会いたくない奴とはとことん会うもので、畑山がいなさそうなスーパーを選んだというのに、なぜか畑山が店先のベンチでワンカップを手にしていた。
素通りすると決めて目を合わせないように歩きだしたが、ふと思い直して畑山のもとに向かうと、畑山は黄色くなった歯を見せながら笑った。
「足に迷いがあったぞ。一度は素通りすると決めたが、どういうわけかお前は俺のところに来た。違うか?」
畑山の下品な笑みに、まんまとのせられたような気分に陥ったが、顔に出さないように腹に沈めて畑山の隣に座った。
「金庫にはいくらあるんだ?」
タバコに火をつけながら尋ねると、畑山は癪に触るような笑い声を上げた。
「なんだ、やる気になったのか?」
「金庫にはいくらあるかと聞いているんだ」
畑山を睨みつけて声を荒げると、畑山は薄くなった頭をかきながら予想以上の金額を口にした。
「そのネタの出所は?」
「警備会社の営業やってる奴だ。契約先に不審な金庫があり、調べたら表に出せない金が入っているってわかったらしい。だが、契約物件に手を出せばすぐに警察に捕まっちまう。内情知ってる人間は真っ先に疑われるからな。だから、俺に話を持ってきたというわけだ」
畑山はワンカップの残りを一気にあおると、薄汚れたシャツのポケットから折り畳まれた紙を取り出した。
「成功報酬は六割だ。それだけあれば、再出発の費用としてはお釣がくる。だから俺は、喜んで引き受けたってわけだ」
畑山が、欲望を丸出しにするかのように口元を歪めた。内情が割れている物件は、まさに優良泥棒物件になる。話を聞いた時、畑山が心の中で涎を垂らしていたのは想像に難くなかった。
「だがよ、俺は転売専門だ。ノビの経験がないから、いくら優良泥棒物件といっても躊躇したってわけだ」
だから、この話を俺に持ちかけた。ノビ専門の俺ならば、たやすくやり遂げられると考えたという。
畑山が、取り出した紙を俺の前に広げた。中身はセキュリティ装置の設置図面だった。家の平面図に、どんなセキュリティがどこに設置されているかを示したもので、これがあれば仕事の成功率は飛躍的にアップするといってよかった。
「どう思う?」
畑山が息を飲むのがわかった。その顔には、ノビ師としての率直な意見を聞きたいと書いてあった。
「悪くはない」
一通り確認し、結論を口にする。セキュリティがついた物件の攻略方法は三つだ。セキュリティの隙を狙うか、解除するか、あえて強行突破して警備員が来る前に逃げるかだ。
その観点からいけば、今回の物件には僅かな隙があった。わりと大きな家のせいか、セキュリティも必要最低限しか設置されていない。これならば、泥棒の侵入を障子紙で防ぐぐらいの意味しかなかった。
「解除信号に関する契約はどうなっている?」
セキュリティを解除した場合、解除のタイミングによっては、それだけで異常信号が警備会社に通報されることがある。だが、畑山の事前情報によれば、そうした契約はしていないとのことだった。
「家には婆さんが一人で住んでいる。週に一度、息子が金庫の金を確認する為に帰ってくるらしい。だから、息子が帰ってきて再び出ていった直後を狙えば、一週間は被害が発覚することはない」
畑山の計画では、そもそも金庫の金は表に出せないから、被害届も出ないだろうという読みだった。そういうわけだから、単純なセキュリティ問題さえ突破してしまえば、安心して大金を手にできるとのことだった。
条件は悪くなかった。俺が単独で持ちかけられていたら、既に忍び込んでいるだろう。
「一緒にやらないか?」
成功報酬は山分けという条件で、畑山が正式に俺を誘ってきた。三割とはいえ、手にできる金額に文句はなかった。これだけの金額があれば、当分の間は警察の影に怯えることもないし、別の道へ進む足掛かりにもなるだろう。
即答しても問題はなかった。だが、なぜか俺は声を出せなかった。
――変わりたくないんじゃないの?
声を出す代わりに、芹那のきつく責める声が脳裏に響いた。
――俺は、変わりたくないのか?
手にした金を使えば、人生を変えるきっかけを掴めるかもしれない。このまま泥棒として生きていくことは、先の見えない道を歩いていくようなものだ。
――だが
頭ではわかっていても、いざ目の前にチャンスを提示されると、それを拒む自分がいることを痛感した。細々と泥棒の稼ぎで暮らしてきた日々。それが変わるということに、なぜか俺は抵抗を感じていた。
「怖いのか?」
俺の返事がないことにしびれを切らした畑山が、細めた目を向けてきた。
「あんたは、まともな人生に戻れたとしてやっていける自信があるのか?」
「ねえよ、そんなもん」
俺の問いに、畑山はあっさりと即答した。
「泥棒で生きた人生だ。今さら変わることに抵抗がないと言えば嘘になる」
「なら、どうして?」
「家族だ」
畑山は、そこで再び頭をかいた。
「家族の為によ、一度はまともに稼いだ金で何かをしてやりたいと思っただけだ。本当のところは、俺だって変わるのは怖い。人とまともに話なんかできないし、規則正しくなんてムショの中でしかやったことがない。転売した金で好き勝手に生きてきたんだ。逆に言えば、好き勝手にしか生きられなかった。それでもよ、俺はこのチャンスをきっかけにしたいんだ」
畑山の叫びに似た言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。畑山も、俺と同じようにまともな生活に戻ることを恐れていた。泥棒しか知らない者がまともな人生に戻るのがいかに難しいかは、畑山が一番わかっていることだろう。
「お前が迷うのはわかる。長くこの世界にいると、世間が怖くなるからな。他人の自分を見る目が、泥棒を見ているようにしか思えなくなってくるからな。まあ、実際は泥棒なんだけどよ」
卑屈に笑う畑山に、俺も鼻で笑って返した。
「この話、やるならなるべく早く答えを聞きたい」
一呼吸おいて、畑山が真顔に戻った。
「お前も聞いているだろうが、先日から事務所破りが続いている。おそらく、最近浮いてきた奴の仕業だろう。既に警察から警備会社へ即時通報の指示も出ているって話だ」
畑山のいう即時通報とは、警備会社が警報装置から異常を受信したら、警備員が現場を点検する前に警察に通報することを意味する。
通常は、金融機関を中心に狙われやすい物件に限って指定されているが、これが一般の会社や事務所にまで指定されると、一気に警察への通報が増えることになる。そうなると夜通しパトカーが街中を走ることになるから、泥棒にとっては迷惑でしかなかった。
「この辺りはまだ指定エリアになっていないが、いずれ指定されるだろう。だから、その前に実行したいと考えている」
畑山の口調からして、時間の猶予はあまりなさそうだった。
「わかった。考えてみる」
即答を避け、曖昧に濁しながら畑山に目を向けた。
「期待しているからな」
畑山は頷くと、俺の肩を何度も叩きながら意味深な笑みを浮かべていた。
素通りすると決めて目を合わせないように歩きだしたが、ふと思い直して畑山のもとに向かうと、畑山は黄色くなった歯を見せながら笑った。
「足に迷いがあったぞ。一度は素通りすると決めたが、どういうわけかお前は俺のところに来た。違うか?」
畑山の下品な笑みに、まんまとのせられたような気分に陥ったが、顔に出さないように腹に沈めて畑山の隣に座った。
「金庫にはいくらあるんだ?」
タバコに火をつけながら尋ねると、畑山は癪に触るような笑い声を上げた。
「なんだ、やる気になったのか?」
「金庫にはいくらあるかと聞いているんだ」
畑山を睨みつけて声を荒げると、畑山は薄くなった頭をかきながら予想以上の金額を口にした。
「そのネタの出所は?」
「警備会社の営業やってる奴だ。契約先に不審な金庫があり、調べたら表に出せない金が入っているってわかったらしい。だが、契約物件に手を出せばすぐに警察に捕まっちまう。内情知ってる人間は真っ先に疑われるからな。だから、俺に話を持ってきたというわけだ」
畑山はワンカップの残りを一気にあおると、薄汚れたシャツのポケットから折り畳まれた紙を取り出した。
「成功報酬は六割だ。それだけあれば、再出発の費用としてはお釣がくる。だから俺は、喜んで引き受けたってわけだ」
畑山が、欲望を丸出しにするかのように口元を歪めた。内情が割れている物件は、まさに優良泥棒物件になる。話を聞いた時、畑山が心の中で涎を垂らしていたのは想像に難くなかった。
「だがよ、俺は転売専門だ。ノビの経験がないから、いくら優良泥棒物件といっても躊躇したってわけだ」
だから、この話を俺に持ちかけた。ノビ専門の俺ならば、たやすくやり遂げられると考えたという。
畑山が、取り出した紙を俺の前に広げた。中身はセキュリティ装置の設置図面だった。家の平面図に、どんなセキュリティがどこに設置されているかを示したもので、これがあれば仕事の成功率は飛躍的にアップするといってよかった。
「どう思う?」
畑山が息を飲むのがわかった。その顔には、ノビ師としての率直な意見を聞きたいと書いてあった。
「悪くはない」
一通り確認し、結論を口にする。セキュリティがついた物件の攻略方法は三つだ。セキュリティの隙を狙うか、解除するか、あえて強行突破して警備員が来る前に逃げるかだ。
その観点からいけば、今回の物件には僅かな隙があった。わりと大きな家のせいか、セキュリティも必要最低限しか設置されていない。これならば、泥棒の侵入を障子紙で防ぐぐらいの意味しかなかった。
「解除信号に関する契約はどうなっている?」
セキュリティを解除した場合、解除のタイミングによっては、それだけで異常信号が警備会社に通報されることがある。だが、畑山の事前情報によれば、そうした契約はしていないとのことだった。
「家には婆さんが一人で住んでいる。週に一度、息子が金庫の金を確認する為に帰ってくるらしい。だから、息子が帰ってきて再び出ていった直後を狙えば、一週間は被害が発覚することはない」
畑山の計画では、そもそも金庫の金は表に出せないから、被害届も出ないだろうという読みだった。そういうわけだから、単純なセキュリティ問題さえ突破してしまえば、安心して大金を手にできるとのことだった。
条件は悪くなかった。俺が単独で持ちかけられていたら、既に忍び込んでいるだろう。
「一緒にやらないか?」
成功報酬は山分けという条件で、畑山が正式に俺を誘ってきた。三割とはいえ、手にできる金額に文句はなかった。これだけの金額があれば、当分の間は警察の影に怯えることもないし、別の道へ進む足掛かりにもなるだろう。
即答しても問題はなかった。だが、なぜか俺は声を出せなかった。
――変わりたくないんじゃないの?
声を出す代わりに、芹那のきつく責める声が脳裏に響いた。
――俺は、変わりたくないのか?
手にした金を使えば、人生を変えるきっかけを掴めるかもしれない。このまま泥棒として生きていくことは、先の見えない道を歩いていくようなものだ。
――だが
頭ではわかっていても、いざ目の前にチャンスを提示されると、それを拒む自分がいることを痛感した。細々と泥棒の稼ぎで暮らしてきた日々。それが変わるということに、なぜか俺は抵抗を感じていた。
「怖いのか?」
俺の返事がないことにしびれを切らした畑山が、細めた目を向けてきた。
「あんたは、まともな人生に戻れたとしてやっていける自信があるのか?」
「ねえよ、そんなもん」
俺の問いに、畑山はあっさりと即答した。
「泥棒で生きた人生だ。今さら変わることに抵抗がないと言えば嘘になる」
「なら、どうして?」
「家族だ」
畑山は、そこで再び頭をかいた。
「家族の為によ、一度はまともに稼いだ金で何かをしてやりたいと思っただけだ。本当のところは、俺だって変わるのは怖い。人とまともに話なんかできないし、規則正しくなんてムショの中でしかやったことがない。転売した金で好き勝手に生きてきたんだ。逆に言えば、好き勝手にしか生きられなかった。それでもよ、俺はこのチャンスをきっかけにしたいんだ」
畑山の叫びに似た言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。畑山も、俺と同じようにまともな生活に戻ることを恐れていた。泥棒しか知らない者がまともな人生に戻るのがいかに難しいかは、畑山が一番わかっていることだろう。
「お前が迷うのはわかる。長くこの世界にいると、世間が怖くなるからな。他人の自分を見る目が、泥棒を見ているようにしか思えなくなってくるからな。まあ、実際は泥棒なんだけどよ」
卑屈に笑う畑山に、俺も鼻で笑って返した。
「この話、やるならなるべく早く答えを聞きたい」
一呼吸おいて、畑山が真顔に戻った。
「お前も聞いているだろうが、先日から事務所破りが続いている。おそらく、最近浮いてきた奴の仕業だろう。既に警察から警備会社へ即時通報の指示も出ているって話だ」
畑山のいう即時通報とは、警備会社が警報装置から異常を受信したら、警備員が現場を点検する前に警察に通報することを意味する。
通常は、金融機関を中心に狙われやすい物件に限って指定されているが、これが一般の会社や事務所にまで指定されると、一気に警察への通報が増えることになる。そうなると夜通しパトカーが街中を走ることになるから、泥棒にとっては迷惑でしかなかった。
「この辺りはまだ指定エリアになっていないが、いずれ指定されるだろう。だから、その前に実行したいと考えている」
畑山の口調からして、時間の猶予はあまりなさそうだった。
「わかった。考えてみる」
即答を避け、曖昧に濁しながら畑山に目を向けた。
「期待しているからな」
畑山は頷くと、俺の肩を何度も叩きながら意味深な笑みを浮かべていた。