いつも、このサイトに載せているエッセイは、出来ないことばかり書いてしまうのですが、今日は久しぶりにできたことを書きます。やっぱりできたことも書かないと、本当につまらない人生になってしまいますからね。
きっかけは些細なことでした。たまたま近日に祖父の関係者が来宅する予定があったものですから、私は家にいないほうがいいだろうと思ったのです。そこで、音楽スタジオを借りて、ピアノでも練習しようかなと思い、スタジオの予約を取りました。そのことを、母に伝えた際に、お客さんが来て、私は邪魔になるだろうから、音楽スタジオに行く、と伝えたのですが、母はその言い方が癪に障ったようで、そのような言い方をするものではないと叱りました。ピアノを弾くなら、家でそのまま続けてくれればいいよ、と言いますが、やっぱり音が出てしまうのはまずいだろうと思っていたので、其れでもスタジオへ行くと私は言いました。というのはお客さんと、顔を合わせると、仕事の事とか聞かれたりすると、嫌だったから、やっぱりこういう時は、外へ出た方が良いなと思っていたからです。
母は、私が邪魔になるからという言い方をしたのが嫌だったようですが、私はそれ以外の言葉も見つからず、其れならどうしたらいいのかも分かりませんでした。とりあえず、ごめんなさいと謝罪して、音楽スタジオにはいくからとだけ伝え、その場を離れました。これが成功へのカギだったのです。その場を離れて一人になり、すぐにピアノの練習を始めてしまったので、今までのように、自傷行為などはしないで済んだのでした。昔の私であったら、こういうことはとてもできなかったし、パニックになっていたと思います。こういう風に、何かぶつかり合いが起こりそうになったら、伝えたいことだけ伝えて、すぐに引き下がるということが、大事なのだということをこの時初めて学んだのでした。
そして、もう一つ、成功した理由がありますよね。其れは次にやることが在ったということです。次にやることが在って、それをぶち壊しにしてはいけないという思いがあったからこそ、パニックには至らなかったのでしょう。本当に人間は、やる事というのにずいぶん助けられているんだなということもわかりました。そういうわけですから、たとえ非生産的なものでもいいから、人間は、何かやることが在って、社会と接点を持つことが、大切なのです。其れも、主体的で、能動的な事業。これがないと、本当に、人間は不安定になります。
いずれにしても、母とこうして衝突があったにも関わらず、パニックを起こさないで、ピアノの練習などに向かうことができたというのは、大きな進歩なのでした。過去の事とか、以前に失敗したことも、持ち出さなかったというのも成功です。
気持ちを切り替えるとか、物事を忘れる、気にしない、そういうことに、私は、人手がいるのです。私が持っている障害とはそういうことなのでしょう。だから、自分できたというのは、自分で立って歩くことができたのと同じようなものなのです。
そういうわけで非常に大きな感動として、こちらに載せさせていただいたのでした。そんなこともできないのかと思われる方もいるかもしれません。でも、当たり前のことができなくなるのが、精神障害なのですから、其れとちゃんと
向き合っていこうと思います。