ひと通り挨拶回りを終えた玲夜千夜とふたりで桜の木の下に来た。
 高道は飲み物を取ってくると言って離れた。
 遙か昔よりここに存在する不思議な力を持った桜の木。
 まだ本家に住んでいた頃は、玲夜もよくこの桜の木を見に来ていたものだ。
 懐かしさに目を細めて桜を見上げていると、千夜が口を開く。
「玲夜君、あのさぁ、ちょーっとお願いがあるんだよねぇ」
 息子相手にビクビクしながら顔色を窺う千夜に、父親としての威厳はないのかと問いたい。
 そもそもそんなことを期待してはいないのだが、もう少し威厳の『い』ぐらいは出してもいいんじゃないかと玲夜思う。
 まあ、そんなことをしなくとも鬼龍院の当主としてやっていけているのだから、やはり千夜はただ者ではないことは確かだ。
「お願いとは?」
「うん、あのね……怒らないで聞いて欲しいんだけどぉ」
 視線をうろうろさせながら言いづらそうにしている。
「なんですか?」
 つまり、内容は玲夜の怒りを買うようなことということだ。
「……えっと~。実は玲夜君にお見合いの話が来てるんだよね」
「父さん……」
 みるみる玲夜の顔が怒りに染められていく。
「ひゃあ! だから怒らないでって言ったのにぃ」
「俺には柚子がいるんですよ。どうしてそんな話がでるんですか? 勿論断ったのでしょうね?」
 否と言えば父親でも絞め殺しそうな怖い顔ですごむ。
「オッケー出しちゃった」
 えへっとかわいく笑っても、むしろそれは玲夜の機嫌を損ねるでしかなかった。
 もう、後ろに不動明王の幻覚が見えそうなほどに玲夜は怒りが頂点に達しようとしている。
「一龍斎家からの打診なんだよぉ」
 一龍斎と聞いて、玲夜の怒りが下降していく。
「一龍斎……?」
「うん。なんだか一龍斎のトップの孫娘が、パーティーで玲夜君のことを見かけて一目惚れしたんだってさ」
「一龍斎ミコトですか?」
「うん。知ってた? 玲夜君て柚子ちゃん以外の女の子には無関心かと思ってたけど」
「最近たまたまその名を耳にしたので」
「へえ、そうなんだ。……でさ、どうかな? いや、僕もね玲夜君には柚子ちゃんがいるから無理だって言ったんだよ。でも一度会うだけでもって言われてさ。なにせ相手は一龍斎でしょう。僕も強気に断ることができなくってさ。お願いだよ~、玲夜く~ん」
 千夜が玲夜に縋り付く。
 これが鬼龍院の当主とはなんとも情けない姿だ。
 そんな千夜に視線を向けることなく、玲夜は考え込んでいた。
「一龍斎ミコト、か……」
 最近柚子が気にしている人物。
 いや、気にしているのは彼女の元に現れる龍の存在だ。
 パーティーで玲夜を見かけたと言うが、玲夜ミコトに会った記憶はない。
 一龍斎と龍。
 柚子の言葉を疑うわけではないが、実際に見てみないことには判断ができない。
 そう思った玲夜は千夜に視線を向ける。
「分かりました」
「えっ?」
「見合いをするつもりはありませんが、会うだけならいいでしょう」
「本当!?」
 千夜が驚きと共に表情を明るくさせた。
「助かるよ~。さすが僕の息子」
 玲夜より、幾分背の低い千夜が玲夜に抱き付く。
 その様子に玲夜は深い溜息を吐く。
 そんな時。
「玲夜君!」
 声をした方を見れば、怒りも露わに沙良が歩いてきていた。
「玲夜君、お母さんはあなたをそんな子に産んだつもりはないわよ!」
 次から次へとはた迷惑な夫婦であると、玲夜はげんなりしつつ話を聞く。
「なんですか、突然」
「あなた柚子ちゃんにプロポーズのひとつもしてないって言うじゃない! なんて気の利かない男なの!」
「えー、それは男としてヤバいよ玲夜君」
 それまで玲夜への感謝に涙を流さんばかりだった千夜が一気に批難に転じる。
「ないよ~、ヤバいよ~、柚子ちゃんがかわいそうだよ~」
「千夜君の言う通りよ」
 沙良は腰に手を当てて怒り心頭だ。
「柚子がそう言ったんですか?」
「プロポーズされなくて残念がってたわ。もう! 女の子にそんなこと言わせるなんて男が廃るわよ!」
 玲夜は深い、それはもう深ーい溜息を吐いた。
「ご心配なく。ちゃんと考えてますので」
 その言葉に沙良は目を瞬いた。
「あら、そうなの?」
「ええ。なのでくれぐれも余計なことはしないでください。くれぐれも」
「ひどいっ! 二度も言ったよ、沙良ちゃん。二度も」
「余計なことなんてしないのにねぇ」
 そう思っていないから念を押して釘を刺したのだ。
 こういうことに関して言えば、玲夜は両親を信用していない。