「……璃鈴様」
龍宗が出て行ったことに気づいた秋華があわてて部屋をのぞきこむと、璃鈴はまだ泣き続けていた。
(龍宗様……)
崩れた化粧を見られたくなかったとはいえ、自分が駄々っ子のように拗ねたことはわかっている。けれど、龍宗が他の妃にも璃鈴と同じように優しく笑いかけることを想像すると、自分でも驚くほどに感情が高ぶってしまった。
(これじゃあ、本当に子供みたい)
璃鈴はまだ、嫉妬、という言葉を知らなかった。だから、自分の内から湧いてきた堪えがたい衝動の意味がわからない。
ただ、悲しかった。
崩れてしまった化粧は、秋華がきれいに落としてくれた。そうして一人で布団に入ってからも、璃鈴の涙は止まらなかった。
☆
ばんっ。
乱暴に扉が開けられた音に、飛燕は顔をあげた。足音も荒く部屋に入ってくる龍宗を見て、書類を手にしたままぽかんとする。
「今夜は皇后様のところにおいでではなかったのですか?」
声をかけられてようやく飛燕に気づいた龍宗は、気まずそうに目をそらした。
「やめた」
龍宗は、どすん、と椅子に腰掛ける。
「お前こそ、こんな時間にこんなところでなにをしている」
「明日の朝議にかける資料の整理です。これが終わったら、私も後宮の宿直に行こうと思っておりましたが……それより、何かあったのですか?」
いぶかしげに言われて、龍宗は大きくため息をついた。
「璃鈴を……怒鳴ってしまった」
飛燕は目を丸くした。そして黙り込んでしまった龍宗の様子を、じ、と見つめる。
「後悔しておられるのですね?」
後宮からここまで歩いて来る間に、龍宗もほどほどに頭が冷えた。時間が立てば、むきになってしまった自分を恥じる気持ちがわいてくる。
些細な痴話げんかだ。悪いのは自分の方だとわからないほど、龍宗は子供ではなかった。
今日ほど、短気な自分の性格を恨めしく思ったことはない。
「……大人げないことを、した」
言って頭を抱えた龍宗からぽつぽつとことの顛末を聞いて、飛燕は笑んだ。
「かわいらしいではないですか。皇后様は、他の妃嬪の方々に嫉妬されたのですね」
「嫉妬……?」
「皇后様が自覚されているかはわかりませんが……今頃きっと後悔されていますよ。あなたと同じように。皇后様を、明日までそんな気持ちにさせておかれるおつもりですか?」
龍宗は、しばらく何か考えていたが、すく、と立ち上がった。
「明日は、昼の朝議まであなたの仕事はありません」
歩き始めた龍宗に、飛燕が声をかけた。
「そんなはず……」
「ありません。ですから、ゆっくりしていらっしゃいませ」
龍宗は、自分の机の上に乗っていた書類の山にちらと視線を流す。
「わかった」
飛燕は、去っていく後ろ姿に頭を下げて見送った。
☆
ふわり、と甘い香りがして、璃鈴は目が覚めた。いつのまにか、泣きながら眠ってしまっていたらしい。腫れた瞼を無理やりあけると、月明かりの部屋の中、目の前にぼんやりと淡い紅の色が視界に入ってきた。
(これは……桃?)
なぜか、璃鈴の枕元には、蕾をほころばせた桃の花が一枝、置いてあった。起き上ってそれを手に取った璃鈴は、庭へと通じる扉が薄く開いていることに気づく。枝を手にしたまま冷たい空気の入ってくる扉へと近づくと、璃鈴は庭をのぞいて目を見開いた。
龍宗が出て行ったことに気づいた秋華があわてて部屋をのぞきこむと、璃鈴はまだ泣き続けていた。
(龍宗様……)
崩れた化粧を見られたくなかったとはいえ、自分が駄々っ子のように拗ねたことはわかっている。けれど、龍宗が他の妃にも璃鈴と同じように優しく笑いかけることを想像すると、自分でも驚くほどに感情が高ぶってしまった。
(これじゃあ、本当に子供みたい)
璃鈴はまだ、嫉妬、という言葉を知らなかった。だから、自分の内から湧いてきた堪えがたい衝動の意味がわからない。
ただ、悲しかった。
崩れてしまった化粧は、秋華がきれいに落としてくれた。そうして一人で布団に入ってからも、璃鈴の涙は止まらなかった。
☆
ばんっ。
乱暴に扉が開けられた音に、飛燕は顔をあげた。足音も荒く部屋に入ってくる龍宗を見て、書類を手にしたままぽかんとする。
「今夜は皇后様のところにおいでではなかったのですか?」
声をかけられてようやく飛燕に気づいた龍宗は、気まずそうに目をそらした。
「やめた」
龍宗は、どすん、と椅子に腰掛ける。
「お前こそ、こんな時間にこんなところでなにをしている」
「明日の朝議にかける資料の整理です。これが終わったら、私も後宮の宿直に行こうと思っておりましたが……それより、何かあったのですか?」
いぶかしげに言われて、龍宗は大きくため息をついた。
「璃鈴を……怒鳴ってしまった」
飛燕は目を丸くした。そして黙り込んでしまった龍宗の様子を、じ、と見つめる。
「後悔しておられるのですね?」
後宮からここまで歩いて来る間に、龍宗もほどほどに頭が冷えた。時間が立てば、むきになってしまった自分を恥じる気持ちがわいてくる。
些細な痴話げんかだ。悪いのは自分の方だとわからないほど、龍宗は子供ではなかった。
今日ほど、短気な自分の性格を恨めしく思ったことはない。
「……大人げないことを、した」
言って頭を抱えた龍宗からぽつぽつとことの顛末を聞いて、飛燕は笑んだ。
「かわいらしいではないですか。皇后様は、他の妃嬪の方々に嫉妬されたのですね」
「嫉妬……?」
「皇后様が自覚されているかはわかりませんが……今頃きっと後悔されていますよ。あなたと同じように。皇后様を、明日までそんな気持ちにさせておかれるおつもりですか?」
龍宗は、しばらく何か考えていたが、すく、と立ち上がった。
「明日は、昼の朝議まであなたの仕事はありません」
歩き始めた龍宗に、飛燕が声をかけた。
「そんなはず……」
「ありません。ですから、ゆっくりしていらっしゃいませ」
龍宗は、自分の机の上に乗っていた書類の山にちらと視線を流す。
「わかった」
飛燕は、去っていく後ろ姿に頭を下げて見送った。
☆
ふわり、と甘い香りがして、璃鈴は目が覚めた。いつのまにか、泣きながら眠ってしまっていたらしい。腫れた瞼を無理やりあけると、月明かりの部屋の中、目の前にぼんやりと淡い紅の色が視界に入ってきた。
(これは……桃?)
なぜか、璃鈴の枕元には、蕾をほころばせた桃の花が一枝、置いてあった。起き上ってそれを手に取った璃鈴は、庭へと通じる扉が薄く開いていることに気づく。枝を手にしたまま冷たい空気の入ってくる扉へと近づくと、璃鈴は庭をのぞいて目を見開いた。