「それは遠い遠い昔のこと。まだ鬼龍院が鬼龍院と名を持たなかった遙か昔のこと」
 そう千夜は話し始めた。
「神事を執り行っていた一龍斎にひとりの神子がいた。彼女は後に最初の花嫁と呼ばれ、僕たちの祖先である鬼に嫁いだ。彼女には人ならざる力を持っていたと言われている。その力の源は龍。彼女には龍の加護を持っていたんだ」
 ここまでは玲夜でも知っている話だ。
 恐らく玲夜でなくても、あやかしなら知っている者は多いだろう。
「どういう経緯で、なぜ突然人間があやかしの伴侶となれたかは分からない。けれど、彼女が鬼の伴侶となった以降、花嫁と呼ばれる女性が現れ始めたのは事実だ」
 さすがの千夜でもその辺りのことは知らないらしい。
「鬼の伴侶となった最初の花嫁は鬼との間にひとりの男児を産んだ。夫婦仲はよくて、とても仲睦まじい幸せな生活を送っていたようだね。それと同時に、花嫁の子は過去にない強い霊力を持っていた。そしてそれは伴侶である鬼の力すらも高めた。一族は喜んだ。さらに龍の加護を持つ花嫁の力により、鬼の一族は一気にあやかしの頂点へと上り詰めたんだ。けれど……」
「なにがあったんです?」
 千夜の表情が曇る。
 あまり気分のいい話ではないと言っていたので、そのせいなのだろう。
「ある日、鬼と花嫁は引き離されたんだ。花嫁の生家である一龍斎によって」
「なぜ一龍斎が?」
「花嫁には龍の加護があった。その加護により一龍斎は神事において国に意見できるほどの権力を手に入れていた。けれど、花嫁が家を出たことでその勢いに陰りが見え始めたんだ。それを危惧した一龍斎は花嫁を連れ戻し、一族の男と結婚させた」
「鬼の伴侶がいるのにですか?」
「そうだよ。一龍斎によって無理矢理連れ戻され、さらには結婚を強要され、その後花嫁は一族の男との間に娘を産んだ」
「鬼の一族はなにをしていたんですか?」
 もし自分だったら、そんなことになる前に殴り込みに行っていただろうと、玲夜は憤る。
「鬼の一族もなにもしなかったわけではないんだよ。けれど、当時はあやかしと人間の仲はそれほど良好ではなかった上、昔は霊力の強い人間も多かったんだ」
 今は強い霊力をも持ってる人間はまれであるが、当時は違った。
 それ故に、いかに鬼と言えど簡単に連れ戻すということができなかったのだと察する。
「ようやく鬼が花嫁を連れ戻すことができた時には、花嫁は病で虫の息だった。本来なら龍の加護を得ているはずの花嫁が病に倒れるなどありえない。けれど、その時には花嫁から龍の加護は失われていたんだ」
「それはなぜ?」
「龍の加護は一族の男との間に産まれた娘へと受け継がれていたんだよ」
「加護とは受け継がれるものなんですか?」
「分からない。けれど、娘へ加護が移ったのは確かだ。それ故に鬼の一族は龍の加護を持つ一龍斎に手を出すことができず、そのまま花嫁を連れて帰ることしかできなかった。そうして花嫁は短い生涯を終えたそうだ」
「……確かに胸くその悪くなる話ですね」
 玲夜は不快感に眉をひそめる。
「だろう。せめてもの救いは、花嫁は最後の時を、愛する夫と息子に見守られて逝ったということぐらいだ」
 果たしてそれは救いだったのか。
 大切な人たちを残していかねばならないことが……。
 真実は花嫁にしか分からない。
「一龍斎の娘は花嫁でなくともあやかしと結婚できるというのは? 俺は初めて聞きましたが」
「一龍斎の娘には龍の加護があるって今話したよね? その龍の加護により人間でありながらあやかしに近い存在となっているんだ。それによりあやかしとの間でも子をなすことができるんだよ」
「その話が口伝でしか受け継がれていないのはなぜですか?」
「一龍斎とのいらぬ諍いを起こさないためだろうね。一龍斎にはそれ以後、直系の娘に龍の加護が受け継がれている。例え花嫁によって霊力を強くした鬼であろうと下手に手を出すことができない強力な加護だ。当時の当主は争いではなく静観することにしたのだろう」
 もしも自分だったらと、玲夜は思わずにはいられなかった。
 もし柚子が同じような目に合ったら、龍の加護など関係ない。
 ひとりででも一龍斎を潰しに向かうだろう。
 なぜ祖先はそうしなかったのか理解に苦しんだ。
「僕が一龍斎と龍について知っているのはそれぐらいだよ。柚子ちゃんが見たっていう龍が一龍斎と関係があるのかは僕にも分からない」
「そうですか。ありがとうございます」
 立ち上がって部屋を出ようとした玲夜の背中に向かって千夜が声を掛ける。
「玲夜君。一龍斎には気を付けるんだよ。龍の加護は本物だ。君が思っている以上に一龍斎は厄介な相手だよ」
「……例えそうだとしても、柚子になにかしようとするなら相手になります」
 護もミコトも諦めた様子はなかった。
 ならば柚子に危険が及ぶかもしれない。
 そんなことを玲夜が許すはずがなかった。
 敵に回るなら、柚子に危害を加えようとするのなら、龍だろうと一龍斎だろうとすべからく玲夜は排除するだけだ。