「春樹! ちょっと出かけてくるから、お母さん帰ってきたらそう言っといてね!」
せっかくの日曜日だというのに、リビングの大型テレビの前に朝から陣取って、魂を抜かれたようにゲームを続けている弟の背中に、とりあえず声をかけた。
絶対に聞こえていないことはわかっているので、返事も待たずに玄関へ急ぐ。
なのにちょうどデータをセーブ中だったのか、思いがけず春樹がこちらをふり返った。
「どこ行くんだよ? ……デート?」
脱ぎかけていたスリッパを、思わず力いっぱい投げつけてしまった。
「違うわよ!!」
「知ってるよ……瀬川さん、今日は練習試合だろ? 見学に行くぞってウチの監督が大張り切りして、ほとんどの連中がそれに乗っかったから、俺は今日、部活が休みになったんだよ」
中学二年の春樹は、サッカー部に所属している。
毎日夜遅くまで、土日も関係なく練習があるのに、今日は珍しく家にいると思ったらそういうことだったのか。
しかし――。
「なんであんたは行かなかったのよ?」
するどく指摘してやったら、意味深に笑われた。
「別に……俺だったらいつだって瀬川さんのプレーは近くで見れるし、部活の奴らと姉ちゃんの彼氏応援に行くってのも、なんか恥ずかしいし……」
残るもう片方のスリッパも、春樹に投げつけてやった。
一個目はかわされたが、今度は不意打ちだったからか、上手く頭にヒットしてちょっとスッキリする。
「いてっ! なにすんだよ強暴だな! 夏姫! お前、そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」
私と同じで結構短気な春樹は、気に入らないことがあるとすぐに怒りだす。
三つも年上の私を呼び捨てするばかりか、お前呼ばわりするのでほんと、頭にくる。
「うるさい! バカ!」
これ以上一緒にいたら気分が悪くなるだけだと思って、私は再び玄関に向かって歩き始める。
「瀬川さん、結構もてるんだからな! ウチの学校にだってファンクラブあるんだからな!」
(知ってるわよ! バカ!)
春樹の挑発にはもう乗らず、私はバタンと大きな音をさせて玄関の扉を閉めた。
中学は別だったけど、その頃からちょっとした顔見知りで、高校に入ったら同じクラスで生徒会でも一緒で、自然と行動を共にすることが多くなった「瀬川玲二」を、私はみんなには「見かけほどは頼りにならない男」と言っていた。
だってあんなに一生懸命うちこんでた陸上を、高校入学と同時に辞めてしまったし、赤面性で女の子とは上手く話せないし、体のわりに声も小さいし、見るからに情けなかったのだ。
(ダメだ、こりゃ……中学の頃は、少なくとも走ってる姿だけはかっこよかったのにな……)
そんなことを考えては、誰に聞かれたわけでもないのに一人で大慌てしていた。
(か、か、かっこよくなんかないわよ! 別に!)
「かっこいい」――その言葉はどちらかといえば、私自身にかけられることが多い。
「きゃあああ! 古賀先輩かっこいい!!」
いつも応援してくれる下級生の子も、毎日欠かさずさし入れしてくれるクラスメートも、校門で待ち伏せしている中学生も、みんな私を「かっこいい」と言う。
(ファンクラブだったら……私なんて中学生の頃からあったんだから!)
こんなことで玲二とはりあってどうするんだろう。
メンバー全員女の子のファンクラブ。
男よりも男らしいと私を賛美してくれる彼女たちが、だけど最近、私だけではなく玲二も応援しているから心境は複雑だ。
ことの発端は、文化祭の劇で玲二が王子様役をやったことだと思う。
足を怪我していたお姫様役の私を庇って、うまく劇を成功させた姿は、確かに私の目から見てもかっこよかった。
私目的であの劇を見に来ていた女の子たちが、あとになって玲二を「ほんとに王子様みたいだった!」と評す声を、私は嬉しいような悲しいような気持ちで聞いていた。
(なんだか、やだな……)
胸がチクチクする。
頭が痛い。
普段は全然頼りにならなくても、いざという時は頑として譲らない。
強い意志を持っている。
そのくせ際限なく優しい玲二が、「かっこいい」ことぐらい、私は本当はずっと前から知っていた。
私だけが知ってるつもりだった。
なのに――。
(なんか悔しい……)
意地っ張りで、自分の気持ちになんか全然素直になれない私が、つまらない意地を張っているうちに、『HEAVEN』でもクラスでも目立たない存在だったはずの玲二が、女の子の注目を浴びている。
ところが、らしくもなく悶々とする私とはまるで真逆に、玲二は好きな相手に好意を示すことに迷いがなかった。
――つまり私に。
クリスマスのラブプレートを書いてほしいと言った時、玲二はてらいもなく「好きだよ夏姫」と私に告げた。
嬉しくて嬉しくて、ほんとは飛び上がりたいくらいだったのに、私はと言えば、「そんなに言うんだったらしょうがないから、書いてあげる」と実に嫌そうな顔でプレートを受け取っただけ。
「好き」の言葉には、実は何も反応を返していない。
(だから本当は、玲二は私の「彼氏」なんかじゃないのかも……?)
そんなふうにしか思えない自分は、なんて素直じゃないんだろう。
可愛げがなくって、自分でも呆れてしまう。
「そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」
春樹の罵倒も、
「サッカー部のエースで、成績は中の上で、身長も無駄に高い……顔はまあ、すっきりと爽やか系ではあるし、笑うとなかなか可愛い……その上、女の子が苦手なくせに、不器用な優しさを示すことには照れがない……マズイわ、冷静に分析したら玲二君ってかなりポイント高いわよ? 夏姫ちゃん」
恋愛マスターの可憐の評価も、胸に突き刺さるばかりだ。
しかも冗談では済まされない。
玲二を好意の目で見ている女の子は、半年前とは比べものにならないくらい多いのだから。
だから私は決意した。
今度のバレンタイン。
――去年まではチョコを貰う側で参加し、結果一人勝ち状態で、男子の反感を一身に浴びていたその女の子の一大イベントに、今年は私はチョコを渡す側で参加する。
そのためにさっさとみんなを巻き沿いにした。
「えっ? バレンタインって、女の子がプレゼント貰う行事でしょ?」
どれだけ恋人に甘やかされてるんだかと呆れてしまう可憐も。
「お前……! 私が年末に失恋したって知ってて言ってるのか?」
思わず受話器を耳から放してしまうくらい大激怒した繭香も。
「うん。わかった」
淡々と同意したうららも。
「ちょ、ちょっと待って! 私……どうしていいんだか、まだ決心がつかなくて……」
傍から見てれば結論はもう出てるのに、あいかわらず往生際の悪い琴美も。
みんなみんな――。
「ええ。いいわよ。じゃあ、その前の日曜日に私の家に集合ね」
手作りチョコ作成の先生として、私がアポイントを取った美千瑠の家に召集をかけた。
(料理なんて全然しないんだけど……ほんとにできんのかな?)
マフラーを首に巻き直しながら、いつもロードワークで走り慣れた道を急ぐ。
吐く息は白く、指先だってかじかんでるから、とてもゆっくり歩いてなんていられない。
(嘘……ほんとは気持ちが焦って走らずにいられない……!)
長い距離を走る時、一定のペースを保とうと努力するように、どうしようもなくドキドキと跳ねる心臓に、私はくり返し言い聞かせる。
(落ち着け、落ち着け、大丈夫!)
例え多少出来が悪くたって、玲二ならきっと受け取ってくれる。
ゆでタコみたいに真っ赤になって、それでもちゃんと「ありがとう」と言ってくれる。
私は玲二のそんな誠実さが好きなんだから。
他のみんなよりずっと前にそれに気がついて、好きになったんだから。
(そんなこと、絶対本人には言えないけど……)
心の中で顔をしかめた次の瞬間、私はやっぱり首を横に振った。
(ううん……言えないじゃなく……言えるようにがんばらなくちゃ!)
そうでなければ、とりあえず今は私の「王子様」でいてくれる玲二が、他のお姫様のところへ行ってしまっても、私には文句も言えない。
(いきなりは無理だけど、ちょっとずつ……玲二が変わったみたいに私も変わらなくちゃ!)
いきり立つ気持ちは、やっぱりたおやかな「姫」にはほど遠くて、自分でも苦笑してしまうけれど、私は顔を上げたまま、走るスピードをもう少し上げた。
(いいの。だってこれが私だから!)
約束の時間のかなり前に、誰よりも早く私が美千瑠の家に着くことはまちがいなかった。
――それは今度のバレンタインにかける、私の意気ごみ。
(玲二……喜んでくれるかな?)
でもドキドキと胸を高鳴らせる心境は、全力で駆ける姿とは裏腹に、すでに乙女モード全開だった。
せっかくの日曜日だというのに、リビングの大型テレビの前に朝から陣取って、魂を抜かれたようにゲームを続けている弟の背中に、とりあえず声をかけた。
絶対に聞こえていないことはわかっているので、返事も待たずに玄関へ急ぐ。
なのにちょうどデータをセーブ中だったのか、思いがけず春樹がこちらをふり返った。
「どこ行くんだよ? ……デート?」
脱ぎかけていたスリッパを、思わず力いっぱい投げつけてしまった。
「違うわよ!!」
「知ってるよ……瀬川さん、今日は練習試合だろ? 見学に行くぞってウチの監督が大張り切りして、ほとんどの連中がそれに乗っかったから、俺は今日、部活が休みになったんだよ」
中学二年の春樹は、サッカー部に所属している。
毎日夜遅くまで、土日も関係なく練習があるのに、今日は珍しく家にいると思ったらそういうことだったのか。
しかし――。
「なんであんたは行かなかったのよ?」
するどく指摘してやったら、意味深に笑われた。
「別に……俺だったらいつだって瀬川さんのプレーは近くで見れるし、部活の奴らと姉ちゃんの彼氏応援に行くってのも、なんか恥ずかしいし……」
残るもう片方のスリッパも、春樹に投げつけてやった。
一個目はかわされたが、今度は不意打ちだったからか、上手く頭にヒットしてちょっとスッキリする。
「いてっ! なにすんだよ強暴だな! 夏姫! お前、そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」
私と同じで結構短気な春樹は、気に入らないことがあるとすぐに怒りだす。
三つも年上の私を呼び捨てするばかりか、お前呼ばわりするのでほんと、頭にくる。
「うるさい! バカ!」
これ以上一緒にいたら気分が悪くなるだけだと思って、私は再び玄関に向かって歩き始める。
「瀬川さん、結構もてるんだからな! ウチの学校にだってファンクラブあるんだからな!」
(知ってるわよ! バカ!)
春樹の挑発にはもう乗らず、私はバタンと大きな音をさせて玄関の扉を閉めた。
中学は別だったけど、その頃からちょっとした顔見知りで、高校に入ったら同じクラスで生徒会でも一緒で、自然と行動を共にすることが多くなった「瀬川玲二」を、私はみんなには「見かけほどは頼りにならない男」と言っていた。
だってあんなに一生懸命うちこんでた陸上を、高校入学と同時に辞めてしまったし、赤面性で女の子とは上手く話せないし、体のわりに声も小さいし、見るからに情けなかったのだ。
(ダメだ、こりゃ……中学の頃は、少なくとも走ってる姿だけはかっこよかったのにな……)
そんなことを考えては、誰に聞かれたわけでもないのに一人で大慌てしていた。
(か、か、かっこよくなんかないわよ! 別に!)
「かっこいい」――その言葉はどちらかといえば、私自身にかけられることが多い。
「きゃあああ! 古賀先輩かっこいい!!」
いつも応援してくれる下級生の子も、毎日欠かさずさし入れしてくれるクラスメートも、校門で待ち伏せしている中学生も、みんな私を「かっこいい」と言う。
(ファンクラブだったら……私なんて中学生の頃からあったんだから!)
こんなことで玲二とはりあってどうするんだろう。
メンバー全員女の子のファンクラブ。
男よりも男らしいと私を賛美してくれる彼女たちが、だけど最近、私だけではなく玲二も応援しているから心境は複雑だ。
ことの発端は、文化祭の劇で玲二が王子様役をやったことだと思う。
足を怪我していたお姫様役の私を庇って、うまく劇を成功させた姿は、確かに私の目から見てもかっこよかった。
私目的であの劇を見に来ていた女の子たちが、あとになって玲二を「ほんとに王子様みたいだった!」と評す声を、私は嬉しいような悲しいような気持ちで聞いていた。
(なんだか、やだな……)
胸がチクチクする。
頭が痛い。
普段は全然頼りにならなくても、いざという時は頑として譲らない。
強い意志を持っている。
そのくせ際限なく優しい玲二が、「かっこいい」ことぐらい、私は本当はずっと前から知っていた。
私だけが知ってるつもりだった。
なのに――。
(なんか悔しい……)
意地っ張りで、自分の気持ちになんか全然素直になれない私が、つまらない意地を張っているうちに、『HEAVEN』でもクラスでも目立たない存在だったはずの玲二が、女の子の注目を浴びている。
ところが、らしくもなく悶々とする私とはまるで真逆に、玲二は好きな相手に好意を示すことに迷いがなかった。
――つまり私に。
クリスマスのラブプレートを書いてほしいと言った時、玲二はてらいもなく「好きだよ夏姫」と私に告げた。
嬉しくて嬉しくて、ほんとは飛び上がりたいくらいだったのに、私はと言えば、「そんなに言うんだったらしょうがないから、書いてあげる」と実に嫌そうな顔でプレートを受け取っただけ。
「好き」の言葉には、実は何も反応を返していない。
(だから本当は、玲二は私の「彼氏」なんかじゃないのかも……?)
そんなふうにしか思えない自分は、なんて素直じゃないんだろう。
可愛げがなくって、自分でも呆れてしまう。
「そんな調子じゃいつか絶対瀬川さんにフラレるからな!」
春樹の罵倒も、
「サッカー部のエースで、成績は中の上で、身長も無駄に高い……顔はまあ、すっきりと爽やか系ではあるし、笑うとなかなか可愛い……その上、女の子が苦手なくせに、不器用な優しさを示すことには照れがない……マズイわ、冷静に分析したら玲二君ってかなりポイント高いわよ? 夏姫ちゃん」
恋愛マスターの可憐の評価も、胸に突き刺さるばかりだ。
しかも冗談では済まされない。
玲二を好意の目で見ている女の子は、半年前とは比べものにならないくらい多いのだから。
だから私は決意した。
今度のバレンタイン。
――去年まではチョコを貰う側で参加し、結果一人勝ち状態で、男子の反感を一身に浴びていたその女の子の一大イベントに、今年は私はチョコを渡す側で参加する。
そのためにさっさとみんなを巻き沿いにした。
「えっ? バレンタインって、女の子がプレゼント貰う行事でしょ?」
どれだけ恋人に甘やかされてるんだかと呆れてしまう可憐も。
「お前……! 私が年末に失恋したって知ってて言ってるのか?」
思わず受話器を耳から放してしまうくらい大激怒した繭香も。
「うん。わかった」
淡々と同意したうららも。
「ちょ、ちょっと待って! 私……どうしていいんだか、まだ決心がつかなくて……」
傍から見てれば結論はもう出てるのに、あいかわらず往生際の悪い琴美も。
みんなみんな――。
「ええ。いいわよ。じゃあ、その前の日曜日に私の家に集合ね」
手作りチョコ作成の先生として、私がアポイントを取った美千瑠の家に召集をかけた。
(料理なんて全然しないんだけど……ほんとにできんのかな?)
マフラーを首に巻き直しながら、いつもロードワークで走り慣れた道を急ぐ。
吐く息は白く、指先だってかじかんでるから、とてもゆっくり歩いてなんていられない。
(嘘……ほんとは気持ちが焦って走らずにいられない……!)
長い距離を走る時、一定のペースを保とうと努力するように、どうしようもなくドキドキと跳ねる心臓に、私はくり返し言い聞かせる。
(落ち着け、落ち着け、大丈夫!)
例え多少出来が悪くたって、玲二ならきっと受け取ってくれる。
ゆでタコみたいに真っ赤になって、それでもちゃんと「ありがとう」と言ってくれる。
私は玲二のそんな誠実さが好きなんだから。
他のみんなよりずっと前にそれに気がついて、好きになったんだから。
(そんなこと、絶対本人には言えないけど……)
心の中で顔をしかめた次の瞬間、私はやっぱり首を横に振った。
(ううん……言えないじゃなく……言えるようにがんばらなくちゃ!)
そうでなければ、とりあえず今は私の「王子様」でいてくれる玲二が、他のお姫様のところへ行ってしまっても、私には文句も言えない。
(いきなりは無理だけど、ちょっとずつ……玲二が変わったみたいに私も変わらなくちゃ!)
いきり立つ気持ちは、やっぱりたおやかな「姫」にはほど遠くて、自分でも苦笑してしまうけれど、私は顔を上げたまま、走るスピードをもう少し上げた。
(いいの。だってこれが私だから!)
約束の時間のかなり前に、誰よりも早く私が美千瑠の家に着くことはまちがいなかった。
――それは今度のバレンタインにかける、私の意気ごみ。
(玲二……喜んでくれるかな?)
でもドキドキと胸を高鳴らせる心境は、全力で駆ける姿とは裏腹に、すでに乙女モード全開だった。