透子を伴ってカフェにやって来た柚子は東吉と合流し、先ほどあった出来事を説明した。
すると……。
「こんのアホがぁ!!」
東吉の雷が落ちる。
透子は頭を抱えて嵐が過ぎ去るのを待つしかできない。
グチグチとひたすらに説教を垂れ流した後、東吉は崩れ落ちた。
「ああ、これで猫田家は終わりだ。すまん、親父。俺の代に変わる前に潰してしまうかもしれない……」
「本当にすみませんでした!」
テーブルの上に手をついて深々と頭を下げる。
下げすぎてテーブルにおでこがついてもなお、頭を下げ続ける透子。
「にゃん吉君、向こうがどう出るかは分からないけど、一応玲夜になにかあったら助けてくれるように頼んでみるから、透子を責めないであげて。透子も私のために怒ってくれたわけだし」
「ああ……。もう今さら怒っても仕方ないしな。まあ、向こうが家を潰しにかかってくるとは限らないし。鬼龍院様のこともあまり期待しないでいるよ。なにせ相手は一龍斎だし」
深い深い溜息を吐いて、それ以上のことを口にすることは止めた。
後から来た蛇塚にも経緯を説明すると、それはもう憐憫を含んだ眼差しを向けられ、透子は頭を抱えた。
「止めて! そんな残念な子を見る目で見ないでぇ」
地味にダメージを受けているようだが、透子の喧嘩っ早さが原因なので、東吉も慰めることはしない。
代わりに柚子が慰める。
「ほらほら、透子、元気出して。気分転換に帰りにクレープでも食べに行かない? さっきのお礼に奢るから」
「生クリーム増し増しで……」
「はいはい」
ちゃっかりしている透子に、柚子は笑った。
そうして、講義が終わると、大学の近くにあるクレープ屋に向かった。
歩いて五分ほどの場所である。
迎えの車は大学の駐車場で待っていてもらい、東吉も引き連れて歩いて向かった。
蛇塚は用事があるようで先に帰った。
大学終わりで親の仕事を手伝っている蛇塚は案外忙しいのだ。
東吉も似たようなものなのだが、今日は家の手伝いもないらしい。
まあ、あったとしても、透子がやらかした後なので柚子が一緒とは言え、放置しないだろう。
「な~ににしようかな~」
「お前はもう少し落ち着きを身に着けろ。さっきまで落ち込んでたのはなんなんだ」
「いつまでも同じことをうだうだ悩んだって仕方ないでしょう。もう終わっちゃったことだし」
「お前のそのポジティブさが羨ましいよ」
東吉は額に手を当てて呆れかえった顔をしている。
そんなやり取りをしながら歩いているふたりを後ろから見ていた柚子は、ふたりの仲のよさに自然と笑みを浮かべた。
「仲良しさんだねぇ」
「あーい」
「あいあい」
柚子も玲夜にあんな風に遠慮なくポンポン言えるようになれたらいいのにと、少しふたりの関係が羨ましく感じた。
柚子としては気を使ってると言うわけではないが、どこかで遠慮する気持ちがないわけではない。
きっとそれは玲夜の方も。
最近の玲夜を見ていると、透子と東吉のような熟年夫婦のような気安さにはほど遠いことを思い知らされる。
なにが玲夜を悩ませているのか、玲夜は柚子に欠片も見せようとはしない。
それは玲夜のプライドなのかもしれないが、柚子は弱味こそ自分に見せて欲しいと思うのだ。
玲夜の性格からしたらそれは少し難しいのかもしれないが、いつかは遠慮なんて見えない壁を破れる間柄になりたいと強く思う。
「おぉー、クレープ屋をはっけーん!」
透子のテンションが無駄に高いのは、先ほどの失敗からの落ち込みの反動だろうか。
道路の向こう側のクレープ屋を見つけて目を輝かせている。
すると、横断歩道の信号が点滅を始めた。
「あっ、ほら赤になるから急いで、柚子、にゃん吉」
「次に青になるの待てばいいだろう」
「クレープは逃げないよ」
柚子と東吉は目を合わせ、互いにやれやれという表情を浮かべる。
仕方なく、途中まで渡っていた透子が戻ろうとする。
ほんの数歩の距離だ。
だが、その数歩の途中で透子の動きが止まる。
「おい、透子。早く戻ってこい」
信号は点滅から赤へと変わろうとしていた。
しかし、透子の様子がおかしい。
「透子?」
「……かない」
「えっ?」
「体が動かないの!」
「はあ?」
信じていない東吉は呆れたようにしながら「早くしろ」と言っている。
幸いに車は来ていない。
「なにしてんだよ」
「だから、動かないんだってばっ」
そう焦りを滲ませる透子の足下に、柚子はなにかが通り過ぎたのを見た。
一瞬気のせいかと思ったが、よく目をこらしてみると、それは白銀に輝く尻尾だった。
はっと息をのむ柚子に、次第にその姿がはっきりと見えてくる。
それは、幾度となく柚子が目にした白銀の龍。
やはり体には金色の鎖が巻き付いていた。
『やめろ……やめろ……』
それは苦しげに助けを求めた。
『誰か……。誰か止めてくれ……』
龍に目を奪われていた柚子は気付くのが遅れた。
横からトラックが走ってくるのを。
トラックがクラクションを鳴らしたことで気付いたが、トラックは透子の姿が見えているはずなのにその速度を落とそうとはしない。
その時になってようやく東吉が焦り始めたが、間に合わない。
頭で考えるより先に体が動いた柚子が東吉より一拍早く動き出す。
柚子は透子の手を掴むと、ぐるりと遠心力をかけるように透子を振り飛ばした。
飛ばされた透子は東吉が受け止め、代わりに柚子が道路に飛び出す形になってしまう。
そこからはスローモーションのようだった。
スピードを落とさず迫ってくるトラックが目の前に来て、そのままトラックが柚子の体にぶつかり吹っ飛ばす。
空中に投げ飛ばされた柚子は、地面に何度かバウンドした後にゴロゴロ転がり倒れた込んだ。
トラックはそのまま電柱にぶつかって動きを止めた。
「柚子ー!!」
透子の叫びが響き渡る。
「うそうそ、やだ、柚子!」
いつの間にか体の動きを取り戻した透子が地面に横たわる柚子に駆け寄る。
そして、柚子に触れようとしたその時。
「触るな!」
怖いほどの厳しい声で透子を怒鳴りつける東吉。
一龍斎に喧嘩を売ったと叱り付けた時ですらこれほどのきつい言い方はしなかっただろう。
その声に透子は体を震わせる。
そんな透子の手を優しく握る東吉は透子を片腕で引き寄せる。
「頭を打ってるかもしれない。動かすのはまずい」
「あ……」
東吉に言われてからそのことに思い至った透子は顔を強張らせた。
そして、よろよろと足下をふらつかせながら柚子のそばに座り込む。
「柚子……。柚子……っ」
ただひたすら呼び掛ける透子に顔を歪め、東吉はすぐにスマホを取り出し救急車を呼んだ。
「……すぐに救急車が来る。絶対に動かすな」
透子は顔面蒼白で静かに頷いた。
その時。
「うっ……」
小さくうめき声を上げて、うつ伏せになっていた柚子がゆっくりと体を上げた。
「柚子!?」
「……っ。透子……」
起き上がった柚子を見て、透子はボロボロと涙を流した。
「柚子ぅぅぅ!」
「透子、無事?」
「それはこっちのセリフでしょぉぉぉ」
おいおいと本気で泣きに入った透子は顔がすごいことになっているが、柚子はなんともなさそうな透子を見て安堵していた。
「あーい……」
「う~……」
「子鬼ちゃん」
恐らく柚子の下敷きになったいたらしい子鬼もなんとか立ち上がった。
「子鬼ちゃんたちが守ってくれたの?」
ぐしゃぐしゃの顔で透子が問う。
「そうなのかな? よく分かんない」
「おいおい。どっか怪我してたりおかしなところはないか? トラックにひかれたんだぞ、お前」
あまりに普通にしている柚子に対し、東吉が心配そうに問うと、柚子は自分の体を確認し始めた。
すると、足に痛みを感じて見てみると、膝が擦りむき血が滲んでいた。
しかし、それ以外はトラックにひかれたとは思えないほどにピンピンしている。
すると、電柱にぶつかったトラックから運転手が降りてきた。
どうやら電柱にぶつけた影響で扉が変形して中々出て来られなかったよう。
「す、すみません!! お怪我は大丈夫ですか!?」
「大丈夫かじゃねえぞ、おっさん。ひとつ間違えたら死んでたんだぞ!」
東吉が目をつり上げて抗議する。
「どこ見てやがったんだ!」
「すみません! けど、突然ブレーキがきかなくなって……」
「そんなんで言い訳になると思ってんのか!」
「すみません、すみません!」
トラックの運転手は平身低頭で頭を下げ続けた。
そうこうしている内に、東吉が呼んだ救急車が到着した。
すぐに柚子はストレッチャーに乗せられたのだが、正直
「別に救急車に乗らなくても擦りむいただけなんだけど……」
「駄目よ、柚子!」
「透子の言う通りだ。気付いてないだけで、脳や内臓に影響が出てるかもしれない。ちゃんと精密検査受けとけ」
「分かった」
東吉の言う通りなので、大人しく言われる通りに救急車に乗って病院に運ばれることになった。