ロンドンの朝は冷える。

厚手のコートとマフラー、もこもこ素材の手袋も忘れずに我が身を包んだ。はあ、と試しに吹かせた息が、白雪のようにたゆたう。

年末の忙しない空気に紛れながら、朝市を歩いていく。果物とパンを大量に買いこむと、景気よくおばちゃんにハーブをおまけしてもらった。



「ありがと、おばちゃん。今日はハーブティーにしてみるよ」

「いいんだよ。アタシも年明けの舞台、楽しみにしてんだから!」

「観に来てくれるんだ?」

「あったりまえじゃないか。ここいらじゃ、名の知れた古参だよ?」



それはそれは頼もしい。親愛なる気持ちをありのまま伝えると、太っ腹なおばちゃんは胸を張り、ぽんと叩く。

おばちゃんがいるのといないのとでは、舞台の盛り上がりが段違い。ファンはファンでも、古参はやっぱりひと味ちがう。

年期の入った応援には、果実以上のビタミンが注入されていて、寒さも吹っ飛んでしまう。だから風邪を引くことなく、健やかに働けているんだろう。



「──あ、いたいた」



流暢な英会話に、耳馴染みのいい日本語が割って入ってきた。駆け寄ってきた長身の青年に、おばちゃんの声色が急激に若返る。



「り、リッカ・ハルイエじゃないか……!」

「あ、あは……。どうも。おはようございます」

「こんなに間近で見たのははじめてだよ……。顔ちっちゃ、背たっか、腰ほっそ……。んん……美しい……」



典型的なオタクの反応に、青年は英語に切りかえつつも苦笑をこぼした。肘でつつくと、青年はようやっとファンサービスを送る。飛ばしたウインクは下手くそにもほどがあったが、それはそれで需要がある。

ほら見ろ。ズッキュンン! と、おばちゃんのハートにドストライク。流れ弾に引っかかった熟女層が1人、2人、……おっ、3人も。こりゃあチケットの売れ高が期待できるぞ。


オタクホイホイとして知られる、かの青年。うちの劇団『810s(ハートたち)』の、看板役者の一人。

晴家 六鹿(ハルイエ リッカ)

八頭身のビジュアルを持つ、生粋のイケメンである。黒目黒髪、純日本人としての顔立ちは、子犬のように愛らしい。謙虚な姿勢、素直なリアクションも、ロンドンの女性に人気がある。どこの国でも、紳士なイケメンは庇護されるものだ。

当然ながら芝居もうまい。荒削りだが、観客の共感力をごく自然に誘ってくる。そのうえ、声もいい。低すぎない甘めなトーンは、アルファー波を発する。疲れがたまっている人ほど、ハマりやすい。



「今度の舞台も、リッカが主役なんだろ?」

「そうだよ。姫を守る騎士の役。かっこよく仕上がってるよ」

「ちょっと! ハードル上げないでくれよ〜……」



おばちゃんに耳打ちしたが、聞こえてしまったらしい。ごめんごめん、と軽く謝ると、六鹿は眉尻をぺたりと下げた。こういうところが子犬っぽいんだよなあ。つい意地悪したくなる。



「あとあと、騎士は……」

「おいい! もういいよ!」

「そ?」

「身内の自慢話はこれくらいにして、早く劇場に来いって。みんな待ってるよ」



朝ごはんの買い出しに時間をかけすぎだと、みんなしてぴーちくぱーちく言っているのが目に浮かぶ。いつものことだ。痺れを切らし、代表して誰かが探しに来るまでがワンセット。今日は六鹿の当番だったようだ。

ぱんぱんに詰まった紙袋を抱えながら、渋々朝市をあとにする。惜しい。もっと売り込めただろうに。