無理矢理に納得させられてしまったものの、いつの間にか龍のことを考えている自分がいることを柚子は気付いてしまう。
「柚子、くれぐれも余計なことはするな」
「う……はい……」
 まるで柚子の心を見透かしたように玲夜から追い詰められる。
「気に食わないが匂い袋は持っているように」
「はーい」
 もうこれではまるで口うるさい母親のようではないか。
 浩介の見た夢のせいで、玲夜の過保護に拍車がかかっている。
 適当に相槌を打っていると、玲夜が柚子の耳元で囁いた。
「もし約束を破ったら監禁する」
 冗談ではないが、玲夜の目が冗談を言っている目ではなかった。
 柚子は一心不乱にこくこくと頷いた。
 その様子に、ようやく玲夜も満足したようで、柚子の頬にキスをしてから仕事へ出かけていった。
 そして、柚子も大学へ。
 するとどうだろう。
 なにやら柚子を見てはひそひそと声を潜めて話をしている人たちがたくさんいた。
 その目はあまり好意的とは言えないものであった。
 柚子は周囲の声に注意して聞き取ろうとした。
「ねえねえ、あの噂本当かな?」
「あれでしょう。妹を虐めて鬼龍院の力で妖狐の花嫁を止めさせたって」
「えっ、あれマジなの?」
「相手は鬼龍院の花嫁だもの。それ位できるでしょう」
「妖狐の子と花嫁の子はすごく仲良かったのに、鬼龍院の横やりで別れさせられたんだって」
「そいつ、かわいそう。あやかしにとって花嫁がどれだけ大事か知らねえのかよ」
 などという言葉がどこからともなく聞こえてくる。
 話をしているのはあやかし、人間問わずなようだ。
 東吉が心配していたことが現実になった。
 それにしても噂の回り方が早い気がする。
 一年が入ってきたのはついこの間だというのに。
 どれもこれも柚子に悪意を感じられるものばかりだ。
 擁護している声はほとんど聞こえない。
 柚子の鞄から顔を出している子鬼の目が吊り上がっている。
 知らず知らずの内に溜息が出た。
 確実に子鬼を通して玲夜の耳に入ることだろう。
 ただでさえ、龍のことで頭を悩ませている今は、他のことに気を取られたくないというのに。
 どうしたものか……。と、考えていると、前から瑶太の幼馴染みという菖蒲が歩いてきていた。
 柚子が花梨の姉だと知ってから変わらぬ鋭い目つきで睨んでくる菖蒲は、柚子の前で足を止めた。
「いい気味。自業自得っていうのよ」
 柚子を挑発でもしているのか。
 けれど、柚子はそれには乗らず静かに問いかける。
「私のデマを流してるのはあなた?」
「はあ!? 変な難癖付けないでくれる? 私は本当のことを言ってるだけだもの」
「本当のこと?」
「花梨ちゃんから聞いてたわ。家にいても暗い顔して家族の輪にも入ろうとしない陰気な姉の話。誰からも花梨ちゃんが可愛がられたから、嫉妬したんでしょ。それで鬼龍院に別れさせるように仕向けたんでしょ! 分かってるんだから」
 柚子はくすりと笑った。
 別に菖蒲を挑発するつもりで笑ったわけではなく、その勘違いがただただおかしかったからだ。
 いや、すべてがすべて間違ってるとは言いがたいが、柚子の笑いを菖蒲は挑発と受け取ったようだ。
 カッと顔を赤くさせる。
「花梨ちゃんは明るくてとってもいい子だったのよ。友達も多くて、皆の中心だった。瑶太との仲もよくて憧れてた子はたくさんいたのよ。そんな花梨ちゃんを、あなたは……」
「そう。なら、随分とあの子は外面がよかったのね」
「なによそれ。まるで花梨ちゃんが悪いみたいな言い方をして」
「私はね、とっくに親にも花梨にも期待なんてしてなかったのよ。正直どうなろうとどうでもよかったの」
 期待していた時もあった。
 けれど、そんな時期はとうの昔に通り越してしまった。
 ただ、玲夜との暮らしが守られるならそれでよかったのだ。
 それをわざわざ壊そうとして、玲夜の逆鱗に触れたのは他でもない花梨と両親。
 柚子はなにもしなかった。
 しようとも思わなかった。
「あなたなんかいなければ皆幸せだったのに!」
 菖蒲が手を振り上げたと思えばそのまま振り下ろした。
 パンッという小気味良い音を立てて、柚子の頬を赤くした。
「私はあなたのこと絶対に許さないんだから」
 そう言い捨てて菖蒲は行ってしまった。
「あーい」
 心配そうに子鬼が声を掛けてくる。
「大丈夫」
「あい! あい!」
 なにやら子鬼が怒っているようである。
「どうしたの?」
「あい!」
 身振り手振りで子鬼が訴える。
「私が止めたのを怒ってるの?」
「あい!」
 子鬼たちは深く頷く。
 菖蒲が手を振り上げた時、止めようと思えば止められた。
 けれど、なぜか柚子は子鬼の方を止めていた。
「なんでかな……」
 あなたなんかいなければ皆幸せだったのに……。
 そう言われた時、思わず納得してしまったのだ。
 きっと、柚子がいなければ、あの家族は今も幸せに暮らしていたのだろう。
 瑶太も花嫁を失わずにすんでいた。
 柚子さえいなければ……。
「こんなこと思ったなんて言ったら玲夜が怒るかな」
 きっとお説教どころではすまないだろうなと、なぜか柚子はおかしくなった。
「それにしても、全然役に立ってないよ、浩介君……」
 柚子はポケットから匂い袋を取り出した。
 どうやら浩介からもらった匂い袋は、こういう災厄は防いでくれないらしい。