ。理由は怜が電話口で「課題がおわんねー」と泣きついてきたから。

そのままふたりで怜の家近くのファミレスに直行。領も終わっていない課題があったらしく、私は2人に教えたり手伝ったりしながら夜まで課題地獄に付き合った。


私が歌詞を書いたのはその後。深夜の2時までかけたんだから。



「つーか綾乃、大丈夫なん?」

「え?大丈夫って、何が?」

「知らないんだ」



浩平の小声にはてなマークを浮かべると、怜が盛大にため息をつく。「ホントにウチら以外に友達いねーのな」なんて悲しい一言付き。余計なお世話!


「で、なんの話?」

「けっこー噂になってんだよ」

「え、噂って、何の?」

「アンタと、領のコト」



私と領のこと?

思い当たる節がなさすぎて首を傾げると、また深いため息をつかれる。第一、基本的に私は優等生で良い子を貫いているんだから人の噂話に名前が出ることは殆どない。



「昨日デートしてたところ、同じガッコーのやつに見られてたんだって」

「あ、そうなんだ」

「そうなんじゃねーっつーの」



デート、とはいえ。歌詞を書くための「仮」デート。私は領への気持ちを自覚してしまったけれど、そこから何か進展があったわけではないし、第一夏休み前だってクラスで私と領はよく一緒に行動していたはず。

一緒にいるところを見られたなんて、今更焦ることでもないと思うんだけれど……。



「だーかーら! アンタたち手繋いでたらしージャン?! それで領のファンやら何やらが騒いでんの!」

「あ……」



そこまで言われてやっと気づいた。確かにそうだ、昨日、駅に着いた時からずっと手を繋いでいたんだった。



「そ、それって、付き合ってるって思われてるってこと?!」

「そりゃそーよ、厄介なことしてくれんジャン領のヤツ」

「で、でも領ってフレンドリーだし、誰にでもああいうことしてるんじゃ……」

「バカ! 領はああ見えて一途だし馬鹿みてえに硬派なんだよ! つまり、付き合ってる女子にしか手なんて繋がねーの」

「ええ……」




じゃあ昨日は、私が歌詞を書けるために、リアリティを出すために、手を繋いでくれたってこと? ……それとも?



「とにかく、変なやっかみ買うよーなことすんなよ、領は以外とガチファンが多いんだから」

「うん、気をつけた方がいいかもね」



怜と浩平の言葉に、何も言えず頷いた。





噂というものは、案外すぐに広まって、しかも一人歩きしてしまうものらしい。



「ねえ、領って片桐さんと付き合ってるの?!」



そんはウワサが広まって、友達がほとんどいない私の耳にまで届くようになるのに3日もかからなかった。

怜と浩平が言う通り、領のことを好きな女の子って案外たくさんいる。それが恋愛の類じゃなくても、人は人の噂話が大好きみたい。

クラスメイトはもちろん、他クラスの子や他学年の子、終いには先生にも噂は広がって、放課の時間に私たちの教室に人が集まるようになってしまった。みんな、真相を確かめようとしているんだ。



でも、そう聞かれると決まって領は何も躊躇わず笑顔で答える。



「えー、ナイショー」



その無邪気な笑顔にそれ以上何も突っ込めない外野は黙るしかない。もちろん、私には何も聞いてこない。


正直「付き合ってないです!」と言いたいくらいなんだけれど、領が泳がせてるから仕方ない。私が声を上げられることではないし。


……だけど、授業が終わるたびにクラスに人が集まるのは、正直邪魔、だ。


学校にいる間は勉強に集中したいのに。人の噂話によくもまあそんなに気力を注げるものだと逆に感心してしまう。





「まさかあの高城くんがねー」
「あのかわいー目が好きだったのに!」
「話すと本当優しくてさー」
「誰でも好きになっちゃうよね」
「でももう彼女持ちでしょ?」
「今までいなかったのが不思議だけどさ」
「相手はあの、学年1位の子だって」
「片桐サン?」
「えー、正反対じゃない?」
「夏前に領がバンドに誘ったらしいよー」
「真面目な顔してコワイねー」
「領の趣味わかんない」



最初は興味本位だったものも、日が経つにつれて段々と悪意に変わっていくものらしい。


そんな会話を聞こえる位置でわざわざ話す他クラスの女の子たち。悪意は、きっとある。

わかってるけど、そんな風に言わなくたっていいのに。領と私じゃ光と影だ。そんなこと、人に言われなくてもわかってる。

だけど、こうもハッキリ噂が耳に入ってくると……意外と精神的にくるものがあるらしい。

それに、今まで優等生の良い子で通っていた私にとって、悪い噂は心臓に悪いのだ。



否定も肯定もしない領にやきもきするけれど、何を言っても「面白いからこのままでいーんじゃない?」と笑うだけ。

本当は否定してくれてもいいんだけどな。付き合っていないし、両思いなわけでもない。



───私の片思いだ。だからこそ余計に、この噂を完全否定出来ないでいる。






「はあ……」


あまりの周りからの視線と棘のある言葉たちに、ずっとストレスを抱えている。きっとそれは領もなんだろうけれど。


とりあえず席を立って人気のない場所に行こう。もう昼休みだし。

いつものようにクラスメイトに囲まれながら、他クラスの女の子の質問にも笑顔で返している領を横目に教室を出る。

お昼くらい、静かな場所で食べたい。



と、廊下を歩いていると、どこからともなくまた派手な女の子達の会話が耳に入ってきた。



「あれ、いま噂の片桐さんじゃない?」
「ホントだ、地味だよねー」
「もー、マジで領ってあの子と付き合ってんの?」
「信じられないよねー」
「ちょっと聞いてみる? 人いないし」
「いつも声かけづらいけど今なら行けそうじゃない?」



あ、やばい、こっちに向かってくる。


直感でまずいと思った私はくるりと方向転換して1番近くの階段を全速力で駆け上がった。そのまま逃げるようにして廊下を進んだけれど、どこにいても噂されているような気がして。



結局私は、"音楽準備室″に逃げ込んだ。






「はあ、もう、何でこんな目に……」



急いで中に入って扉を閉めて、はあー、と大きな息を漏らす。これじゃ勉強にもバンドにも集中できない。本当に良くないことだ。



「はは、たいへん、一気に有名人」



いきなりした声にばっと目を見開く。その声の方向に顔を向けると、窓の側で浩平が座り込んでいた。床に胡座をかいているから、高さ的に気づかなかったみたいだ。



「浩平、いたんだ」

「モテる奴は大変」

「領のこと?」

「うん、あいつは誰にでも愛想振りまくからああなる。自業自得」



浩平が言うとなんだか説得力がある。だって、ルックスは領と変わらないくらい良いはずなのに、クールで愛想を振りまかない浩平はあまり女の子に騒がれない。影ではきっと相当人気なんだろうけれど。

どちらがいいかなんて正解はないけれど、今は領の人気が仇となってこちらにも迷惑だ。



「昼休み、終わるまでここにいていい?」

「うん、どーぞ」



浩平の言葉に、窓際のパイプ椅子に座った。浩平は楽譜やら雑誌やらを拡げて、尚且つ本を読んでいるみたい。

前から思っていたけれど、浩平はきっと集中力が異常に高くて、同時間にいくつものことをこなせる要領のよさがある。じゃなきゃ、学年2位の勉強量にバンド練習、加えてアルバイトだなんてこなせるわけがない。




「何読んでるの?」


胡座をかいて、猫背を前屈みにして食い入るように読んでいる。ブックカバーのかかったそれは何の本だか見当もつかない。

それに、楽譜や雑誌を広げながら読んでいる意味もわからないし。

私って、あまり浩平のことを知らない気がする。



「音楽の本」

「アバウトだね」

「俺の好きなバンドのボーカルのエッセイ集」

「へー! おもしろそう! だから楽譜広げてるの?」

「うん、こうやってそのバンドの楽譜やインタビュー記事を見ながら読んでると、もっと深く知れる気がして」




いつもより饒舌に話す浩平に何故だか心が躍る。本当に好きなんだろうな。雑誌の年号は数年前だし、楽譜は年季が入っている。

浩平の好きなバンド、私も知りたい。




「そのバンド、あたし知ってる?」

「うーん、どーだろ」

「有名な曲ないの?」

「あ、そういえば、最初にコピーバンドしたやつだよ」

「え?」

「夏にさ、綾乃のデビューライブの日。ひとつコピー曲やったでしょ。あの曲歌ってるバンド」



思い出す。そして、何度も練習した音楽が頭の中に流れ出す。長いイントロとボーカルの高低差が特徴の、激しい一曲だ。


領のギターも、浩平のドラムも、怜のベースも、観客の声援も、全部まだ覚えてる。


あの達成感と高揚感が、私を頑張る気持ちにさせてくれた。



「そっかあ……あの曲、私もすごく好き」

「うん、綾乃の声にあってた」

「他の曲も聞いてみたいかも」

「今度アルバム貸そうか?」

「え、いいの?」

「うん、全部家にあるから」

「へえ!」



───ガラッ


突然勢いよく開いたドアの音にびくりと肩が跳ねて、同じように驚いた浩平と目があった。そして2人とも同時に扉の方へ視線を向ける。


「……なーにしてんのー」



その声の主は、心なしか不機嫌な領だった。





「領こそ何してんの」



浩平の声にヘラッと笑う領。右手で扉を閉めて、ゆっくりこちらへ歩いてくる。



「いや、綾乃が教室にいなかったから探してた」

「……居づらくて」

「そーだよね……それで、なにやってんの、ふたりで」



にこにこと笑っているけれど、どこか棘のある言い方だ。領がこんな態度を取るなんてすごく珍しい、というか初めてだ。



「バンドの話してただけだけど」

「そ、っか」

「領こそ何しに来た?」



返す浩平もなんだか態度が悪い。空気が悪い。私はこれ以上何も言わないでおこう、と口をつぐんだ。



「だから、綾乃を探しに──」

「あのさ、領、そろそろちゃんと周りに言ったら」

「え、何が」

「綾乃と付き合ってるって、否定も肯定もしないで宙ぶらりんにしてるから噂が止まらない。綾乃、迷惑してる」



迷惑、というか。

人に噂されるのって、いいことばかりじゃない。やっぱりそれなりに悪意のあるものだって付き纏うし、何より集中したい時に出来ないことがストレスになる。



「……わかってるよ、おれだって」

「じゃあなんで否定しない?」

「手繋いだなんてことが噂になってるんだ、これで彼女じゃなかったら、綾乃がやっかみをかうとおもったんだよ、」

「それは、どーいう……?」

「俺の彼女ってことになってれば手は出されないだろうけど、ただの友達なのに手繋いでデートしたなんて知れたら、……綾乃に嫌な思いさせるかもしれない」



それはつまり、領のファンたちに私が何かされることを防ぐために、彼女ということにしているっていうことだろうか。

領の彼女という立場なら、悪い噂はたっても手は出せない。


───私のためだったんだ。




「……だとしても、やり過ぎ。さすがに綾乃も可哀想」

「ごめん、おれが手繋いだりしたから……」

「いや、それは全然良いんだけど、うーん……」



確かに、このまま実は付き合ってませんでした、ともなれば皺寄せは全て私にやってくる気がする。



「否定も肯定もしないで、噂がなくなるまで待つのが1番良いって思った、ごめん綾乃」

「ううん、そうだよね……領のこと、私全然わかってなかった」

「……ていうか、ふつーに綾乃にわるい虫がつかないよーにしてるのもあるんじゃない」



浩平が領を睨んでそう言うと、「まーね、ごめん」と口を尖らせる領。

悪い虫って、心配しなくても私は男の子と話すことなんてほぼないし、バンドを辞めることもないんだけれど。誰かに他のバンドにスカウトされるとでも思ってるんだろうか。



「……うん、でも、ごめん、全部おれの自分勝手だ」



はあ、と浩平が大きく溜息を吐いて立ち上がる。



「とりあえず、当事者同士でよく話し合ったら」

「浩平……」

「バンドに支障出さないでね、じゃ」



ひらひらと手を振って部屋を出ていく。重たい空気が部屋中に広がっている。だって、いつも笑顔の領がそうじゃないから。





「ごめん、綾乃、おれ、ちょっと焦ってたのかも」

「焦る?」

「……囲うようなことしてたかも、綾乃が、どっかいっちゃうんじゃないか、ってさ」

「それは、どういう、」

「b-stationのこと。綾乃、どう思ってる?」



見上げると、領が今までにないくらい真剣な表情でこちらを射抜いていた。そうだ、わたし、まだ返事をしていない。

今後、はるとうたたねとして活動を続けていくのかどうか。



「怜と浩平にもちゃんと話した。ふたりは今後もバンドをやってく覚悟を持ってくれてる」

「……うん」

「───綾乃はどう思ってる?」



あのとき聞かれた言葉と同じ。まっすぐに私を射貫く目は真剣に、だけどもやさしく、すべてを私に委ねている。


わたしは。

最初のステージを終えて、抜けきらない感覚を忘れられないまま、何度も違う会場で違うステージに立った。夏休みの間、できるだけ本番を迎えた。染み渡っていく感覚、覚えていく感情、とまることのない期待。

その度に、感じたことのない高揚感と気持ちよさ、ステージの中心から見る景色に何度も泣きそうになった。



───それは、世界でいちばんきれいな光景。






「わたし、ね」

「うん」

「───歌が、歌いたい」

「うん」

「はるとうたたねの一員として、一緒に、夢を見たい」



あ、と思う。

溢れた涙の粒が頬を伝った。気づいたら溢れていた。それを止める方法なんて、今は見つからない。


───ずっと、言ってはいけないと思っていた。認めてはいけないと思っていた。



勉強して、良い成績をとって、良い人生を歩むレールに乗ること。それがすべてで、『1』の数字をとり続けることが私の生きている意味で、存在価値で、自分の意思なんて必要ないと思っていた。


けれど、違う。それは違った。



自分の意思で、自分の言葉で、認められる。認めてあげられる。




「b-station 、わたしもでたい」




そうだ、これが、私の本当の気持ちで、本当の言葉だ。




「うん、綾乃、一緒にやろう」



領の顔は、涙で滲んでよく見えない。だけどその声が、ひどくやさしく耳に届いて、私はもっと泣きそうになる。



「俺らと、夢、見よう」



馬鹿馬鹿しくなんてなかった。音楽を誰かに届けること、誰かと一緒に夢を見ること、私たちだからこそつくれるものがあるんだ。