講義が終わり、透子と待ちあわせのカフェに行くと、東吉と蛇塚がすでに席を取ってくれていた。
東吉は柚子を見るや、「ちょっとそこ座れ」と告げる。
透子とふたり、不思議に思いつつ席に座ると、東吉が爆発した。
「柚子! おっ前、子鬼たちになに命令したんだ!?」
「へ?」
柚子は意味が分からなくて首を傾げる。
「なに怒ってるのよ、にゃん吉?」
透子もわけが分からない様子で問いかけると、東吉が深い溜息を吐いた。
「柚子が頼んだんじゃないのか……」
「なんのこと?」
蛇塚を見れば、苦笑を浮かべている。
「さっき俺たちの講義に子鬼がきた」
「えっ?」
「なんで?」
東吉たちとは別の講義を受けていた柚子と透子は驚いた。
確かに、黒髪の方の子鬼は講義中姿を消していたが、どこに行ったかまで知らなかった。
東吉たちの講義に行っていたことが、ここで判明する。
「にゃん吉君に会いに行ってたの?」
子鬼にそう問うと、子鬼は首を横に振る。
「あーい」
「あいあい!」
子鬼が興奮しながらなにか言っているが、柚子にはさっぱり分からない。
仕方なく東吉に答えを求める。
「こいつ、講義中にやってきたと思ったら、突然狐の一族の女に鉄拳制裁しやがったんだよ」
「てっけんせいさい?」
柚子は意味が分からない。
いや、鉄拳制裁の意味は分かるが、どうしてそんなことをしたのか分からない。
そもそも、誰に?
「狐の一族の女って誰?」
「お前の妹が花嫁やってた相手のあやかし。狐月瑶太の幼馴染みの女だよ。お前、知り合いだったか?」
「えーと……」
それは柚子の思い違いでなければ、菖蒲で間違いないだろう。
「そいつ、以前に柚子の悪評流してた、妹の友人のひとりでもあるんだよ。だからてっきりそのことへの制裁かと思ったが、あの噂が鎮火してからだいぶ経ってるし、なんで今なのかって思ったんだが」
「あー、それは……」
思い当たる節はある。
というか、ものすごく覚えがある。
「子鬼ちゃん、やっちゃったの?」
「あーい」
「やー」
子鬼は満足そうににぱっと笑う。
「そう、やっちゃったのか……」
柚子はすっかり失念していた。
柚子を守るためにと付けられた子鬼たち。
そんな子鬼たちが、ひたすら柚子を罵られて黙っているはずがなかったのだ。
子鬼がどこかへ行ってしまった時に気付くべきだった。
しかし、子鬼は怒れない。
子鬼は玲夜に言われた通り柚子を守ろうとしただけだ。
上手く対処できなかった柚子が悪い。
「うーん……」
眉間を親指で揉みほぐす。
「ち、ちなみにだけど、子鬼ちゃんに制裁された彼女はどうなったの?」
「医務室に連れてかれた」
柚子は頭を抱えた。
やりすぎだ。しかし、子鬼は怒れない。
「あう~、どうしよう。謝りに行くべき?」
「というか、そもそもなんで子鬼ちゃんがそんなことしたのかよ」
透子がそう疑問を口にしたため、説明しないといけない空気になってしまっている。
仕方なく、柚子は講義前に菖蒲とのやり取りを話すことに。
すると、案の定、透子が怒髪天を突いた。
「ああん? そんなやつ制裁されて当然じゃない! せっかく噂が流れた時に鬼山のご令嬢が穏便に鎮火させたってのに、また喧嘩売ってくるとか、子鬼ちゃんが怒っても自業自得よ。謝りに行く必要なんてないわよ、柚子は。むしろ、若様直々に手をくださなかったことをありがたく思うべきだわ」
「いや、待て。これで終わったと決まったわけじゃないぞ。これが子鬼から鬼龍院様に伝わったら……」
などと東吉が恐ろしいことを言う。
「再起不能かしらね」
否定する者は誰もいなかった。
なんとなく沈黙が支配するその場に、声が落ちる。
「少しいいか?」
聞いたことのあるその声に振り向くと、そこには瑶太が立っていた。
どことなく以前よりさらにやつれたような気がしなくはない。
瑶太と分かるや、透子と東吉が警戒する。
特に透子のあからさますぎる態度には苦笑を禁じえない。
「なにか?」
「いや、その……。すまなかった!」
そう言って深々と頭を下げた瑶太に柚子たちは目を丸くする。
顔を上げた瑶太は必死に弁明を始めた。
「また菖蒲がなにかやらかしたのだろう? 前にも君は悪くないと伝えたんだ。けれど菖蒲は少し頑固なところがあって、俺の話を受け入れようとしなくて……」
あわあわとする瑶太の顔色は悪く、まるで柚子の方が虐めているようだ。
「あいつと花梨はすごく仲がよかったんだ。いや、そんなこと君には関係ないが、そのせいで花梨への同情でいっぱいになってるんだ。今後君には迷惑をかけないよう俺がちゃんと言い聞かせる。頼むから鬼龍院様には黙っていてくれないか!?」
どうやら瑶太は、玲夜からの制裁を怖がっているよう。
まあ、前回はそれにより花梨という花嫁と引き離されたのだから彼が玲夜の動きを怖がるのは仕方がないかもしれない。
正直、むかつく気持ちはある。けれどそれ以上に気になった。
「あなたは……」
「え?」
「あなたは私を恨んでいないの? 私がいたから花梨とあなたは引き離されることになった。私がいなかったら今もずっと花梨といられたのに」
自分を卑下するような物言いをした柚子に、透子の顔が険しくなる。
なにか言おうと口を開こうとしたが、東吉が止める。
気まずい沈黙が落ちる。
言ってしまってから、言うんじゃなかったと柚子は後悔した。
恨みがないはずがないじゃないかと。
そんな中で、瑶太は静かに口を開く。
「恨みがないといったら噓になってしまう……」
やはりそうだろう。
「君さえいなければ今も花梨は俺のそばにいたのにと考えたことは一度や二度じゃない。けれど、それと同時に君が悪いわけではないということも理解している。俺は花梨からしかあの家族を見ていなかったから違和感なんてなかった。けれど、君から見たらあの家族は違和感でしかない。それが分かるぐらいの分別はある。あるはずなのに、当時の俺は花梨がすべてだった。他の人間がどうなっていようとかまわなかった。その狭い世界が花梨を手放す原因になってしまった」
「…………」
「まあ、こんな風に思えるようになったのも最近だ。最初は君と鬼龍院様への呪詛の念しか言葉にできなかった。それを撫子様が根気強く諭してくださった。素晴らしいお方だよ。こんなどうしようもない俺なのに見捨てたりしなかった。だから、俺も前を向ける。君も、菖蒲の言葉など気にしないでくれ」
純粋に驚いた。
瑶太の想いや、考え、苦しみを聞いて
やつれた顔をしてはいたが、その表情は憑きものが落ちたかのように明るく晴れていた。
それは柚子の知る瑶太よりもずっと大きく見えた。
「彼女のこと、玲夜には黙っておきます。もし伝わったとしても、ちゃんと止めますから安心してください」
「ありがとう」
恐らく初めて見ただろう、柚子にむけられた笑顔に柚子はしばし動けなかった。
人は変わる。
あやかしも、人間も。
自分も変われるだろうか。
瑶太のように、過去に囚われることなく強く。
柚子も気付いていた。
これほどに玲夜の役に立つことや、自分の価値を気にするのは、過去に囚われているからだ。
自分を愛してはくれなかった両親。
その輪の中に入るためには役に立つ存在でなくてはならなかった。
家の手伝いを率先して、テストでいい点を取って、いい子でいようと努力した。
自分には価値があるのだと、役に立つからここにいていさせてくれと、柚子の中の小さな子供が泣いている。
もう関係ないなどと言いつつも、まだそこに囚われている自分がいた。
玲夜は役に立たない無価値な自分でもそばに置いてくれる?
それを問うのが怖くて、必死になって役に立つ方法を考えている。
いつまで経っても弱い自分が、柚子は嫌になった。