「ちょっと琴美! こんな時間からどこに行くの!」
 足音を忍ばせて通り過ぎようとしたリビングのドアの向こうから、まるで何かを察したかのようなタイミングで声をかけられて、飛び上がりそうにビックリした。

「ど、どこって……初詣よ? 前から言ってたじゃない……」
「もう夜中なんだから、ちゃんと気をつけてね。いちおうあんたも年頃の女の子なんだから……」

(い、いちおうって、なんなのよ!)
 怒って言い返そうとしたが、すんでのところで言葉を飲みこんだ。

 ここで長々と母と口論を始めてしまったら、ただでさえギリギリの集合時間にまにあわなくなってしまう。
「き、気をつけるわよ……じゃあ行ってくるから……!」
「お土産は破魔弓でいいわよ?」

(お土産要求するんだったら、軍資金出してよ!)
 叫びは再び心の中だけに留めておいた。

 どうせ年が明ければすぐに、お年玉の臨時収入がある。
 破魔弓代ぐらい、しばらく立て替えておいても、私の残り少ない所持金にそう支障はないはずだ。

「……わかった。いってきます……」
「いってらっしゃーい」
 呑気に手を振ってる姿が見えるような母の声に背を向けて、私は玄関を出た。

 なるべく急がなければ。
 もし遅れたりすれば「時間厳守!」と言い切った繭香がどんなに恐ろしい形相になるか。
 私にだって想像はつく。

(あーあ……せめて家から遠ければお父さんに車で送ってもらうのに、中途半端に近いし……!)
 待ちあわせ場所の神宮が、家からそう遠くないことにため息をつきながら、門から道路に出ると、一番近くの電柱の下に自転車を押した人影があった。

「遅い! まさか今から歩いていくつもりだったのか? まにあうわけないだろ!」
(う……そ……?)
 ダッフルコートにニット帽姿の諒が、白い息を吐きながら、街灯の薄暗い明かりの下で私を待っていた。

「行くぞ! さっさと乗れ! このままじゃ俺まで繭香の怒りに触れる……!」
「うん……」
 促されるままに自転車のうしろに乗って、コートの裾につかまってみたけれど、本当はどうしようもなくドキドキしていた。

(なんで? どうして……? 一緒に行こうなんて約束……別にしてなかったよね?)
 決して嫌なわけではない。
 ただ驚いた。
 そしてもちろん嬉しかった。
 なのに――。

「別にお前なんて……襲う奴もいるわけないって俺は言ったのに……剛毅や玲二が心配するから……!」
 諒が実に失礼な言い訳を始めるから、ついつい無言のままこぶしをふり上げてしまう。

「―――――――!」
「いてっ! なにすんだよ……こっちは病み上がりだぞ!」
「うるさい! 失礼ね、もう!」
「それが、わざわざ迎えに来てくれた人に対する態度か!?」
「うるさい! ……別に頼んでないでしょ! それに……こんなにノロノロ走ってたら、どっちみち遅刻じゃない!」
「くそっ! あったまきた! 全力で漕いで、お前なんか絶対途中でふり落としてやる!」
「落とされるもんですか!」

 言葉どおりにもの凄いスピードで自転車を漕ぎだした諒の背中に、どさくさにまぎれて抱きついた。
「苦しい! 離れろ!」
「嫌よ! バカ!」
「バカはお前だ! バーカ!」

 はたから見たら、確かにどちらもバカに違いない。
 際限なく悪口を言いあいながらも、私は本当は諒に対して全然腹などたっていなかった。
 それはちょっと楽しそうにも聞こえる口調の諒だって、きっと同じだろう。

「ほら見えて来た……神宮の鳥居! って、もう午後十時五十九分!? ……ちょっと諒! 本当にギリギリじゃないのよ!」
「うるさい! お前が家から出てくるのが遅すぎんだよ! くっそう! まにあえーー!!」
 叫びながら全力で諒が漕いだ自転車は、見事十一時前にみんなが待つ待ちあわせ場所へと辿り着いた。

「なんだ……二人仲良く遅刻かと思ったのに、ギリギリセーフか……つまらん……」
 繭香の呟きに、肩でゼイゼイ息をしていた諒がガバッと顔を上げた。

「「仲良くなんかない!」」
 否定の言葉が見事なまでに私と重なってしまって、そんな私たちをみんなが声を上げて笑った。
 

 
「よかったじゃない……なんとか今年中に上手くいって……」
 神社の境内で点々と火を焚いているドラム缶に手をかざして暖を取りながら、夏姫がそっと私に耳打ちした。
「何が?」
「何がって……諒との仲に決まってるでしょ!」

 小さかったはずの声が急に大きくなってしまって、私は慌てて夏姫の口を手で塞ぐ。
 そうしながら、少し離れた別のドラム缶の周りに集まっている男の子たちのほうを見てみた。
 どうやらこちらのことなど全然気にしていないようだ。
 楽しそうに何かを話している。

(よかった……!)
 声が届かなかったらしいことにホッと安堵してから、私は改めて夏姫に向き直った。

「上手くなんていってないわよ……全然今までどおりよ?」
 夏姫はキョトンと目を瞬かせた。

「だって……二人で一緒にここまで来たじゃない……?」
「……絶対にそんなことはないけど、もしものことがあったら、方角が同じ自分の寝覚めが悪くなるから、仕方なしに私を迎えに来たんだそうよ……?」
 自転車を漕ぎながら諒が必死になってまくし立てた話の概要を伝えたら、夏姫が大きなため息をついた。

「なにそれ! ……だめだわ、これは……!」
 空を仰いで、まるで絶望したかのように大きく首を振られるのでちょっとムッとする。

「……そういう夏姫はどうなのよ? 玲二君と来たの?」
「来たわよ?」
 さも当然というように返事されてしまったので、二の句が告げなくなった。

 玲二君に関することにだけは、どうしようもなく動揺して、いつもとは全然違う反応をする夏姫が面白かったのに、この変貌ぶりはなんなんだろう。

(きっと文化祭やクリスマスを経て、お互いの気持ちを確認しあって、すっかり落ち着いちゃったのね……)

 恋愛関係の話をみんなでする時、夏姫だけは私と一緒にいつもあたふたしてくれていたのに、一人取り残されてしまったような気分だ。

「そう……」
 寂しさ半分、心細さ半分の気持ちで俯いた時、男の子たちのほうから声がかかった。

「なあ、もうじきカウントダウンが始まるけど……その前に貴人からの重大発表。言っちゃってもいいか……?」
 もったいぶった剛毅の言葉に、何はともあれ女の子みんなで頷く。

(なんだろ……重大発表って……?)
 思わず手に汗握る私の隣で、繭香が意味深に呟く。

「本当に、私と一緒に今年の恥はかき捨てにするつもりか……?」
「繭香?」
 いったいなんのことなのかと、問い質そうとした時、貴人がこちらに歩み寄ってきた。

 男の子たちもみんなうしろをついてきて、私たち『HEAVEN』の十二人は、自然と円陣を組むような形に並ぶ。
 全員の視線が貴人に集中した。

「本当はずっと迷ってたんだけど……奨学金という手もあるし、がんばれば授業料免除の制度がある学校もあるし……だから俺、大学に進学することにしたんだ。母さんもぜひにって望んでくれてるから……!」
 弾む声でそう言い切った貴人の言葉が終わると同時に、順平君がピューッと口笛を吹いた。

「うんうん。絶対そのほうがいいって」
「俺もそう思うな」
「私も!」
 大賛成の声が続く中、私の隣では繭香が肩を震わせている。

「重大発表って……大学進学の話なのか……?」
「うん。そうだけど? 繭香もずっと勧めてくれてたんだし……喜んでくれるだろ?」
「それはそうだが……そうじゃなくて……!」
 恨みがましい上目遣いで貴人を見上げていた繭香が、私のほうに視線を流して、そして、なぜだかとても驚いた顔になった。

「琴美……お前、まさか知ってたのか?」
「へっ?」
 あまりにもドキリとして、まぬけな声が出てしまった。

 なぜわかったんだろうとビックリしたが、答えは簡単だ。
 いつも「考えていることが全部顔に書いてある」とか、「感情がそのまま表情に出る」とか言われている私が、貴人の話を聞いてもあまり驚いた顔をしなかったのだから――。

 実際、冬休みに入ってすぐの頃に柏木から聞いていたので、貴人の進学の話を知っていたことには違いなかったのだが、ちょっと傷付いたような繭香の表情になんだか胸騒ぎがした。

「知ってたっていうか……なんていうか……」
 ダメだ。
 上手くごまかすなんて、私にできるはずがない。

(しょうがない……ここは本当のことを……!)
 決意して口を開こうとした時、ジッと自分に注がれている痛いくらいの視線に気がついた。

 ドキリとどうしようもなく心臓が跳ねる。
 恐る恐るそちらに目を向けてみたら、食い入るように私を見つめている諒と目があった。

(そうだった! 柏木とは接触するなって、諒に言われてたのに! じゃあ……どうしたらいいの?)
 どうしようもなにも、本当のことを言って、諒にこの上なく嫌な顔をされる以外に道はない。

(うん! しょうがない!)
 決意して、私がもう一度口を開こうとした瞬間、諒が何も言わないままにクルリと私に背を向けた。

「え?」
 呆気に取られて瞬きしている間にも、全力でどこかに走っていってしまう。

「……ちょっと? 諒!?」
 私の声で異変に気がついた全員が、一斉に走り去る諒のほうをふり返った。

「おい?」
「諒!」
 誰の呼びかけにもふり返りもせず、諒はあっという間に人波の中に呑まれていってしまう。
 ズキリと、思わずその場にしゃがみこんでしまいそうに胸が痛んだ。

(諒!)
 でも私はそんな痛みには負けなかった。
 ううん、今ここで追いかけなければとりかえしのつかないことになると、本能で嗅ぎとった。

「繭香! 帰って来てから説明する! どこに行っちゃったか、わかんなくなったら嫌だから……みんなここから動かないでね!」
 最後のほうはもう、捨てゼリフのように叫びながら駆けだしていた。

 たった今、人ごみの中に見えなくなったばかりの藍色のダッフルコートの背中を夢中で追いかける。

「諒! ちょっと待ってってば!」
 雄々しい声とは裏腹に、本当は泣きだしてしまいそうに胸が痛かった。