「先輩、好きです!」
「あの……これ、一生懸命作りました! 受け取ってください!」
さし出される包みは、包装紙もリボンもさりげなく添えられたメッセージカードも、本当にどれも可愛くて、見ているだけで楽しくなる。
きっと一生懸命考えて、選んでくれたんだろうなと考えると、家の前でズラッと横一列に並んだ女の子一人一人に、お礼を言って握手して回りたいくらいだ。
正直にそう話したら、一緒に家から出て来た繭香に上目づかいで睨まれた。
「お前はどこのアイドルだ! バカか!」
「別に……アイドルだなんて思ってないけど……」
ダメだ。
繭香の言葉の選び方はいちいち秀逸で、ツボにはまる。
俺は一度笑いだしたら止まらないほうなので、できればあまり面白いことを言わないでほしい。
小声でそう頼んだら、ますます睨まれた。
「いいから! さっさと丁重にお断りしてこい!」
小さなもみじみたいなてのひらで背中をバチンと叩かれるので、俺は仕方なく重い一歩を踏みだす。
(あーあ……気が重いな)
これから俺は、きっと家の前で俺が出てくるのを何時間も待っていてくれたであろう女の子たちに、ひどい宣言をしなければならない。
雪のバレンタインデー。
きっと寒くて凍えそうな中で、懸命に待っててくれたんだろうに、繭香から出された指令は、「全てのチョコレートの受け取り拒否」だ。
「ねえ……やっぱり受け取るだけ受け取ったらダメかな?」
ふり返って小声で尋ねたら、繭香が鬼のような形相になった。
「ダメに決まってるだろ! それじゃ去年までと何も変わらん! 自分で宣戦布告したんだからいい加減覚悟を決めろ! 往生際が悪すぎる!」
「だよね……」
自分よりよほど男らしいのではないかと思う幼馴染の叱咤を受け、俺はようやく決心がついた。
女の子たちの列に向かって歩きだす。
俺は人が悲しむ顔を見るのは好じゃないし、できることなら悲しませることはしたくない。
それぐらいなら、俺のほうがちょっと嫌な思いをすればいいと思うし、実際これまでずっとそうしてきた。
本当に我慢できないくらいの嫌なことなんて、滅多にあるものじゃないんだから、あまりくよくよしない俺が傷つくことなんて、実はほとんどない。
だからその信念のままに、恋愛関係の問題に関しても、あくまでも受け身で、好意を寄せてくれる女の子たちにはみんな、ありがとうと笑顔で感謝の言葉を返したいのに。
これまでずっとそうやってきた方法では――どうしてもう、いけないんだろう?
繭香に聞けば、きっと返ってくる言葉は決まっている。
「じゃあ、琴美のことは諦めるんだな?」
正直そう聞かれると、俺にはなんとも答えられない。
自分がこんなに誰かのことを好きになるなんて、思ってもいなかった。
しかも彼女はあきらかに別の相手を好きなのだとわかっているのにだ。
繭香だって、俺とそう変わらないぐらい恋愛偏差値は低いはずなのに、最近妙に先輩ぶってアドバイスをくれるのでとまどう。
まるで小さな妹がいきなり姉になってしまったかのような変貌ぶりだ。
女の子たちの前に着いて、最後にもう一度繭香のほうをふり返ると、偉そうに腕組みしながら、「行け」とばかりに顎で指示された。
これではもう、ごまかしようがない。
顔を真っ赤にしながら、涙まで浮かべた女の子たちが、一斉に俺に注いだ視線の重みをひしひしと全身で感じながら、俺は深々と彼女たちに頭を下げた。
「ごめん。今年はもう、チョコレートは受け取らないことにしたんだ」
中には何年間も俺にチョコを渡し続けてくれている子もいて、本当に良心がズキズキ痛む。
「そんな!」
「だっていつもは……」
「うん。だけど今年はもう状況が違うから……」
「状況?」
ざわめきが止まらない女の子たちに向かって、俺はもう一度頭を下げた。
「好きな人ができたんだ。だからもう彼女からしかチョコレートも受け取らない」
頭をあげないままにきっぱりと言い切ったら、きっと非難の声が上がるか、すすり泣きが聞こえると思っていたのに、思いがけずあたりは沈黙した。
「え? え?」
そんなにおかしなことを言っただろかと、内心不安に思いながら顔を上げると、女の子たちの笑顔にぶつかる。
「よかったですね、先輩!」
「ついに王子にも春が到来か~」
「それはおめでとう、貴人君」
「え、ええ……」
これはどういう反応なんだろう。
俺のことが好きで、バレンタインデーにチョコを家まで届けに来てくれたはずの女の子たちに、気がつけばぐるっと取り囲まれて、熱心な激励を受けている。
「がんばってね! 応援してるから!」
実に清々しい笑顔で、みんなあっさりと手を振りながら帰ってしまって、逆に拍子抜けしたくらいだ。
ひょっとしたら泣かせてしまうんじゃないかなんて、どうやら俺の身勝手な想像だったようだ。
気が抜けたような気分で踵を返すと、ドアの前で待っている繭香が肩を震わせて大笑いしていた。
「なにがおかしいのさ」
少なからず口を尖らせながら尋ねると、涙を拭き拭き繭香が言う。
「いや……お前の周りに集まる連中って、本当に良いヤツばかりだな……」
「そう?」
「ああ。本人も含めてお人よしだらけだ」
ハハハと珍しく声を出して、繭香が笑い続けるので、せめて一糸報いたくなった。
「じゃあ繭香もね」
「…………!」
昨年末自分をフッた相手の恋が成就するように応援するなんて、普通に考えても繭香は相当の「お人よし」だ。
あまりに的確な指摘に、繭香は顔を真っ赤にして怒った。
「そんなことはない!」
その顔を正面から見てしまい、遂に始まった俺の大笑いは、そう簡単には止みそうにもなかった。
「で? これからどこに行くの?」
「いいから黙ってついてこい!」
さっきからずっとその問答のくり返しで、俺を伴ってどこに行こうとしているか、繭香はちっとも説明してくれない。
昨夜からの雪が解けて固まった地面はかなり滑りやすくなっていて、繭香が足を取られないか心配だから、できれば俺のほうが先を歩きたいのに――。
そう言って催促しても「着いてのお楽しみだ」と無駄だった。
でも申し訳ないが、俺は学校から見ると俺たちの家があるほうとは真逆のその方角に、何があるのかをもうすでに知っていると思う。
選挙前、繭香が学校を休んでいた間、毎日のように通った道だから。
繭香の家に行った琴美を送って、彼女の家まで――。
繭香の嬉しそうな背中を見ていると、俺をビックリさせたい気持ちが存分に滲みでていて、余計な言葉はかけられない。
まるで今日初めて知ったかのように驚いた顔をして見せるのは、たぶん俺はかなりうまいほうだと思う。
だからまあいいかと思いながら、小柄な背中に先導されて歩いていると、目的の家のかなり前方で、繭香がふいに足を止めた。
それなりの大きさの公園の前。
いったいどうしたのだろうか問いかけようとしたら、公演の入り口から誰かが走り出してきた。
繭香は一瞬驚いたように目を見開き、それからすぐに「琴美!?」と叫んだが、俺には見えた瞬間にわかっていた。
琴美が片手で頬を擦りながら泣いていることも。
どうしたのだろうと考える前に体が動きだす。
こういうところが、最近の俺の凄いところだと自分でも思う。
とにかく琴美に関してだけは、何がどうしてこうなったのを考える思考回路が、頭の中で直結してしまっている。
バレンタインデー。
琴美の家の近く。
手にはチョコレートが入っていると思われる小さな紙袋。
――そして泣いている琴美。
これだけ揃っていれば、「何があったの?」なんて本人に聞くまでもない。
繭香の声掛けが一瞬遅くなって、琴美は繭香には気づかず走り抜けたが、俺はそうはいかない。
いろんなことにあまりに不器用過ぎて、なかなかうまくいかない琴美の片思いを、もう応援したりはしないと――決めたんだ。
「琴美っ!」
繭香と同じように通り過ぎてしまわれる前に呼び止めて、腕を引いた。
俺の顔を見て、「なんでこんな所に?」という表情をした琴美を、かまわず抱きしめた。
「いきなり何するのよ!」と諒みたいに殴られないのは、俺の役得だ。
そういう意味では、俺は琴美にちゃんと信頼されていると思う。
でもそんな信頼なんていらないから、俺の言動行動で琴美を一喜一憂させられるたった一人になりたいと思うのに、
――諒みたいになりたいと思うのに――
なれないことがこんなに悔しい。
そして俺にはたどり着けない場所にもうずっと前からいるくせに、こうして琴美を泣かしてばかりいるあいつが、今は少し腹立たしい。
「諒となんかあった?」
抱きしめながら問いかけたら、琴美が俺の腕の中で必死に首を横に振る。
それが嘘だとわかっていながら、俺は「そう」といつもどおりの返事をした。
優しく見守って、元気づけて励まして、今までずっとそうやってきたとおりに、琴美を慰めようとしたら、いつの間にか俺の前方に回りこんできていた繭香にじっと睨み据えられた。
それから繭香が、細く尖った顎をクイッと上に反らす。
それは小さな子供の頃からずっと俺の女王様だった繭香の、変わることのない ――GOサイン。
気がつけば俺は、もう解放しようとしていた琴美の体を強く抱き締め直していた。
「琴美。俺は絶対に琴美を泣かしたりしない。いつも琴美が笑っていられるように……そのためになんだってできるよ。だから俺を選んで。そばに居させて」
たぶん諒と何かがあって、泣いて落ちこんでいるところなのに、まるでそこを狙ったかのような告白。
でも言葉にした想いには、偽りはない。
いつだって俺が琴美を見ながら、ずっとずっと抱き続けていた想いだ。
だから――。
「貴人……」
泣きながら縋りついてくる琴美を、必ず守ろうと思う。
諒に対する遠慮や気遣いより、俺はやっぱり琴美を守りたい。
「うん」
特に何か返事を貰ったわけでもないのに、一人で勝手に納得して、宥めるように琴美の背中をトントンと叩いていたら、繭香がとてつもなく嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
親指をピンと立てて、空を指すそのポーズは――繭香女王のOKサイン。
どうやら彼女の望むほうへ、ことが進み始めたことがあんなに嬉しいらしい。
その顔を見ていたら、自分のことのように嬉しくなった。
まるで誰が当事者なのか、まったくわからない俺たちの上に、雪が降り始める。
――それはきっと明日からの、新しい日々の幕開けの合図。
「あの……これ、一生懸命作りました! 受け取ってください!」
さし出される包みは、包装紙もリボンもさりげなく添えられたメッセージカードも、本当にどれも可愛くて、見ているだけで楽しくなる。
きっと一生懸命考えて、選んでくれたんだろうなと考えると、家の前でズラッと横一列に並んだ女の子一人一人に、お礼を言って握手して回りたいくらいだ。
正直にそう話したら、一緒に家から出て来た繭香に上目づかいで睨まれた。
「お前はどこのアイドルだ! バカか!」
「別に……アイドルだなんて思ってないけど……」
ダメだ。
繭香の言葉の選び方はいちいち秀逸で、ツボにはまる。
俺は一度笑いだしたら止まらないほうなので、できればあまり面白いことを言わないでほしい。
小声でそう頼んだら、ますます睨まれた。
「いいから! さっさと丁重にお断りしてこい!」
小さなもみじみたいなてのひらで背中をバチンと叩かれるので、俺は仕方なく重い一歩を踏みだす。
(あーあ……気が重いな)
これから俺は、きっと家の前で俺が出てくるのを何時間も待っていてくれたであろう女の子たちに、ひどい宣言をしなければならない。
雪のバレンタインデー。
きっと寒くて凍えそうな中で、懸命に待っててくれたんだろうに、繭香から出された指令は、「全てのチョコレートの受け取り拒否」だ。
「ねえ……やっぱり受け取るだけ受け取ったらダメかな?」
ふり返って小声で尋ねたら、繭香が鬼のような形相になった。
「ダメに決まってるだろ! それじゃ去年までと何も変わらん! 自分で宣戦布告したんだからいい加減覚悟を決めろ! 往生際が悪すぎる!」
「だよね……」
自分よりよほど男らしいのではないかと思う幼馴染の叱咤を受け、俺はようやく決心がついた。
女の子たちの列に向かって歩きだす。
俺は人が悲しむ顔を見るのは好じゃないし、できることなら悲しませることはしたくない。
それぐらいなら、俺のほうがちょっと嫌な思いをすればいいと思うし、実際これまでずっとそうしてきた。
本当に我慢できないくらいの嫌なことなんて、滅多にあるものじゃないんだから、あまりくよくよしない俺が傷つくことなんて、実はほとんどない。
だからその信念のままに、恋愛関係の問題に関しても、あくまでも受け身で、好意を寄せてくれる女の子たちにはみんな、ありがとうと笑顔で感謝の言葉を返したいのに。
これまでずっとそうやってきた方法では――どうしてもう、いけないんだろう?
繭香に聞けば、きっと返ってくる言葉は決まっている。
「じゃあ、琴美のことは諦めるんだな?」
正直そう聞かれると、俺にはなんとも答えられない。
自分がこんなに誰かのことを好きになるなんて、思ってもいなかった。
しかも彼女はあきらかに別の相手を好きなのだとわかっているのにだ。
繭香だって、俺とそう変わらないぐらい恋愛偏差値は低いはずなのに、最近妙に先輩ぶってアドバイスをくれるのでとまどう。
まるで小さな妹がいきなり姉になってしまったかのような変貌ぶりだ。
女の子たちの前に着いて、最後にもう一度繭香のほうをふり返ると、偉そうに腕組みしながら、「行け」とばかりに顎で指示された。
これではもう、ごまかしようがない。
顔を真っ赤にしながら、涙まで浮かべた女の子たちが、一斉に俺に注いだ視線の重みをひしひしと全身で感じながら、俺は深々と彼女たちに頭を下げた。
「ごめん。今年はもう、チョコレートは受け取らないことにしたんだ」
中には何年間も俺にチョコを渡し続けてくれている子もいて、本当に良心がズキズキ痛む。
「そんな!」
「だっていつもは……」
「うん。だけど今年はもう状況が違うから……」
「状況?」
ざわめきが止まらない女の子たちに向かって、俺はもう一度頭を下げた。
「好きな人ができたんだ。だからもう彼女からしかチョコレートも受け取らない」
頭をあげないままにきっぱりと言い切ったら、きっと非難の声が上がるか、すすり泣きが聞こえると思っていたのに、思いがけずあたりは沈黙した。
「え? え?」
そんなにおかしなことを言っただろかと、内心不安に思いながら顔を上げると、女の子たちの笑顔にぶつかる。
「よかったですね、先輩!」
「ついに王子にも春が到来か~」
「それはおめでとう、貴人君」
「え、ええ……」
これはどういう反応なんだろう。
俺のことが好きで、バレンタインデーにチョコを家まで届けに来てくれたはずの女の子たちに、気がつけばぐるっと取り囲まれて、熱心な激励を受けている。
「がんばってね! 応援してるから!」
実に清々しい笑顔で、みんなあっさりと手を振りながら帰ってしまって、逆に拍子抜けしたくらいだ。
ひょっとしたら泣かせてしまうんじゃないかなんて、どうやら俺の身勝手な想像だったようだ。
気が抜けたような気分で踵を返すと、ドアの前で待っている繭香が肩を震わせて大笑いしていた。
「なにがおかしいのさ」
少なからず口を尖らせながら尋ねると、涙を拭き拭き繭香が言う。
「いや……お前の周りに集まる連中って、本当に良いヤツばかりだな……」
「そう?」
「ああ。本人も含めてお人よしだらけだ」
ハハハと珍しく声を出して、繭香が笑い続けるので、せめて一糸報いたくなった。
「じゃあ繭香もね」
「…………!」
昨年末自分をフッた相手の恋が成就するように応援するなんて、普通に考えても繭香は相当の「お人よし」だ。
あまりに的確な指摘に、繭香は顔を真っ赤にして怒った。
「そんなことはない!」
その顔を正面から見てしまい、遂に始まった俺の大笑いは、そう簡単には止みそうにもなかった。
「で? これからどこに行くの?」
「いいから黙ってついてこい!」
さっきからずっとその問答のくり返しで、俺を伴ってどこに行こうとしているか、繭香はちっとも説明してくれない。
昨夜からの雪が解けて固まった地面はかなり滑りやすくなっていて、繭香が足を取られないか心配だから、できれば俺のほうが先を歩きたいのに――。
そう言って催促しても「着いてのお楽しみだ」と無駄だった。
でも申し訳ないが、俺は学校から見ると俺たちの家があるほうとは真逆のその方角に、何があるのかをもうすでに知っていると思う。
選挙前、繭香が学校を休んでいた間、毎日のように通った道だから。
繭香の家に行った琴美を送って、彼女の家まで――。
繭香の嬉しそうな背中を見ていると、俺をビックリさせたい気持ちが存分に滲みでていて、余計な言葉はかけられない。
まるで今日初めて知ったかのように驚いた顔をして見せるのは、たぶん俺はかなりうまいほうだと思う。
だからまあいいかと思いながら、小柄な背中に先導されて歩いていると、目的の家のかなり前方で、繭香がふいに足を止めた。
それなりの大きさの公園の前。
いったいどうしたのだろうか問いかけようとしたら、公演の入り口から誰かが走り出してきた。
繭香は一瞬驚いたように目を見開き、それからすぐに「琴美!?」と叫んだが、俺には見えた瞬間にわかっていた。
琴美が片手で頬を擦りながら泣いていることも。
どうしたのだろうと考える前に体が動きだす。
こういうところが、最近の俺の凄いところだと自分でも思う。
とにかく琴美に関してだけは、何がどうしてこうなったのを考える思考回路が、頭の中で直結してしまっている。
バレンタインデー。
琴美の家の近く。
手にはチョコレートが入っていると思われる小さな紙袋。
――そして泣いている琴美。
これだけ揃っていれば、「何があったの?」なんて本人に聞くまでもない。
繭香の声掛けが一瞬遅くなって、琴美は繭香には気づかず走り抜けたが、俺はそうはいかない。
いろんなことにあまりに不器用過ぎて、なかなかうまくいかない琴美の片思いを、もう応援したりはしないと――決めたんだ。
「琴美っ!」
繭香と同じように通り過ぎてしまわれる前に呼び止めて、腕を引いた。
俺の顔を見て、「なんでこんな所に?」という表情をした琴美を、かまわず抱きしめた。
「いきなり何するのよ!」と諒みたいに殴られないのは、俺の役得だ。
そういう意味では、俺は琴美にちゃんと信頼されていると思う。
でもそんな信頼なんていらないから、俺の言動行動で琴美を一喜一憂させられるたった一人になりたいと思うのに、
――諒みたいになりたいと思うのに――
なれないことがこんなに悔しい。
そして俺にはたどり着けない場所にもうずっと前からいるくせに、こうして琴美を泣かしてばかりいるあいつが、今は少し腹立たしい。
「諒となんかあった?」
抱きしめながら問いかけたら、琴美が俺の腕の中で必死に首を横に振る。
それが嘘だとわかっていながら、俺は「そう」といつもどおりの返事をした。
優しく見守って、元気づけて励まして、今までずっとそうやってきたとおりに、琴美を慰めようとしたら、いつの間にか俺の前方に回りこんできていた繭香にじっと睨み据えられた。
それから繭香が、細く尖った顎をクイッと上に反らす。
それは小さな子供の頃からずっと俺の女王様だった繭香の、変わることのない ――GOサイン。
気がつけば俺は、もう解放しようとしていた琴美の体を強く抱き締め直していた。
「琴美。俺は絶対に琴美を泣かしたりしない。いつも琴美が笑っていられるように……そのためになんだってできるよ。だから俺を選んで。そばに居させて」
たぶん諒と何かがあって、泣いて落ちこんでいるところなのに、まるでそこを狙ったかのような告白。
でも言葉にした想いには、偽りはない。
いつだって俺が琴美を見ながら、ずっとずっと抱き続けていた想いだ。
だから――。
「貴人……」
泣きながら縋りついてくる琴美を、必ず守ろうと思う。
諒に対する遠慮や気遣いより、俺はやっぱり琴美を守りたい。
「うん」
特に何か返事を貰ったわけでもないのに、一人で勝手に納得して、宥めるように琴美の背中をトントンと叩いていたら、繭香がとてつもなく嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
親指をピンと立てて、空を指すそのポーズは――繭香女王のOKサイン。
どうやら彼女の望むほうへ、ことが進み始めたことがあんなに嬉しいらしい。
その顔を見ていたら、自分のことのように嬉しくなった。
まるで誰が当事者なのか、まったくわからない俺たちの上に、雪が降り始める。
――それはきっと明日からの、新しい日々の幕開けの合図。