「そんなに喜んでくれるなら今度お弁当でも作ろうかな。食べてくれる?」
玲夜にとっては愚問だった。
「当たり前だろう」
即答する玲夜に、柚子も小さく笑う。
「じゃあ、頑張って作る」
「ああ。楽しみだ」
予想以上に嬉しそうな顔をする玲夜を見て、柚子はもっと早くそうしていればよかったと思う。
家族と暮らしていた時は普通に料理も手伝っていたので苦手ということはなかった。
けれど、この屋敷いる料理人の作った見た目も味も高級料亭のような料理を前にしたら、柚子のような素人の食べ物など出す勇気はなく……。
そんな料理に慣れた舌を持つ玲夜に手料理を食べさせようなどとこれまで思わなかったのだ。
けれど、去年のバレンタインデーに市販のチョコを渡すと、「手作りじゃないのか……」と、どこか残念そうにしていたので今年は手作りすることにしたが、それは正解だったようだ。
これだけ嬉しそうにしてくれればやる気も出るというもので……。
なにを作ろうかなどと考えていれば、いつの間にか玲夜の食事が終わっていたため、慌てて柚子もミルクを飲み干す。
玲夜はこれから仕事のようだ。
柚子が休みの時は玲夜も休みを取るのだが、忙しい玲夜はそういつも同じように休みを取ってもいられないようだ。
だが、高道によると、柚子が一緒に暮らすようになってちゃんと休みを取ってくれるようになったと感謝される。
それまでの玲夜は、仕事をすべて自分でこなそうとして殺人的な忙しさだったのだが、柚子との時間を取るために仕事を他人に任せるということを覚えたらしい。
柚子としては役に立ってるならばこれほど嬉しいことはない。
仕事に出かける玲夜を、玄関まで見送る。
「いってらっしゃい」
「ああ。いってくる」
なんだかこんな会話をしていると新婚夫婦のようで少し恥ずかしくなる。
ダメ押しとばかりに玲夜は柚子の頬にキスを落とした。
顔を赤くする柚子に玲夜は笑みを浮かべる。
「いい加減慣れろ」
「無理ぃ」
玲夜相手に、頬と言えどキスをされて平然としていられるはずがない。
この屋敷に暮らすようになって随分経つのに、いまだに初々しい反応を見せる柚子を、玲夜は愛おしげに見つめ、名残惜しげに頬を撫でてから仕事へ向かった。
「花嫁のいるあやかしって皆ああなのかな?」
そんな呟きを拾った老年の使用人頭がクスリと笑う。
「昔から玲夜様を知る私どもでもいまだに驚きを隠せない時がありますからな。我々としてはあのように穏やかな顔をされる玲夜様を見られて喜ばしいことです。しかし、他のあやかしがどうかは、柚子様には同じ花嫁のご友人がおられるのですから聞かれてみてはどうですか?」
「透子か……」
確かに透子は猫又である猫田東吉の花嫁であるが、柚子と玲夜の関係とはまた違う感じである。
あやかしは花嫁を溺愛すると言われており、確かに東吉が透子が好きなのは目に見えて分かるが、玲夜のような甘い雰囲気を感じたことはない。
いや、二人の時はどうなのかは分からないが。
サバサバした性格のあの透子でも自分のように恥ずかしさで身悶えするようなことがあるのだろうか……。
そんなことを考えていたら、柚子も出かける時間が迫っていた。
部屋に戻って鞄の中身を確認する。
「忘れ物はなし……っと。じゃあ、子鬼ちゃんたち、行こうか」
「あーい」
「あいあい」
子鬼たちは手を上げて返事をすると、まろとみるくになにやら「あいあい」と言い聞かせるように話した後、柚子の肩に飛び乗った。
まろとみるくも、子鬼たちの言うことは聞くようで、神妙に聞いているのがなんだかおかしい。
子鬼がなにを言っているかは柚子にはさっぱり分からないが。
「雪乃さん、まろとみるくのことお願いします」
「ええ。かしこまりました」
柔らかな微笑みを絶やさない雪乃にまろとみるくを任せ、柚子も車に乗り込んだ。
この車も柚子専用に用意されたものだ。勿論運転手付き。
花嫁は危険なことも多いと言われ、すぐそこのコンビニに行くのも徒歩厳禁とされている。
柚子は以前に陰陽師の家の者にさらわれたことがあるので、それ以降はさらに柚子への警戒が厳重になってしまった。
屋敷から出る時は必ず子鬼を連れ歩くこと。絶対にひとりにはならないことを、懇々と玲夜と高道から言い聞かされた。
そんな大袈裟なとは、一度陰陽師に捕まって身の危険を感じた柚子にはとても言えない。
柚子の危険はそのまま玲夜や鬼龍院の迷惑に繋がるのだ。
それを捕まった時に嫌でも思い知った。
そして、いつもそばにいる子鬼が絶対に守ってくれるとは限らないということも。
玲夜は柚子にそうと分からないようひっそりと護衛を付けていた。
柚子もなんとなくそれを分かっていた。
なにせ、いつも似たような顔を見掛けるのだから当然だ。
その人たちは決して近付くことなく遠くから様子を窺っていた。
最初は陰陽師の時のことのようなことにならないか怖くなり玲夜に相談したが、玲夜はなんてことのない顔をして調べもせず「大丈夫だ」と言ったので、玲夜が付けた護衛かなにかだろうと柚子はすぐに理解した。
過保護だ。と、思わなくもないが、その気遣いが嬉しくもある。
これまで普通の暮らしをしていた柚子にとってあの事件は、想像以上に柚子に衝撃を残していた。
なので、玲夜が守ってくれていると思うと、柚子も安心できたのだ。