「玲夜様、あの龍はなんだったのでしょう? なにかご存知ですか?」
 玲夜は少し逡巡した。
 言うべきか言わざるべきか。
 考えた末に玲夜は口を開いた。
「柚子も龍を見たと言っている。少し前から」
「まあ、柚子様も?」
 桜子から視線を向けられた柚子はこくりと頷く。
「その龍は一龍斎と繋がりがあるかもしれない」
 子鬼から伝えられた、まろとみるくが言っていた話。
 一龍斎に捕まったという龍。
 逃げたがっているという龍。
 まろとみるくと同じ霊獣だという龍。
 そして、素質があるという柚子。
 なんの素質かは玲夜には分からないが、まろとみるくの話を信じるならば、龍と一龍斎が関わっている。
 そして、素質があるという柚子に龍は助けを求めた。
 柚子を危険なものから遠ざけたいとありとあらゆる手段を講じている玲夜だが、今回ばかりは後手後手に回ってしまっている。
 分からないことが多すぎるのだ。
「では、桜子をこんな風にしたのは一龍斎ということですか?」
 控えていた高道が問う。
 冷静沈着な高道には珍しく、その声には怒気が感じられた。
 まあ、婚約者に重傷を負わされたのだから当然だろう。
 玲夜だったらもっと分かりやすく怒りを表に出しているところだ。
「それはまだ分からない。一龍斎は龍の加護を得ているというが、その龍が一龍斎の指示で動いている確証はない。桜子の件も、本当に龍が原因とは分からないしな」
「玲夜様、一龍斎を調べる許可を」
 一龍斎は鬼龍院並の権力を持っている。
 それ故、一龍斎に関しては下手に手出しをしないようにと千夜から言われていたのだ。
 なので、一龍斎を調べたいと思いつつも、調査させることは許していなかった。
 深く入り込みすぎて一龍斎の機嫌を悪くしないようにと。
 あやかしのトップである鬼龍院が、顔色を窺わねばならぬ一龍斎という家。
 これまでは特に関わりがなかったために問題なかったが、こうなってくると厄介なことこの上ない。
 思わず舌打ちが出そうになる。
 玲夜は高道に対して駄目だと言うほかなかったのが苛立たしい。
 高道は感情を表には出さなかったが、なにかを飲み込むように玲夜に頭を下げた。
 と、その時、襖の向こうから声がした。
「失礼致します。玲夜様、少しよろしいでしょうか?」
「分かった。少し席を離れる。柚子はここにいろ」
「うん」
 柚子を部屋に残し玲夜が部屋を出ると、この屋敷の使用人が少し困った顔をしながら声を潜めた。
「玲夜様にお客様がいらしております」
「俺に? 父さんではなく?」
「はい。それが、お客様というのが、一龍斎のお嬢様ということで。今は旦那様がいらっしゃいませんので本家に入れるべきか迷いましたので、敷地の外で待機していただいております」
 一龍斎と聞いて、分かりやすく玲夜の顔が険しくなる。
「いかがなさいますか?」
「会おう」
 このタイミングで会いに来たなにかがあるのではないと玲夜は警戒した。
 本家の敷地は広大だ。それ故、屋敷から車で敷地の外へと向かう。
 そこには一台の車があり、玲夜が姿を見せると、後部座席からミコトが嬉しそうに出てきた。
「玲夜様!」
 玲夜の元へ近付いてきたかと思えば、その胸に身を寄せそうとしてくる。
 それを玲夜は素気なく避ける。
 ミコトは不満げにむくれているが、そんな顔をしても玲夜のなににも響かない。
「なんの用だ?」
「玲夜様、私とデートしてください」
 途端に玲夜は苛立ちを露わにする。
「くだらない。そんな話をしに来ただけならすぐに帰れ」
 普通の女性ならば玲夜にそんな顔と言葉を浴びせられたら泣いて帰りそうなものだが、ミコトは不敵に笑った。
「私にそんなことを言っていいんですか? また犠牲者が増えますよ」
「どういうことだ?」
「……あの鬼の方、大怪我をされたようですね。でも、あやかしですもの、あれぐらいなんともないですよね」
 意味深な言葉。
 あの鬼と言うのが桜子のことだと玲夜はすぐに察した。
「桜子のあの怪我はお前の仕業か?」
「私は一龍斎の神子。龍はなーんでも私の願いを叶えてくれるんです。あの方私に向かってとっても偉そうでしたから、少しお仕置きをしてさしあげたのですよ」
 クスクスと笑うミコトが薄気味悪く感じた。
 しかし、ミコトの言葉で、龍と一龍斎が繋がっていたことが判明した。
 ミコトが龍に命じて龍が行ったと。
「きさま、桜子に手を出すということは鬼を敵に回すことと同義だと分かっているのが?」
「あら、脅しているおつもりかしら? そんなものは私には通じませんよ。だって、私には龍の加護があるんですもの」
 ミコトがスッと手を上げた。
 その瞬間、息をするのも苦しい威圧感が玲夜を襲う。
「うっ……」
 思わず胸元を押さえた玲夜に、それは見えた。
 ミコトの後ろに、ミコトを護るように存在する白銀の龍を。
 圧倒的な力の差。
 自分では敵わないと玲夜は理解させられるほどの強大な霊力。
「ふふふふっ、これで分かっていただけましたか?」
 ミコトが手を下ろすと龍は姿を消し、同時に玲夜を襲っていた威圧感も消え去った。
「まだ気持ちの整理はできないでしょうから、まだあの女を花嫁としてそばに置いておくのは許してあげます。けれど、まずはデートをしてくださいな」
「断る。俺が柚子を手放すことはない」
 玲夜が変わらずミコトを拒否する姿勢を崩さないでいると、ミコトはムッとした顔をした。 
 しかし、すぐに口角を上げる。
「その意思を貫き通せるでしょうね。私の願いが叶わなかったことはないんでから」
 ミコトはポケットから一枚のメモを取り出すと、それを玲夜に無理矢理持たせる。
 玲夜がそれを広げて見れば、電話番号が書かれていた。
「気が変わったらご連絡ください」
「こんなもの不要だ」
「あなたは必ず連絡をくださるわ。きっとね」
 意味深な笑みを残して、ミコトは車に乗って去って行った。
 玲夜は手に残された紙をぐしゃりと握り締めた。