三章


 大学内でのよろしくない噂は酷くなっていくかと思いきや、数日後には何事もなかったかのように下火となった。
 あの菖蒲の様子を見ている限りでは、もっと大騒ぎにするかと思ったのだが、どうやら噂が大きくなるのを見かねて桜子が裏で動いたらしいと東吉から知らされた。
 まあ、鬼龍院の次期当主の花嫁がいらぬ悪意に晒されているのだから、鬼龍院の分家筆頭の鬼山の娘であり、大学内での柚子のことを玲夜から直々に頼まれている桜子が動かぬはずがなかった。
 噂をしていた者たちも、鬼龍院を敵に回すまねはしたくないのだろう。
 元々、心から瑶太のことを思って陰口を言っていたわけではなく、興味本位の者がほとんどだったのだ。
 そんなことで目を付けられたくはないはずだ。
 あっという間に問題を収めてしまった桜子の手腕に感嘆するばかりだ。
 柚子ではそうはいかない。
 桜子が次期当主である玲夜の婚約者として一族から選ばれた理由がよく分かる。
 きっと桜子だったら鬼龍院の次期当主の伴侶として玲夜の力となっていたのだろう。
 けれど、それを柚子が奪ってしまった。
 まあ、桜子は元々現在の婚約者である高道に恋心を抱いていたようなので、桜子としては願ったりだったのかもしれないのが救いだ。
 しかし、その桜子の対応の早さは柚子を落ち込ませるのには十分だった。
 自分の力のなさが不甲斐なく、玲夜に申し訳ない。
 自分の役に立たなさが際立ったように感じた。
 玲夜の役に立ちたいと思うのに、柚子は自分ことですら守ってもらっているばかり。
 これでは駄目だと思うのに、柚子はどうしていいか分からない。
 花嫁学科でたくさんのことを勉強するようになったが、それを実践で生かすにはまだまだ経験値が低かった。
 どうしたら桜子のような女性になれるだろうかと、柚子は考えるようになっていった。
 そんな時に、玲夜から本家での宴の話を聞かされた。
「春の宴?」
「ああ。毎年春のこの時期に本家に一族が集まるんだ」
「そんなのあったの? 去年はそんなのあるって聞いたことなかったけど」
「あの頃はまだ柚子がこの屋敷に来てまだ慣れていなかったひ、大学に入って色々と忙しそうだったから話をせずに俺だけ出席した」
「そうなんだ」
 自分では不足だったのかと、柚子は気持ちが沈む。
 いや、玲夜は柚子を気遣ってくれただけなのだ。
 それに今回はちゃんと話してくれている。と、柚子は気持ちを浮上させる。
「今回は俺と出席して欲しい。大丈夫か?」
「うん。私は大丈夫だけど、上手くできるかな……」
「なにかする必要はない。普通に食事と会話を楽しむだけだ」
 その言葉にほっとしていると、横から高道が口を挟んだ。
「玲夜様。柚子様にはしっかりとおっしゃっていた方がよろしいかと。後々傷付かれるのは柚子様です」
「なにかあるの?」
 わずかに不安そうな顔をする柚子に、玲夜は仕方がなさそうに軽く息を吐いてから柚子に視線を向ける。
「俺の花嫁はお前だけだ。お前を手放すつもりは一切ない。それは心に留め置いてくれ」
「うん……」
「……鬼の一族の中には、柚子を花嫁として迎えることに不満を持っている者もいるんだ」
「そう、なの?」
「以前、柚子が津守に奪われたことで俺は一族を動かした。ちゃんと父さんに許可をもらってしたことで、そのことに後悔はない。だが、そのことを不安視する者が出てきた。あやかしのトップに君臨するはずの鬼龍院に弱味ができてしまったことを」
「あ……それって私のせい?」
 自分がのこのこと津守の手の内に落ちてしまったことが原因なのだとしたら、自分のせいだと柚子は自分を責める。
 しかし、玲夜はそれを否定した。
「違う。花嫁が狙われることは最初から分かっていたことだ。それを分かっていながら柚子を守りきれなかった俺の責任だ」
「でも、私の存在が玲夜の重荷になってるんじゃないの?」
「違うと言っているだろう」
「だって、私が人間だから……。もし、桜子さんならそんな心配することなかったでしょう? 私が花嫁だから……」
 同じ鬼が伴侶なら必要のない心配だ。
「柚子!」
 叱り付けるような玲夜の怒鳴り声に柚子はビクリと体を震わせる。
 そして、そんな柚子を玲夜は搔き抱いた。
「何度も言わせるな。俺の花嫁はお前だけ。他の声など聞かなくていい」
「玲夜……」
「そもそも、当主である父さんが認めているんだ。他に文句を言われる筋合いはない」
「でも……」
「こういう声が出るだろうことは最初から予想していた。津守の件がなくても出ていただろう。それは柚子がどうこうではなく、どこにだってこれまでと違うことに対して不安がる臆病者がいるだけだ。多くの者は花嫁を歓迎している。柚子はそんな一部の声を気にしなくていい」
 そうは言われても、はいそうですかと納得もできない。
「そもそも、花嫁とは一族に繁栄を与える貴重な存在だ。それを喜びこそすれ、足手まといだと言う奴らの言葉など耳に入れる価値もない」
 玲夜は厳しく切って捨てた。
 それを高道も同意する。
「玲夜様のおっしゃる通りですよ。小蝿がうるさいかもしれませんが、柚子様は玲夜様の花嫁。どんと構えていればよいのです。そもそも当主と次期当主が決められたことに異を唱える身の程知らずなど、一族から追放してしまいましょう」
 玲夜至上主義の高道はなかなかに過激だ。
 高道にとっては玲夜の言葉がすべてなのである。
 一切表に出さなかったが、高道も当初は柚子にいい感情は抱いていなかったのだ。
 今はどうなのか知らないが、玲夜が白と言えば黒でもすべて白にする男が高道である。
「本当はすべての悪意から守ることだってできる。だが、柚子のためにならない。頑張れるか?」
 柚子の顔色を窺うように問いかける玲夜。
 否など言えるはずがない。
 玲夜は柚子ならできると思い期待してくれているのだ。
「頑張る」
 強く気合いを入れた眼差しで頷けば、玲夜口角を上げて柚子の頬にキスをした。
「それでこそ俺の花嫁だ」