車を走らせて、透子の家……と言っても透子は猫田家で暮らしているので東吉の家だが、そこへやって来た柚子は車を降りて猫田家へ入っていった。
 車はそのまま帰ってもらった。
 この後は猫田家の車で移動することになっているからだ。
 門をくぐって玄関まで行くと、すでに人の姿があり待たせたかと急ぎ足になったが、そこはなにやら修羅場になっていた。
「離れなさいよ!」
「こわ~い。東吉く~ん」
 なにやら激おこの透子と、困り顔の東吉。そしてそんな東吉に腕をからませている見知らぬ女の子。
 なにがなにやら分からぬ柚子は首を傾げた。
「透子、にゃん吉君?」
 声をかけたことで柚子の存在に気付いた透子がぱっと表情を明るくした。
「あっ、柚子!」
 駆け寄ってくる透子に「おはよう」と挨拶すると、同じように挨拶を返す透子。
 そして、柚子は困惑した顔で東吉を見ると、途端に透子の顔が般若と化した。
「にゃん吉! とっととその女から離れなさいよ」
「お、おう……。離れろ、杏」
 言われるままに、絡みつく杏という女の子の手を離そうとするが、杏は「やぁだぁ~」と言ってさらに強くしがみ付く。
 透子のこめかみに青筋が浮かぶのが見えた。
「えっと……誰?」
 状況が見えない柚子はただただ困惑する。
 すると、怒りを滲ませた声で透子は吐き捨てる。
「にゃん吉の幼馴染みよ」
「幼馴染み?」
「にゃん吉のお父さんの会社と取引のある会社の娘らしくって、昔から親交があるらしいわ」
「人間?」
「ええ、人間よ」
 まあ、当然の答えだ。
 花嫁のいるあやかしにあんなにべたべたとするのは、あやかしのことをよく知らない人間ぐらいだからだ。
「あの女、以前からにゃん吉にまとわりついてきて本当ウザいのよ」
「透子が花嫁って分かってるんでしょう?」
「あの女には関係ないみたいよ。むしろ、私が花嫁をやってるぐらいなら自分の方が相応しいって私の前で平然と言ってのけるもの」
「うわぁ」
 それはなんとも強烈な女の子に好かれたものだと、東吉を憐れに思う。
 今も東吉は透子の様子をチラチラと確認しながら、杏を引っ剥がそうと必死になっている。
 玲夜ならば、相手が女性だろうとかまわず、力いっぱい振り払っているだろうが、取引のある会社の令嬢と言っていたので、そういうわけにもいかないのだろう。
 だが、その姿は優柔不断な男に見えた。
 ともすれば、イチャついているようにも見える東吉に、透子の友人である柚子としては気持ちのいいものではない。
 知らず知らずの内に眉間に皺が寄っていた。
 そんな柚子に視線を向けた杏は敵意いっぱいの目で睨み付けてくる。
「誰ぇ、その女。もしかしてそいつも東吉君のこと狙ってるんじゃないでしょうね。東吉君は私のなんだから!」
 横で透子が「あんたのものになったことなんて一秒もないわよ!」と言い返している中、東吉が慌てたように杏を嗜める。
「おい、失礼なこと言うな。こいつは鬼龍院様の花嫁だ」 
「鬼龍院様? 鬼龍院様ってあの鬼龍院様?」
 あのがどのを指すのか柚子には分からなかったが、東吉が頷いたので玲夜で間違いないだろう。
 すると、杏は目を大きく見開いたかと思うと、失礼にも柚子を指差して大声を上げた。
「あー、知ってるー! 鬼龍院様の花嫁って、妹に嫉妬して鬼龍院の力を使って狐月君から妹を花嫁から引きずり下ろしたっていう、狐月君の花嫁の意地悪な姉でしょう!」
 その瞬間、その場が凍り付いた。
「なんでそんな女がいるの? 東吉君、そんな人と付き合いがあるなら止めといた方がいいよ。絶対にその人性格悪いから」
 空気も読まずつらつらと悪口を発する杏に、それまで東吉のことで頭がいっぱいだったろう透子の顔がさらに怖いことになっている。
「あんた、さっきから黙って聞いてたらっ!」
「やだ、怖ーい」
「ちょっと待て透子」
 杏ではなく透子を止めた東吉に、透子は一瞬傷付いたような顔をしたが、すぐに怒りに変わる。
「なんで止めるのよ!」
「落ち着け」
 予想外に真剣な表情をしていた東吉に、透子も膨らんだ感情がしぼむのが分かる。
「おい、杏。その話誰から聞いた?」
「え~? その話って?」
「柚子が鬼龍院の力を使って狐月から花嫁を引きずり下ろしたとかなんとかだ」
「えっとねぇ。かくりよ学園にいる知り合いの子から聞いたよ。狐月君の花嫁の友達から聞いた話だから本当だもん」
 東吉は真剣な顔をして透子と顔を見合わせた。
「そんな話聞いたことあるか?」
「知らない」
 透子もそして、当事者である柚子も知らないと首を横に振った。
「杏、その話どれ位の奴らが知ってるんだ?」
「え~。多分狐月君の同級生の子たちは皆知ってるんじゃないかなぁ」
「……ヤバいな」
「ヤバいわね」
 さっきまでの修羅場はどこへやら、東吉と透子はふたりだけで分かり合っている。
「えっと、なにが?」
 分かっていない柚子は首を傾げる。
「あのクソ狐の同級生ってことは、春からかくりよ学園の大学部に上がってくるじゃない。誰がそんな噂を流したか知らないけど、そんな噂が大学内で広まったら柚子が攻撃されるわよ。鬼龍院の花嫁である柚子の足を引っ張りたい奴はたくさんいるんだから」
「そして、鬼龍院様を怒らせるまでがワンセットだ」
 うんうんと、透子が頷く。
「血の雨が降るわよ」
「さ、さすがの玲夜でもそこまでは……」
「甘い。大甘すぎるわよ、柚子。あの若様が柚子に欠片でも傷が付いて黙ってるわけがないじゃない!」
 透子は腕を擦りながら「怖っ」としきりに言っている。
「ちょっと、私を無視して話をしないで!」
「あっ……」
 すっかりと杏のことを忘れていたことを三人は思い出す。
 すると、この期を逃すまいと、忍者も顔負けの早さで透子が東吉に絡みついていた腕を強制的に引き剥がしにかかった。
「きゃっ」
「行くわよ、にゃん吉!」
「お、おう」
 そう叫ぶと、透子は柚子の腕を掴んで、猫田家の車に乗り込んだ。
 その後に東吉も続く。
「行って」
 そう運転手に告げると、運転手は「よろしいのですか?」と困った様子だが、透子は急ぐように口を開く。
「いいから、出して。早く!」
「かしこまりました!」
 静かに発車した。
 柚子が後ろを振り返ると、慌てて追いかけてこようとする杏が見えた。
 しんと静まりかえった車内。
 透子の機嫌は最底辺に悪い。
「にゃん吉、言うことある?」
 腕と足を組む透子に、
「ございません。すみませんでした」
「今度あの女に甘い顔見せたら……」
 透子は少し考え込んだかと思ったら、ニヤリと口角を上げる。
 また悪いことでも考えているなと、柚子は察した。
「今度同じことしたら私も浮気するわ」
「はあ!?」
 これにはさすがの東吉も黙っていられなかったらしい。
「おまっ、ふざけんなよ!」
「だまらっしゃい! そもそもにゃん吉が悪いんでしょうが!」
「仕方ねぇだろ。相手は取引先の令嬢なんだし」
「それだけ? 案外まんざらでもなかったんじゃないの?」
 じとっとした眼差しを透子が向ければ、東吉は憤慨した。
「アホか! 俺の花嫁はお前だけだ!」
「だったらよそ見してんじゃないわよ!」
「してねぇよ、バカが。お前以外に目がいくか!」
 互いに睨み合いながらも、その眼差しに熱を持ち始めたふたりの空気に柚子は耐えられなくなった。
「……えっと、できればそれ以上はふたりの時にしてくれるとありがたい、です……」
 非常にいたたまれなくなる。恐らく運転手も柚子と同じ気持ちだろう。
 ぱっと離れたふたりに柚子は人知れず安堵する。
「あいあーい」
「あいー」
 なぜか子鬼たちにポンポンと頭を撫でられる。
 よくこの空気の中声を上げたと賞賛しているかのようだ。