二章


 春となり、大学生活も二年目に突入した。
 たくさんの後輩が入学してきたが、生憎と今年花嫁学部に入ってきた子はいなかった。
 いかに花嫁が少ないかがよく分かるというものだ。
 本来なら柚子の妹の花梨が入学してくるはずだったのだが、すでに狐月瑶太との花嫁の繋がりは絶たれている。
 花梨はここにはもういないが、きっと瑶太は新入生として入学してきているだろう。
 花梨と最後に会った宴の日から、瑶太とも顔を合わせていない。
 きっと自分のことを憎んでいるのだろうなと、柚子は思っている。
 それが、花梨と瑶太の詰めの甘さが起こしたことの結果だとしても、感情は付いていかないだろう。
 できれば顔を合わせたくない。
 だが、そう思っている時に限ってそういう場面に遭遇してしまうというもので……。
「あ……」 
「あ……」
 カフェの入口で遭遇してしまった柚子と瑶太は、顔を見合わせて気まずい沈黙が落ちる。
 積極的に話しかけるほど親しくもなく。
 かと言って無視するほど知らない相手でもない。
 けれど、ふたりの間には花梨というわだかまりがあった。
「えっと……」
 瑶太が無視してくれるなら柚子も見なかったことにするのだが、なぜか瑶太は柚子の前で立ち尽くしている。
 どうしたものかと途方に暮れていると、「瑶太~」と後ろから瑶太を呼ぶ声が聞こえてきた。
 ひと目見ただけで人間ではなくあやかしだと分かる、金色の目と白い髪の綺麗な女性。
 どこか妖狐の当主に似ているような気がする。もしかしたら血縁者なのかもしれない。
 彼女はにこりと可愛らしい笑みを浮かべて瑶太の元へ駆けてきた。
「菖蒲」
「どうしたの、瑶太。そんなところに突っ立て……あっ……」
 菖蒲と呼ばれた少女はようやく柚子の存在に気付いたらしい。
 軽く会釈してきた彼女に、柚子も会釈を返す。
「瑶太の知り合い?」
「いや、まあ、その……。花梨の姉だよ……」
 言いづらそうに瑶太がそう告げると、途端に菖蒲は驚いた表情をした後、柚子を親の敵でも見るかのような眼差しで睨み付けた。
「花梨ちゃんの姉って……。こいつがそうなの!?」
 柚子は何故そんな目で見られるのか分からない。
 菖蒲は一歩、また一歩と柚子に詰め寄る。
 その敵意に反応して子鬼たちが臨戦態勢に入った。
「あんたのせいでっ!」
「止めるんだ、菖蒲!」
 瑶太は必死に菖蒲を止めようとするが、それがさらに彼女の怒りに触れたようだ。
「なんで止めるのよ、瑶太! この人のせいで瑶太は花梨ちゃんと別れることになったのに!」
 花梨という言葉に柚子がピクリと反応する。
「この人がいなかったら、今も瑶太と花梨ちゃんは一緒にいられたのに!」
「止めるんだ!」
 興奮する菖蒲の肩を瑶太が掴むと、ようやく菖蒲が大人しくなった。
「彼女になにかしようと思うな。鬼龍院様を敵に回す」
「瑶太……」
 苦痛に歪んだ表情の瑶太と、そんな瑶太を見て憐憫を浮かべる菖蒲。
 はっきり言って柚子は置いてけぼりである。
「鬼龍院家の威光を借りて、ふたりの仲を引き裂いて、それであなただけ幸せになって、さぞ優越感に浸っているんでしょうね。こんな姉を持って花梨ちゃんがかわいそう」
 嫌みたらしく言葉を吐かれ、さらに睨み付けられて柚子は困惑するばかり。
「菖蒲。先に行っててくれ」
 瑶太に背を押されて、悔しげに歯噛みした菖蒲は、「この疫病神っ」と、そう柚子に言い捨ててカフェの中へ入っていった。
 なんとも言えない空気が流れる。
 そんな中で瑶太は突然柚子に頭を下げた。
「すまないっ」
「えっ」
 目を丸くする柚子に、顔を上げた瑶太は必死に訴える。
「あいつは、菖蒲は俺と同じ妖狐の一族で、花梨とも仲がよかったんだ。なのに、花梨は突然遠くに行くことになった上、俺との花嫁関係も解消されたことに憤っていて……」
 視線をうろうろ彷徨わせながら話す瑶太は、言葉をなんとか探しているようにも見える。
「勿論、ちゃんと撫子様からの説明はあって、そちらに非がないことは伝えられてる。……だけど、あいつは特に花梨と仲がよかったから、少し心の整理ができていないだけなんだ。だから鬼龍院様にこのことは……」
 なんとなく瑶太が必死な様子の意味が分かった気がした。
 柚子に敵対心を持つ菖蒲のことが玲夜に伝わるのを恐れているのだろう。
 実際にそれで瑶太は花嫁である花梨を失っているのだ。
 警戒するのは仕方がない。
「これぐらいのことで玲夜が動くことはないから大丈夫です。私に実害があったわけではないから」
「そ、そうか……」
 ほっとしたような顔をした瑶太は、以前の……花梨と一緒にいた頃の瑶太とはどこか違っていた。
 なんだか弱々しくなったような気がする。
 まあ、それだけあやかしにとって花嫁というのはあやかしに影響を与える存在だということなのかもしれないが。
 今回は少しの諍いですんだので玲夜が動くことはなかったが、以前に東吉の幼馴染みである杏が話していたこともある。
 柚子が鬼龍院の力を使って瑶太と花梨の仲を引き裂いたという話。
 決して間違っていないが正解でもない。
 あの話は花梨の友人から聞いたことだと杏は言っていた。
 柚子に関する変な噂を流しているのがあの菖蒲だとしたら……。
 恐らく玲夜は許さないだろう。
 忠告は必要かもしれないと柚子は口を開いた。
「花梨のことで噂が回ってるみたい」
「えっ」
「私は鬼龍院の力を使って妹を花嫁から引きずり下ろした意地悪な姉らしいです」
 ぽかんとしている瑶太の様子を見る限りでは、瑶太は知らないようだ。
「どうも、花梨の友達がそんな話を流してるみたい。あなたの同級生は皆知ってる話らしいけど、あなたは知らなかったの?」
「初めて聞いた……」
「気を付けてた方がいいですよ。玲夜はそういうことに敏感だから」
 顔色を悪くする瑶太を置いて、今度こそ柚子はカフェに入った。