「柚子様、大丈夫ですか?」
 桜子はすぐに柚子の身を案じる。
「あーい」
「あーい!」
 子鬼も心配そうに柚子の様子を窺っている。
「ああ、どうしましょう。私は治癒は不得手なのです。玲夜様でしたらすぐに治してさし上げることができますのに。とりあえず医務室に行きましょう」
「これぐらい大丈夫ですよ」
 大袈裟だと笑みを浮かべる柚子に、桜子は目を吊り上げる。
「いけません。玲夜様の大事な花嫁になにかあっては私が玲夜様に合わせる顔がありませんから」
 そう言うと柚子の持ち物を鞄に詰めて、柚子の手を引いて歩き出した。
 カフェ内は先程の騒ぎで騒然としていたが、次第にいつもの通りに動き出す。
 医務室に連れて来られた柚子は両頬を冷えた濡れタオルで冷やすという滑稽な姿に。
「しばらくこれで冷やしていてくださいね」
「ありがとうございます。桜子さん」
 お礼を言う柚子に、桜子は痛々しげな表情を浮かべる。
「なんてことでしょうか。一龍斎の令嬢ともあろうものがあのような行動を起こすとは」
 桜子は怒りが収まらないといった様子だ。
「……桜子さん」
「はい?」
「さっきのあの人が言ってたんです。玲夜とお見合いしたって。桜子さん知ってますか?」
「ああ、そのことですか」
 桜子は納得したような顔をする。
「ご安心ください。お見合いなどではありませんよ。一龍斎側はそうしたかったようですが、玲夜様が頑としてはねつけたので、ただ顔を合わせただけです。ですが、今日のことを思うと、どうやら向こうはそれ理解していないようですね。あのような思い込みをするなんて。このことを知ったら玲夜様が大層お怒りになりますのに」
「……私、玲夜の花嫁でいいんですよね?」
 自信なさげに確認する柚子に桜子は目を見張った。
「なにをおっしゃるのです! 柚子様以外に花嫁になれるお方などいらっしゃいませんよ!」
 桜子は力強く断言する。
 誰かにそう言って欲しかったのだ。
 間違いなくお前は花嫁だと。
 ミコトの言葉はあまりに鋭くて、柚子の弱い所を切り裂いた。
 玲夜の花嫁でいることに自信が持てない柚子の弱った心を。
 だから、桜子の自信に満ちた言葉は柚子を優しく包んでくれる。
 大丈夫だと。自分が玲夜の花嫁なんだからしっかりしろと、そう思わせてくれた。
「ありがとうございます、桜子さん」
 桜子に向けた笑みは弱々しく、無様な姿を桜子に見せてばかりだと柚子は申し訳なくなった。
 だが、まだ笑えるだけ自分は大丈夫だと思えた。
 もっとしっかりしなくては。
 守られるばかりではなく、あそこでちゃんと言い返せる強さを手に入れなければと、柚子は反省した。
 そんなことを思う柚子をじっと見ていた桜子は笑みを浮かべる柚子とは違い、どんどん表情が険しくなっていく。
「これは玲夜様に断固抗議しなくてはいけませんね……」
 ぽつりと呟かれた言葉は小さくて柚子に届かなかった。
「えっ、なんですか?」
 なにを言ったか聞こえなくて聞き返した柚子に桜子はにっこりと微笑んだ。
「いいえ。なんでもありませんよ。私は少し用事を思い出しましたので少し席を外しますね? すぐ戻ってきますから」
「はい。ご迷惑おかけします」
「そのようなこと気になさらなくていいのですよ。では、少し行って参ります」
「はい」
 笑みを残して医務室から出て行った桜子と入れ替わるようにして、透子と東吉が入ってきた。
「柚子!」
 勢いよく扉を開け放つ透子に苦笑を浮かべる。
 どうやら色んな人に心配をさせてしまったようだと。
「大丈夫なの、柚子?」
「うん、大丈夫。ちょっぴり叩かれただけだから」
 大丈夫だと教えるようにタオルを外して叩かれた頬を見せたのだが、それは逆効果に終わる。
 赤くなった両方の頬を見て、透子の怒りが頂点に達したのだ。
「すごく赤くなってるじゃない! なにがあったの? カフェで前に話に出てた一龍斎の子と揉めたって話を聞いたんだけど」
「大方合ってるよ。ただ、ちょっと厄介なことになったかなぁと」
「どういうこと?」
 柚子は、先程のことを透子に教えた。
 説明していくに従って透子の顔が般若と化していくのが分かる。
「つまり、若様のストーカーの勘違い女ってことね?」
「あー、ちょっと違うような……?」
「似たようなものよ。」
 そう言って出て行こうとする透子に東吉は慌てる。
「待て待て待て!」
「止めるな、にゃん吉! 柚子を傷物にされて黙ってるわけにいかないでしょう!」
「止めるわ、アホが!」
 東吉はそのまま透子の頭にチョップした。
「透子、私もにゃん吉君の言う通り止めておいた方がいいと思うよ」
「なんで!?」
 透子の気持ちはとてもありがたかったが、相手が悪かった。
「相手は一龍斎の令嬢だ」
「だからなに?」
 頭に血が上ってる透子には理解しがたいようだ。
「一龍斎は玲夜でも気を使うような相手なの。鬼龍院でそれなのに、猫田家の花嫁である透子が一龍斎に手を出したら、どうなるか分かるでしょう?」
「柚子の言う通りだ。俺の家が瞬殺される」
 東吉が腕を組んで頷く。
 東吉の真剣な顔を見て、透子も少し冷静になったようだ。
 透子も自分の立場を理解している。
 猫田家の花嫁である自分の行動が猫田家にも影響することを。
「なん……けど……じゃあ、どうしろっての? このまま泣き寝入り?」
 透子は納得できない顔をしている。
「今回は鬼龍院家に任せとけ。俺たちが出る幕はない」
「私もその方がいいと思うよ。透子とにゃん吉君に迷惑かけたくないし」
「迷惑なんて思ってないわよ!」
「うん、それは分かってるよ。ありがとう」
 悔しげに口を引き結ぶ透子の様子を見れば、どれだけ柚子に心を砕いているか分かる。
 その気持ちだけで柚子にはじゅうぶんだった。