ゆっくりと柚子の意識が浮上する。
 いつの間にか寝ていたようだと理解して目を開けると、お腹の上にいたまろは姿を消しており、代わりに玲夜の綺麗な顔が柚子を覗き込んでいた。
「玲夜……?」
「起きたか?」
「うん……。いつの間にか寝てたみたい。玲夜はいつ帰ってきたの?」
「ついさっきだ」
 横になったまま話をしていると、玲夜は触れるのを楽しむかのように柚子の頬に手を滑らせる。
 柚子はそんな手のひらに甘えるように頬を擦り寄せた。
「あおるな」
「ん……」
 甘い玲夜の声に耳を傾けていると、玲夜は上から覆い被さるように距離を詰め、ゆっくりと玲夜の唇が柚子の唇に触れる。
 優しく触れてくる唇から玲夜の温もりが伝わってくる。
 それだけで柚子は幸せな気持ちになった。
 はしたなくも、もっと触れていたいと柚子の心が訴える。
 しかし、それ以上のことはなく、そっと離れていく玲夜の温もりに残念な気持ちになった。
「そんな顔をするな。襲いたくなる」
 カッと顔に熱が集まる。
 そんな顔とはどんな顔なのかと、両手で顔を隠す。
 恥ずかしがる柚子の頭を優しく撫でて、玲夜は柚子から離れた。
「もう夕食の時間だ」
「うん……」
 玲夜に促されてようやく身を起こした柚子は、差し出された玲夜の手を取って立ち上がった。
 そして、ふたり仲良く食事の部屋へ向かう。
 相も変わらず料亭のような見た目も美しい食事に最近では違和感もなくなり、静かに席に着く。
 食べ始めた柚子を見てから玲夜も食べ始め、話題は大学のことに。
「大学はどうだ?」
「うん、いつも通り。残念ながら今年は花嫁の子は入ってこなかったみたい」
 と、当たり障りのないことを言っていたら、玲夜の目が剣呑に光った。
「……狐と会ったようだな」
 ぴたりと箸の手が止まる。
 子鬼を見ると猫じゃらしを手に爆走しており、その後をまろとみるくが追っかけている。
 恐らく子鬼から情報を手にしたのだろう。
 わざわざ柚子から聞かずとも、玲夜は子鬼から情報を見聞きできるだろうに、玲夜はちゃんと柚子から話を聞こうとしてくれる。
 その日あったこと。柚子が感じたこと。
 そのすべてを玲夜は欲した。
「なにもなかったよ」
「なにも、ではないだろう」
 大学内での柚子の悪い話が流れていることを言っているのだろうとすぐに分かった。
 大学内でのことは玲夜には筒抜けだ。
 なにせ大学には桜子もいるので、そこから話がいっているのだろう。
「知ってるなら聞かなくてもいいのに」
 そんな尋問されるように言われては、まるで柚子が悪いことをしているような気持ちになる。
 不貞腐れたような顔をすることで抗議を示す。
「柚子が自分から助けを求めないからだ」
「助けを求めるようなことないもの。まだ……」
 そう、まだなにもない。
 これからはどうかは分からない。
 玲夜は険しい顔をしている。
 柚子がすぐに頼ってこないことが不満なのだろう。
 だが、なんと言われようと、ちょっと悪い噂が流れているぐらいで玲夜の手を煩わせるつもりは柚子にはない。
「大丈夫。なにかあったらすぐに相談するから。ね?」
 にこりと微笑んでみせれば、柚子に甘い玲夜が折れる方が早かった。
「……なにかあればすぐに頼れ」
「うん。まあ、桜子さんに頼る方が先かもしれないけど」
 そう言うと、玲夜は眉根を寄せた。
 桜子にまで嫉妬しているようだ。
 柚子のことになると子供っぽい一面を見せる玲夜に、柚子は苦笑するしかない。
 そんな中に、突然使用人頭が入ってきた。
「ご歓談中失礼いたします。柚子様に箱が届いております」
 そう言って座礼する使用人頭の横には小さな箱がある。
 この家に柚子宛で物が届くことは滅多にない。
 あるとすれば祖父母からなのだが……。
 手渡された届け物の送り主を見た柚子は不思議に思った。
「浩介君?」
 浩介は、柚子と透子の幼馴染みであり、以前柚子を拉致監禁する事件を起こした陰陽師の津守幸之助の異母兄弟でもある。
 幸之助の起こした事件以降、浩介は津守の家を出て、今は遠い北の地で心機一転新生活をしていると報告があった。
 それから時々連絡を取っているが、浩介から贈り物が届いたのは初めてである。
 浩介の名を聞いた瞬間に玲夜が目に見えて不機嫌になっているが、こればかりは柚子にもどうしようもない。
「なんだろ?」
 ガムテープで厳重に梱包された箱を開けてみると、中には手紙というに簡単すぎる紙が一枚。
 そんな紙と一緒に入っていた袋を逆さにすると、中の物がコロンと手のひらに乗った。
 それは小さな巾着だ。
「なにこれ?」
「柚子、見せてみろ」
「はい」
 玲夜にその巾着を渡し、柚子は一緒に入っていた紙を読むと、そこには『ずっと身に着けておくように』という一言だけが書かれていた。
「どういうこと?」
 柚子はわけが分からず首を傾げる。
「これは匂い袋だな」
「匂い袋? なんでそんなものを浩介君が?」
 玲夜から巾着の形をした匂い袋を返してもらうと、確かにそれからは匂いがしている。
「これって桃の香りかな?」
「そのようだな」
「これだけじゃ全然分かんないし」
 いったいどういうつもりなのか。
「ちょっと電話してくる」
 詳しく話を聞かなければこれだけでは分からなかった。
 席を立とうとした柚子を玲夜は止める。
「待て、電話ならここでしろ」
「う、うん」
 玲夜も気になるのだろう。
 雪乃に部屋からスマホを持ってきてもらい、玲夜の目の前で電話をかける。
「スピーカーにするんだ」
「はーい」
 はたしてこれは浩介の真意を知りたいだけなのか、ただの嫉妬なのか。
 恐らくは後者の意味合いの方が強い気はする。