君子は自室で呟いた。それは、翌日に婚約者と会うことへの不安もあったからだろう。
 自分の悩みが贅沢なものだということは理解している。同じ年頃でも、生まれによってはもっと苦労している者がいることも知っている。苦労どころか、今日の命を繋げるかどうかという状況の者がいることも、わかっている。ただ、それでも、その立場に合わせた悩み、願いを持つことを許してほしい。
 師範になりたいとまで考えているわけではないが、婚姻を理由に途中で退学になるのは嫌だ。せめて、与えられた期間だけでも、学びの場にいたい。
 ただ、それは両親を困らせてしまう。父が、母が悲しむ様を見てまで学びたいとは思わない。どうすればいいのかと悩みながらその日は眠りについた。
 その日は妙に彼らの視線を感じた。あやかしと呼ばれる存在は、夜に出没すると思われているが、実際はそうでもない。人々は気が付かないだけで、彼らは昼間にも活動している。それどころか人に扮して過ごしているものもいる。
 婚約者に連れられ、近場の喫茶店での逢瀬。逢瀬という程ロマンティックなものではない。洋菓子を勧められ、一口食べる。甘い物の好きな君子は単純なもので、緊張は一気に解けてしまった。婚約者は君子の近状を尋ねてくる。学び舎でのこと、好きな本のこと、いろいろと話した。すると婚約者から「あなたは、まだ学生でいたいのでしょうか」と尋ねられた。
思わず息をのんだ。本音を言えば首を縦に振ってしまいたい。しかし、そうしてしまったら、どうなるのだろうか。この発言にどうこたえるか、試されているのだろうか。肯定してしまえば、我の強い女と思われ、縁談はなかったことになるのか。ただ、ここで、嘘をついてしまったら、今後、嘘を重ねた関係になってしまうのではないだろうか。それは、避けたほうがいい。耐えきれる自信がないからだ。

「こんなことを言っては、幻滅されるのかもしれませんが」

 そんな防衛線を張ってから、君子は正直に本音を打ち明けることにした。自分の意思だけではない。世間体をどう思っているかも踏まえた上で、ゆっくりと、言葉に詰まりながら話すこととなった。相手は、言葉を遮ることなく、君子の言葉に頷きながら、聞いてくれた。

「まあ、中退するのが望ましい風潮にあると言えるでしょう」