「あなたも、里の出だったのですか?」
「もう、三十年近くも前になります」
戸惑う二人に構わず、冬梅は璃鈴の脱いだ衣を秋華に持たせ、泉の入り口まで璃鈴の手をひいて先導した。
「あの女には、決して気を許しませぬな」
「え?」
泉に片足を浸した璃鈴にだけ聞こえるように、冬梅はこっそりとその耳元にささやいた。
「秋華の事ですか?」
「あの娘は、『次の巫女』ですね? あなたの命を奪う権利を持つ娘に、心を許してはなりませぬ。今の宮中は代替わりしたばかりで、様々な力の均衡が不安定になっております。なればこそ……」
予想もしなかった言葉に、璃鈴はあわてて冬梅の言葉を遮った。
「秋華が?! 私の命を奪うなんて……彼女はそんなこと、絶対にしません!」
冬梅は、少し驚いた顔になった。
「あなたは、『次の巫女』についてご存じないのですか?」
「聞いたことはありません。私は、急のお召しでこちらに来たために、おそらく知らないことがたくさんあるのです」
「……そうですか」
しばらく考えた後、冬梅は再び無表情になってささやいた。
「貴女様になにかあれば、次はあの娘が皇后となる決まりなのです。それで、侍女として皇后についてきた里の娘を、『次の巫女』と。それを知って『次の巫女』に取り入り、意のままに操って後宮内の私利私欲をほしいままにしたり、恐れ多くも皇后や皇帝の命を狙うものも出てこないとは限りません」
冬梅は、ちらり、と後ろに控えている秋華に目をやった。
「今は時間がありません。詳しくは申し上げられませんが……ここは里とは違う。彼女を信頼しすぎるのは危険かもしれないということを、覚えておいてくださいませ」
璃鈴は、目を瞠って冬梅を見上げた。
「……それは、あなたの経験からの言葉ですか?」
璃鈴の問いに、ふ、と目元を和ませて、冬梅は答える。
「さあ。どうでしょう」
そして、璃鈴を泉の真ん中へと押す。
「取り越し苦労に過ぎれば、それに越したことはありません。年寄りの戯言とお笑いください。私はあちらで彼女と共に控えておりますので、心行くまでおみそぎなさいませ」
そうだ。身を清めにきたのだ。今は雑念を捨てなければ。
璃鈴は、気持ちを切り替えて冷たい清水に体を浸した。
☆
冬梅と二人で竹藪のはずれにある東屋に腰を落ち着けると、秋華は口を開いた。
「あなたは、麗香様についてこちらにいらした『次の巫女』なのですね」
「いかにも」
誇らしくすら見える顔で、冬梅は答えた。秋華とて、璃鈴と同じく何の準備もせずにここへとやってきたのだ。わからないこと、聞きたいことは山ほどある。何から尋ねたらいいのかわからずに秋華がとまどっていると、冬梅は胸元から小さくて細長い包みを取り出す。
いぶかし気に見ている秋華の前で、冬梅はくるくるとその包みを開けていった。中から出てきたのは、一振りの短刀だった。普通のものよりもさらに小さく、女性でも片手で扱えそうな代物だ。持ち手が何の飾りもない木製でできていたそれは、古ぼけてはいたが、刀身だけはきれいに磨かれていた。
冬梅は、包みの上に乗せたそれを秋華に手渡す。
「これは、あなたに」
「私に?」
「ええ。この短刀は、代々『次の巫女』に伝えられてきた、皇后の命を奪う刀」
秋華は息を飲んだ。
「あなたは、『次の巫女』の役割をご存じですか?」
少し青ざめた顔で、秋華は頷いた。
「はい。もし皇后に何かあった時は、私が皇后になって皇帝陛下の子を産むこと。そして、万が一、皇后が道を誤った時は……」
秋華は、手元の刀を見下ろす。
「巫女の力を誰にも悪用されないために、皇后の命を終わらせること。聞いた時はどうやって、と恐ろしく思ったのですが、こういうことだったのですね」
「もう、三十年近くも前になります」
戸惑う二人に構わず、冬梅は璃鈴の脱いだ衣を秋華に持たせ、泉の入り口まで璃鈴の手をひいて先導した。
「あの女には、決して気を許しませぬな」
「え?」
泉に片足を浸した璃鈴にだけ聞こえるように、冬梅はこっそりとその耳元にささやいた。
「秋華の事ですか?」
「あの娘は、『次の巫女』ですね? あなたの命を奪う権利を持つ娘に、心を許してはなりませぬ。今の宮中は代替わりしたばかりで、様々な力の均衡が不安定になっております。なればこそ……」
予想もしなかった言葉に、璃鈴はあわてて冬梅の言葉を遮った。
「秋華が?! 私の命を奪うなんて……彼女はそんなこと、絶対にしません!」
冬梅は、少し驚いた顔になった。
「あなたは、『次の巫女』についてご存じないのですか?」
「聞いたことはありません。私は、急のお召しでこちらに来たために、おそらく知らないことがたくさんあるのです」
「……そうですか」
しばらく考えた後、冬梅は再び無表情になってささやいた。
「貴女様になにかあれば、次はあの娘が皇后となる決まりなのです。それで、侍女として皇后についてきた里の娘を、『次の巫女』と。それを知って『次の巫女』に取り入り、意のままに操って後宮内の私利私欲をほしいままにしたり、恐れ多くも皇后や皇帝の命を狙うものも出てこないとは限りません」
冬梅は、ちらり、と後ろに控えている秋華に目をやった。
「今は時間がありません。詳しくは申し上げられませんが……ここは里とは違う。彼女を信頼しすぎるのは危険かもしれないということを、覚えておいてくださいませ」
璃鈴は、目を瞠って冬梅を見上げた。
「……それは、あなたの経験からの言葉ですか?」
璃鈴の問いに、ふ、と目元を和ませて、冬梅は答える。
「さあ。どうでしょう」
そして、璃鈴を泉の真ん中へと押す。
「取り越し苦労に過ぎれば、それに越したことはありません。年寄りの戯言とお笑いください。私はあちらで彼女と共に控えておりますので、心行くまでおみそぎなさいませ」
そうだ。身を清めにきたのだ。今は雑念を捨てなければ。
璃鈴は、気持ちを切り替えて冷たい清水に体を浸した。
☆
冬梅と二人で竹藪のはずれにある東屋に腰を落ち着けると、秋華は口を開いた。
「あなたは、麗香様についてこちらにいらした『次の巫女』なのですね」
「いかにも」
誇らしくすら見える顔で、冬梅は答えた。秋華とて、璃鈴と同じく何の準備もせずにここへとやってきたのだ。わからないこと、聞きたいことは山ほどある。何から尋ねたらいいのかわからずに秋華がとまどっていると、冬梅は胸元から小さくて細長い包みを取り出す。
いぶかし気に見ている秋華の前で、冬梅はくるくるとその包みを開けていった。中から出てきたのは、一振りの短刀だった。普通のものよりもさらに小さく、女性でも片手で扱えそうな代物だ。持ち手が何の飾りもない木製でできていたそれは、古ぼけてはいたが、刀身だけはきれいに磨かれていた。
冬梅は、包みの上に乗せたそれを秋華に手渡す。
「これは、あなたに」
「私に?」
「ええ。この短刀は、代々『次の巫女』に伝えられてきた、皇后の命を奪う刀」
秋華は息を飲んだ。
「あなたは、『次の巫女』の役割をご存じですか?」
少し青ざめた顔で、秋華は頷いた。
「はい。もし皇后に何かあった時は、私が皇后になって皇帝陛下の子を産むこと。そして、万が一、皇后が道を誤った時は……」
秋華は、手元の刀を見下ろす。
「巫女の力を誰にも悪用されないために、皇后の命を終わらせること。聞いた時はどうやって、と恐ろしく思ったのですが、こういうことだったのですね」