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 柚子と共に毎年の恒例行事である春の宴へ参加した玲夜は、柚子とゆっくりする間もなく父の千夜に連れられ挨拶回りに勤しむ。
 そんな時ばかりは次期当主の肩書きが面倒に感じてしまう。
 そんな玲夜の隣で、千夜はいつものニコニコと楽しそうな笑みを浮かべている。
 そんな人当たりもよく、あやかしのトップとしては威厳もなにも感じられないなよなよとした様子に、千夜を侮る者は少なくない。
 けれど、ひとたび千夜を知ればよく理解することになる。
 千夜は紛れもなくあやかしのトップであり、鬼の当主だと。
 まとう雰囲気だけは玲夜の方が怖そうに見えるのだが、玲夜は未だ千夜に勝てると思ったことはなかった。
 それほどに千夜は大きな存在である。
 玲夜にとっても、そしてあやかしの世界においても。
 挨拶回りといっても、話しているのはほとんど千夜で、玲夜はそばにいるだけだ。
 元々口数は少なく威圧的な玲夜に、同じ鬼の一族と言えども萎縮してしまうようだ。
 その反面千夜は話しやすいようで皆笑顔を浮かべている。
 この差はいったいなんなのか。
 確かに千夜の血を引いてるはずの玲夜には、千夜のようになることはできない。
 侮られることも多いが、それ以上に千夜は一族の者から慕われている。
 なら、自分はどうなのかと、思うことが玲夜にもある。
 全然表情にも態度にも出さないので、柚子が知ったらかなり驚かれるだろうが、玲夜にだって悩むのだ。
 それは自分より大きな存在感を見せつける千夜に対してのことが多い。
 次期当主としての責任と重圧。
 表に出さずともそれに思考を支配される時がないと言えない。
 周囲が思っているほど玲夜完全無欠の存在ではないのだ。
 けれど、次期当主として玲夜は完璧を求められる。
 それを苦しいと表に出すことは決してしない。
 侮られることは玲夜の矜持が許さないから。
 けれど、千夜とこうした宴やパーティーの席で一緒にいると、千夜との違いを見せつけられるようで、なんとも言えない気持ちになる。
 いざ、自分が当主に立った時に千夜のように上手くやれるのか。一族を率いていけるのかと。
 だが、元々プライドの高い玲夜は悩みはするものの、次の瞬間には絶対に超えてやるという強い意識に切り替わる。
 そんな玲夜のことを分かっているのか、千夜が玲夜に対して助言を少しばかりすることはあっても、それ以上の無駄な高説を垂れ流すことはない。
 そんな千夜は、玲夜にとって尊敬する相手であり越えたい相手でもある。
 いつか必ず……。
 そう強く決意する玲夜の耳には不快な声が先程から何度となく聞こえてくる。
 それは玲夜にとって唯一無二の存在である柚子のこと。
 少し前にあった津守幸之助との一件。
 柚子は玲夜の花嫁ということで津守に狙われ、拉致監禁されてしまった。
 あれは幸之助の玲夜への逆恨みが暴走した、柚子にとっては完全にとばっちりな事件だった。
 陰陽師との関係を悪くするのを避けるために、幸之助のみに罰を与えることで鬼龍院は矛を収めた。
 玲夜としてはもっと厳しい罰を願ったが、鬼龍院として陰陽師と事を構えるわけにもいかなかったのだ。
 そうでなかったら、きっと玲夜自身の手で柚子をさらった始末をつけさせただろう。
 あの時ばかりは鬼龍院であることが歯痒かった。
 その問題はそれで終わったはずなのだが、その一件で一族の中には花嫁を持つことを危惧する声が上がり始めた。
 と言っても一部の者からだけなのだが。
 ほとんどの一族は花嫁を迎えることを歓迎しているというのに。
 それに、声を上げた者の多くは、自分の娘や親族を玲夜の妻に推したい者なのだ。
 本当に鬼龍院のことを心配して否定している者は片手で数えられるほどだろう。
 鬼龍院と言えども一枚岩ではない。
 勿論、主家に逆らうことはしないが、あわよくば玲夜と縁を繋ぎたいという欲を持っている者は少なくない。
 柚子という花嫁を見つけた玲夜に、他の女が目に映るわけがないというのに。
 それを理解しない愚か者が一族の中にも残念ながら存在する。
 玲夜のすべきことはそんな愚か者の声が柚子の耳に入らないようにすることだ。
 柚子への不安を口にする者たちを片っ端から威圧していけば、玲夜の勘気に触れることを恐れる者は大概口をつぐむ。
 そこに、いつの間にか加わっていた高道が睨みをきかせる。
 さらに当主である千夜も苦言を呈すれば、それ以上口にしようとは思わない。
 一族の者は知っている。
 千夜の見た目に隠された冷酷な一面を。
 それは玲夜を怒らせることより恐ろしいということを。
 正直、玲夜ですら千夜を敵に回したいとは思わない。
 これ以上口を出せば、彼らは間違いなく千夜は鬼龍院の当主であることを身をもって知ることになるだろう。
 千夜の口添えもあり、ふたりでこれだけ釘を刺しておけば大丈夫だろうと納得しその場を後にする。
 未だにどこか自信なさげな柚子にこんな話は聞かせたくはなかった。
 けれど、玲夜の花嫁である以上、なにも知らないでは許されない。
 けれど、できることなら害をなすなにものからも遠ざけて、真綿で包むように大切に守りたい。
 けれど、ネガティブ思考に陥りがちな柚子は、玲夜がどんなに守ろうとしても知らぬ内に色々と溜め込んでしまう。
 もう少し自分を頼り、自分なしではいられなくなるぐらい依存してくられればいいのにと思うが、そういう所は無駄に自立心が強いので困ったものだ。
 この間も秘書になりたいと言われた時にはどうやって止めさせようかと、玲夜には珍しく頭を抱えたくなった。
 上目遣いでお願いされた時はさすがにぐらりと揺れたが、鋼の理性で反対の姿勢を崩さなかった。
 けれど、柚子が諦めていないことは明らかで、どう止めさせようかと玲夜は頭を悩ませていた。
 柚子が自分の役に立ちたがっていることを玲夜は気付いていた。
 そんな必要などないというのに。
 柚子がそこにいる。
 柚子が笑って迎え入れてくれる。
 ただそれだけでなによりも玲夜のためになっていることを柚子には知って欲しいと玲夜思うのだった。