五章


 部屋で桜子と他愛ない話をしていた柚子。
 しばらくすると玲夜が戻ってきた。
 しかし、どこか様子がおかしいと柚子は気付く。
「玲夜?」
「なんだ?」
「なんだはこっちのセリフ。どうかしたの?」
「いや、なんでもない……」
 とてもそうは見えなかったが、玲夜がなにかを語ることはなかった。
 それからだ、時々思い詰めたように考え込む玲夜を見かけるようになったのは。
 その度に柚子はなにがあったのかと問いかけたが、決まって玲夜は大丈夫だと微笑むのだ。
 柚子を心配させまいとしているのがなんとなく分かる。
 けれどそれは、自分では役に立たないのかと柚子を落ち込ませた。
 役に立たない。
 以前誰かが柚子に言った言葉が頭をよぎる。
 力になりたいと思うのに、自分では玲夜の役に立てない。
 玲夜も柚子を頼ろうとはしてくれない。
 柚子が玲夜を頼ることはあっても、その逆はないことを思い返す。
 それは自分では役に立てないと思っているからなのではないかと、柚子は思い悩んだ。
 そんな心が弱っている時に限って、追い打ちをかけようとしてくる出来事が起きるのだ。
 瑶太の幼馴染みという菖蒲。
 彼女と大学内でばったりと顔を合わせてしまった。
 今は悪意のある言葉を聞きたくなかった柚子は、なにもなかったように横を通り過ぎようとしたが、菖蒲はそれを許さなかった。
「あんたはいいわよね、幸せそうに笑っていられて」
 正直、今の柚子は幸せに笑っていられる心境ではなかったが、反論する余裕もなかった。
「あんたのせいで瑶太はどんどん弱ってるわ。花嫁をなくしてしまったんだもの、当たり前だわ。きっと、花梨ちゃんも今頃瑶太と同じように悲しんでる。それなのに、あんたはなにごともなかったかのように振る舞って……っ」
 柚子は浴びせられる言葉を素直に受けた。
 菖蒲は怒りに震えているが、柚子ではどうすることもできない。
「なんとか言いなさいよ! 私は小学部の頃からふたりを見てきたの。仲がよくて、このままふたりは結ばれるんだと思って楽しみにしてたのに。なのに、あんたの存在がふたりもの人を不幸に落とした。あんたなんていなければよかったのに!」
「……っ」
 柚子はぎゅっと唇を引き結んだ。
「あなたを花嫁に選んだ鬼龍院様も後悔しているんじゃないの? あんたみたいななんの役にも立たない平凡な女を選んだことを。鬼龍院様なら他の器量も見目もいい人が相応しいわよ」
 それは今の柚子には言って欲しくない言葉だった。
 菖蒲の言葉がナイフで切りつけるように柚子を傷付ける。
「一龍斎の子との騒ぎだって、あなた鬼山様に守られるばかりでなんにもしないじゃない。ほんと、花嫁じゃなかったらなんの価値もないわね」
 柚子はこらえるように手をぎゅっと握り締める。
 ただただ、この時間が過ぎるのを待つことしかできない。
 言い返そうかと思った。
 ほとんど初対面に等しい相手になぜここまで言われなければならないのか。
 確かに花梨の友人なのかもしれないが、これは家族の問題で、菖蒲には無関係のことだ。
 口を挟む権利など菖蒲にはない。
 そう、口から出そうになったが、言ったところでなんになるのか。
 柚子を悪としている彼女に、なにを言っても受け入れようとはしないだろう。
 それに、玲夜のことで思い悩んでいた柚子にとって、菖蒲の言葉は予想外に深く突き刺さった。
 抜けるどころかどんどん深く沈んでいく言葉に、反論する気が起きない。
 ずっとうつむいて耐えるだけだった柚子の前からは、いつの間にか菖蒲は消えていた。
「あーい」
「あいあい」
 子鬼が心配そうに柚子に声をかける。
「大丈夫」
 無理矢理作った笑顔が少し引き攣っていたことに柚子は気付いていない。
「あーい」
「あーい!」
 身振り手振りで子鬼同士が話し合いを始めたかと思ったら、黒髪の子鬼がコクコクと頷いてから柚子の肩から飛び降りて、すたこらと行ってしまった。
「えっ、子鬼ちゃん!?」
 慌てて追いかけようとしたが、もう片方の肩に乗っていた白髪の子鬼が柚子の服を掴んで柚子を行かせまいとする。
「追いかけないでいいの?」
「あーい」
 子鬼はにっこりと笑顔を浮かべてこくりと頷いた。
 子鬼がそう言うならと、柚子は追いかけなかったが、いつまで経っても帰ってこない子鬼に、柚子は気が気でない。
 講義中も大丈夫かと心配していた柚子だったが、講義が終わると共に子鬼はひょっこりと戻ってきて、定位置の柚子の肩に乗った。
「あーい?」
「あーい!」
 なにごとか問いかける白髪の子鬼に対し、どこかへ行っていた黒髪の子鬼がピースサインをしてドヤ顔をしていた。
「なにしに行ってたの?」
 問う柚子に向かって、子鬼たちはそろってピースサインをするだけだった。
 まったく意味が分からない。