春の宴の前日、玲夜の母親の沙良から届け物がきた。
それはとても華やかな牡丹の模様の着物だった。
「うわぁ、綺麗な着物」
喜ぶ柚子の隣で、玲夜は着物を見て納得したような表情をしている。
「牡丹か……。柚子の着物は自分が用意すると張り切っていたが、」
「牡丹がなにかあるの?」
「牡丹は百花の王と言われる高貴な花だ。次期当主の花嫁であると周囲に知らしめる意味もあるんだろう」
「へぇ」
「他にも、大きく美しく成長するという意味もある。柚子のこれからに期待しているということだ」
「玲夜詳しいね」
「簡単なことはな」
玲夜が花の意味を知っていることに驚いたが、なによりその意味が柚子を驚かせる。
沙良が本当にその意味で牡丹を選んだのか分からないが、これからの柚子の成長を願って贈ってくれたのだとしたらとても嬉しい。
着物み見蕩れていると、雪乃が微笑ましそうにしながら柚子の隣に立った。
「さっ、お時間がきてしまいますから、お着替えをいたしましょう」
「はい」
玲夜を見上げれば、ひとつ頷いて退出した。
玲夜も準備をしにいったのだろう。
柚子は、雪乃やその他の使用人数人がかりで髪をハーフアップにして髪飾りを付けてメイクもしてから、着物を着せられた。
この屋敷に住むようになって着物を着る機会が数度あったが、その度に生まれ変わったような仕上がりを鏡で見て毎度のこと驚く。
今日も文句なしの完璧な仕上がりだ。
「今日もお美しいですよ」
「柚子様がこの屋敷に来られたおかげで私共も腕の見せ所ができて嬉しいですわ」
「さすがに玲夜様を着飾るわけにはまいりませんものね」
くすくすと全員で笑い合う。
これまでこの家には女性がいなかったので、着飾る相手がいなくて残念に思っていたようだ。
それが、柚子が来たことでその相手ができた。
玲夜は別になにもしなくても綺麗だろうし、平凡な柚子はさぞかしいじりがいがあるのだろう。
柚子以上に髪飾りひとつにしても真剣に考える女性たちは微笑ましいを通り越して、ちょっと怖い。
しかし、こういうことには疎い柚子には頼もしくもある。
雪乃たちによって綺麗に仕上げられた柚子の部屋へ玲夜が入ってくる。
羽織を着た着物姿の玲夜は、柚子の姿をじっくりと見て目を細める。
「綺麗だ」
息をするように賛辞を口にする玲夜、それは甘く優しい微笑みを浮かべ柚子を腕に抱く。
柚子だけに向けられる玲夜のその表情。
その表情を向けられる度に自分は玲夜の特別なんだと自信が湧いてくるような気がした。
「準備はいいな」
「うん」
玲夜が差し出した手に手を乗せ、車に乗って出発した。
玲夜の屋敷からそれほど離れていない所に本家はあった。
車で数十分だというのに柚子が本家に来たのはこれが初めてだった。
先程からずっと高い塀が壁のように続いていて、まったく景色が変わらない。
「玲夜、本家はもうすぐ?」
「もう本家の敷地内だ」
「へ?」
ぽかんとする柚子。
「本家の敷地はかなり広いぞ。敷地内にいくつもの一族の家があるからな。高道の実家も桜子の家も敷地内の中だ。そこがもう、一つの集落のようになっているからな」
「じゃあ、今走ってる所は……」
「とっくに敷地内に入ってる。両親が住む本家は一番奥だ」
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。
こうして話している間も車は走り続けているのにまだ着かない。
どれだけ広いのか。
しばらく走ってようやく着いた家は、玲夜の屋敷より何倍も大きな家だった。
「ほわぁ。大きい……。これが本家」
まさか玲夜の屋敷を小さいと思う日が来るとは思わなかった。
庶民な柚子には想像もできない世界である。
「いずれ柚子もここに住むことになるから、今の内に慣れておいた方がいいな」
「迷子になりそう」
家の中で遭難など洒落にならない。
「大丈夫だ。父さんはこの敷地内に霊力で結界を張っている。柚子が迷子になっても父さんには場所が分かるから心配しなくていい」
「結界? この広い範囲を?」
「ああ」
「全部?」
「そうだ」
テンションが高く子供っぽさもある千夜からは想像もできないが、やはり千夜はあやかしのトップに立つ男なのだ。
玲夜が敬意を払うほどにはすごいのである。
見た目では分からないのが残念だが。