「今年一番の大仕事は、どうやら学校行事に華を添えるかたちになりそうだよ……」
今日も花のように微笑む貴人に、順平君が「やった!」と小さな歓声をあげた。
「何? 何やんの?」
いかにも嬉しそうな声。
当然だ。
貴人が考えてくる『HEAVEN』のイベントはいつもとっても楽しくって、私だって準備段階から毎回ドキドキワクワクしている。
だけど――。
「ねえ貴人……」
バクバクと大きな音をたてる心臓と、ついつい俯きがちになってしまう視線を必死に励ましながら、私は彼の名前を呼んだ。
「なに琴美?」
(それ! ……その声! 年が明ける前より、格段に甘さを増したその声に……いいかげん卒倒しそうなんですけど !?)
心の中で叫んだ思いを、まさか実際に口に出す事もできず、私は「なんでもない……」とさらに俯いた。
だって――。
「らしくないな。なんだ? 言いたいことがあるんだったらハッキリと言え!」
あの強い瞳にさらに力をこめて私に視線を注ぐ繭香と並んで、なぜか貴人は私の目の前に座っているのだ。
新学期そうそう、特に召集をかけられたわけでもないのに、ついつい足が向かってしまった『HEAVEN』。
他のメンバーもみんな集まっていて、一人だけとり残されなかったのにはホッとしたけど、あからさまな繭香と貴人の包囲網にとまどわずにはいられない。
(な、なんか……面接みたいで、ヘンに緊張するんですけど……)
どんどん心拍数が上がる。
その上――。
「なんかこの席、今日はめちゃくちゃ居心地が悪いな……俺、ちょっと移動しようかな……」
いつも私の隣に座っている諒が、繭香と貴人の迫力に負けて、さっさと自分だけ逃げようとする。
(待って!!)
やっぱり心の中だけで叫んで、立ち上がりかけた諒の上着の裾を掴んだら、真っ直ぐに見下ろされた。
(お願い! 見捨てないで!)
精一杯の思いをこめて、泣きたいくらいの気持ちで目だけで訴えかけたら、ブッと吹き出された。
「……ぶっさいくな顔」
「なんですって!」
すかさずふり上げたこぶしは、上手くかわされてしまったけれど、諒がもう一度私の隣に腰を下ろしてくれたので、もうそれでいいと思った。
「ほう。逃げないのか……」
どこか嬉しげな繭香の声に、
「もともと……こればっかりは絶対に、逃げるつもりはない……!」
諒が目を逸らしながらもキッパリと返事したことで、また私の心拍数は跳ね上がった。
今思えば、夢か現実かも怪しい大晦日の出来事から一週間。
ようやく始まった学校で、実際に顔をあわせるまで、私は貴人の告白を本当は夢だったんじゃないかと疑っていた。
(だって相手は貴人だよ、貴人! まちがいなくこの星颯学園の王子が……なんだって私なんかを?)
考えれば考えるだけわからなくなってくる。
これまでさんざん、「俺にしとけけば?」とか「俺でよければ」とか言われてはきたが、それらはみんな貴人のリップサービスだと思っていた。
誰にだって言うことというか。
優しさゆえの気遣いというか。
少なくとも私は、自分に対してだけ向けられる特別な言葉だとはまったく思っていなかった。
だから、いきなり「本気だよ」と告げられても、信じられるわけがない。
「そんなことありえるはずがない!」という思いが何よりも大きい。
放心状態のまま、ぼんやり過ごした二日間。
そして思い出すうちに、だんだん「あれって夢だったんじゃないの?」と思い始めた三日間。
「そうよ! 夢に違いないわ!」と確信を持ってさらに三日。
だけど、始業式の前に廊下で私を待っていた貴人の笑顔を見たら、私のささやかな抵抗なんて全部崩れ去ってしまった。
「やあ琴美。元気だった?」
自惚れてもかまわないなら、貴人の本当に極上の笑顔が、ただ私だけに向けられていた。
思い出すだけで赤面してしまいそうなその笑顔を、私は首を横にブルブルと振って追い払った。
「大丈夫、琴美ちゃん……?」
心配げに声をかけられるから、ハッとうしろをふり返る。
私の真後ろの席では佳世ちゃんが、ちょっと首を傾げて私を見ていた。
「うん。大丈夫……」
少なくともここ――二年一組の教室には、貴人もいないし繭香もいない。
私としてはどうにも居心地が悪くて、いつも逃げるように飛び出し、『HEAVEN』へと向かっていたこの場所に、まさか安らぎを見出す日が来るとは思ってもみなかった。
「ちょっと近藤さん。高瀬さん。今度の『夜間遠行』の説明をしてるんだから、私語は謹んでよ」
教卓の前に立つ宿敵――柏木が、わざわざ話を中断して、クラス中の注意を自分に引きつけておいてから、私と佳世ちゃんに嫌味な視線を向ける。
賄賂と周到な根回しで見事三学期の級長という肩書きを手に入れた柏木は、ロングホームルームの時間、担任よりも絶大な権力を発揮して、クラスを取り仕切っていた。
いくら、二週間後に行なわれる『夜間遠行』――夜の町をただひたすら歩くという過酷な行事――について説明しているからって、別に私一人聞いてなくたって気にしなくていいのに、本当に嫌味なヤツだ。
(たぶん……今年は『夜間遠行』に『HEAVEN』がちょっと手を加えてるから、それが気に入らないんだろうけど……)
貴人が新学期早々に発表した『次の仕事』とは、この『夜間遠行』にちょっとゲーム性を持たせようというものだった。
事の起こりは、例の「希望書」に、あまりにも「自分だったら『夜間遠行』を廃止にする」という意見が多かったことらしい。
「夜の町をみんなと歩くなんて、実に楽しい行事だと思うんだけどなー?」
首を捻る貴人に、「そ、そうかな……?」と私は口の中でごにょごにょと返事した。
一口に歩くと言っても、実は遠行で歩くのは、とても「楽しい」なんて言える距離ではない。
夜の九時から出発して、終わるのはだいたい明け方六時。
まるまる一晩かかるほどの距離なのだ。
確かに、夜に学校のみんなと顔を会わせるのはなんだか嬉しい。
もの珍しさも手伝って、ちょっとおしゃべりでもしながら、最初の二、三時間ぐらいはあっという間に過ぎてしまう。
でも、最初の新鮮味が薄れてくると同時に、だんだんと辛くなって来るのが、まさに日づけが変わったあたりからなのだ。
眠気と疲れとの戦い。
特に日頃なんの運動もしていない私なんかは、最後のほうはもう、
(これってなんの罰ゲームなのよ!)
と内心怒りながら、くたくたの足を引きずって歩くしかなかった。
昨年。
『夜間遠行』の後半、私の頭の中にあったのは、ただもうひたすら「来年は絶対に参加しない!」という思いだけ――。
でもしょせんは、全校生徒参加の学校行事。
もちろん体育の成績にも加味される。
小心者の私には休むことなんてできはしない――。
そんな『夜間遠行』なので、学校側から「何かいいアイデアがあったら」と持ちかけられた貴人が、「今年はグループを作って、オリエンテーリングをおりまぜたら?」と提案してくれたことには、大賛成だった。
(ただ歩くんじゃなく、みんなで相談して何かを考えながらとか、問題を解きながらだったら……うん。確かにこれまでよりはずっと辛くないかも!)
『HEAVEN』のメンバーたちも、みんな声を揃えて大賛成したのだった。
「この行事の本来の目的という点から考えれば、はなはだ不必要だと思うのですが……」
ふんだんに個人的見解をまじえながら、柏木が『夜間遠行』の説明をする間、私はただひたすらボーッと考えごとをしていた。
「男女混合の六人ぐらいのグループを作り……」
(今ごろ、隣の二組では貴人が説明をしてるんだろうな……)
しんと静まりかえっている我が一組とは、全然違うだろうみんなの反応を思うと、うらやましくなる。
「問題を解きながら、順番にチェックポイントを通過し……」
(あーあ……こうやってどうせ見てるんなら、貴人の顔がいいな……)
何気なくそんなことを考え、自分で自分の考えに真っ赤になった。
「ということで、みんなグループを組んで。まあ今回は一応、クラスは越えても構わないらしいけど、我がクラスには関係ないでしょ……?」
(もうっ! 私ったら、なに考えてるの!)
急いで頭をぶんぶん振って、また脳裏に浮かんで来た貴人の笑顔を必死にふり払っている私に、柏木がそれはそれは不機嫌そうに声をかけてきた。
「近藤さん……早くして」
「へ?」
何をだろう。
さすがに「話をまったく聞いてませんでした」とは言えずに、曖昧な笑顔でごまかそうとする私に、柏木はチョークを片手にクルッと背中を向けた。
「さっさとしてよ」
カッカッカッとチョークで叩かれた黒板を見てみれば、いつの間にか『夜間遠行』のチーム分けが終わりつつあった。
ズラッと並んだ名前を見ながら、私はため息をつく。
「ちょっと、柏木……くん……今回はできるだけクラスの枠を越えて、学年の横の繋がりを深めましょう、って学校側から説明がなかった? ……見たところ、すっかりウチのクラスだけでまとまってるみたいなんだけど……」
きっちりと六人ずつ並んだ名前に、本当に呆れてしまう。
「『できるだけ』ってのは、強制じゃないってことだよ。少なくとも『問題』と名のつくものが出される以上、他のクラスの連中と組む気がある人間なんて、このクラスにはほとんどいないと思うよ?」
逆に呆れたような声で私に返された柏木の言葉に、クラスのあちこちからクスクスと失笑がおきる。
(あっそう! 他のクラスの人たちだって、あんたたちと組むのは別の意味で嫌だと思うわよ!)
そんな中で、『五組の早坂と』と注意書きされ、たったひとつポツンと離れて書かれている佳世ちゃんの名前は、かなりの異彩を放っていた。
(すごい! さすが佳世ちゃん!)
周りに流されず、誰に何を言われても自分の気持ちをしっかりと貫ける親友の姿に私は感動した。
(ようし! 私も!)
口を開きかけた瞬間。
横から小さな声が飛んでくる。
諒だった。
「美千瑠と可憐と夏姫は、ファンクラブにサービスだって言ってた。剛毅と玲二は部活の仲間と組んだし、順平はバンド仲間とってことだったな。夜の行事な以上、うららは欠席するだろうし、だとしたら智史も来ないだろう……」
指折り数えながら、諒が教えてくれた『HEAVEN』のみんなの状況に、私は出そうとしていた言葉を飲みこんだ。
(じゃあ繭香と、って言いたいところだけど……繭香、参加できるのかな? それに、今ならもれなく貴人がついてきそう……)
名前を思い浮かべるだけで、ドキドキと鳴り始める胸を抑えて、私はゆっくりと視線を黒板に戻した。
右から左へと何度確認しても、どこにも『勝浦諒』の名前はない。
いよいよドキドキと胸が鳴った。
(よし。かくなる上は……!)
これしかないと、諒に体ごと向き直った瞬間。
目の前にヌッと柏木の顔が出てきた。
「…………!」
危うく悲鳴を上げそうになって、両手で口を塞ぐ。
「組む相手がいないんだったら……いいよ。今回は特別に僕のグループに入れてあげる」
言うが早いか、黒板の前に戻ろうとする柏木の襟首を、瞬時に立ち上がった諒がむんずと掴んだ。
「待て、こら!」
「あ、勝浦君も一緒でもいいよ?」
柏木グループに二人ぶんの空きがあったのは、まさか最初からこのつもりだったのだろうか。
(それって、どんな嫌がらせなのよ!)
焦った私は、ガバッと佳世ちゃんをふり返った。
「佳世ちゃん! 渉以外のメンバーってもう決まってる? 決まってないなら私も入れて!」
「おい!」
この上なく不機嫌な声で叫んだ諒の顔を見て、慌てて、
「できれば諒も!」
とつけ足す。
佳世ちゃんはニッコリと微笑んだ。
「うん。今まだ四人だから……大丈夫だよ」
「やった、天の助け!」
私は佳代ちゃんの手を両手で包んで、ぶんぶんと振った。
それからすぐに柏木に向き直る。
「たった今、決まったわよ。私の所属グループ! 佳世ちゃんの名前の横に、私と諒の名前も書いておいて!」
ふんぞり返って大威張りで宣言した私に、柏木はチッと舌打ちした。
いかにも悔しそうな柏木の背中に溜飲を下げて、私は椅子に座り直し、改めて佳世ちゃんに問いかける。
「で? あとの二人って、どんな人たち? ……渉の五組の友だち?」
佳世ちゃんはなぜか、ちょっと困ったように、私と諒の顔を何度も見比べた。
「ううん。実は昨日、繭香ちゃんが一緒に組もうって誘ってくれて……」
「繭香 !?」
一瞬頭には浮かんだものの、いろんな理由から回避した名前がここで出てきて、私は心底ビックリしていた。
「……そうか……とっくに先手を打ってたってことだな……」
なんだかとっても投げやりに、諒が大きな音をさせて、椅子の背もたれに背中を預ける。
「先手……?」
首を傾げる私に向かって、佳世ちゃんが告げた最後の一人の名は、やっぱり予想どおりのあの人だった。
「それと芳村君……なんだか、面白いメンバーだね……」
フワリと笑った佳世ちゃんの笑顔が、いつもよりひき攣っているように見えるのは私の気のせいだろうか。
「う、うん……面白いね、ハハハ……」
乾いた笑いしか返すことのできない私には、きっと気のせいじゃないってこともよくわかっていた。
(元カレの渉と、その彼女の佳世ちゃん。私を好きだって言った貴人と、その貴人に失恋したばっかりなのに、なぜか貴人の恋の成就に燃えている繭香……そして私が好きな人――諒)
どんなに考えても、これ以上のハチャメチャな人選のグループはないと思った。
「ほんっと、俺ってついてねえ……」
大きな大きなため息をつく諒の声を隣に聞きながら、私だって本当は頭を抱えたい気分だった。
今日も花のように微笑む貴人に、順平君が「やった!」と小さな歓声をあげた。
「何? 何やんの?」
いかにも嬉しそうな声。
当然だ。
貴人が考えてくる『HEAVEN』のイベントはいつもとっても楽しくって、私だって準備段階から毎回ドキドキワクワクしている。
だけど――。
「ねえ貴人……」
バクバクと大きな音をたてる心臓と、ついつい俯きがちになってしまう視線を必死に励ましながら、私は彼の名前を呼んだ。
「なに琴美?」
(それ! ……その声! 年が明ける前より、格段に甘さを増したその声に……いいかげん卒倒しそうなんですけど !?)
心の中で叫んだ思いを、まさか実際に口に出す事もできず、私は「なんでもない……」とさらに俯いた。
だって――。
「らしくないな。なんだ? 言いたいことがあるんだったらハッキリと言え!」
あの強い瞳にさらに力をこめて私に視線を注ぐ繭香と並んで、なぜか貴人は私の目の前に座っているのだ。
新学期そうそう、特に召集をかけられたわけでもないのに、ついつい足が向かってしまった『HEAVEN』。
他のメンバーもみんな集まっていて、一人だけとり残されなかったのにはホッとしたけど、あからさまな繭香と貴人の包囲網にとまどわずにはいられない。
(な、なんか……面接みたいで、ヘンに緊張するんですけど……)
どんどん心拍数が上がる。
その上――。
「なんかこの席、今日はめちゃくちゃ居心地が悪いな……俺、ちょっと移動しようかな……」
いつも私の隣に座っている諒が、繭香と貴人の迫力に負けて、さっさと自分だけ逃げようとする。
(待って!!)
やっぱり心の中だけで叫んで、立ち上がりかけた諒の上着の裾を掴んだら、真っ直ぐに見下ろされた。
(お願い! 見捨てないで!)
精一杯の思いをこめて、泣きたいくらいの気持ちで目だけで訴えかけたら、ブッと吹き出された。
「……ぶっさいくな顔」
「なんですって!」
すかさずふり上げたこぶしは、上手くかわされてしまったけれど、諒がもう一度私の隣に腰を下ろしてくれたので、もうそれでいいと思った。
「ほう。逃げないのか……」
どこか嬉しげな繭香の声に、
「もともと……こればっかりは絶対に、逃げるつもりはない……!」
諒が目を逸らしながらもキッパリと返事したことで、また私の心拍数は跳ね上がった。
今思えば、夢か現実かも怪しい大晦日の出来事から一週間。
ようやく始まった学校で、実際に顔をあわせるまで、私は貴人の告白を本当は夢だったんじゃないかと疑っていた。
(だって相手は貴人だよ、貴人! まちがいなくこの星颯学園の王子が……なんだって私なんかを?)
考えれば考えるだけわからなくなってくる。
これまでさんざん、「俺にしとけけば?」とか「俺でよければ」とか言われてはきたが、それらはみんな貴人のリップサービスだと思っていた。
誰にだって言うことというか。
優しさゆえの気遣いというか。
少なくとも私は、自分に対してだけ向けられる特別な言葉だとはまったく思っていなかった。
だから、いきなり「本気だよ」と告げられても、信じられるわけがない。
「そんなことありえるはずがない!」という思いが何よりも大きい。
放心状態のまま、ぼんやり過ごした二日間。
そして思い出すうちに、だんだん「あれって夢だったんじゃないの?」と思い始めた三日間。
「そうよ! 夢に違いないわ!」と確信を持ってさらに三日。
だけど、始業式の前に廊下で私を待っていた貴人の笑顔を見たら、私のささやかな抵抗なんて全部崩れ去ってしまった。
「やあ琴美。元気だった?」
自惚れてもかまわないなら、貴人の本当に極上の笑顔が、ただ私だけに向けられていた。
思い出すだけで赤面してしまいそうなその笑顔を、私は首を横にブルブルと振って追い払った。
「大丈夫、琴美ちゃん……?」
心配げに声をかけられるから、ハッとうしろをふり返る。
私の真後ろの席では佳世ちゃんが、ちょっと首を傾げて私を見ていた。
「うん。大丈夫……」
少なくともここ――二年一組の教室には、貴人もいないし繭香もいない。
私としてはどうにも居心地が悪くて、いつも逃げるように飛び出し、『HEAVEN』へと向かっていたこの場所に、まさか安らぎを見出す日が来るとは思ってもみなかった。
「ちょっと近藤さん。高瀬さん。今度の『夜間遠行』の説明をしてるんだから、私語は謹んでよ」
教卓の前に立つ宿敵――柏木が、わざわざ話を中断して、クラス中の注意を自分に引きつけておいてから、私と佳世ちゃんに嫌味な視線を向ける。
賄賂と周到な根回しで見事三学期の級長という肩書きを手に入れた柏木は、ロングホームルームの時間、担任よりも絶大な権力を発揮して、クラスを取り仕切っていた。
いくら、二週間後に行なわれる『夜間遠行』――夜の町をただひたすら歩くという過酷な行事――について説明しているからって、別に私一人聞いてなくたって気にしなくていいのに、本当に嫌味なヤツだ。
(たぶん……今年は『夜間遠行』に『HEAVEN』がちょっと手を加えてるから、それが気に入らないんだろうけど……)
貴人が新学期早々に発表した『次の仕事』とは、この『夜間遠行』にちょっとゲーム性を持たせようというものだった。
事の起こりは、例の「希望書」に、あまりにも「自分だったら『夜間遠行』を廃止にする」という意見が多かったことらしい。
「夜の町をみんなと歩くなんて、実に楽しい行事だと思うんだけどなー?」
首を捻る貴人に、「そ、そうかな……?」と私は口の中でごにょごにょと返事した。
一口に歩くと言っても、実は遠行で歩くのは、とても「楽しい」なんて言える距離ではない。
夜の九時から出発して、終わるのはだいたい明け方六時。
まるまる一晩かかるほどの距離なのだ。
確かに、夜に学校のみんなと顔を会わせるのはなんだか嬉しい。
もの珍しさも手伝って、ちょっとおしゃべりでもしながら、最初の二、三時間ぐらいはあっという間に過ぎてしまう。
でも、最初の新鮮味が薄れてくると同時に、だんだんと辛くなって来るのが、まさに日づけが変わったあたりからなのだ。
眠気と疲れとの戦い。
特に日頃なんの運動もしていない私なんかは、最後のほうはもう、
(これってなんの罰ゲームなのよ!)
と内心怒りながら、くたくたの足を引きずって歩くしかなかった。
昨年。
『夜間遠行』の後半、私の頭の中にあったのは、ただもうひたすら「来年は絶対に参加しない!」という思いだけ――。
でもしょせんは、全校生徒参加の学校行事。
もちろん体育の成績にも加味される。
小心者の私には休むことなんてできはしない――。
そんな『夜間遠行』なので、学校側から「何かいいアイデアがあったら」と持ちかけられた貴人が、「今年はグループを作って、オリエンテーリングをおりまぜたら?」と提案してくれたことには、大賛成だった。
(ただ歩くんじゃなく、みんなで相談して何かを考えながらとか、問題を解きながらだったら……うん。確かにこれまでよりはずっと辛くないかも!)
『HEAVEN』のメンバーたちも、みんな声を揃えて大賛成したのだった。
「この行事の本来の目的という点から考えれば、はなはだ不必要だと思うのですが……」
ふんだんに個人的見解をまじえながら、柏木が『夜間遠行』の説明をする間、私はただひたすらボーッと考えごとをしていた。
「男女混合の六人ぐらいのグループを作り……」
(今ごろ、隣の二組では貴人が説明をしてるんだろうな……)
しんと静まりかえっている我が一組とは、全然違うだろうみんなの反応を思うと、うらやましくなる。
「問題を解きながら、順番にチェックポイントを通過し……」
(あーあ……こうやってどうせ見てるんなら、貴人の顔がいいな……)
何気なくそんなことを考え、自分で自分の考えに真っ赤になった。
「ということで、みんなグループを組んで。まあ今回は一応、クラスは越えても構わないらしいけど、我がクラスには関係ないでしょ……?」
(もうっ! 私ったら、なに考えてるの!)
急いで頭をぶんぶん振って、また脳裏に浮かんで来た貴人の笑顔を必死にふり払っている私に、柏木がそれはそれは不機嫌そうに声をかけてきた。
「近藤さん……早くして」
「へ?」
何をだろう。
さすがに「話をまったく聞いてませんでした」とは言えずに、曖昧な笑顔でごまかそうとする私に、柏木はチョークを片手にクルッと背中を向けた。
「さっさとしてよ」
カッカッカッとチョークで叩かれた黒板を見てみれば、いつの間にか『夜間遠行』のチーム分けが終わりつつあった。
ズラッと並んだ名前を見ながら、私はため息をつく。
「ちょっと、柏木……くん……今回はできるだけクラスの枠を越えて、学年の横の繋がりを深めましょう、って学校側から説明がなかった? ……見たところ、すっかりウチのクラスだけでまとまってるみたいなんだけど……」
きっちりと六人ずつ並んだ名前に、本当に呆れてしまう。
「『できるだけ』ってのは、強制じゃないってことだよ。少なくとも『問題』と名のつくものが出される以上、他のクラスの連中と組む気がある人間なんて、このクラスにはほとんどいないと思うよ?」
逆に呆れたような声で私に返された柏木の言葉に、クラスのあちこちからクスクスと失笑がおきる。
(あっそう! 他のクラスの人たちだって、あんたたちと組むのは別の意味で嫌だと思うわよ!)
そんな中で、『五組の早坂と』と注意書きされ、たったひとつポツンと離れて書かれている佳世ちゃんの名前は、かなりの異彩を放っていた。
(すごい! さすが佳世ちゃん!)
周りに流されず、誰に何を言われても自分の気持ちをしっかりと貫ける親友の姿に私は感動した。
(ようし! 私も!)
口を開きかけた瞬間。
横から小さな声が飛んでくる。
諒だった。
「美千瑠と可憐と夏姫は、ファンクラブにサービスだって言ってた。剛毅と玲二は部活の仲間と組んだし、順平はバンド仲間とってことだったな。夜の行事な以上、うららは欠席するだろうし、だとしたら智史も来ないだろう……」
指折り数えながら、諒が教えてくれた『HEAVEN』のみんなの状況に、私は出そうとしていた言葉を飲みこんだ。
(じゃあ繭香と、って言いたいところだけど……繭香、参加できるのかな? それに、今ならもれなく貴人がついてきそう……)
名前を思い浮かべるだけで、ドキドキと鳴り始める胸を抑えて、私はゆっくりと視線を黒板に戻した。
右から左へと何度確認しても、どこにも『勝浦諒』の名前はない。
いよいよドキドキと胸が鳴った。
(よし。かくなる上は……!)
これしかないと、諒に体ごと向き直った瞬間。
目の前にヌッと柏木の顔が出てきた。
「…………!」
危うく悲鳴を上げそうになって、両手で口を塞ぐ。
「組む相手がいないんだったら……いいよ。今回は特別に僕のグループに入れてあげる」
言うが早いか、黒板の前に戻ろうとする柏木の襟首を、瞬時に立ち上がった諒がむんずと掴んだ。
「待て、こら!」
「あ、勝浦君も一緒でもいいよ?」
柏木グループに二人ぶんの空きがあったのは、まさか最初からこのつもりだったのだろうか。
(それって、どんな嫌がらせなのよ!)
焦った私は、ガバッと佳世ちゃんをふり返った。
「佳世ちゃん! 渉以外のメンバーってもう決まってる? 決まってないなら私も入れて!」
「おい!」
この上なく不機嫌な声で叫んだ諒の顔を見て、慌てて、
「できれば諒も!」
とつけ足す。
佳世ちゃんはニッコリと微笑んだ。
「うん。今まだ四人だから……大丈夫だよ」
「やった、天の助け!」
私は佳代ちゃんの手を両手で包んで、ぶんぶんと振った。
それからすぐに柏木に向き直る。
「たった今、決まったわよ。私の所属グループ! 佳世ちゃんの名前の横に、私と諒の名前も書いておいて!」
ふんぞり返って大威張りで宣言した私に、柏木はチッと舌打ちした。
いかにも悔しそうな柏木の背中に溜飲を下げて、私は椅子に座り直し、改めて佳世ちゃんに問いかける。
「で? あとの二人って、どんな人たち? ……渉の五組の友だち?」
佳世ちゃんはなぜか、ちょっと困ったように、私と諒の顔を何度も見比べた。
「ううん。実は昨日、繭香ちゃんが一緒に組もうって誘ってくれて……」
「繭香 !?」
一瞬頭には浮かんだものの、いろんな理由から回避した名前がここで出てきて、私は心底ビックリしていた。
「……そうか……とっくに先手を打ってたってことだな……」
なんだかとっても投げやりに、諒が大きな音をさせて、椅子の背もたれに背中を預ける。
「先手……?」
首を傾げる私に向かって、佳世ちゃんが告げた最後の一人の名は、やっぱり予想どおりのあの人だった。
「それと芳村君……なんだか、面白いメンバーだね……」
フワリと笑った佳世ちゃんの笑顔が、いつもよりひき攣っているように見えるのは私の気のせいだろうか。
「う、うん……面白いね、ハハハ……」
乾いた笑いしか返すことのできない私には、きっと気のせいじゃないってこともよくわかっていた。
(元カレの渉と、その彼女の佳世ちゃん。私を好きだって言った貴人と、その貴人に失恋したばっかりなのに、なぜか貴人の恋の成就に燃えている繭香……そして私が好きな人――諒)
どんなに考えても、これ以上のハチャメチャな人選のグループはないと思った。
「ほんっと、俺ってついてねえ……」
大きな大きなため息をつく諒の声を隣に聞きながら、私だって本当は頭を抱えたい気分だった。