下見を終えた帰り道にショッピングセンターへと立ち寄った俺は、ひょんなタイミングでセーラー服姿の芹那を見ることになった。
――未成年とは思ったが、まさか女子高生とはな
セーラー服姿の芹那を見て、俺は軽い頭痛を感じた。身分を明かしたくなかった理由はわかったが、だからといって、真夜中のユニック車で密会するという芹那の奇行については、ますます理由がわからなくなっていった。
イベント用のスペースに設けられた展覧会。確か、幾何学的アートか何かの展覧会だったはず。そのコーナーにいた芹那は、数名の男女に囲まれ、黒いバックを胸に抱いたまま俯いていた。悲壮感しか漂ってこない雰囲気からして、仲のいい関係でないのは一目瞭然だった。
『芹那さ、こんなダサい絵なんか見て楽しいの?』
それとなく近づくと、からかう気満々の声が聞こえてきた。芹那は、終始耳を赤くして困ったように笑っていた。その様子を、馬鹿面した男が笑いながらいじり始めた。
――嫌がらせを受けているのか?
人混みに紛れ、芹那の様子を伺いながら芹那の言葉を思い出した。確か、馬鹿にした奴らを見返したいと語っていたはず。とすれば、芹那の絵にかける情熱の根底には、目の前の一面が関わっているのだろう。
嫌がらせはしばらく続いたが、芹那は黙って耐えているだけのようだった。本来ならここで助けに入るべきだろうが、当然ながら俺は助けに入ることはしなかった。
理由は、単純に俺が泥棒だからだ。ここで俺が助けに入れば、当然、俺と芹那の関係を嫌がらせしている連中は模索することになる。今の世の中は、些細なことで個人情報が丸裸にされる時代だ。万が一、嫌がらせをしている連中が俺の素性を暴いた場合、最も被害を受けるのは芹那になってしまうだろう。
なぜなら、泥棒に対する世間のイメージは、想像以上に冷たいものがあるからだ。一緒に泥棒といるだけで、どんな聖人君子も悪と見なされてしまう。何もやっていなかったとしても、泥棒と関係があるというだけで、世間の目が豹変するのが今の世の中だ。
だから、助けに行きたくても助けに行くことはできない。おそらく、芹那も俺が来るのは望まないだろう。自分のプライベートを語らなかった背景に嫌がらせがあるならば、俺にも嫌がらせの事実を知られたくはないだろう。
――だが
ふと、胸の中に沸いてきた感情。モヤモヤしたわだかまりに似た感情が、がらにもなく俺の胸の中でざわついていた。助けてやれない状況に対し、いつもは感じることのない歯痒さをはっきりと自分でも感じていた。
このまま無視して立ち去ってもよかった。だが、自分でもわからないうちに、嫌がらせをしている連中がいなくなったのを確認して声をかけた。芹那は肩を震わせた後、赤くなった瞳を虚ろげに向けてきた。
「秋人!」
驚いた芹那は、大きく目を見開いた後、慌てて目をこすり始めた。
「なんでここにいるの?」
「下見が終わって買い物に来たら、今にも屋上から飛びおりそうな奴がいた。飛びおりるのは勝手だが、寝つきが悪くなったら困るから声をかけた」
「何それ、ひどくない?」
俺の言葉に、芹那が微かに腫れた目をつり上げる。だが、すぐに表情を和らげて笑い始めた。
「てか、私の正体ばれちゃったね。そうだ秋人、せっかくなら付き合ってよ。どうせ暇でしょ?」
ぎこちない会話が不自然に途切れたところで、芹那が意味深な笑みを浮かべてきた。
「あいにくと、泥棒には暇と金はない」
「そっか。じゃあ仕方ないね」
小さくため息をつき、芹那がスマートフォンを取り出した。横目で俺をチラ見したところで、俺は芹那の手を掴んだ。
「通報はよせ」
「どうして?」
「思い出した。泥棒にも、時には暇があるってな」
芹那の温かく柔らかい手に触れたことになぜか落ちつかない気持ちになり、自分でも呆れるくらいの情けない言葉を口にした。
「最初から素直になる。わかった?」
「素直になったら、女子高生なんかとつるみはしない」
ぎこちなく悪態つきながら、芹那の手を放した。芹那は呆れたようにため息をついたが、すぐに機嫌を良くしたように笑顔を見せた。
その後、芹那と並んで展示場の絵を見て回ることにした。有名な作家の作品らしいが、俺には絵の意味も価値も全くわからなかった。
「こんなガラスが割れたような絵が面白いのか?」
目が痛くなるような模様ばかりの作品に、俺はあくびを押し殺した。これで作品になるのであれば、俺が叩き割ったガラスの方が芸術的になる気がした。
そんな俺の皮肉めいた質問にも答えることなく、芹那は真剣な眼差しで絵に集中していた。
――好きなんだろうな
あまりにも真剣な横顔に、俺は口を閉ざして黙って芹那を眺めた。目を輝かせ、羨望の眼差しで作品を見つめる姿からは、絵に対する情熱が生々しく伝わってきた。
――俺にも、熱くなった時があったか
芹那の横顔に触発されて、記憶が過去に飛んでいく。中学高校時代は、野球部で青春を過ごした。全国大会に出るような強豪チームではなかったが、みんなで馬鹿騒ぎしながら白球を追いかけるようなチームだった。
――あいつら、今頃何やってんだろうな
高校卒業後は別々の道に進んだが、何かある時は自然と集まる仲だった。親友とは違う、兄弟のような絆で結ばれた仲だったが、今は当然ながら音信不通の状態にある。最初の逮捕の時、みんなが俺の社会復帰を支援してくれたが、その支えを俺はあっさりと裏切ってしまったからだ。
ガラス張りの絵に反射する自分の姿に気づき、俺は握り拳に力を込めた。失ったのは仲間だけではない。家族も婚約者も犠牲にした。特に家族に対しては、取り返しのつかないことに巻き込んでしまった。今も家族が絶縁を明言するのは当然のことだろう。
ガラスに映った自分と目が合い、俺は肩をすぼめて下を向いた。
今の俺は、この世界で孤独だった。安らぐ家もなければ、頼る仲間もいない。加奈子にしても、いつ追い出されても文句は言えない関係だから、あてにすることもできなかった。
そんな世界で、俺は細々と生きている。文字通り、その日暮らしの泥棒人生だ。明日には、警察が逮捕状を持って押し寄せてくるかもしれないと怯える毎日だ。そんな不安と先の見えない暗闇の中を、ずっと震えながらただ意味もなく漂っているのが今の俺だった。
「どうしたの?」
不意に芹那の声がした。見ると、芹那が不思議そうに俺を見ていた。
「いや、俺の人生と同じだなと思っただけだ」
「何が?」
「この絵さ。意味不明な模様をしてるだろ? 俺の人生も意味不明だから」
感傷につられて自虐ネタを披露したが、芹那は笑うことなく真っ直ぐに俺を見ていた。
「私にはわかるよ」
「あ?」
「この絵の意味、私にはわかるよ。他人にはわからなくてもね。だから、秋人も同じだと思うけど」
「何が言いたいんだ?」
「別に。ただ、秋人が泣いているから苦しいんだろうなって思っただけ。私にはそれぐらいしかわからないけど、きっとこの絵と同じように、秋人のこともわかってくれる人がいると思うよ」
芹那の真剣な眼差しに見つめられたまま、俺は気づかないうちに滲んでいた目を擦った。
「その日暮らしの泥棒を理解するなんて、そんな馬鹿な奴がいるわけないだろ」
芹那の視線から逃れるように背を向けた俺だったが、不意に右手に触れてきた暖かい温もりに、歩きだした足が止まった。
「次は買い物に付き合ってよ」
俺の手を握って隣に並んだ芹那が、屈託ない笑顔を見せた。
振りほどくのは簡単だった。
だが、その柔らかい温もりに包まれた右手は、俺の意思よりも先に握り返していた。
誰かと、つながっているような気がした。
それだけで気分が晴れていく自分に、俺は戸惑いながらもぎこちなく芹那と並んで歩いていった。
――未成年とは思ったが、まさか女子高生とはな
セーラー服姿の芹那を見て、俺は軽い頭痛を感じた。身分を明かしたくなかった理由はわかったが、だからといって、真夜中のユニック車で密会するという芹那の奇行については、ますます理由がわからなくなっていった。
イベント用のスペースに設けられた展覧会。確か、幾何学的アートか何かの展覧会だったはず。そのコーナーにいた芹那は、数名の男女に囲まれ、黒いバックを胸に抱いたまま俯いていた。悲壮感しか漂ってこない雰囲気からして、仲のいい関係でないのは一目瞭然だった。
『芹那さ、こんなダサい絵なんか見て楽しいの?』
それとなく近づくと、からかう気満々の声が聞こえてきた。芹那は、終始耳を赤くして困ったように笑っていた。その様子を、馬鹿面した男が笑いながらいじり始めた。
――嫌がらせを受けているのか?
人混みに紛れ、芹那の様子を伺いながら芹那の言葉を思い出した。確か、馬鹿にした奴らを見返したいと語っていたはず。とすれば、芹那の絵にかける情熱の根底には、目の前の一面が関わっているのだろう。
嫌がらせはしばらく続いたが、芹那は黙って耐えているだけのようだった。本来ならここで助けに入るべきだろうが、当然ながら俺は助けに入ることはしなかった。
理由は、単純に俺が泥棒だからだ。ここで俺が助けに入れば、当然、俺と芹那の関係を嫌がらせしている連中は模索することになる。今の世の中は、些細なことで個人情報が丸裸にされる時代だ。万が一、嫌がらせをしている連中が俺の素性を暴いた場合、最も被害を受けるのは芹那になってしまうだろう。
なぜなら、泥棒に対する世間のイメージは、想像以上に冷たいものがあるからだ。一緒に泥棒といるだけで、どんな聖人君子も悪と見なされてしまう。何もやっていなかったとしても、泥棒と関係があるというだけで、世間の目が豹変するのが今の世の中だ。
だから、助けに行きたくても助けに行くことはできない。おそらく、芹那も俺が来るのは望まないだろう。自分のプライベートを語らなかった背景に嫌がらせがあるならば、俺にも嫌がらせの事実を知られたくはないだろう。
――だが
ふと、胸の中に沸いてきた感情。モヤモヤしたわだかまりに似た感情が、がらにもなく俺の胸の中でざわついていた。助けてやれない状況に対し、いつもは感じることのない歯痒さをはっきりと自分でも感じていた。
このまま無視して立ち去ってもよかった。だが、自分でもわからないうちに、嫌がらせをしている連中がいなくなったのを確認して声をかけた。芹那は肩を震わせた後、赤くなった瞳を虚ろげに向けてきた。
「秋人!」
驚いた芹那は、大きく目を見開いた後、慌てて目をこすり始めた。
「なんでここにいるの?」
「下見が終わって買い物に来たら、今にも屋上から飛びおりそうな奴がいた。飛びおりるのは勝手だが、寝つきが悪くなったら困るから声をかけた」
「何それ、ひどくない?」
俺の言葉に、芹那が微かに腫れた目をつり上げる。だが、すぐに表情を和らげて笑い始めた。
「てか、私の正体ばれちゃったね。そうだ秋人、せっかくなら付き合ってよ。どうせ暇でしょ?」
ぎこちない会話が不自然に途切れたところで、芹那が意味深な笑みを浮かべてきた。
「あいにくと、泥棒には暇と金はない」
「そっか。じゃあ仕方ないね」
小さくため息をつき、芹那がスマートフォンを取り出した。横目で俺をチラ見したところで、俺は芹那の手を掴んだ。
「通報はよせ」
「どうして?」
「思い出した。泥棒にも、時には暇があるってな」
芹那の温かく柔らかい手に触れたことになぜか落ちつかない気持ちになり、自分でも呆れるくらいの情けない言葉を口にした。
「最初から素直になる。わかった?」
「素直になったら、女子高生なんかとつるみはしない」
ぎこちなく悪態つきながら、芹那の手を放した。芹那は呆れたようにため息をついたが、すぐに機嫌を良くしたように笑顔を見せた。
その後、芹那と並んで展示場の絵を見て回ることにした。有名な作家の作品らしいが、俺には絵の意味も価値も全くわからなかった。
「こんなガラスが割れたような絵が面白いのか?」
目が痛くなるような模様ばかりの作品に、俺はあくびを押し殺した。これで作品になるのであれば、俺が叩き割ったガラスの方が芸術的になる気がした。
そんな俺の皮肉めいた質問にも答えることなく、芹那は真剣な眼差しで絵に集中していた。
――好きなんだろうな
あまりにも真剣な横顔に、俺は口を閉ざして黙って芹那を眺めた。目を輝かせ、羨望の眼差しで作品を見つめる姿からは、絵に対する情熱が生々しく伝わってきた。
――俺にも、熱くなった時があったか
芹那の横顔に触発されて、記憶が過去に飛んでいく。中学高校時代は、野球部で青春を過ごした。全国大会に出るような強豪チームではなかったが、みんなで馬鹿騒ぎしながら白球を追いかけるようなチームだった。
――あいつら、今頃何やってんだろうな
高校卒業後は別々の道に進んだが、何かある時は自然と集まる仲だった。親友とは違う、兄弟のような絆で結ばれた仲だったが、今は当然ながら音信不通の状態にある。最初の逮捕の時、みんなが俺の社会復帰を支援してくれたが、その支えを俺はあっさりと裏切ってしまったからだ。
ガラス張りの絵に反射する自分の姿に気づき、俺は握り拳に力を込めた。失ったのは仲間だけではない。家族も婚約者も犠牲にした。特に家族に対しては、取り返しのつかないことに巻き込んでしまった。今も家族が絶縁を明言するのは当然のことだろう。
ガラスに映った自分と目が合い、俺は肩をすぼめて下を向いた。
今の俺は、この世界で孤独だった。安らぐ家もなければ、頼る仲間もいない。加奈子にしても、いつ追い出されても文句は言えない関係だから、あてにすることもできなかった。
そんな世界で、俺は細々と生きている。文字通り、その日暮らしの泥棒人生だ。明日には、警察が逮捕状を持って押し寄せてくるかもしれないと怯える毎日だ。そんな不安と先の見えない暗闇の中を、ずっと震えながらただ意味もなく漂っているのが今の俺だった。
「どうしたの?」
不意に芹那の声がした。見ると、芹那が不思議そうに俺を見ていた。
「いや、俺の人生と同じだなと思っただけだ」
「何が?」
「この絵さ。意味不明な模様をしてるだろ? 俺の人生も意味不明だから」
感傷につられて自虐ネタを披露したが、芹那は笑うことなく真っ直ぐに俺を見ていた。
「私にはわかるよ」
「あ?」
「この絵の意味、私にはわかるよ。他人にはわからなくてもね。だから、秋人も同じだと思うけど」
「何が言いたいんだ?」
「別に。ただ、秋人が泣いているから苦しいんだろうなって思っただけ。私にはそれぐらいしかわからないけど、きっとこの絵と同じように、秋人のこともわかってくれる人がいると思うよ」
芹那の真剣な眼差しに見つめられたまま、俺は気づかないうちに滲んでいた目を擦った。
「その日暮らしの泥棒を理解するなんて、そんな馬鹿な奴がいるわけないだろ」
芹那の視線から逃れるように背を向けた俺だったが、不意に右手に触れてきた暖かい温もりに、歩きだした足が止まった。
「次は買い物に付き合ってよ」
俺の手を握って隣に並んだ芹那が、屈託ない笑顔を見せた。
振りほどくのは簡単だった。
だが、その柔らかい温もりに包まれた右手は、俺の意思よりも先に握り返していた。
誰かと、つながっているような気がした。
それだけで気分が晴れていく自分に、俺は戸惑いながらもぎこちなく芹那と並んで歩いていった。