◇
お昼ごはんはオムライス。
料理の苦手な怜とそんなことには無縁の領は私の横で見ているだけだったけれど、浩平は中々器用でいろいろ手伝ってくれた。
お母さんがいないときは自分で作ったりするから、私は案外家事が出来る方なのだ。
できあがったオムライスとポテトサラダを見て3人はうっとりした声を出す。今までの合宿ではほとんどがコンビニ弁当かカップラーメンだったんだとか。
怜と私が隣に座って、テーブルを挟んで向かい側に領と浩平が座った。みんなで手を合わせていただきますをして、黄色の山にスプーンを差し込むと、3人とも美味しいって言ってくれた。
晩御飯はカレーとお昼の残りのポテトサラダで、今度は私の隣に領が座って、目の前に怜と浩平が並んだ。
キャンプとか、スキー合宿とか、修学旅行とか。わたしが家族以外の人と一日中一緒にいるだなんて、そんな学校行事の時だけだ。
だから。
こんな風に誰かの仲間にいれてもらって、自分の作ったものを美味しいって食べてもらえて、ましてやテーブルを囲んで楽しく食事ができるだなんて、思っても見なかった。
私、なんて幸せなんだろう。
笑いながら食事をとることが、こんなに幸せなことなんだって、きっとこの3人に出会わなかったら知らなかったよ。
◇
「じゃー俺はいってくるー」
頭に音符マークを浮かべながら領がルンルンでお風呂場へ向う。いつでも上機嫌だけど、合宿中はいつも以上に元気で楽しそうだ。
昼間はひたすら個人練習、夕方に合わせをして、夕飯を食べたら自由時間がやってくる。4人でテレビを見たり、ゲームをしたりと様々で、修学旅行みたいだなあと思う。中学生の時の修学旅行は、確か気分が乗らなくて当日に休んでしまったけれど。
時間はあっという間に11時。
ジャンケンの結果、お風呂の順番は、1番目が怜、2番目が私、3番目が領、4番目が浩平になった。怜が『女子が先に決まってんだろーが』と男子2人を脅してたんだけどね。
怜は先にお風呂に入って、私がシャワーを浴びている間に寝る準備を済ませたみたい。女子部屋からはすーすーと小さな寝息が聞こえていた。
わたしは今髪を乾かし終わったところだっていうのに、やることが早いなあ。でも、朝から夕方までずっと練習続きだ、きっと相当疲れてるんだろう。私も喉がカラカラだ。しっかり保湿しなきゃ。
「ふう、」
領がお風呂に向かった後、台所の4人テーブルの1つに腰掛けて水を一杯。
そのまま頭を机にくっつける。ひんやりして気持ちいい。そういえば、今日はずっと1人になることがなかったな。
学校でも、家でも、ひとりでいるのは得意なのに。
「……なにしてんの」
ふと、上からした声に顔をあげる。
まだお風呂に入っていない浩平は、男子部屋にいると思っていたのだけれど。気配がないから気づかなかった。
そのまま何も言わず、目の前に座る。無口だなあ。
「お風呂入ったとこだから、暑くて……頭冷やしてたの」
机に頭をつけて頭を冷やしていたなんて、変なの、ちょっとつかれてるかな。
「……」
「浩平はお風呂4番目だったね」
「うん、領って風呂長いから、最悪」
そう言いながら顔をしかめたので、思わずクスッと笑ってしまう。
「……笑うところ?」
「ううん、仲良いんだなって」
「別に、普通」
「お互い信用してるの、見てればわかるよ」
「……言うようになったね、綾乃」
言うようになったね、とはどういうことなんだろう。無口の浩平に比べたら全然なんだけどな。
「本当のことだよ!」
「綾乃、よく笑うようになったよね」
「え、」
よく笑うようになった、なんて。言われるまで気づかなかった。
そういえば、私はもっと世界に対して捻くれていて、もっと笑わなかったかもしれない。
「……領のおかげ?」
「ううん、3人のおかげ」
わたしの言葉に、浩平が微笑む。浩平だって、滅多に笑うことないのに。わたしはその表情が嬉しくて、つられて笑う。
そんな笑顔に気を許したのか、私はこのもやもやを浩平に話してみようと思った。
「あのさ、領って誰が好きなのかな」
それを聞くのはなんだか恥ずかしくて、両肘を机について、顎を掌に傾ける。シャワーの音はずっと聴こえているから、領はまだ、お風呂に入ってる。
「気になるの?」
「気になるって言うかね、今日、聞かれたの。『俺の好きな人誰だと思う』って。その時私、知りたいって思ったんだよね。だけど、知るのが怖いような気もしてて……」
話していて気がついた。
このセリフ、前にお父さんが帰ってきたときについてたテレビでやっていた、学園恋愛物の連ドラ主人公と同じな気がする。
いや、でも、私には恋愛なんて遠い未来の話なんだけれど。
「……それって、さ」
浩平の声が突然マジメになった。なんとなく気恥ずかしくて逸らしていた視線を、そっとあげる。
「……?」
浩平は、その言葉の続きを言おうとはしなかった。
肘をついたまま、私の方へは視線を向けない。
「やっぱり、なんでもない」
そう言って、にこりと笑った。いつも無表情なくせに、こういうときだけ小さく輪合う。不器用な、下手くそな笑顔だ。その笑顔の裏側に何か隠しているんだって、見抜けないわけない。
だって私は、きっと誰より作り笑いをしてきた人間だから。
「嘘だ、なんでもないわけないよ」
「え、」
「だって浩平、作り笑いヘタだもん」
そうだよ。
いつだって無口で無表情で、怜と領には自分のことを曝け出しているけれど、私にはまだ違う。どこかで壁があるんだよ。人に壁を作るのが上手い私だからこそ、わかるの。
自分自身だってまだすべてをさらけ出しているわけじゃないのに、何を図々しいことを、と思われるかもしれないけれど。
「作り笑い、ヘタ、か」
ぽつりとそう呟いて視線を落とす。
「うん、私と似てるね」
そうだ、私、きっと淋しかったんだ。
欲張りかもしれないけど、初めてできた友達に、壁を作りたくないって思ってた。隠し事や、誤魔化して終わる関係に、もうなりたくない。
なんだ、そっか。
だから、領のことも。
こんなにモヤモヤしてたんだ。
「……綾乃には、お見通し、ってこと、か」
ごくりと唾を飲んだのと、浩平がこちらに視線を戻したのはほぼ同時。視線が合って、ふう、とひとつ息を吐いてから、浩平が口を開く。
「綾乃は、家厳しいんだっけ」
「ああ、うん……厳しいと言うか、結構もう、家族の形ではないというか、こんなこと言われてもあれだし、重くは捉えないで欲しいんだけど……」
「俺もね、多分、そんな感じ」
「え、」
「家系がね、代々医者の家系なんだよ、医大に進んでほしいって、中学の時から言われてる」
「そう、だったんだ、」
「テストは綾乃の次、万年2位だけど、すごく成績が悪いわけじゃない。大学受験の勉強だってしてるしね」
「私と同じだ、」
「うん、そう、似てるなって思ってた」
「バンドのことは、親にはなんて?」
「……許してもらってないよ、好きでやってることだし。バンドにかかる費用は、全部バイトしてまかなってる」
さっきまで暑かった手のひらが、この一瞬で急に冷たくなったのを感じる。
ずっと1位を取らなきゃ、居場所がなくて、1位をとることが、私が生きてる意味だって思ってた。
きっと、そんな私と同じなんだ。
医大や医学部に進んで、医者になること。それが、浩平に託された使命で、学校に通う理由。
……自分だけが辛いと、いつも、そう思っていた。
「わたしもね、」
ぐっと、喉元に力を入れる。自分自身のことを話すこと。人に内側をさらけ出すこと。
周りの人が当たり前にしていることが、時々、自分にはひどく難しいことだと感じる。だからこそ、何倍も、何十倍も、努力して手に入れてきた。
けれどきっと、当たり前のように見えているだけで、本当はみんな私のように、内側に何かを抱えているのかもしれない。葛藤して、躓いて、何度も立ち上がっているのかもしれない。
「中学受験も、高校受験も失敗して……親とはほとんどうまくいってない。もう諦められてるっていうか、1位を取ること以外、気にもしてもらえてないと思う」
「……」
「勉強して、勉強して、成績1位をとること。それだけが、生きてる意味だって思ってた」
浩平の方は見ない。
領にこの話をしたとき。空が綺麗だと知った授業中の屋上で、私はどんな風に彼に話をしたっけ?
あのときはまだ、こんな風に、勉強以外のことに夢中になったり、人と一緒に努力したり、何気ないことで笑い合ったり、そういう日常を知らなかった。何もわかっていなかった。
だけどね、今は違う。
「だけど、領や浩平や怜に出会って、こうして歌を歌うことの楽しさを知って、……私の毎日、今ね、信じられないくらい、輝いてる」
「輝いてる、か」
「大袈裟だって思うかもしれないけど、本当にそう思うの」
「……わかるよ、俺も、領に誘われてドラムを始めたから」
「え、そうなの?」
「うん、手先が器用だって、中学生の時だけど」
そういえば、領と浩平は同じ中学なんだったっけ。私のことをスカウトしてきたときのように、きっと必死で誘ったんだろうなあ。想像できる。
「あのときは、俺も医者になるっていう決められた将来を信じて疑わなくて、バカみたいに誘ってくる領のこと、心底うざかったよ」
「わかる、私もそう」
「でも、あいつのこと、信じて損はなかったな」
うん、それも、わかるよ。
無口な浩平がこんなにも表情を豊かにして話しているところ、初めて見た。
領のことも、怜のことも、誰より信頼して大切にしている。はるとうたたねのメンバーを、音楽を、誇りに思ってる。浩平の表情からも、言葉からも、全部伝わるよ。
「てか、さ」
「うん?」
「綾乃はすごいな」
「え……」
「俺、どんだけ勉強しても、1位だけは取れなかったもんな。まあ、俺がバイトやバンドやってる時間も勉強してるんだから、当たり前なのかもしれないけど」
「それは……」
「並大抵の努力で出来ることじゃない。2位の俺が1番よくわかってるよ。綾乃は、本当に頑張ってる」
もっと、もっと頑張らなきゃって。私の努力が足りていないって、才能がないって、ずっと自分ばかりを責めてきたけれど。
本当は、こんな自分のこと、自分が1番に認めてあげなくちゃいけなかったのかもしれない。
浩平だって。学年2位をとり続ける勉強量は並大抵の努力じゃ敵わないこと、私がいちばんよくわかってる。それに、浩平はそれだけじゃない。毎日ドラムの練習をして、バンドを続けるためにバイトをして、その間を縫って勉強も。
……勉強だけしている私なんかより、ずっと、ずっとすごいよ。
「浩平も、だよ」
「え?」
「誰よりも努力してる、その姿勢に、きっとみんな惹かれてるんだよ」
私も、怜も、領も。浩平がメンバーを信頼しているように、私たちも浩平のこと、大切なんだ。
「……綾乃はいい奴だよね」
「いい奴?」
「うん、……俺、第三者にはなりたくない、かも」
「第三者?」
「こっちの話」
言葉の真意がわからなくてきょとんと首を傾げたけれど、浩平はやさしく微笑むだけだった。
お昼ごはんはオムライス。
料理の苦手な怜とそんなことには無縁の領は私の横で見ているだけだったけれど、浩平は中々器用でいろいろ手伝ってくれた。
お母さんがいないときは自分で作ったりするから、私は案外家事が出来る方なのだ。
できあがったオムライスとポテトサラダを見て3人はうっとりした声を出す。今までの合宿ではほとんどがコンビニ弁当かカップラーメンだったんだとか。
怜と私が隣に座って、テーブルを挟んで向かい側に領と浩平が座った。みんなで手を合わせていただきますをして、黄色の山にスプーンを差し込むと、3人とも美味しいって言ってくれた。
晩御飯はカレーとお昼の残りのポテトサラダで、今度は私の隣に領が座って、目の前に怜と浩平が並んだ。
キャンプとか、スキー合宿とか、修学旅行とか。わたしが家族以外の人と一日中一緒にいるだなんて、そんな学校行事の時だけだ。
だから。
こんな風に誰かの仲間にいれてもらって、自分の作ったものを美味しいって食べてもらえて、ましてやテーブルを囲んで楽しく食事ができるだなんて、思っても見なかった。
私、なんて幸せなんだろう。
笑いながら食事をとることが、こんなに幸せなことなんだって、きっとこの3人に出会わなかったら知らなかったよ。
◇
「じゃー俺はいってくるー」
頭に音符マークを浮かべながら領がルンルンでお風呂場へ向う。いつでも上機嫌だけど、合宿中はいつも以上に元気で楽しそうだ。
昼間はひたすら個人練習、夕方に合わせをして、夕飯を食べたら自由時間がやってくる。4人でテレビを見たり、ゲームをしたりと様々で、修学旅行みたいだなあと思う。中学生の時の修学旅行は、確か気分が乗らなくて当日に休んでしまったけれど。
時間はあっという間に11時。
ジャンケンの結果、お風呂の順番は、1番目が怜、2番目が私、3番目が領、4番目が浩平になった。怜が『女子が先に決まってんだろーが』と男子2人を脅してたんだけどね。
怜は先にお風呂に入って、私がシャワーを浴びている間に寝る準備を済ませたみたい。女子部屋からはすーすーと小さな寝息が聞こえていた。
わたしは今髪を乾かし終わったところだっていうのに、やることが早いなあ。でも、朝から夕方までずっと練習続きだ、きっと相当疲れてるんだろう。私も喉がカラカラだ。しっかり保湿しなきゃ。
「ふう、」
領がお風呂に向かった後、台所の4人テーブルの1つに腰掛けて水を一杯。
そのまま頭を机にくっつける。ひんやりして気持ちいい。そういえば、今日はずっと1人になることがなかったな。
学校でも、家でも、ひとりでいるのは得意なのに。
「……なにしてんの」
ふと、上からした声に顔をあげる。
まだお風呂に入っていない浩平は、男子部屋にいると思っていたのだけれど。気配がないから気づかなかった。
そのまま何も言わず、目の前に座る。無口だなあ。
「お風呂入ったとこだから、暑くて……頭冷やしてたの」
机に頭をつけて頭を冷やしていたなんて、変なの、ちょっとつかれてるかな。
「……」
「浩平はお風呂4番目だったね」
「うん、領って風呂長いから、最悪」
そう言いながら顔をしかめたので、思わずクスッと笑ってしまう。
「……笑うところ?」
「ううん、仲良いんだなって」
「別に、普通」
「お互い信用してるの、見てればわかるよ」
「……言うようになったね、綾乃」
言うようになったね、とはどういうことなんだろう。無口の浩平に比べたら全然なんだけどな。
「本当のことだよ!」
「綾乃、よく笑うようになったよね」
「え、」
よく笑うようになった、なんて。言われるまで気づかなかった。
そういえば、私はもっと世界に対して捻くれていて、もっと笑わなかったかもしれない。
「……領のおかげ?」
「ううん、3人のおかげ」
わたしの言葉に、浩平が微笑む。浩平だって、滅多に笑うことないのに。わたしはその表情が嬉しくて、つられて笑う。
そんな笑顔に気を許したのか、私はこのもやもやを浩平に話してみようと思った。
「あのさ、領って誰が好きなのかな」
それを聞くのはなんだか恥ずかしくて、両肘を机について、顎を掌に傾ける。シャワーの音はずっと聴こえているから、領はまだ、お風呂に入ってる。
「気になるの?」
「気になるって言うかね、今日、聞かれたの。『俺の好きな人誰だと思う』って。その時私、知りたいって思ったんだよね。だけど、知るのが怖いような気もしてて……」
話していて気がついた。
このセリフ、前にお父さんが帰ってきたときについてたテレビでやっていた、学園恋愛物の連ドラ主人公と同じな気がする。
いや、でも、私には恋愛なんて遠い未来の話なんだけれど。
「……それって、さ」
浩平の声が突然マジメになった。なんとなく気恥ずかしくて逸らしていた視線を、そっとあげる。
「……?」
浩平は、その言葉の続きを言おうとはしなかった。
肘をついたまま、私の方へは視線を向けない。
「やっぱり、なんでもない」
そう言って、にこりと笑った。いつも無表情なくせに、こういうときだけ小さく輪合う。不器用な、下手くそな笑顔だ。その笑顔の裏側に何か隠しているんだって、見抜けないわけない。
だって私は、きっと誰より作り笑いをしてきた人間だから。
「嘘だ、なんでもないわけないよ」
「え、」
「だって浩平、作り笑いヘタだもん」
そうだよ。
いつだって無口で無表情で、怜と領には自分のことを曝け出しているけれど、私にはまだ違う。どこかで壁があるんだよ。人に壁を作るのが上手い私だからこそ、わかるの。
自分自身だってまだすべてをさらけ出しているわけじゃないのに、何を図々しいことを、と思われるかもしれないけれど。
「作り笑い、ヘタ、か」
ぽつりとそう呟いて視線を落とす。
「うん、私と似てるね」
そうだ、私、きっと淋しかったんだ。
欲張りかもしれないけど、初めてできた友達に、壁を作りたくないって思ってた。隠し事や、誤魔化して終わる関係に、もうなりたくない。
なんだ、そっか。
だから、領のことも。
こんなにモヤモヤしてたんだ。
「……綾乃には、お見通し、ってこと、か」
ごくりと唾を飲んだのと、浩平がこちらに視線を戻したのはほぼ同時。視線が合って、ふう、とひとつ息を吐いてから、浩平が口を開く。
「綾乃は、家厳しいんだっけ」
「ああ、うん……厳しいと言うか、結構もう、家族の形ではないというか、こんなこと言われてもあれだし、重くは捉えないで欲しいんだけど……」
「俺もね、多分、そんな感じ」
「え、」
「家系がね、代々医者の家系なんだよ、医大に進んでほしいって、中学の時から言われてる」
「そう、だったんだ、」
「テストは綾乃の次、万年2位だけど、すごく成績が悪いわけじゃない。大学受験の勉強だってしてるしね」
「私と同じだ、」
「うん、そう、似てるなって思ってた」
「バンドのことは、親にはなんて?」
「……許してもらってないよ、好きでやってることだし。バンドにかかる費用は、全部バイトしてまかなってる」
さっきまで暑かった手のひらが、この一瞬で急に冷たくなったのを感じる。
ずっと1位を取らなきゃ、居場所がなくて、1位をとることが、私が生きてる意味だって思ってた。
きっと、そんな私と同じなんだ。
医大や医学部に進んで、医者になること。それが、浩平に託された使命で、学校に通う理由。
……自分だけが辛いと、いつも、そう思っていた。
「わたしもね、」
ぐっと、喉元に力を入れる。自分自身のことを話すこと。人に内側をさらけ出すこと。
周りの人が当たり前にしていることが、時々、自分にはひどく難しいことだと感じる。だからこそ、何倍も、何十倍も、努力して手に入れてきた。
けれどきっと、当たり前のように見えているだけで、本当はみんな私のように、内側に何かを抱えているのかもしれない。葛藤して、躓いて、何度も立ち上がっているのかもしれない。
「中学受験も、高校受験も失敗して……親とはほとんどうまくいってない。もう諦められてるっていうか、1位を取ること以外、気にもしてもらえてないと思う」
「……」
「勉強して、勉強して、成績1位をとること。それだけが、生きてる意味だって思ってた」
浩平の方は見ない。
領にこの話をしたとき。空が綺麗だと知った授業中の屋上で、私はどんな風に彼に話をしたっけ?
あのときはまだ、こんな風に、勉強以外のことに夢中になったり、人と一緒に努力したり、何気ないことで笑い合ったり、そういう日常を知らなかった。何もわかっていなかった。
だけどね、今は違う。
「だけど、領や浩平や怜に出会って、こうして歌を歌うことの楽しさを知って、……私の毎日、今ね、信じられないくらい、輝いてる」
「輝いてる、か」
「大袈裟だって思うかもしれないけど、本当にそう思うの」
「……わかるよ、俺も、領に誘われてドラムを始めたから」
「え、そうなの?」
「うん、手先が器用だって、中学生の時だけど」
そういえば、領と浩平は同じ中学なんだったっけ。私のことをスカウトしてきたときのように、きっと必死で誘ったんだろうなあ。想像できる。
「あのときは、俺も医者になるっていう決められた将来を信じて疑わなくて、バカみたいに誘ってくる領のこと、心底うざかったよ」
「わかる、私もそう」
「でも、あいつのこと、信じて損はなかったな」
うん、それも、わかるよ。
無口な浩平がこんなにも表情を豊かにして話しているところ、初めて見た。
領のことも、怜のことも、誰より信頼して大切にしている。はるとうたたねのメンバーを、音楽を、誇りに思ってる。浩平の表情からも、言葉からも、全部伝わるよ。
「てか、さ」
「うん?」
「綾乃はすごいな」
「え……」
「俺、どんだけ勉強しても、1位だけは取れなかったもんな。まあ、俺がバイトやバンドやってる時間も勉強してるんだから、当たり前なのかもしれないけど」
「それは……」
「並大抵の努力で出来ることじゃない。2位の俺が1番よくわかってるよ。綾乃は、本当に頑張ってる」
もっと、もっと頑張らなきゃって。私の努力が足りていないって、才能がないって、ずっと自分ばかりを責めてきたけれど。
本当は、こんな自分のこと、自分が1番に認めてあげなくちゃいけなかったのかもしれない。
浩平だって。学年2位をとり続ける勉強量は並大抵の努力じゃ敵わないこと、私がいちばんよくわかってる。それに、浩平はそれだけじゃない。毎日ドラムの練習をして、バンドを続けるためにバイトをして、その間を縫って勉強も。
……勉強だけしている私なんかより、ずっと、ずっとすごいよ。
「浩平も、だよ」
「え?」
「誰よりも努力してる、その姿勢に、きっとみんな惹かれてるんだよ」
私も、怜も、領も。浩平がメンバーを信頼しているように、私たちも浩平のこと、大切なんだ。
「……綾乃はいい奴だよね」
「いい奴?」
「うん、……俺、第三者にはなりたくない、かも」
「第三者?」
「こっちの話」
言葉の真意がわからなくてきょとんと首を傾げたけれど、浩平はやさしく微笑むだけだった。