ジリリリリと、そんなけたたましい音が俺を叩き起こした。
 俺は気だるげに状態を起こす。窓から差し込む太陽の光がいつにも増して俺の眠気眼を刺した。
 そんな太陽の光など気にも止めず、俺は目の前の虚空を眺めていた。
 ──また、あの夢か…。
 そう、俺は毎日不思議な"夢"を見るのだ。
 見知らぬ誰かになり、見知らぬ場所で目を覚まし、必死に"彼女"を探して、"何か"を伝えようとする、そんな夢だ。
 …もちろん自分でもおかしいと思う。何せ、俺が夢で探している"彼女"を俺は知らないのだから。
 具体的な夢の内容を鮮明に覚えている訳ではないが、俺は夢の中で必死に名前を叫んでいた気がする。知らないはずの"彼女"の名前を…。
 ただ、"彼女"がどんな容姿をしていたのかをどうしても思い出せない。一つだけ、彼女のくっきりとした吸い込まれそうな瞳だけが、俺の頭の中、そして、胸の奥に焼き付いて離れないのだ。
 そうしてそれを毎朝思い出しては、なんとも言えない、現実から乖離したような、そんな気分になる。

「荒野ー!遅刻するよー!」
 下の階から聞こえるその母の言葉が、俺の意識を現実の世界に引き戻した。
「今日は高校の入学式でしょ?遅れたら許さないからねー!」
「分かってるよー」
 俺は乾いた喉から今出せる限りの最大限の声で母にそう返した。
 ──そうか、今日から高校か…。
 そう悟ると、俺の心臓は大きく高鳴った。
 ただ、それは快いものではなく、とてつもない不安がもたらした、形容しがたい不快なものだ。
 正直、中学での学校生活で良い思い出が一つもない。だからこそこの不快感が今俺を襲っているのだろう。
 とは思いつつも行かない訳にもいかないので、俺は手早く身支度を済ませて家を出た。

 
 家を出て数分歩き、最寄りの駅で電車に乗る。そこから数駅移動したところにある桜河駅で電車を降りる。
 入試の時に一回行っただけなのに意外と覚えているものだな、と自分でも感心していると、俺は不思議な感覚に襲われた。
 それは桜河駅を出た瞬間、その駅前の景色を見て何か以前から何回も訪れているような、そんな感覚がしたのだ。
 そんなはずが無い事は自分でも分かっているのだが、夢を見た後の朝と同じような、著しく現実にそぐわないような違和感が俺の心をどこか別の世界へと連れていった。…気がした。
 どこか浮遊したような気分で駅を後にすると、数分で桜河高校に到着した。
 ここが俺が通う事になる学校、監獄なのだと嫌な気持ちで学校を眺めていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。
 ここで初めて駅から続いていた浮遊感がどこかに消えていった。
 俺が驚きながらも後ろに振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。
「君、神野荒野くん?」
 少女はこちらを下から覗き込むようにしながらそう聞いて来た。
 その目を見た瞬間、俺は再びあの浮遊感に襲われた。
 ──あの目だ…。夢で見た、あの吸い込まれそうなくっきりとした深い瞳だ…。
 刹那、俺の脳裏にあの夢の映像が流れる。…正確には、最後に夢で見たあの夢の中の"彼女"の瞳が。
 …不思議な感覚がした。それは今まで感じていた違和感や、浮遊感とは違った、形容し難い感覚がしたのだ。胸の奥深く、そこにある自分の根源のような何かをひどく締め付けられた、そんな気がした。
「おーい、おーーい!聞こえてるの?ねえ、ねえってば!」
 その少女の一声で一瞬にして現実に引き戻された。
「あ、ああ。ごめん、神野荒野で間違ってないけど、何か用?」
 …思わずぶっきらぼうに返答してしまった気がする。
「こ・れ!落としてたよ!」
 そう言って彼女は俺が普段使っている黒の長財布を差し出した。それを見て制服のポケットを手で触る。…どうやら気づかぬ間に落としてしまったらしい。
「ああ、ありがとう」
 俺がそう言うと彼女はどこか照れくさそうな仕草をして「どういたしまして」とそう返してきた。
「助かったよ…君は?」
「私は星宮花、君と同じ今日からこの学校に通う一年生です!」
 そう言って彼女は元気に微笑んだ。
 その会話の最中も俺はどこか上の空だった。肩で切り揃えられた少し明るい髪、普通くらいの身長ながらスラリと整ったスタイルの華奢な身体、色白な肌、そして夢で見た"彼女"と同じ瞳。その瞳のせいなのか既視感があったが、そのどれもが魅力的だった。
「そうだったんだ、とにかく本当にありがとう。お互い楽しい高校生活になるといいね」
 俺は謝礼代わりにそう言った。
「ふふっ、君はその前にその無愛想を直さないとね。でもありがとう、またね!」
 彼女はそう言って弾んだ足で俺の前を後にした。
 彼女の言葉を聞いて、スマホのインカメラを起動して自分の顔を確認する。…我ながらひどい顔だ。おおよそ人と話す顔ではない。
「…。」
 おそらく数秒間、その場に立ち尽くしていただろう。その後に、
 ──何だか不思議な人だ…。
 そう思いながらも、俺は校門の奥へ重い足取りで進んでいった。
 何だか朝から疲れた。人と話すのが久しぶりだった俺は今までに感じたことのない疲労感を感じていた。
 …そのせいか、俺は普段なら抱く筈の違和感に気付けなかった。