たくさんの喜びと、ちょっとのドキドキを楽しんだ人生最良のクリスマスから一夜。
 昼前になってようやく目覚めた私の枕もとには、実に五年ぶりにサンタクロースからのプレゼントが置かれていた。

(お父さん? ……なんでまた今頃?)
 かなりの重量があるその四角い包みを持ち上げて、包装紙を開けてみたら、ぶ厚い本が入っていた。

『全国大学名鑑』と書かれた表紙を見て、思わずガックリと肩が落ちる。
「なんで……なんでこんな物……?」

 確かに来年は受験生。
 年が明けて新学期が始まったら早速試験も待っていることだし、これまでよりいっそう気合いを入れて勉強しなければと、私だって思ってはいた。

 でも、なにもクリスマスパーティーの余韻がまだ残るこんな日に、ここまで現実的な物をわざわざプレゼントしなくたって――。

 不満を感じながら、昼食兼の朝食の席にその本を持って行ったら、母に思いがけない真実を知らされた。
「あっ! おはよう琴美! ……というか、全然早くはないけど……それ、気がついた? 昨夜、まだあなたが学校から帰って来ない時間に、担任の中谷先生がわざわざ持って来て下さったのよ……!」
「………………!」

 なるほど納得がいった。
 と同時に、数日前、今後の進路を決める三者面談の席で「まだ具体的に志望校は決めてないです」と答えた私に、担任がそれはそれは驚いた顔をしたことを思い出した。

(だって、まだ本当にわかんないんだもん……自分が何を勉強したいのかなんて……!)
 何事もギリギリまで追い詰められなければ、考えてみることさえしない私の悪い癖は、こういった面でも遺憾なく発揮されているようだ。

「もうとっくにみんな決めてるんだから! 遅すぎるくらいなんだから!」
 懸命に熱弁を奮ったにも関わらず、やっぱりそれでも「まだわかりません」とくり返した私に業を煮やして、どうやら担任が実力行使に出たのらしい。

「冬休み中にゆっくり考えてみなさい。その本は参考までに……ってことだったから、お母さんがラッピングしてみたの……どう? ビックリした?」
「しないわよ……」

 つれなく答える私に母は「えーっ?」と非難の声をあげ、唇を尖らせたが、私は構うことなく食卓の自分の席に着いた。
 夢のようなクリスマスの夜からいきなり現実の世界にひき戻されて、ちょっとがっかりな朝だった。
 
 

「決めろって言われたってなぁ……」
 自分の部屋に帰って、パラパラと机に上でぶ厚い本をめくりながらため息をつく。

「何を基準にして決めたらいいわけ?」
 将来何になりたいとか。
 だから大学ではどんな事を勉強したいとか。
 きちんとしたビジョンを持っている人間ならば悩みもしないようなことなのだろうが、私にはひどく難しい。

「だって私ってば、高校受験の時も渉と一緒に居たいがためだけに、星颯学園を受けたんだもんね……」
 主体性のなさ、決断のいい加減さには、我ながら苦笑する。
 そうしながら、ハッと良いことを思いついた。

(そうだ! 大学もそのセンで決めたらいいんじゃない?)
 しかし次の瞬間、ガックリと肩を落とした。

(でも『同じ大学に行こうね』なんて約束する相手がいない……)
 できることなら一緒にいたい人たちならば、中学の頃よりもっとたくさんいる。

『HEAVEN』のみんなとか。
 佳世ちゃんとか。

 でもみんなにはそれぞれ進みたい道があって、それがそれぞれ異なっているということは、最初から嫌というくらいにわかっているのだ。

(みんなで一緒という訳にはいかない……だったらその中でも離れたくない人は……?)
 一瞬頭に浮かんだ諒の顔を、私は大きく首を横に振って打ち消した。

(ダメだ、やっぱりこんな決め方!)
 諒がどこの大学を目指しているのかなんて、これまで話したこともないので私は知らない。
 学力もちょうど同じぐらいだし、目安にするにはいいのかもしれないが、志望校を聞いてそれに自分もわわせるなんて、「あなたが好きだから同じ学校に行きたいの」と言っているようなものだ。

(好きだけど! 確かに好きだけど……そういうことじゃないの!)
 ――でも、だったら他に誰がいるだろう。

 そう。
 大学受験では、高校受験の時以上に、学力の差で行き先をふりわけられる。
 例えそう望んだって、誰とでも同じところへ進めるわけではない。

『HEAVEN』の中でだって、みんなバラバラだ。
 順平君と可憐さんは進学しないし、美千瑠ちゃんの進路はご両親が決める。
 剛毅はきっと卒業後は美千瑠ちゃんの警護だけではなく、杉原コーポレーション全般のセキュリティに関わっていくのだろう。

(夏姫は陸上の強い大学に推薦で行きたいって言ってた……玲二君は体育教師になりたいんだったかな? ……うららと智史君はきっとずっと一緒だろうけど、大学に行くかはわからないし……)

 よくよく思い返してみれば、案外ちゃんと決まっていないのは、学年でも成績上位にいる私ぐらいだ。
(情けない……)

 ただ勉強をすることに一生懸命で、その先のことなんてまるで頭になかった自分が恥ずかしい。
(かくなる上は……やっぱり同じクラスの佳世ちゃんに相談してみよう!)

「あっ、もしもし? 佳世ちゃん?」
 思い立ったらそく行動とばかりに電話してみたら、彼女はちょうど我が家にもほど近い図書館で勉強をしているところだった。

(冬休み初日からもう勉強? ……偉いなあ……!)
 昼近くまで寝ていた自分を反省しつつ、私も一緒に勉強してもいいかと問いかけたら、快くOKされた。

「もちろんいいわよ、琴美ちゃん! 待ってるわね」
 大急ぎで出かける支度をして、部屋を飛び出す瞬間、昨夜寝つくまでずっと眺めていた写真立てを、誰にも見つからないように慌てて机の引き出しに隠す。

 そこには貴人からもらったクリスマスプレゼント――諒と二人の写真と、諒が書いたクリスマスカードが大切に飾られていた。

(風邪……ちょっとはよくなったかな?)
 昨日は高熱でクリスマスをあんまり満喫できなかった諒のことを思い出しながら、私は家を出た。

 
 
 いくら佳世ちゃんが「いいわよ、琴美ちゃん!」と色よい返事をくれたからって、考えてみるべきだった。
 いやそもそも、電話しようかと思った時点で気がつくべきだった。

「やあ、琴美……!」
 図書館の最奥の勉強スペースに、佳世ちゃんと並んで座りながら、私に向かって手を振る渉の姿を見つけて、ガックリした。

「ひょっとして私……お邪魔だった?」
 大きな机を挟んで二人と向かいあう席に腰を下ろしながら尋ねると、佳世ちゃんは慌てて首を振る。

「そんなことない! 来てくれて嬉しいよ!」
 それがお世辞なんかではなく本心だとわかっているからこそ、私はなおいっそううしろめたかった。

「ごめんね、せっかくのデートに……」
 渉に向かって首を竦めると、ニッコリと笑い返される。

「いや、そんなんじゃないんだ。俺が彼女に勉強を教えてもらってただけ……だから琴美が来て、更に心強くなった」
「なにそれ……かっこ悪いな渉……」
「そうかな……? ハハッ」

 ついつい昔の調子で話してしまってから、ハッとして佳世ちゃんの顔を見た。
 前の彼女である私が渉と親しげに話しているなんて、佳世ちゃんは嫌な思いをしてないだろうか――。

 でも、思ったとおり、やっぱり佳世ちゃんは嬉しそうにニコニコ笑っていた。
 その笑顔に心から救われる。

「何か相談したいことがあったんでしょ? 私に連絡くれて嬉しかった……」
 佳世ちゃんが私に向かって顔を近づけると同時に、渉が席を立つ。

「俺は……ちょっと……」
 そう言いながらサッと居なくなってしまう背中を見送っていたら、ため息が出る。

「なんか渉が……私といた時より頼もしく思える……きっと佳世ちゃんのせいなんだろうな……それに佳世ちゃんも教室にいる時より、ずっと可愛い……」
「そんなことないよ……」
 真っ赤に頬を染める佳世ちゃんに向かって、私は自身満々に笑いかける。

「ううん。絶対そうだよ」
 本音を言うと、お互いの良いところを引き出しあえる二人の関係が、とてもとても羨ましかった。
 
 

「行きたい大学? うん、もう決めてるよ……クラスのみんなから見たらちょっとランクの低い大学かもしれないけど、本当言うと早坂君も一緒で……だからこうして一緒に勉強してるの……」
「そうなんだ!?」

 中学時代も高校になってからも、私とは勉強の話は一切しなかった渉の姿を思えば、それはまさに信じられない大変貌だ。
 でも佳世ちゃんと同じ大学に行くためにがんばっているんだと聞かされれば、応援する気持ちも湧いてくる。

「がんばってね! って……むしろこの場合……がんばるのは渉のほうか……!」
「うん。ふふふっ」
 二人で顔を見合わせて笑ってはみたものの、なんだか浮かない気持ちになってしまった。

(そうか……佳世ちゃんと一緒のとこにしようかなとも思ってたんだけど……渉も一緒じゃ余計な気を遣わせるよね……)

「琴美ちゃん……ひょっとして志望校、迷ってるの?」
 迷ってるも何も、全然考えてもいなかったと言ったら、佳世ちゃんはどんな顔をするだろう。
 まあ、きっといつもどおりの笑顔だろう。

「うん。どうしたらいいかな……?」
「どうしたらって……琴美ちゃんだったら、きっとどこにでも……」
 とまどいながらも優しく助言し始めてくれた佳世ちゃんの表情が固まった。

 自分の上の空間を見つめて、困ったように眉根を寄せる佳世ちゃんの視線を辿って、私は背後をふり返る。
 そこに立っていたのは、できることなら学校以外では顔をあわせたくない人物だった。

「柏木っ!」
 思わず大声を出してしまった私に向かって、柏木がしいっと唇に人差し指を当ててみせた。
「図書館では静かに……って、そんなこと小学生だって知ってるよ? 近藤さん?」

 最悪だ。
 何かと私に絡んでくる天敵にこんなところで出くわすなんて。
 それもつい昨日、諒に「俺のいないところで柏木に近づくな」と釘を刺されたばかりなのに――。

(あれ? でもそれって、なんでだっけ……?)
 首を捻る私の隣の椅子を引くと、柏木は勝手にその席に腰を下ろした。

「ちょ、ちょっと! なんなのよ!」
 しっと再び人差し指を立てながら、柏木が小さな声で囁く。

「なんなのよって……僕も勉強しに来たんだよ? ここ、空いてるんでしょ高瀬さん?」
「あ、うん」
 コックリと頷いた佳世ちゃんに作り笑顔を向けてから、柏木はすぐに私の手元にあった『全国大学名鑑』を取り上げた。

「何? 今から志望校変えるの……?」
「違うわよ!」
 三度注意されたりしないように、声を落として否定したが、さすがに「まだ決めてないのよ!」とまでは言わなかった。

 そんなことを言おうものなら、何倍にもなって馬鹿にする言葉が返って来るに決まっている。
 そこまで考えてからハタと気がついた。

(そうだ! こいつだって一組には変わりないんだから……!)
 ここは喧嘩腰になるばかりではなく、天敵だって有効に活用したほうがいいと、私の人よりちょっと回転のいい頭が判断を下す。

「ねえ……ちなみにあんたの志望校はどこ?」
 瞬間。
 まったく思ってもみなかった反応が返ってきた。

「な、なんだ! そっ……そんなこと聞いてどうするんだ!?」
 ガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がったばかりか、声が完璧に上ずっている。
 顔は真っ赤だし、目は完璧に宙を泳いでいる。

「ちょっと! 静かにしろって言ったのは、あんたでしょ! 参考までにちょっと聞いてみただけよ……」
 小声でたしなめたら、ゴホンゴホンと何度か咳払いをして、柏木は再び椅子に座った。

「なんだ参考か……まあいい……僕の志望校はもちろんT大だ。それかW大か、K大だ!」
 次々と並ぶ有名大学の名前を聞いて、思わずため息が出た。
 そんな超難関校、私はもちろん、きっと柏木だって本当には受かりっこない。

(そうだった……無理だとわかってても、この男はトップにこだわり続ける人間だった……!)
 そんな相手に質問してしまったことを軽く悔やみながら頭を振る。

「なんだ! 自分のほうが成績が良いからって馬鹿にしてるのか? 僕が本気を出せば、今度こそ……!」
 そういえば確かに、柏木はここのところ成績を上げていた。
 そんなことをぼんやりと考えていたら、私の目の前の席に渉が帰ってきた。

「いくら成績を上げたって、琴美の気は引けないよ……琴美にはちゃんと好きなやつがいるんだから……」
 珍しく威圧感たっぷりに柏木を睨みつける顔を見ながら、私は軽く驚いていた。

(渉? ……いつもは相手に悪意なんて全然見せないのに……)
 そして、生徒会選挙の際、柏木が私に仕掛けた妨害工作によって、渉にも多大なる迷惑をかけてしまったことを思い出す。

「き、気を引くって……! そんなことするわけないじゃないか! 君のほうこそ! よくもまあ、近藤さんの前に堂々と顔を出せるな!」
 渉のいつもは穏やかな目に、カッと怒りの炎が灯った。

「早坂君!」
 佳世ちゃんの声がかからなかったら、柏木に向かって飛びかかっていたかもしれなかった。
 それぐらい渉は内に熱いものを秘めていると、私はつきあっていた間は全然気がつかなかったけれど、半年前に初めて知った。

 私が侮辱されたことを本気で怒って、同じクラスの男の子たちととっくみあいの喧嘩をしてくれたからだ。
 少なからずその原因の一端を担っている柏木に、渉がいい印象を持っていないのは当たり前だ。

「………………」
「………………」
 双方が黙りこんで重苦しい空気が流れる中、先に立ち上がったのは柏木のほうだった。

「まあ……近藤さんが誰のことを好きなのかなんて、僕には全然まったくちっとも興味ないからね! ……愛だの恋だの言ってるうちに、軽く成績を抜かせてもらうだけさ……上にはもっと強敵が控えてる……芳村君が進学を決意したのなら、これからはいっそう負けるわけにはいかない!」
「えっ?」
 思わず、この上なく間抜けな声が出てしまった。
 ポカンと口を開けて自分を見上げる私を、柏木はちょっと得意げな顔で見下ろす。

「あれ? 知らなかったの? って知るわけないか……近藤さんの好きなヤツは芳村君じゃないんだもんね……」
 意地悪く笑いながら私に背を向けて去って行く柏木に、私は気がつけば、普通に問いかけていた。

「貴人が……大学に進学することにしたの……?」
「ああ。今日職員室に質問に行ったら、ちょうどそんな電話がかかってきてて、先生方は大喜びだったよ。……なに? やっぱり近藤さんも嬉しいの?」
 フンと鼻で笑いながらの返答にも、とっさに対応できなかった。
 どうしようもなく胸がドキドキしていた。

(貴人が……? 本当に……?)
 その貴人の決意がこの先自分にとってどんなに重大になるのかなんて、まだよくわからず、この時の私は、ただただ驚くばかりだった。